【SIDE:見習い魔女】異邦の神父 ~後編~
【SIDE:見習い魔女ラヴィッシュ】
謎の神父ケトスへの一日限りの魔術指導。
そんな大役を押し付けられた少女ラヴィッシュは、頭を抱えていた。
太陽の下。
犬の巻き毛に似たボサボサの長髪が揺れている。
まだランチタイムには早い時間。
魔術実演が可能な、屋外訓練場での出来事である。
在籍している生徒ならば誰でも使用できる場所だからだろう、人の目が集まっている。
当然だ、ラヴィッシュは天才少女。
そしてその天才と共にいるのは、神話の書物から飛び出してきたような美麗な壮年神父。
否が応でも注目を引く。
少女はすぅっと息を吸った。
(思い出しなさいラヴィッシュ。あなたは、あの英雄、紅魔女オハラ先生の弟子なのだから)
自分が受けた指導を思い出す少女。
そのぷっくらとした唇から、淡々と指導者の声が漏れ始めた。
「えーと、ケトス神父。あなた、どういう魔術が使えるようになりたいのかしら」
『そうだね。人を殺さないで済む程度の威力の魔術ならなんでも構わないよ』
少女はジト目で男を睨む。
「あのねえ……あたしは指導者素人なのよ? もうちょっとこう、あるでしょう? 水の属性が使いたいとか、風の属性が使いたいとか。そういう具体的な範囲を指定するとかないわけ?」
『そうだね、それはすまない。ならば、初心者でも使いやすい属性をレクチャーして貰おうかな。おそらくこの国の魔術は、大いなる存在から力を借り発動する魔術であると推測される。故に、借りる対象が……』
魔術に関しては口早になるのか。
その言葉を遮りラヴィッシュは、犬毛のようなボサボサな髪を揺らした。
「ちょっと、ストップ! あなたは生徒、あたしが教師! 勝手に話を進めないで頂戴!」
『ははは、すまない。魔術に関してはどうしてもね』
神父は考え、飄々と肩を竦めてみせる。
『後は……そうだ、私はこの国の貨幣をあまり持っていなくてね、お金を稼げる魔術、なんてあったら教えて欲しいね』
少女は考える。
「低威力の魔術の方は、まあ丸暗記でなんとかなるでしょうけど。お金を稼ぐ魔術って……あなた、魔術を舐めているの?」
『舐めてなんていないさ、魔術についての探求心は人一倍だよ?』
と、神父は軽薄であるが、妙に人目を引く微笑を浮かべている。
もし観客から黄色い歓声が上がっていなかったら、教育的指導よ! と、教本の角で頭をかるく小突いていただろう。
「先に言っておくわ。ただの好奇心なら別にいいわ、あなたの魔術に対する情熱は、まあさっきの様子で理解もできたから。けれど――よ。もしその情熱が魔術そのものではなく、お金儲けのためだけに向いているのなら、すぐに諦めなさい。上には上がいる、金を稼ぐならば普通に働いた方がもっと稼げる。魔術の道は、そんなに甘い世界じゃないわ」
それも師匠から受けた忠告。
驕り高ぶりが過ぎぬようにと心配してくれた、ありがたい警告だった。
『君が誰かに言われた言葉かい?』
「違うわよ」
神父が眉を下げた。
『おっと、君は嘘が下手だね』
「はぁあああぁぁっぁあ!? あたし、ウソなんてついてないんですけど?」
思わず年相応の声が漏れてしまって、少女は耳の先まで赤くする。
「わ、悪かったわね。大きな声を出したわ」
『構わないよ。それにこちらも失礼だったからね、それは謝ろう。けれど教育者の先輩としてのお節介、老婆心からくるアドバイスをさせて貰ってもいいかい?』
「まあ、話ぐらいは聞いてあげるわ」
何故バレたのか。それを知りたい。
ここで理由をちゃんと把握することの方が重要だ。
合理的に考える少女の顔を見て、神父は指導者の声で言う。
『完璧に隠そうとしようとした影響だろうね、君の嘘は隠そうとしている部分が先に出てしまっている。普通ならば、心がある程度揺れるのさ。紅茶に砂糖を落とした時に波紋ができるようにね、けれど君の反応はまったくなかった。言われたことがあるかもしれない――そう思い出そうとする間さえなかった。それが逆に嘘を表面に浮かべてしまうのさ。信じる信じないはそちらの自由だが――もし本当に教育者となった時は、気を付けるといい』
淡々と告げる神父の声は穏やかだった。
太陽を背にした、男。
その顔は逆光のせいだろう、黒く、そうまるで影のように染まって見えている。
その黒い影に二つ、光がある。
見透かしたような赤い瞳が、神父の髪の隙間から覗いているのだ。
夜の中の赤い月。
そんな言葉を浮かべた少女は考える。
変な男ねえ、と。
「まあ忠告は受け入れておくわ。で、話を戻すけれど――現実問題よ? 詠唱を丸暗記するだけで覚えられる魔術で金稼ぎなんて無理よ? 文字通り子どもだって使用できるんですから」
『なら、丸暗記では発動しない魔術ならどうかな』
よほど自信があるのだろう。
少女は大人びた仮面を投げ捨てたまま、肩を落とす。
「あのねぇ……それを誰もができるなら苦労はしないわよ」
『それもそうだね』
少女は考える。
「そうね、まあ、いいわ。神父――とりあえずあなたがどの魔術に適しているか、適性を有しているのか、それを先に調べましょう。魔道具を使うわ」
『魔道具?』
「あら、そちらの国ではなかったのね。魔道具っていうのは……まあ、魔力の込められた便利な道具と思って貰っていいわ。火を使わずに灯りをつけるランタンだったり、許可のある人が踏むと自動的に開いたりする扉があったでしょう? あんな感じの、物理法則を捻じ曲げる道具のことよ」
納得した様子で神父が頷く。
今の指導には問題なかった、ということだろう。
(なによ、これじゃあたしの教師としての資質を見られているみたいじゃない)
内心でボヤいていても仕方がない。
これは敬愛する師匠から任された仕事。紅魔女オハラが、どうしても抜けられない用事を済ませてくるまでの話。
「それでね、今回使おうと思っているのはこの魔道具なの。この魔道具がオハラ先生が開発した――」
『なるほど、魂の色を映し出し――魔術属性の適性を調べるアイテムといったところか』
赤い瞳を輝かせた神父の言葉に、やはり少女は肩を落とす。
「はぁ……先に言わないでよ。原理はその通り、この松明なんだけど……これがあなたの魂に反応して色を付けるわ。赤系統なら火属性。黄色なら風属性。青系統なら水属性。大地を示す色が出るなら地属性ね」
『ふむ、些か強引な分類だね。おそらくこの系統分けは……人間が上位存在から慈悲として与えられた技術。偉大なる異神を自分たちのレベルにまで落とし、知覚、魔術体系として扱えるようにするために、無理やりに四つの属性に当てはめた――……っと、すまない。また話を折ってしまったね』
神父が言葉を止めた理由は簡単。
また早口になりそうな神父をくわっと目線で諫め。
ジトォォォォ。
少女らしいジト目で、ラヴィッシュが唸っていたのだ。
神父は苦笑し、静かに首を掻く。
『そんなに怒らないでおくれ』
「いいえ、怒ってません。まったく、これっぽっちもね! けれど、次に邪魔をしたら、さすがに怒るわよ!?」
『オーケー。じゃあ早速試してみたいけれど……ふむ――たぶん、無理だと思うんだよねえ。この魔道具だと』
この魔道具――魂の松明で鑑定ミスが起こった事はない。
完璧なのだ。
なにしろあの紅魔女オハラが作り出した魔道具なのだから。
「どういうこと?」
『私の国でも似たような道具があってね。大抵の場合はこうして触れると……』
告げて神父が手を翳す。
まだ使用回数が二十回以上も残っていた松明が、ピキ!
歪な音を一瞬立てた後。
さぁああああぁぁぁぁぁっぁ………。
塵となって消えてしまう。
「ウソ……。って、あぁあああああああああぁぁぁぁっぁ! これ、学園の備品なのよ!? まだ使用回数の残ってるアイテムを壊したってなったら、あたしの責任じゃない! どうしてくれるのよっ!」
『いやいやいや、私は悪くないよ? 私の魔力に耐えられる魔道具を作らなかった、開発者が悪いね』
まるで責任逃れをする猫のように、ツーンと横を向いてしまう男。
鑑定と呼ばれる現象を破壊してしまう能力があるのだろう。
それは異教徒故の能力か、あるいはこの男自身の能力かは不明だが。
それにしても、と少女は思う。
(この神父。本当に……いったい、何者なのかしら)
少なくともこの松明を破壊してしまう程の魔力があるのは事実。
そんな現象が起こったのは、いままで唯一人。
開発者である紅魔女オハラ自身のみ。
どれほどに魔力があったとしても、使用回数を多く消費するだけでちゃんと鑑定できるのだ。
けれど。
できなかった。
(他国からのスパイという可能性もあるわね。先生が隠していたのはそれか……なら、スパイであると同意している上で陛下も先生も、この神父の行動を許しているという事? 分からないわ、メリットなんてないでしょうに……)
しかし、少女はこうも考える。
深入りする必要はない。
見てはいけない、気付いてはいけないモノは存在する。
立ち入らない事も処世術なのだ。
こほんと咳ばらいをし、少女は言う。
「とりあえず……魔力はあるみたいだし、魔術を発動させてみましょうか。初心者用の魔導書を呼び出すわ」
『ああ、頼むよ』
「それじゃあ――ちょっと詠唱するから、邪魔しないでよ? 遥かなる時と門、我は汝に鍵を示すモノ也や――」
少女はあえて神父の異常さを見ぬふりをして、図書館の中から選んできた書物を顕現させる。
亜空間にアイテムを収納しておく特殊な技術。
当然、こちらを眺めていた周囲の生徒達が驚いた様子を見せる。
――が。
……。
肝心の男からの賞賛がない。
(無反応? 異国では既にアイテム収納の技術が知れ渡っているのかしら)
再度、咳ばらいをし、褒められ待ちの犬のような顔を隠し。
ラヴィッシュは言う。
「い――今のが神の力を借りた収納魔術よ」
『ふむ、系統外の魔術のようだね。四大元素外の魔術を扱えるという事は、君は本当に優秀だという事か。まだ若いだろうに、凄いね』
賞賛がようやくやってきた。けれど、今はもうどうでもいい。
それよりも、少女は男の異様さに気を取られるばかりだった。
男は異国の魔術の性質を、一目見ただけで見破っているのだ。
やはり異常。
少女の顔はだんだんと険しく尖り始めている。
「あなた本人を前にして言うのは、失礼だとも分かっているけど。神父。あたし、あまりあなたと関わり合いたくないわね」
『おそらくそれが正解だよ。君はきっと勘が鋭いんだろうね』
いけしゃあしゃあ。
そんな言葉が浮かんだが、もう少女は諦めていた。
変な人に構っていても仕方がないと感じたのだ。
神父は本を探り、パラララと弦楽器を鳴らすようにさっと流し読み。
また次の書を取り、同じ動作で流し読みを繰り返す。
「そんな読み方じゃ、理解できないでしょう……? なーに、あなた。もしかして……本の隙間に入ってる隠し貨幣でも探しているんじゃないでしょうね?」
『まさか――そこまで困ってはいないよ』
疑いの目に、さすがの神父も困った顔をしてみせた。
「だといいけれど」
たまにあるのだ。
魔導書に没頭した魔術師が、栞の代わりにお札を挟み――そのままにしてしまうという案件が。
そのままの理由は主に二つ。
本当に忘れてしまうか、戦死してしまったか。
そのどちらか。
だから図書館には稀に挟まった貨幣を求めて、こうやって高速でページを捲る不埒者もいるのである。
「それで本当に内容を記憶できているの?」
『試してみても?』
「ええ――」
許可を得た神父は、先ほど壊れた魂の松明の破片を拾い。
手にした火の書物を翳す。
バサササササ!
魔力が、可視化できるほどに神父の周囲に広がっていた。
『火を司りし大神よ。名を封じられし者、――――よ。灯を失いし哀れなる種火に、今ひとたびの命を授け給え――』
少女の眉が跳ねた。
異国の言語なのか――詠唱が、聞き取れなかったのだ。
しかし詠唱は力となり。
形となって、今、その効果を発揮した。
消失していた《魂の松明》が、使用回数最大の状態で復元されていたのである。
「うわ、マジ? これ、さっき”あなた”が壊した松明。魔道具よね!?」
『ああ、”勝手に壊れた”魔道具だが――どうやら、成功のようだね』
破損したアイテムの修理。
最上位ではないが、かなりの高位魔術である。
少女はますます警戒したが、周囲の生徒達は男の異様さには気付いていないようだ。
しかし――。
言わないわけにはいかないだろう。
少女は声を潜めて、告げた。
「あなたが何者でもいいわ。けれど、あまり今の技術は他人に見せない方がいいわよ?」
『おや、なぜだろうか』
「あたしの父さんも、似た力を持っていたけれど――悪い大人に捕まって、酷い目に遭ったわ。魔術で道具が直せるんですもの、あまりコストがかからないでしょ? そして人間とは、そこまで心が綺麗な動物ではない。ここまで言えば、分かるわよね」
そう、悪い奴らに誘拐される可能性もある。
彼女の父はそれで体も心も壊してしまった。
だから、余計なお節介を漏らしてしまった。
『君は優しいね。忠告ありがとう』
「どういたしまして――で、どうかしら。この国の魔術を発動させてみた感想は」
神父は肩を竦めてみせただけだった。
感慨深い、とまではいかなかったのだろう。
『そういえば――この中には回復系統の魔術の書がないようだけど……何故だい? 高価だったりレアだったり。それとも、一定の地位にあるモノしか読めない、そういう禁書の類になっているのかな? 病気を治療する魔術の記載もみえなかったが――』
先ほどまでの空気は吹っ飛んでいた。
おかしなことを言う男だと、ラヴィッシュは大笑い。
「ちょっと神父! 真面目な顔して、そんな、ふふふ。やめてよ、そういう冗談をいうのは!」
『冗談?』
涙すら浮かべ。
年相応の無垢な笑顔で、少女は腹の奥から言葉を絞り出す。
「だって、回復魔術なんてお伽噺みたいな事を言うんですもの! ほら見てみなさいよ、周りで見ていた皆も笑っているでしょう? だめっ、あ――あたしも、笑い過ぎて、お腹が痛くなっちゃったじゃないっ」
黄色い声援を上げていた生徒ですら笑う中。
神父は気にした様子もなく。
『なるほどね、回復魔術は存在しないのか』
「そうよ、そんなの常識でしょう?」
神父は妖しく微笑した。
『ふむ、そうか。これは金稼ぎはそう難しくなさそうかな』
「はいはい、魔術の初心者はそう思いがちなのよ。回復魔術がないのはまだ発見されていない、研究されていないだけ。探せばいい、研究すればいい。そうすればきっと見つかる筈。見つけられなかった先人たちが未熟なだけ――絶対に自分だけは違うってね。可能性がゼロとはいわないわ、夢を持つのも悪い事じゃないわ、けれど現実とも向き合わないと。本当に回復魔術の研究がしたいのなら、きちんと基礎を覚えてからもう一度考えなさい」
これも師匠から言われた言葉。
少女は思う。
かつて自分で言った言葉を、先生は優しく諭してくれた。
『まるで君自身が誰かに言われたことがあるようだね』
「ええ、言われたわ。師匠――オハラ先生にね」
言って少女は苦く笑う。
助けられなかった父と母の顔を思い出す。
そこでふと、言葉が漏れた。
「あなた、助けたい人がいるの?」
『そうだね。正確にいうのなら見捨てられないというか――これから必要になるというか。んー、まあ死なせたくない人がいるから、回復魔術を把握しておきたい。それは本音だよ』
あ……とラヴィッシュは、後悔した。
失態だ。
少女のぷっくらとした唇が、大人びた声を漏らした。
「さっきは笑ってごめんなさい。そうね、そちらの事情を考慮していなかったあたしのミスです。本当にごめんなさい。あなたももし、回復魔術で助けたい人がいるのなら――覚悟しておいた方がいいわ。間に合わなかった時、どうしようもなかった時に、きっと無駄な研究をしたと後悔するでしょうから」
大人も息を呑むほどのセピア色の声。
少女の達観した声。
寂しげな声。
少女の泣いた日々、まるで無駄に終わった研究を覗き込むような顔で――。
神父は言った。
『もしよければ、その研究――見せてくれないかな? 君は真面目な性格のようだからね。資料はまだ残してあるんだろう?』
「そりゃあ構わないけど……本当に、発動しないわよ?」
それでも神父は微笑していた。
(まあ、あたしの研究を見て。やはり無理だったと思ってくれるなら、それでもいいか)
ラヴィッシュは、挫折した研究資料を手渡し。
ふぅと息を漏らした。
心に整理がついたのだ。
『ありがとう――これはしばらく借りておくね。っと……そういえば確認していなかったのだが。ここや図書館を襲っているのは猫だけ……という認識でいいのかな?』
随分と突然である。
まるで……頭に入れておけ――そう言っているようだった。
「なにがいいたいの?」
『んー……杞憂ならばいいのだけれど、実はここに来る前に魚の頭をした奇妙な魔物と出会っていてね。そいつらはここに湧いたりしないのか、気になったのさ』
少女は考え、答えを口にする。
「少なくともあたしは知らないわ。けど、陛下やオハラ先生が知っているという可能性もある。あたしは所詮は生徒。そこまで情報を与えられているわけではないのよ」
そう、悔しいが――。
まだ子供だ。
と、少女自身が自分の未熟さを理解していた。
神父はそんな少女を穏やかな瞳で眺め。
告げた。
『そうか――なら、一応警告しておこう。気を付けたまえ。おそらく、このウルタールの国を狙っているのはネコじゃない、もっと他の何かだよ』
まるで預言のような言葉を残し――。
神父はランチタイムだとその場から姿を消した。
あまりにも早い撤退だったからだろう。
慌ててラヴィッシュは、遠ざかる神父の背に怒声を飛ばした。
「って!? まだ授業の途中なんですけど!? 勝手に休憩にいかないで頂戴!」
少女の叫びは届かなかった。




