【SIDE:ラヴィッシュ】少女が知った世界
【SIDE:見習い魔女ラヴィッシュ】
昼下がりも終わりつつある、三時過ぎ。
奥の応接室に通された少女ラヴィッシュは思う。
(この人たち、食欲に際限がないのかしら……いや、人族じゃないんでしょうけど)
既にラヴィッシュが持ってきた食糧は彼らの腹の中。
グルメは完食。
ロックウェル卿と名乗ったニワトリと、神狼ホワイトハウルは街に食料の買い出しにでていて――。
ここには神父と少女。そして教会に備え付けられた女神像だけ。
今ならモフモフアニマルの狼と鶏に茶化されず、神父と落ち着いた話もできる。
ボサボサの髪をポリポリと掻き。
出された蜂蜜入り紅茶を口にしながら、少女は対話を開始する。
穏やかな空間。
薄らと入り込んでくる、優しい午後の陽ざしの下。
少女はぷっくらとした唇を動かしたのだ。
「それで神父。回復魔術が発動できたっていうのは、本当なのかしら」
問いかけに大魔帝ケトスを名乗る神父は応じる。
ネコではなく人の形をした神が語り出した。
『ああ、本当さ。君の論文……というかこの研究資料の通りにね。助かったよ、なにしろ既に道筋は君が作ってくれていたわけだからね。後は発動しない部分の理論を書き換えたり、構成を組み替えたりの実験もしやすかった。それも大きいのさ』
「そりゃあ、どうも――そっか、役に立ったのね……」
ならば、あの日の努力は無駄ではなかった。
という事だ。
助けられなかった大切な人たちの思い出を抱きながら、少女は眉を下げていた。
神父の瞳が僅かに揺らぐ。
『すまなかったね、私がもう少し早くこの世界を把握していたら……間に合ったかもしれない』
「神父、乙女の心を読むのはマナー違反よ」
怒りはしないもジト目でブスっと告げる少女に、神父は言う。
『誤解さ、緊急事態じゃないから心は読んでいないよ。けれど、どうしてだろうね――助けられなかった事への後悔というものが、そうだね……なんとなく、私にも分かってしまうのさ』
神父は酷く遠い目をして、静かに紅茶に目線だけを落としていた。
少女は思わず目を奪われた。
紅茶に浮かぶ波紋の中に、男は何を見ているのだろうか?
きっと、助けられなかった大切な何かがあったのだろう。
聡い少女は察していた。
ラヴィッシュは神父の言葉を信じ、頭を下げた。
「悪かったわ、疑ったりして。ごめんなさい」
『いや、一度君の心を覗いているからね。仕方ないさ』
神父の過去には敢えて触れようとはせず。
少女は息を吐いた。
(あたしだって、あまり昔の後悔を根掘り葉掘り聞かれたくはないものね……)
どうやって発動できるようになったのか。
理論を教えて貰いたいと思う少女であるが、それよりも優先することがある。
そろそろ師匠や陛下からの使者として役割も果たすべきだろう。
少女は椅子に座り直すように腰を浮かせ……ぎしり。
わずかに前のめりになり、紅茶に手を伸ばす。
「それで、今あなたたちはなにをしようとしているの? 教会なんて、いやなんてっていうのも罰当たりだけれど……目的が分からないって、陛下も先生も頭を悩ませちゃってね。回りくどい事をしても無駄だろうし、お願いするわ。聞かせて貰えないかしら」
『報告義務もあるといった所かな?』
お察しの通りと、少女は肩を竦めてみせる。
神父は役目を果たそうとする少女を穏やかな顔で眺め。
長い指でティーカップを摘まみ。
ズズズズ。
デロデロデロと蜂蜜を足して、更にズズズズズ♪
エグイ量の蜂蜜に、少女がうわぁ……と引く様子を眺め口を開く。
『我らの現在の目的は、女神アスタルテの降臨。前にも少し語ったかもしれないが、この世界に私を呼び込んだ女神から話が聞きたいのさ。何かを知っているだろうしね』
師匠が予想したとおりである。
「けれど召喚の儀式は失敗したって聞いたわよ」
『ああ、だからこうして私達は教会を用い――人々を助け信仰心を稼ごうとしているのさ。おそらく、女神アスタルテが召喚に応じないのは彼女本人の力不足。信仰を失い、その力も失墜しているせいだと私達は考えている』
少女は考える。
「信仰心が蘇れば女神も力を取り戻す……そういうこと?」
『ああ。少なくとも私達の世界ではそうなっているからね。まあダメならダメでもいいのさ。人々を助けグルメを回収する。それもまた楽しい時間と言えるからね』
旅行のついでにこの世界を楽しんでいる。
そんな感覚だと神父は苦笑する。
少女は魔術師の顔で言う。
「アスタルテ……もはや忌み名となっている、人々からも嫌われた記憶しか残っていない……過去のアウターゴッド。女神様の降臨ねえ。やっぱり分からないわ、あなたたち外の世界から来ているのよね? この世界に滞在している理由もいまいち分からない、前の世界が滅んでこの世界にいるしかない……ってわけでもないんでしょ?」
『ああ、大きな事件は何度かあったが既に解決済み。今は極めて平和だよ』
語る言葉には重みがあった。
おそらくそれらの事件を解決したのも、彼等なのだろう。
大魔帝ケトス。
白銀の魔狼ホワイトハウル。
神鶏ロックウェル卿。
異なる世界の神。
少女は自己紹介をされたそれらの名を思い出しながら、口を開く。
「あたしの勘違いだったらごめんなさい。けれど、単刀直入に聞くわ。もしかしてあなたたち、この世界を救おうとしてくれているの? 少なくともあたしにはそう見えているわ。違う?」
『恩着せがましく言うつもりはないが、まあ結果的にはそうだろうね』
あっさりと肯定してみせた。
世界を救うなんて、簡単に肯定できる言葉ではない。
(やっぱり……彼らは外の世界から遣わされた救世主、なのかしら)
しかし、それにしては些か悍ましい力の持ち主でもある。
師匠と陛下に報告するためではない。
彼女自身も気になり、少女は息を吸う。
意を決し、問いかけた。
「どうしてこの世界のためにそこまでしてくれるの?」
『君達のためだけじゃない、とだけは言っておこうか』
嘘はなさそうであるが――。
少女は思考を加速させる。
理由もなく、他人の世界を救おうとする者などいない筈。
ましてや彼らは異形なる神。
人間よりも遥かに上位の存在なのだ。
人間が地で這う蟲の生活など気にしないように、川で泳ぐ稚魚の群れの如きこの世界に、いちいち心を動かされているとは思えない。
理由が分からないのに世界を救おうとしている。
それも不気味だ。
少女は亜空間に手を入れて、三つの小瓶を取り出した。
この世界では稀少な、満月花の蜜である。
文字通り満月のみに咲く花で、取れる蜜には濃厚な甘さが約束されている。
当然、値段はそれなり以上に高い。
「パンに塗ると美味しいの――神父、もしよかったら理由を教えて貰えないかしら」
『そうだね――君には語っておこうか』
シリアスな顔で小瓶を受け取った神父。
その足もとで蠢くふくよかな魔猫の影が、じゅるりと喉を鳴らしていた。
『理由は語ろう。けれど、君は少なからずこの世界の成り立ちについて知る事となる。それは人間にとっては理解の範疇を超えることかもしれない。理解そのものができないかもしれない。人によっては発狂してしまうかもしれない……まあもし正気度を失ってしまったら、私が記憶を食べてしまうが。それでもいいかい?』
忠告に、少女は頷いた。
テーブルの上でピアニストのように長い指を組み、神父は普段よりも淡々と言葉を漏らし始める。
それは、飄々とした様子とはまったく逆。
敬愛する主人を尊ぶ、獣のような顔で――。
少女はごくりと息を呑む。
紅茶の表面が揺れる中。
穏やかな陽射しがステンドグラスから入り込んでいる。
背後に光を浴びる神父は、口を開いた。
『この世界はね――私達の最も敬愛する御方、我等が主がお創りになられた世界なのさ』
「世界を作った方……って創造主ってこと!?」
がたりと椅子を倒し。
前のめりになった少女。
その狼狽を滲ませた震え声に、神父は視線で頷いてみせる。
「そう、じゃあ……あなたたちは神の遣い、ということなのね」
『厳密には違うけれどね。主に命じられたわけではなく、あくまでも自主的に動いているわけだから』
少女は考える。
「つまり大事な人が作った世界だから、できることならば守りたいと思っている……そういうことでいいのかしら」
『そうだね――信じる信じないは好きにして貰って構わないけれど。ともあれ私達はここが陛下が作られた世界だと、そう信じている。この世界もまた、私達が守るべき場所。負傷されたあの方を支えた、大事な一部。外部からの存在に壊されるなんて、許せるはずがない。だから、守るよ。どんな手段を使ったとしてもね』
ぞっとするほどの静かな声だった。
太陽を背に抱いているのに、禍々しい微笑をぎしりと浮かべているのだ。
闇そのものと会話をしているようだった。
底の見えない沼。
夜空に語り掛けている気分になっていた少女は、僅かに眉間に皺を寄せる。
「なるほど……ね。正直、創造主とかそういう話は理解できないけれど……あなたたちが真剣にこの世界を守ってくれようとしている事だけは、理解できたわ」
『そう思ってくれるとありがたいよ』
理解ができない領域の話だった。
けれど。
(川で泳ぐ魚たちが、あたしたちの世界を理解できないように。あたしたちは彼らの世界を理解できない……文字通り、次元が違うのね。たぶん)
少女は既に理解できない事への理解を完了し。
ふふっと微笑みながら問う。
「じゃあ、ついでにもう一つ聞いてもイイかしら?」
『なんだい?』
「あのサカナヘッドの正体。あなたならそろそろ解明しちゃったりしてるんじゃないかなぁ……って、希望的観測なんだけど。どう?」
問われて神父は買いかぶりだねと笑い。
けれど、やはりゆったりと口を開く。
『ふむ、解明はしていない。していないが……だいたいの見当はついている』
あくまでも仮説、といったニュアンスである。
「聞かせて貰っても?」
『間違っていても構わないなら、だね』
ここまで来たのだ、勿体ぶった言い方はされたくない。
少女は頷いた。
『サカナヘッドにサメ司祭。彼らは私達の知る暗黒神話にでてくる深き者、とある神に仕える眷族の姿をもって顕現している。これは事実だ。きわめて強力な存在だからね、その性質、力を真似て顕現した種族なのか――それとも私達の知る暗黒神話が実在し、彼らこそが「本物そのひと」という可能性もゼロではない。まあ、本物でも偽物でもどちらでもいいんだけどね、倒すだけなんだから』
少女は話に耳を傾ける。
『問題は彼らがこの世界に外部から侵入してきていると思われる事さ。えーと、この世界はまあ私達の主人が作り出した世界なんだけど……そこに侵入してきているということは、異物というわけだ。そうだね、この世界のニンゲンって風邪の概念はあるのかな?』
風邪というのは、隙間風や風属性といった意味ではないだろう。
「ええ、もちろん。体調を悪くする方の風邪よね」
『なら話は早いね。おそらくだが――彼らは我が主の作り出された世界に何らかの手段を用いて、無理やりに入り込んでいる。人体を蝕む、風邪のウィルスみたいにね。故にこそ。彼らは敵――この世界にとって悪意のある異物のようなものだと、私達は結論付けた。放っておけばこの世界を蝕み、最終的には滅ぼしてしまうだろう――。実際にだ。既にその滅びが、ロックウェル卿の未来視によって観測されている』
少女は眉を顰めてみせる。
「未来視? 占いって事?」
『変えようとしない限り百パーセント実現してしまう、占い系統の魔術の最高峰と思って貰えばいいさ。神鶏ロックウェル卿。彼は全てを見通す者。彼はいくつもの先の未来を見続ける監視者なんだよ』
そのすさまじい能力者のニワトリが、先ほどのアレ。
……。
少女は、目の前の神父を見て。更にあのワンコを思い出し……。
やはり頬をぽりぽり。
(外の世界の神は強力であればあるほどに、その……ユーモア溢れた存在になるのかしら)
しかし、それよりも問題は――。
(この世界についてね――)
ステンドグラスからの灯りを受けて、眩しいと感じながらも。
少女は深く考える。
見習い魔女ラヴィッシュは天才だった。
頭が良すぎた。
どうしてだろうか、この世界の秘密について、ふと――とある仮説を立ててしまった。
そしておそらくそれは正解だ。
それはこの世界の正体。
この世界。ウルタールと名付けられた領域は、彼らが主人と呼んでいる神の体内、または夢なのではないだろうか。
つまり、かりそめの世界ではないか――と。
(あたし、そういう答えを得る自動魔術でも習得しているのかしら)
膝の上でぎゅっと手を握り。
少女は言った。
「ねえ……最後にもう一つ、いい?」
『ああ、別に最後じゃなくてもいいが、なんだい』
どんな顔をしたらいいか分からず。
少女は揺れる紅茶の表面に目線を落としたまま……。
ぐっと言葉を押し出した。
「つまり、この世界というのは……その、あなたたちが主人と呼んでいる神様の作り出した、仮初めの……」
言葉を遮り、神父は存外に優しい声音で告げていた。
『いいや、答えは誰にも分からない。それにだ――たとえそうだとしても、この世界はこの世界で独立した場所。既にあの方の手からも離れている世界さ。これから何百年、何千年、何万年とつづくだろう。あの方はこの世界を無聊への慰めに作り出された、きっと、長い間君達を眺め心を癒されていた筈だ。それは私にとって極めて重要、この世界には大きな借り、恩があるという事になる。だから守るよ――君も含めてね』
少女は言った。
「優しいのね、神父」
『ああ、女性と子供には優しくしろっていうのが、主人の口癖でね』
「あら、あたしをレディとして扱ってくれたって事かしら」
しばし沈黙し。
影の尻尾を揺らし……一息。
咳ばらいをし、神父は言う。
『そ――その通りさ。君を一人の大人として――』
「ふふ、ウソね。あなた意外に嘘が苦手なのかしら。子どもだから優しくしてくれているんでしょう? でも、安心したわ。ならさっきの言葉、この世界が既に独立した世界だって話もウソじゃないってことですもの」
大人びた微笑を浮かべる少女の顔を見て。
神父は言った。
『そうだね。けれど――今ならきっと、本当にそう思ったさ。君が大人に見えたよ』
和やかな空気だった。
しかし。
ぎぎぎぃ、ぎぃぃいいいいいいいいぃっぃぃぃぃ!
歪な音がどこからともなく発生していた。
少女ラヴィッシュは立ち上がり。
「なに? この音は――」
『どうやら、次のお客さん。クトゥルーウィルスが来たみたいだね――』
言って、神父は不敵な笑みを浮かべた。
何かが迫ってきている。
おそらく敵だ。
少女もまた、魔導の杖を顕現させた。




