かつて楽園に在ったモノ ~死と再生の熱々タコ焼き~
海と夜フィールドに訪れた静寂。
ぼちゃん……。
流れた血が、海に波紋を生み出していた。
勝者は私、大魔帝ケトスの陣営。
敗者は――かつて楽園に住んでいたモノ。
海魔皇クトゥルフ=コラジン。
今この時が――百年をかけ、ネコ対策を完全に構築した男の負けが決まった瞬間でもあった。
その腹に突き刺さるのは、白き翼。
ネコ属性ではないモノの攻撃。
三獣神が一柱。
我が友。
神鶏ロックウェル卿による手刀が――海魔皇の腹を貫いていたのだ。
ざぁぁあああああぁぁぁ……。
潮騒の中。
月光が夜の水面を照らす。
戦士の顔をしたロックウェル卿。
その嘴から、凛とした渋い男の声が漏れる。
『古き楽園の残滓。あの方を今でも苦しめる、忌まわしき地の残党よ。ケトスの言葉を借りれば、チェックメイトだ』
「魔帝ロック……っ、また、きさまか……っ」
ぐふりと、男の口から怨嗟の声が漏れる。
よろめき崩れる騎士鎧。
後ずさるその甲冑が、水面に音を立てていた。
『余は友もあの方も守ってみせる。そう、誓ったのだよ』
全てを見通す者――。
ロックウェル卿はこの瞬間のためだけに、姿を隠していたのだろう。
私は知っていた、ロックウェル卿ならば私が作り出した隙を必ず利用してくれると。
ようするに、まあ。
隙さえ作ればなんとかしてくれると、信じていたのである。
卿は珍しくシリアスモードを維持したまま。
翼を引き抜き、空に浮かべた宝杖を輝かせる。
『魔王陛下のみならず、ケトスまで狙おうとしたその罪――万死に値する』
冷たい声がロックウェル卿の口から漏れていた。
次の瞬間。
絡みつく蛇が特徴的な杖から、闇の霧が発生。
ざざざ。
ざぁああああああああぁぁぁっぁぁあ!
クトゥルフ=コラジンの身体は霧の中に包まれ、足元から徐々に石化していた。
彼もまた楽園の住人。
強力な魂――なのだろう。
滅びつつあるのに、その覇気は失っていない。
男は、諦めを悟った王の顔で――。
私に目をやる。
海魔皇は王の時に見せた美声を漏らしたのだ。
「見事なり、ああ、悔しいが……余の負けであるな」
『そのようだね。君は私ばかりを見ていた、私には友がいる。仲間がいる。なのに、私ばかりを対策して、他のモノ達への警戒を怠った。それが何よりの敗因だ』
ロックウェル卿に代わり、私が言う。
海魔皇の顔の鱗が剥がれていく。
そこには凛々しく、風格に満ちた男の顔立ちがあった。
「実に口惜しい。我が愛しき楽園、我が愛しき故郷を壊したあの男をこの手で――必ず。そう思うておったのだが……ついには叶わんかったか」
『楽園を愛していた、か』
パシャパシャパシャ。
肉球で海面を歩き、私は男の前に立つ。
敗北を知り、心を切り替えたのか――王の顔からは邪気が消えていた。
魔力核を壊されてもなお直立を維持する男、クトゥルフ=コラジンに私は言う。
『私は楽園を詳しくは知らない。けれど滅びた原因は知っている。巻き込まれた無辜なる存在がいるだろうことも……なんとなくは知っている。魔王様を恨む気持ちは理解できなくもない……』
瞳を見開き、銀の大剣で身を支える王は言う。
「ほう、これは異なことを言う。魔帝ケトスは魔王の言葉を妄信する。全てを優先する魔猫だと記憶している。なにゆえに、余に理解を示す」
『百年前の私ならこうはならなかったさ。けれど、私も成長をしているんだよ。君が封印されている間にも色々とあったのさ。本当に、色々とね』
その冒険の歩みが、私を強くしていた。
こうして、ロックウェル卿を信じて戦う事で勝利を掴んでいた。
百年前なら、こうはならなかった。
自分だけの力で戦おうと暴れ。
世界を巻き込み……この世界ごと滅ぼす勢いで、戦っていた事だろう。
「あの殺戮の魔猫が、魔帝ロックを信じ戦う……か。なるほど、それほど情勢が変わっていたのなら、余が負ける事も必然。勝てぬ道理にも合点がいく」
王たる男に、私は言う。
『愛する者を失った悲しさからの復讐。その心は、私にも分かる。けれどだ――私はあえてこういうよ。なぜ君達、楽園の住人は――魔王様を追い詰めたんだい?』
あの方の家臣として、あの方の正当性を説くために。
ネコの口は動き続ける。
『どうして――あの方の唯一の支えであったレイヴァン神を殺したんだい? あそこまでの絶望を抱えてしまうほどに追い込んだんだい? 終わったことを蒸し返すつもりはない、けれど、蒸し返しているのは君達だ。これは自分たちが招いた結末だろう? こうして逆恨みして、魔王様を狙い続ける君たちを、私は酷く哀れに思うよ』
「ふふ、猫でありながらも忠犬よのう、大魔帝。よもやあの男にここまでの理解者が生まれているとは」
微笑するたびに、男の甲冑が壊れていく。
存在を維持できなくなっているのだろう。
「もはや言い訳はするまい。余は楽園を愛していた。譬え歪んだ世界であっても、譬え偽りの天国だったとしても余にとっては愛するモノといた世界。大事な世界であったのだ」
崩れた腕を伸ばし、男は言う。
「ああ、懐かしき我が大地。我等が故郷。我等は在りし日の幻想を追わずにはいられない。今一度、あの楽園の地を踏みたかった。最初は――本当に、ただそれだけだったのだ。我等はどこで道を間違えた、どこで狂ってしまった。今となっては、全て詮無き事……か」
敗戦の将の言葉を聞きながら、私は疑問を口にする。
『君の目的はなんだったんだい?』
「決まっておろうよ、楽園の再興である!」
王は覇道を語る声で、顔で。
敵さえも魅了するカリスマに満ちた猛々しさを見せ。
勇猛に告げる。
「まずは魔帝ケトス! キサマの力を吸収し……その力をもって魔王を討つ! あの男を殺し、その魔力を糧としせめて……せめてあの地だけでも取り戻したかった! 壊れてしまった楽園に、緑と命を芽吹かせてやりたかった。それが我が目的。全ては終わった夢――!」
ふははははは!
王は終わった夢を語り、宣言した。
「余は、故郷を愛していた! ただ、それだけだ――そう、それだけのために様々な事を犠牲とした」
その声には、重みがあった。
本当に、様々な事を犠牲としたのだろう。
落胤の姫、クティーラもそうだ。
王は既にこの世界に入り込んでいたのに、彼らはそれを知らなかった。
ただ復活のエネルギーを集めるために、この地に恐怖を蒔いていた。
そして、最後は――勝利のために見捨てたのだろう。
しかしだ。
……。
『えーと、なんかイイ感じに納得してるけど。あの地を取り戻すって言うか、楽園に帰りたいだけで良いなら。あるよ? 楽園……なんつーか、フィールドだけなら復活してるよ?』
肉球でモフモフ頬をぽりぽりする私。
とってもかわいいね?
戯言だと思ったのか、クトゥルフ=コラジンは滅びゆく身体を揺らし。
豪快に笑う。
「ふはははははは! 面白い冗談を言う猫だ。滅びゆく余への手向けか。もう良いのだ、負けは負け。このまま余は大人しく、あの男の夢の中で果てようぞ」
カッコウイイ武人の最後。
そんな演出である。
しかし私はブスっと猫の眉間に濃い皺を刻み。
『いや、だーかーらー! 本当にフィールドなら復活してるんだって! 今は動物とレイヴァンお兄さんが、普通に住んでるよ?』
証拠を見せつけるべく、私は映像を投射する。
そこにはアダムゴーレムの群れと、楽園の動物。
神話生物が、極々平和に暮らしていて――中央には、生命の樹が見える。
今は漆黒牛の農場もできていて、実にのどかな光景が広がっているのだ。
しばらくたって。
王たる男は、凛々しい口から間抜けな息を漏らした。
「……は?」
『なんつーか、まあ君が魔王様の夢の中に逃げ込み、色々とやっていた間にさ? こっちの百年の間に色々とあってね?』
私だけでは信用されないかと、ロックウェル卿に目線を送る。
卿は翼についた緑の血をふきふきしながら、こてんと首を横に倒す。
『おう! 確かに楽園は復興しておるぞ? まさか、おぬし。知らんかったのか?』
「ええ!? は! ……おべええぇぇっぇえぇぇぇえぇぇぇ!?」
キラキラキラと、男の身体が消えかけていく。
核を壊され、滅びようとしているのだ。
「ちょっと待て! ほ、本当に楽園は蘇っているのだな!?」
『だから、そう言ってるじゃん! しつこいなあ!』
「では、余はなんのために? この百年を、憎い男の夢の中で過ごしていたのだ?」
さきほどまでの、滅びを受け入れる貫禄王様スタイルは崩壊。
わたわたと騒ぎ始めているし。
うわ、急にギャグキャラっぽい顔になったな。
『あー、なんつーか。無駄だったかもね?』
『徒労であったな、このタコ王よ!』
ネコとニワトリにいわれ、ガーンと王たる男は身体を崩していく。
滅びゆく男を見て、私のモフ毛が、んーっと揺れる。
このままだと核を失い滅びてしまうのは、確実。
……。
これさあ。
説得、できるんじゃね?
ムクムクと浮かんできた邪心を浮かべ。
ニヒィ!
私は悪猫の顔で哄笑を浮かべる。
『ねえ、君。私の配下にならないかい?』
ロックウェル卿が、まーた悪い癖が出たかと、クワワワ。
呆れ顔で肩を竦めてみせる。
ニワトリさんは予想通りだったようだが、さすがに私慣れをしていない敵さんは別。
この提案は予想していなかったのか。
クトゥルフ=コラジンは一息置いて。
間抜けな声を漏らす。
「は……!?」
声を漏らすが、私は猫目石の魔杖を翳し。
魔力核を模造しながら宣言する。
『いや、だって百年時間をかけたとはいえ。私に対抗できるだけの力を一定時間維持した神だよ? このまま消えちゃうのも勿体ないだろう?』
ニヒィ!
猫ヒゲをピンピンにして。
夜の海全体に。くははははは! っと、広がるようなチェシャ猫スマイルを浮かべ。
えい!
夢の世界に、現実世界でも通用する魔導契約書を顕現させる。
『交渉条件は単純さ。私は君を蘇生させ、楽園への入場券も一時的に提供しよう。望むのなら、君の娘クティーラも再生させてもいい。もちろん、魔王陛下に忠誠を誓う……とまではいかなくても、敵対しないことが絶対条件でね。その代わり、君を私の私兵として利用させて貰う。どうだい?』
崩れ行く王が慌てて叫ぶ。
「いや! というか! そんな大事な事、魔王に相談せんでもいいのか!? ふつう、上司の許可を得ないと無理であろう!?」
『何言ってんの? 私、ネコちゃんだよ? この程度の我儘、事後承諾で問題ないに決まっているじゃないか?』
頭上にハテナを浮かべる私に、ロックウェル卿が言う。
『こやつはこういうやつだ。昔からな』
『成長しても芯はぶれていないという事だね』
えっへんと胸を張る私に、クトゥルフ=コラジンは言う。
「む、娘を再生してくれるという約束は――」
『私は魔族だよ? 約束は守る。魔導契約書にサインをしよう、ただし――契約は契約。もし、魔王陛下に刃を向けるのなら、君たちは自動的に滅びる事となる。そればかりは仕方のない枷だけどね』
肉球を伸ばし、私は男に語り掛ける。
『私はね、戦力が欲しいのさ。あの方を守るための力をね』
「そのために、余の力が必要だ……と?」
『ああ、どういう形であれ――君は私の攻撃を防いでみせた、それは賞賛に値すると同時に脅威を証明してみせたのさ。君を前にしてこういう言い方は失礼だと知っているが、手駒は多い方がいいだろう?』
実際。
ニャンコ・ザ・ホテップのような謎の存在が、まだ私の世界に干渉をしている可能性はある。
魔王様の母、聖母のように――夢から干渉し、私の行動を制限できる能力もある。
そういった未知の脅威に対抗する手段。
裏技は増やしたいしね。
『ここは夢の国。不可能を可能とする世界。おそらく、君が殺してしまったモノの再生も可能な筈。全て元通りというわけにはいかないが、まだやり直しもできる筈だ』
言って私は、平和だったウルタールを見る。
そう。
ここは海魔皇に支配されていた筈なのに、平和な時が流れていた。
私への対抗策のために色々と暗躍していたようだが。
それでも……安定していた国だったのだ。
おそらくここはこの王にとって、第二の楽園としての意味もあったのだろう。
そして。
魔王様はこの世界をご覧になり、その無聊を慰めになっていた。
この王の存在を知っていても、敢えて介入していなかった可能性すらある。
『それに君が消えたら事後処理が面倒になるからね。できるなら自分自身で事情を説明して欲しいのさ』
「断ったら?」
『君はこのまま滅び、楽園の土を踏むこともできず。海の底で石化したままの落胤の姫はそのまま昏い底で眠り続けるだけ。けれどこちらの勝利は勝利。私達だけはハッピーエンドとなって、宴を行うだけさ』
魔王様を守るための手段は選ばない。
そんな私の真意を悟ったのか。
はたまた娘を救うためか。
男は肉球を差し伸べる私の手を掴んだ――。
私は契約に従い――回復の光を放ち始めた。
◇
海水で濡れた王城。
戦闘フィールドが解除された街の中央で、私はふふんとドヤ顔をしていた。
関係者に事情を説明していたのだ。
石化状態が解除された紅魔女オハラさんは事情を聞き。
じぃぃぃぃぃぃ。
蘇った騎士団だったサカナヘッド。そしてトランプに似た王様と王妃様だったモノ。
まあ見た目はまるっきり空飛ぶタコなんだけど。
ともあれ。
背中に生えるコウモリの羽で浮遊する、ミニクトゥルフな王夫妻を見て。
こういった。
「えーと、失礼。理解の範疇を超えているのですが……陛下が黒幕ではなかったのですか?」
『そうだよ?』
「ではなぜ。縫いぐるみのようなタコになって、あなたに忠誠を誓っているのですか?」
問われた私は、ロックウェル卿と共にタコヤキをハフハフしながら言う。
『んー、話すと長くなるんだけど。説得して私の部下になるように勧誘した、みたいな?』
ソースとマヨネーズ、そして湯気と共に踊るカツオ節。
紅ショウガと一緒に、もう一個!
ハフハフハフ♪
おお! タコ焼きも美味しい!
衣がサクっとしてて中はトロトロ!
濃厚なマヨネーズと濃いめのソース。二つの濃い味が絡み合ってる所に、更に……!
味わい深いトロトロの中身と! 弾力あるタコの食感が合わさって!
舌の上で、香りと濃厚とろとろが蕩けて踊っているのである!
ぶにゃ!
ぶにゃはははははは!
タコ足をどこから入手してきたのか、それは内緒である。
まあ王の足が一本なくなっているから、分かる人には分かるだろうが。
王曰く――忠誠の証であり、なおかつ再生するから問題ないらしい。
とだけは言っておこうと思う。
アイテム名はクトゥルー焼き。
けっこう直球な名前なので、ちょっとアレだけど。
味は美味しいよ?
ちなみに――。
ホワイトハウルは能力を活かし出張中。
海底に沈んだ落胤の姫を回収中である。
口についたマヨネーズを拭う私もとっても可愛いわけだが。
ようやく落ち着いたのか、紅魔女は言う。
「まったく意味が分からないのですが……?」
『えーと、王様たちは私との戦いに負けてぇ、私の軍門に下った。ここまではいいだろう? んで、契約によって私の戦力となる事が確約されたから、私は契約に従い滅ぼした配下を復活させた。で、ついでに戦力になるだろうって部下達にも全員、蘇生した時に眷族契約したからさあ――いまここに魔猫の配下となったサカナヘッド騎士団が溢れてるって事さ』
味方となれば、このサカナ顔も悪くないように思えてしまうのだから。
うん。
心って不思議だよね。
紅魔女は、つーんと眉間をおさえ。
メガネをクールに輝かせ……ビシ。
あ、黙り込んじゃった。思考が追い付いていないのかな。
しばらくして、やっと思考が動き出したのか。
タコ焼きをホクホク♪
肉球についたソースをチペチペと舌で舐める私に、彼女が言う。
「つまり、どういうことでしょう……?」
『ようするに、戦争は終わったって事さ』
単純に言ってしまえば、そういうことである。
青のりを猫口につけたまま!
私はニヒィっと、嗤ってやったのだ!




