勝利の宴とドラゴン串 ~かつての仲間との酒盛り~
負傷兵の治療を終えて、宴会場に戻り。
ふよふよと浮かんで猫コックから焼き串を受け取った私は、しばし、人間から離れた場所へと移る。
ホワイトハウルに用があったのだ。
『今回の一番の英雄である貴様がこんな所にきて良いのか?』
『邪魔ならあっちに行こうか?』
私は冷たく言ってやった。
魔狼はぶんぶんと振り回していた尾を止めて。
『じゃ、邪魔だなんていってないだろうが! バカ猫が! ま、まあ、我も? ちょっとお話したいかなあとか、思ってたから? い、一緒にいてやってもいいんだからな!?』
あいかわらず、すなおじゃねーな。こいつ。
魔狼の横にちょこんと座って。
焼き串を、むっちゅむっちゅ。
ほんのりついた焦げ目がじゅーしー!
ちらりと隣に目をやって、私は何気なく告げた。
『元気にしているようで、安心したよ』
『貴様もな』
『ロックウェル卿も元気だったよ』
『ほう、あの石化にわとり卿と再会したのか。やつも自らの力の暴走を恐れ魔王軍を離れたと言っていたが』
『今は魔王軍で遊んでいるよ。まあ所属はしていないフリーな存在だけど……あいつ、ずっと霊峰に隠れ住んでて寂しかったんだろうね』
寂しいという心は、わからないでもない。
最近、私は寂しさを感じなくなっていたが。
ずっと寂しかったのだ。
けれど。
理由は分からない。
今は、少し、寂しくないのだ。
『ケトスよ。貴様は何かが変わってしまったようだな』
言われてみると、そうなのかもしれない。
胸の奥のどこかが、以前と変わっていたのだ。
『そうなのかな』
『ああ、前のおぬしならば……人間たちの宴会をそのような瞳で見ることなど……できなかっただろうよ』
ホワイトハウルは嬉しいような、困ったような、複雑な表情をしていた。
記憶の片隅。
はるか遠い過去の人間の表情が、頭に浮かんだ。
あの時と同じだ。
同窓会で再会した旧友が、自分の知らない成長をしていた。
そんな顔。
まあ魔狼は人間でもないし、これは同窓会でもないが。
なんともいえない感覚でもあったのだろうか。
『先ほど、人間の治療をしておっただろ』
『え、ああ……見ていたのかい』
『見ていたわけではない、ただ回復の奇跡は我が主の領分。その力が行使されればな、眷族である我にはどうしても伝わってしまうモノだ』
確かに、以前の私ならば人間の治療など対価がなければ受けなかっただろう。
『一つ、確認をさせて貰いたいのだが。構わんか? もし答えられないのなら、無理にとはいわん。ただ黙って誤魔化せばいいだけの質問だ』
『なんだい――そんな改まった言い方をして』
元、大魔帝。
ホワイトハウルは神の使いの聖獣として、精悍な獣の顔立ちを作り牙を揺らした。
『ケトスよ、貴様は一体何者なのだ?』
『何者って、君だって知っているだろう。魔王様の部下、魔王様の愛猫。大魔帝ケトスさ』
『それは分かっている。同じ魔帝とし……お前は照れて誤魔化すかもしれないが……良き友であったと、我自身も感じている。我が聞きたいのは何故魔族で猫魔獣である貴様が、我が主の奇跡をそこまで扱えるのか。それが分からぬのだ』
私がホワイトハウルについて表面上の事しか知らないように、彼もまた、表面上の私しか知らない。
魔族である私が神の奇跡を扱える理由。
今までは気付いていなかったが――とある魔女との出会いで、それに気が付いてしまった。
『私はね。昔――ずっとずっと昔、人間だった。ただそれだけの話さ』
白銀の魔狼は獣耳を大きく立てると――静かに、ゆったりと瞳を伏した。
『そうか。それだけの話か』
『ああ、そうさ。私と君との関係に、特に変化を与えるような大きな内容じゃないだろ?』
『それもそうだな』
魔狼は魔力で浮かせた酒を飲み干すと、月を見ながら呟いた。
『もう一つ、聞いてよいか?』
『今日の君は随分とお喋りだね。まあ、久々に会ったんだ。いいよ、聞きたいのならどうぞ。答えるかどうかは、ま、聞いてから考えるよ』
『かつて人であったお前は、どのような気持ちで――魔族になり、魔族として人間と戦争を繰り広げていたのだ。貴様の人間への憎悪は異常だった。この我が――恐れを抱く瞬間があるほどにな。そこまで恨んで……辛くは、なかったのか?』
心配してくれているのだろう。
月を眺めたフリをする犬の瞳は、仲間を想う慈愛に満ちていた。
だから私も答えた。
『その問いの答えは簡単さ。魔王様のためならば、全てが些事なんだ。今でもそうさ。もし再び、人間たちが魔王様を危険に晒すのなら、私は容赦なく人を根絶やしにする。辛いとか、辛くないとかそういう話じゃなかったよ』
『そうであったな。貴様の基準はいつもそれだった。つまらんことを聞いた、許せよ』
『お酒の席だ。そういうこともあるさ』
話題を変えようというのだろう。
白銀の魔狼は人間の群れを眺めながら言った。
『しかしケトスよ。人間たちにドラゴンステーキを食わせてよかったのか?』
『なんだい君。まさか人間にはあげずに自分だけで、もっと食べたかったのかい』
『それもあるが――竜種の肉は人間にとって能力増強効果を持つ特別の食事。おそらく、また人間界のパワーバランスが崩れると思うのだが』
ホワイトハウルは駄犬のくせに、超もっともなことをくちにした。
……。
宴会場の連中を猫目で、じぃぃぃぃぃ。
鑑定をしてみると……。
あー、こりゃ……ドラゴン喰ったやつと喰ってない奴で相当、差が出るな。
メイド次女なんてちょっと限界突破した強さになってるし……。
これ、実は。
結構まずいかもしれない……。
『まさか貴様、何も考えておらんかったのか?』
じとじとと、脂汗が肉球に浮かぶ。
白ワンワンの視線が痛い。
『ま……まあ一緒に戦った、仲間だし?』
『相変わらず、テキトーな奴だ。強大な存在なわりに雑な性格、まーったく変わっとらん。我は――すこし安堵したぞ』
ホワイトハウルは嬉しそうに笑った。
『なあケトスよ。一緒に、天界へ来ぬか?』
『それは百年前に断っただろ』
まあ、あの時はただ一緒に行かないかと誘われただけだが。
『天界からも魔王様の様子は拝謁できる。お前が忌み嫌っている人間の監視も、天界ならば自由に可能だ。今回は主がサボっていただけだが、我が住処なら、全てを見通すことができる。人間の良い部分も、悪い部分もな』
ちょっとだけ考えて。
私はあの時と同じく、首を横に振っていた。
あの時は魔王様のそばを離れたくなかったから。
今でもそうだ。けれど。
理由はそれだけじゃなくなっていた。
『最近ね、どうしてかわからないけれど。少しだけ、楽しいんだよ』
私は言った。
『人間たちは今でも嫌いさ。私を虐げ、愛する者を殺し、主を眠りにつかせた彼らを……きっと一生許すことはできないだろう。それでも、少しだけ、ほんとうにすこしだけ……嫌いじゃなくなってきているんだ』
愛を育む人間たち。
勝利と平穏を喜ぶ人間たち。
そんな彼らを見ながら私は言った。
『天界に行ったら、君みたいに容赦なく人間を殺さなくちゃいけないんだろ? 自分の意志で殺すなら全然問題ないけれど、神とかいう存在に使役されて殺すのは、違う。殺すのなら自分の意志で善人か、悪人かを判断し殺したい。私はそう思っているんだ』
それが、元人間であった私が人を殺す時のポリシーでもあった。
まあ別に無差別殺戮をしたいわけじゃないし。
神サイドの連中って、ある意味魔族より思いっきり虐殺するしなあ……。
『そうか、ならば無理にとは言うまい。なれどケトスよ、我が主はお前を新しき神として認め始めている。どういう心境の変化かは知らぬが、お前は人を救い過ぎた――そのうちに本当に主神クラスの信仰を集めてしまったら……お前は、我が主と敵対関係になってしまうやもしれん』
『その時、君はどっちの味方に付くんだろうね』
私は意地の悪い質問を口にした。
魔狼は困った様に尾を下げて……瞳を伏した。
『ケトスよ……すまないが』
『いいよ。今の主君を大事に思う、その気持ちはとても尊く美しいモノさ』
さて。
まだ酒も肉もある。
『今夜は、遠慮せずにがっつり飲もうかな……って、なんだいその貌は』
『……きさまは我よりも喰うし飲むからのう』
『いや、君ほどじゃないだろ』
『ならば、勝負をするか』
目が合った。
そして。
二匹で笑った。
私と魔狼は百年ぶりに乾杯し、酒を酌み交わした。
これから世界はどうなるか、どう動くかは分からない。人間と魔族との関係も。けれど、今だけは……かつての仲間との再会を喜んでも、いいだろうと思う。
そうですよね、魔王様。
◇
長い宴の後。
女神の双丘を朝の陽ざしが照らし始めた。
滴る朝露の香りに、鼻腔が揺れる。
よほど盛り上がったのだろう。
人間たちは無防備に寝ている。
『まったく、野良の魔物に狙われたらどうするつもりなんだい』
つい防御結界を張っていた私を眺め、白銀の魔狼はその大きな咢を苦笑させた。
『ケトスよ、やはりお前はどこかが変わったようだな。その変化が善き道であることを我は天から願っておるぞ』
『白ワンコのくせに、偉そうなことを口に……って』
知ったような言葉を漏らす昔の仲間に文句の一つでも言おうと振り返るが。
彼の姿は既になかった。
天へと昇り主の下へと帰っていったのだろう。
『まあ、私も君に逢えて嬉しかったよ』
天に向かってそう告げると。
奴は返事とばかりに大きな虹を空へと作り出した。
朝陽につられて起き始めた人間たちが、綺麗な虹に見とれている。
それを作り出したのは私の昔の仲間なのだ。
そう自慢したくなったが、口にはしなかった。
何故言わなかったのかは、自分でもよく分からない。
もしかしたら私だけの思い出にしようとしていたのかもしれないが――。
まあ、そんなセンチメンタルは私には似合わないか。
苦笑が漏れて、尻尾が揺れる。
ともあれ。
私は人間たちに向かい、言った。
『さてと、事件も解決したし。じゃあ帰ろうか』




