【SIDE:大魔帝ケトス】~王都襲来~【SIDE:少女ラヴィッシュ】
【SIDE:大魔帝ケトス】
今日も今日とて、くはははは!
天才ニャンコ、大魔帝ケトスは与えられていた宿屋の特別室で、図書館の本を読み漁り。
バーリバリバリ♪
必殺、ベッドの上で肉球を伸ばし寝そべって。
ポテチを齧りながらの読書タイム!
禁断の時間を堪能していた。
ファンタジー風だが、豪華ホテルのような部屋に可愛いネコの影が踊っているのだ。
ふんふんふん♪
ネコの鼻頭をヒクヒクさせる私は、魔導書を捲り。
『くくく、くはははははははは! この世界の秘密、我は見抜いたり!』
この世界の魔術の性質、そしてその真相に辿り着いた私は――。
ビシ! ズバっとベッドの上でポーズを決めて。
肉球に圧迫された布団で哄笑を続ける。
と、まあ今日の魔術レッスンと図書館巡りで既に色々と見抜いちゃったんだよね。
いやあ、さすが私といったところだろう。
さて、そのまま私の影世界、ドリームランド経由で現実世界に戻ってもいいのだが。
私は部屋の片隅に発生しはじめた白い霧に目をやった。
これはこの世界の邪神や魔物の類ではない。
『ケトスよ――なにをいつまでも遊んでおる』
『ホワイトハウル、やっぱりこの世界に入ってくるのは君だったんだね。次元を司る権能を行使したって所かな』
そう、私の友で戦友でグルメ仲間の神獣。
ホワイトハウルである。
彼の目的はおそらく単純――私を連れ戻しに来たのだろう。
見た目はでっかいモフモフなシベリアンハスキーを想像して貰えば、まあそのままである。
彼は鋭い眼光を私の書物に向け。
『汝も理解したのであろう? ここは――』
『ああ、分かっているよ。おそらく、魔王陛下の夢の中だろうね』
そう、私はあの方の上でスマートな身体を乗せ、眠っていた。
魔王様が百年の眠りからお目覚めになられてからも、ずっと私は、魔王陛下の上でどでーんと眠っていたのだが。
何故今回に限り、あの方の夢の中に入り込んでいるのか。
その理由というか原因はおそらく、第二世界のレイヴァンお兄さんだろう。
ワイルド系を気取る闇落ちお兄さんは言っていた。
厳密には違うが、上に乗って眠れば会話ができると――。
つまり、あの時――古き神の夢の中に入り込む能力を、私に付与したのだろう。
そして魔王陛下は百年も眠っておられたのだ。
あの魔力の塊のような御方の百年の夢。
それが、ここ――夢の国、ウルタールの世界なのだろう。
『ケトスよ、共に帰ろう。ここは陛下が夢の中で無聊を慰めるべく生み出した世界。あの魔王陛下の夢なのだぞ? 夢とはいえ、その中で生み出された神も人間も、世界も、全てが本物。異世界と言っていい場所なのだ。ここでの死はそのまま現実でも死を意味する。無敵に近いおまえとて、ここで死を迎えれば影響を受ける。現実世界でグーガー寝ているお前の本体に、多大な影響を与えかねん』
心配してくれているのだろう。
『ありがとうホワイトハウル。けれど、今は駄目だ』
『何故だ』
唸るホワイトハウルはおそらく、私をそのまま無理やりにでも連れ帰るつもりなのだろう。
私を心配し。
私を起こすためならば――本気の戦闘を行うつもりなのだ。
『ここで私は一人の少女と出会った。彼女は拙いながらも私に魔術を指導してくれてね……数日中に彼女は死ぬ。夢の中のニンゲンとはいえ、ここは力ある存在……魔王陛下の夢。もう一つの現実といっていいだろう。彼女には自我がある。他のニンゲンにも自我がある。そしてこの地は今、私がショゴスをエンペラー化させた影響を受け、滅びつつある。私はね、ホワイトハウル。このまま帰る事なんてできないよ』
言って、キリリと私はシリアス顔でポテチを齧る。
そして視線はついつい魔導書に戻ってしまう。
ふんふんふん♪
魔王様の夢。
それは即ち魔術を生み出した御方の創造の世界。
つまり! この魔導書も本物の魔術と言える代物。
新しく生まれた魔術体系なのだ!
じぃぃぃぃっとワンコは私を見て。
はふぅと犬口を酸素で膨らませる。
『おぬし……この地の夢魔術と、グルメを堪能したいのだな?』
『否定はしないよ。そしてグルメと魔術を楽しむと同時に……ここで出逢ったニンゲンを救ってみようかなとも思っている。だから私はまだ帰らない。心配してくれているのだろうけど、悪いね』
ふふん♪
ヒゲをぶわぶわに広げ言ってやる。
こういう時の私は意見を変えない。
それをワンコは知っているのだろう、次元の狭間から巨大な旅行カバンを取り出し。
尻尾を振りながら、グハハハハハハハハ!
彼も、そのモフモフな本体を顕現させる。
『で! あろうな! どうせそういうと思って、我もここに滞在する準備をしてきていたのだ!』
『だろうと思ったよ! さすがホワイトハウル話が分かるじゃないか!』
そう。
ワンコも散歩好きだからね!
ホワイトハウルは私のベッドにどでーんと巨体を落とし――自分のスペースを確保。
私も読み終えた書物を漁りだす。
ワンコ肉球が書を掴み。
『ふむ……人々の心が生み出したとされる創作神話、名状しがたき者や、理解する事の出来ぬ神性を使った魔術であるな。かつて魔王陛下が第一世界で目にした書物の神性を、夢世界で再現したのか――或いは、この神々が実在しているという可能性も……』
『さあ、どうだろうか。ただ力の発動は確認できた。本物かどうかは別として、あの暗黒神話の恐ろしき神が魔術体系として使われている。それだけは確かだよ』
なにしろ、ここ。
百年お眠りになっていた魔王様の夢だからなあ……。
なんでもありっちゃ、なんでもありなのだろうが。
『そういえばホワイトハウル。君に確認したいんだけど、女神アスタルテの名に聞き覚えはないかい? 私を魔王陛下の夢世界に取り込んだ張本人だと思うんだけど……』
『女神アスタルテ? その名……どこかで……』
悩むワンコがモフ耳をピョコンとしているので、ついついジャレてしまいそうになる。
まあ、我慢するけど。
せっかくだし、枕でも召喚してみせて枕投げ大会でもしたかったのだが。
ズズズズ、ズズズズゥゥゥゥ。
街の外で、歪な音が鳴り響き始める。
おそらく女神アスタルテも警戒していた、あの謎の魔物による侵攻が始まったのだろう。
『さて、私は街を守りに行くけど――君はどうする?』
『ふむ、まあせっかく来たのだ。付き合ってやるとするわ。グハハハハハハハ!』
笑うワンコはあまり見せない人型形態。
モカモカフード付きの神の軍服を着込む、凛々しい顔立ちの冷たい美貌の男に変身する。
狼のような赤き瞳――白銀の男、といったところか。
まあ、私の神父モードの方がイケメンなんですけどね!
◇◆◇
【SIDE:見習い魔女ラヴィッシュ】
学生寮の灯りは既に就寝モードになっている。
けれど少女は起きていた。
眠れない夜だった。
見習い魔女ラヴィッシュは、今日の出来事を思い返していたのだ。
「神父ケトス……さんか。本当に、何者だったのかしら」
本をバササササと捲っただけ、本当に目の隅で捉えていただけ。
けれど――。
神父はあの一瞬で魔術を行使してみせた。
天才と呼ぶには語弊がある。
異常だった。
可能性はいくつか存在する。
本当は既にこの国の元素魔術を知っていたが、あえて知らないふりをしていた。
この説は単純だ。
元から知っていたから、使ってみせただけ。
一瞬で覚えたと自慢するための小細工である。
「違うわね――あの人、ふざけているけどそういう虚栄を張るような人じゃないもの」
ならもう一つの可能性。
あれは人ではないナニか。
あの一瞬で魔術を覚えてしまうのだ、そんな人間が実在するよりも――人ではないナニカだった方がよほど現実的である。
寝返りを打って、少女は天井を見る。
星は見えないが、希望はある。
おそらく、あの神父は回復魔術を知っていた。だから少女の研究を引き継いだ。
(いえ、まさか……ありえないわ)
あの神父がただの詐欺師であったのなら良かったのに。
ラヴィッシュは小さな胸でそう思っていた。
もし、本当に回復魔術があの男の手で発動するようになったのなら。
どうして、お父さんとお母さんが生きている時に、現れてくれなかったの?
そう、理不尽な心を抱いてしまいそうになっているからだ。
「くだらない、だいたい回復魔術なんてあるわけないじゃない!」
思わず起き上がり叫んでしまった少女は、ボサボサの髪を掻き。
やばいと周囲を見渡した。
ここは学生寮。既に眠る時間。こんな大声を出したら寮長に怒られる。
いつもすぐに飛んできて、なにをやっているの!?
と、ドヤされるのだが。
何故だろうか、今日に限って寮長はやってこない。
それならそれで問題ない筈なのに。
妙な胸騒ぎがした。
寝巻にローブを羽織り、少女はベッドから抜け出す。
(おかしいわね、消音魔術が働いているの? あたしの声に反応しないなんて、絶対に何か変よ)
そう、彼女は勘も良かったのだろう。
……。
廊下には、焦げ臭い匂いと悲鳴が広がっていた。
◇
既に戦闘が行われていた痕がある。
廊下には誰のモノか分からない血と、肉が広がっていた。
その肉は……人ではない。
ならば敵か。
けれど、敵とはいったい――。
いつも急襲してきていたネコ魔物とも明らかに違う。
ラヴィッシュは口元をおさえ、急ぎ消臭の魔術を詠唱する。
(酷い匂いね……鼻が曲がりそう……っ)
少女の瞳は既に周囲を観察し始めている。
いつも冷静にあるべき。
紅魔女オハラの言葉を反芻する彼女は、考える。
どこかで火事が起こっているのだろう。
煙の臭いも酷い。
深く吸ってはダメ。けれど、急いで行動しないと……でも、どうやって。
「とりあえず、助けられる人間をできる限り助ける! それしかないでしょ、ラヴィッシュ!」
そう、考えるよりも駆ける事を選んだのだ。
ラヴィッシュは慌てて魔導の杖を顕現させ、廊下で腰を抜かしている隣室の先輩に駆け寄る。
「先輩!?」
「ラ、ラヴィッシュ……! た、助けて、腰が抜けて……っわ、わたし……っ」
敵は居ない。
誰かが倒したのだろう。
しかし火事による煙と熱で、救出ができない。
「すぐに行くから――ええーい、邪魔よ煙! 女の子が困ってるんだから、空気を読みなさいよ! 風を司る大神よ! 黄衣纏う偉大なる異神よ! 汝、大気を通じ天候すらも操りし者――とにかく、お願い! 熱を加速させないで煙を払って!」
自然の風により火事は加速する。
それを防ぐための魔術による風である。
狭い廊下に充満していた煙が消えた――。
刹那。
ぞっとするほどの濃い魔力が、グギギギギギっと周囲を包んでいた。
裂けた次元の隙間――紅い獣の瞳が、ギラギラギラギラ。
何もない空間から、ラヴィッシュを睨んでいたのだ。
空間の亀裂が、言葉を発する。
『ほう、娘――キサマが魔猫の言っていた娘か……ふむ、たしかに死相が見えておる。まあよい、ここは危険だ、そこで怯んでいる同胞を連れ。いや……その者は放置し、疾く逃げよ。いいか、我は警告した――後は知らぬぞ。絶対に、知らぬからな』
さきほどから次元の狭間を、白い何かが駆けている。
狼、だろうか。
しかしそれはすぐに別の次元に向かったのか、気配は消えていた。
少女はごくりと息を呑み、ようやく消えた気配に安堵し。
額に浮かんだ汗を拭って口を開く。
「な、なんだったの……いまのは……っ」
敵か味方かは分からない。
けれど、学生寮に侵入した何者かを倒して回っていると判断するしかない。
深追いは危険だ。
歯向かうのもなし。
少女ラヴィッシュは天才だ。
だから分かっていた。
先ほどの狼には絶対に、勝てないと。
(どちらにしても、ここは危険ね……火に焼けた屋根が崩れてくるのも時間の問題)
腰を抜かしたままになっている先輩、その血の気の失った顔を正面から覗き。
少女は毅然と吠えていた。
「立ちなさい!」
「で、でも――いまの……っ」
少女は先輩を救うべく手を差し伸べる。
あの謎の狼は放置して逃げろと警告していたが、そんなことはできない。
助けられる命を見捨てることなど、できなかったのだ。
「いいから、立ちなさいっての! あたしだって怖いんだからね!」
天才少女と謳われる後輩から零れた弱音に、先輩はようやく立ち上がる。
ラヴィッシュは共に廊下を駆けながら、状況を問う。
「いったい何の騒ぎなの!?」
「そ……それが、街の結界を破ってなにかが攻め込んできているみたいだって」
言われた少女は考える。
「なにかが? いつもの悪戯スライムネコのこと?」
「違うの! 魚の頭をして、蟲のような体に水死体みたいなお腹をした――い、いま先生たちが退治しに行ってるけど、苦戦しているみたいで」
妙に舌足らずな声だった。しかし、それよりも――。
魚の頭?
ラヴィッシュは考える。いや、考えるまでもない。
「神父が忠告していたのはこの事だったのね!」
「神父って、あのケトス神父?」
「そうよ! きっと、あの人にはこうなることが分かっていたのね」
師匠である紅魔女オハラには、今日のレッスンについて語ってある。
神父ケトスが残した預言めいた言葉も、ちゃんと伝えてある。
自分はやるべきことはやった筈。
だから、たとえ街がこのまま襲われて怪我人がでても自分のせいじゃない。
実際、ラヴィッシュはまだ十五歳の見習い。
学生なのだ。
もしこのまま部屋に閉じこもって隠れていても問題ないし、誰からも責められはしない。
そう終わった後に出ていけばいい。
けれど。
「そうじゃないでしょ、あたし!」
「ラヴィッシュ? ど、どうしたのよ!?」
「街に正体不明の魔物がでているのなら、あたしも行くわ。先輩を安全な場所に運んだ後にね!」
告げる少女は先輩の手を引き。
そして。
グイ――ッ。
何故か、先輩を連れて逃げる筈の手が動かない。
「駄目よ、いかせないわ」
「先輩……? いえ、あなた――誰!?」
握る手は酷く冷たい。
その手はベチャリと水の感触となり、先輩だったモノの顔がまるで魚のように歪んでいく。
異形となったその口が、魔術の詠唱を開始している。
「変身能力!? しまった――っ」
狼が警告していた理由はこれか。
まずい。
この至近距離では避けられない。
先輩だったモノが、ぐじょりと粘液を飛ばしながら、口をぐじょじょと蠢かす。
イアイア。イアイア。イアイア。
――――。――――。――――。
フタグン。フタグン。フタグン。
その手が、少女を体内に取り込もうとグググゥゥゥゥゥっと強く引く。
異形の魔物――サカナヘッドの詠唱は完了していた。
少女は焦る。
急ぎ、自分を掴むその手を断ち切ろうと詠唱を開始するが、間に合わない。
(やられる……っ)
そう思った、次の瞬間。
廊下の影。
闇が、言葉を発した。
『私の師匠に失礼だね――君』
ザザ、ザ、ザザ――ザザアァアアアアアアァァァッァ!
影の中から、それはやってきた。
闇の中、紅き瞳を煌々とギラつかせる黒い影。
まるで夢の中の世界だった。
ラヴィッシュの理解を超えていた。
正気を保っているのがやっとだった。
影が、サカナヘッドをグギギギギギと凝視している。
『ふむ、君は擬態能力者か――良かった、人間だったわけじゃないんだね。ホワイトハウルの推察通り……じゃあ遠慮はいらないか』
言って、黒い影が――獣に似た手を伸ばし。
クイクイ。
その肉球が、闇を薙いだのだろう。
シュン――!
瞬きする間に、それは終わっていた。
グジャァァァアアアアアアアッァァア!
先輩だったモノをただの肉片へと変貌させたのだ。
浴びた血を払うように、影が闇の中で空を切る。
ぶちゅり。
廊下に、血と肉片が飛び散った。
『サカナとも違う、タコでもない……ていうか、美味しそうじゃないし。うん、いいか。このまま消しちゃって』
宣言が詠唱となっていたのだろう。
人間ではない肉片が、さぁぁぁぁっと塵となって消えていく。
呆然とする少女ラヴィッシュを見つめ、紅い二つの月が煌々と照っている。
助けられたのは事実だ。
けれど、あまりの恐怖と畏怖に少女の身体は震えていた。
ラヴィッシュの口から、ようやく――押し出すような擦れた息が漏れた。
「あ、あ……あなたは……誰」
『おっとすまない。この姿じゃあ分からないね。驚かしてごめんよ』
闇はクハハハハハと嗤い。
影が悍ましい赤い魔力を放ち、変貌していく。
やがて一つの形を作りだしたのだ。
カツン――。
硬い革靴の音と共に廊下に足を下ろしたのは、長身痩躯の怪しげな美壮年。
黒衣の男。
ケトス神父である。
ようやく視認できるようになった闇に向かい、少女は素っ頓狂な声を上げた。
「え!? 今の闇、神父だったの!?」
『はは――まあ、そうなんだけど、とりあえずすまない、詫びておくよ。救出が遅くなってしまったね。神父ケトス、君のためにやってきたよ――なんてね、無事のようで安心したよ。ラヴィッシュくん』
まるでヒーローの登場のように。
黒神父は少女に微笑した。




