プロローグ ~いきなり目覚めなさいとかいう女神は、大抵詐欺師~
これは、前回の事件が終わってから約一ヶ月。
平和になった二つの世界とグルメを堪能して――のんびり満腹!
グルメ生活を満喫する日々!
大魔帝ケトスこと最強ネコ魔獣な私は、今まで通り、元気いっぱいな日々を送っていた!
魔王陛下の寝室でグッスリと眠っている私の口から、にへへへ~♪
『むにゃむにゃ……くはははは! 魔王様大丈夫ですよぉ、ホールケーキは別腹ですから太りませんし……スヤァ……』
素敵な寝言が漏れている。
口が動くので、お髯もピンピンに揺れている。
おっと、ヨダレをフキフキ。
と、まあ、そんな――平和な暮らし。
スマートな私はさほど肥ゆる事はないが。
まあちょっと食べ過ぎたかな~ぐらいは思いつつも、睡眠も楽しむ今日この頃。
だんだんと獣毛がモコモコになりはじめた、冬の始まりの出来事だった。
ダンジョン領域日本はまだ継続中。
けれど、その経営は少しずつ引き継ぎ中。
メルティ・リターナーズやカードゲーム会社社長さんと七福神、つまり現地人に移り始めていた。
それはいいのだ。
うん、順調に進んでいるからね。
私もまだ教師として、大魔術を教えまくってるし。
学食は美味しいし。
ようするに、なーんも事件のない状態。
平和なのだ。
まあ、たまに危険な術式を教えるもんだから、問題になり。
現地の異能力者教師に「これが例の問題ネコ神父教師か」と、ジト目で睨まれたりしているわけだが。
それも所詮は児戯――。
ちょっと次元を破壊する程度で済む、空間破壊魔術程度。
ようするに子猫の悪戯程度のものだ。
じゃあなにが問題。
なぜ平和アピールを繰り返しているかというと……。
今この状況のせい。
本来の私は魔王様と共に、ふかふかベッドでどで~ん♪
ぐっすりと寝ている筈なのだが。
明らかにここは魔王陛下の寝室ではない。
魔王様との素敵な睡眠タイムを邪魔する、この奇妙な声だった。
《目覚めなさい、救世主よ》
まるで女神、大いなる光のシステム音声のような声が、私のモフ耳を揺らしているのだ。
むろん、彼女ではない。
《聞こえないのですか? あれ? おかしいわね、ちゃんと繋がってる筈なんだけど……まあ、もう一回やるしかないか。こほん――目覚めなさい、救世主よ――》
うっすらと瞳を開けて、私は周囲をじぃぃぃっと見る。
闇が広がっているだけだねえ。
どっか別の場所から私の意識か、魔力。心といった部分に接続してるねえ。
絶対に、厄介ごとだねえ。
もちろん、私が取った手段は一つ。
スルーである。
肉球を鳴らして魔術式を展開、おそらく私の周囲の空間を捻じ曲げている力を解除。
はい、これで相手の正体は不明だが事件は解決!
私は再び眠りの中へ……。
スヤァ……♪
謎の闇空間を解除し、魔王様のベッドへ……って。
《ちょ! あんた! そっちの魔術かなんか知らないけど、あたしの力を相殺したわね! ふざけんじゃないわよ! 起きてるって事じゃないの! 狸寝入りね! こっちがアンタの夢の中に接続するのに、どんだけ苦労したと思ってるのよ!》
あれ? 魔術が妨害された? 展開した魔術式が消失しているな。
仕方がない。
ネコ手の上に顎を乗せて、私はくわぁぁぁぁぁ!
むにゃむにゃと、……口だけを蠢かす。
片目だけうっすらと目を開けている。可愛い黒ネコちゃんを想像して貰えばいいだろうか。
『ねえ、もしかしてさあ。図々しくも私をどこかに強制召喚して、語りかけてる君さあ。まさかこの私が、まともに返事をするとでも思っているのかい?』
《やっと返事をしたわね! まあ、いいわ。そう、あたしが呼んだのはあなたのことです……ニャンコ・ザ・ホテップを封印した真なる救世主。そのリーダー……あれ? 名前が封印されている? なんで呼ぶことができないのかしら》
ん?
あの勇者の運命を操っていた、謎の異神の関係者か。
なにか戸惑っているようだが。
名前が封印されているって事は……。
こいつ……。
魔王様を召喚しようとして、その傍で寝ている私の方を呼んでしまったのかな。
《あっれぇ、おかしいわね。アレを封印した組織のリーダーを呼んだはずなんだけど? なんで、黒い毛玉がドヤ顔をして……って、毛玉!? 猫じゃないの! これぇええぇぇ!? どーいうことよ! 意味わかんないんですけど!》
どうやら、私がネコだとも知らなかったようである。
《ま、まあいいわ! あれを封印したって言うなら、救世主メシアの資格保有者なんでしょうし、そこの黒猫! 偉大なるこのあたし、女神の声に耳を傾けなさい!》
実に偉そうな声である。
仕方ないのでうにゅーっと身体を伸ばし、しっぺしっぺ。
毛繕いをしつつもジト目で猫口を、うなんな。
『なんか異世界召喚する時の前振りに似ているけど……まさか、この私をどっかの世界に呼ぼうとしているんじゃないだろうね?』
《あら! 物分かりが良いわね! 喜びなさい、そこの毛玉! あんたをあたしの世界を救う救世主に任命してあげるわ!》
ラプラスの悪魔こと、いわゆる”勇者の運命”の強制は排除した。もう勇者召喚の現象は発生しない筈。
ならばこれはいったい……。
まさか、勇者召喚を断つことはできたが、救世主召喚は断つことができていない。
なんてオチなんじゃ。
……。
面倒だし、はいはいキャンセルキャンセル。
きっと夢だろうしね。
くわぁぁぁぁっと猫手を伸ばして、反射的に口をクッチャクッチャ。
『任命されたくないし。あきらかに怪しい女神なんて関わりたくないし。帰って欲しいんですけど?』
いやあ、偉いねえ私。前なら既にふっ飛ばしていたが――。
大人の対応である。
しかし、相手はなかなかに強引なのか。
《心配はいりませんよ。はじめは誰でも救世主初心者、一から学べは良いのです。さあ、あたしの手をお取りなさい。そこに光が見えるでしょう? その光の手を取りさえすれば、あなたも偉大な救世主。メシアの一人として、正しき第一歩を踏み出すことができるのです》
正しき第一歩とか、完全にやばそうな宗教にしか思えない。
もういいよね?
怒っていいよね?
丸い私の猫口がピクピクっと揺れる。
漆黒の闇の中。
カカカカっと、憎悪の魔性たる私の赤い瞳が開かれた。
『うにゃぁああああああああぁぁぁ! うっさいよ、君! こっちは魔王様との就寝タイムでご機嫌なのに、どうしてくれるんだい! 起きちゃったじゃないか! はいはい! 終了! 勇者としての私の物語はとっくに終わったんだから、かえーれー!』
魔術を放って、吹き飛ばす!
筈だったのに、また魔術式が発動していない。
私のモフ耳を、女の声が揺らす。
「無駄ですよ、あなたは魔術師なのでしょう? あなたの世界の魔術はここでは使用できない。とりあえず、力尽くでも話を聞いていただきますよ」
魔術式が発動しない?
賢い私は考える。
つまり、ここは魔王陛下の魔術が作用しない世界。
厳密には違うが、魔術式とは魔力で物理法則を書き換える現象だ。
物理法則は三千世界、宇宙によって定数が存在している。
その定数を書き換える式が発動しないということは……。
「そうよ、ここはあなたたちの宇宙とは別の宇宙。あなたの思考の中の言語から言葉を選ぶとしたら、別の三千世界ということになるわ。そちらの世界でどれほどに天才的な魔術師であっても、あなたはあたしには勝てない。お分かり?」
闇の中から光が浮かんでくる。
こいつ、他人の心が読めるのか。
急ぎ、心をガードして――と。
私は魔王軍最高幹部。
大魔帝ケトスとして、スゥっと凛々しく立ちあがる。
『そっちがその気なら、こっちも力尽くで話し合いをしても問題ないよね?』
「あら、やだぁ。ネコちゃん、何を怒ってるのかしら? ぷぷぷー! まだ状況を理解できないのかしら、しょうがないわよねえ! ネコちゃんだもんねえ。この女神たるあたしの言葉も届かないわよねぇえぇぇぇ?」
魔術を封じ、優位だと勘違いしているのか。
なかなか無駄に偉そうである。
「ぷぷぷー! 分かった、分かった! いいでしょう! あんたの獣の脳みそじゃあ、偉大なあたしの言葉が理解できないみたいですけど? こっちは容赦なんてしないのよ? だって、あたし女神ですもの! 格の差ってもんを教えて差し上げるわ! おほほほほほほ!」
はい、にゃんスマホで録音したから言質はとった。
『宣戦布告って事でいいね――じゃあやろうか』
「毛玉ちゃんさぁ、あんた……なんでその禍々しい爪をニョキニョキしてるのよ……。ま、まさか! 無謀にも、愚かにも! こ、このあたしに勝つつもりなの!? 魔術もなしで!? あははははは! うそ、やめてよ! やだぁぁぁぁぁ、超ウケるんですけど!」
失礼に笑う光に向かい、私はぶにゃん!
魔術が発動しないだけで、魔力がなくなっているわけではない。
私の影と素敵もふもふボディにはいつも通りの、力は残っていて。
肉球で、闇をトーンと叩く!
ザザザ、ザァアアアアアアァァァァァ!
闇の中に広がるのは猫の影。
相手が支配している空間を侵食させて、影世界で覆っていく。
やはり魔術式以外の力は利用可能と推測できる。
私の場合は影、ドリームランド経由の力なら問題なく使用できるっぽい。
『こちらは魔王城から誘拐されたわけだからね。ネコちゃんを誘拐された魔王様も、きっと心配しているだろう。私の友も、部下もおそらく今頃消失した私を捜索している筈。それって、とってもイケないことだよね?』
遠慮は――しない。
血のように紅い瞳が、ギラギラギラ。
女神の視線には、おそらく私。
ネコの口から邪悪な吐息を漏らす、スマートキュートなニャンコがみえている筈。
女神を名乗る光は、ようやくこっちの違和感に気付いたのか。
「ん? ……あれ。戦闘力計測装置の故障かしら……なんか異常値がでて、緊急警告発令? ピーピーピーピー警告音を鳴らして……て!? ちょっと、あんた! なによそのレベルは! 魔術師なんでしょ!? 魔術が使えないなら雑魚なんでしょ!?」
相手の罪状は睡眠妨害及び、誘拐罪。
正当防衛成立である。
ゴゴゴゴゴっと、どこかの女子高生勇者のような焔を纏い。
私はニヒィっと猫口をつり上げる。
『魔術師なら魔術だけが得意だって、誰が決めたんだい?』
闇の中で浮かぶ光が、さぁぁぁぁっ。
青褪めた様子のノイズを走らせる。
「も、もしかして……あなた、物理も得意な魔術師?」
『うん、私は物理もマシマシなニャンコだからね』
うにょ~んと鋭いネコの爪を輝かせる私、とっても戦士だね?
しばしの沈黙の後。
闇に浮かぶ女神の光は、慌てた様子で叫びだす。
「ま――待って、話し合えばわかるわ! そうよっ、力尽くなんて野蛮でしょ!」
『魔王様との貴重なお眠りタイムを邪魔する方が、野蛮だろう!』
本来なら問答無用。
このままボッコボコにしてやりたい所なのだ。
しかし、相手はたぶん……異界の女神だよね。
つまりは一応女性なのだ。
いや、闇の中で光がジリリリリってなってるだけだし。
ニャンコ誘拐犯なわけで、女性判定するのも正直迷う所なのだが……。
ホタルのような光は器用にジタバタと駄々っ子のように、光を散らし。
「ひぎぁぁぁぁあぁぁあ! いやよぉおぉぉ! なんでこのあたしが! 最も美しいと讃えられた女神が! 別の宇宙で、意味わかんない邪悪な毛玉に消されないといけないのよ! やだやだやだ! 滅ぼされたら蘇って、労基に訴えてやるんだからっ!」
事情を聞く前に、再起不能にするのは紳士ネコじゃない。
冒険散歩を経て、心にかなり余裕のある大人になった私は――ブスッ。
不機嫌さに、シッポをびたんびたんとさせながらも言う。
『しょうがないなぁ……一応、そっちの話も聞いてあげるよ』
「え! やっぱり話を聞いてくれる気になったの? やっぱりさすがあたしね! ネコにすらこの魅力が通じてしまうなんて、やっぱり女神!」
やっぱりを連呼するので、やっぱり女神と名付けよう。
『そーいうのはいいから、で、なんなの君は? いったい何が起こっているっていうのさ』
「始まりはつい最近の事よ。あたしたちの世界のバランスが壊れたのは――」
偉そうだった光は、存外に深刻な声音で語り出す。
「あなた、ショゴスっていうスライムを知っているかしら? ウチで使役していた魔物みたいな存在なんだけど――」
『ん? まあこちらの世界でも知識と情報は流れてきているよ』
実際、私もショゴスを束ねるモノであるショゴスエンペラーくんと出会ってるし。
なんなら私の部下だし。
彼の下には、ショゴスから変化したショゴスキャット達も眷族として登録されているし。
まあ超強いスライムと思ってくれていいだろう。
「そう、なら話は早いわね。労働力として使役されていた彼らが鏡のような空間に入り込んで、大量消失した事件がきっかけ。生活の基盤を支える彼らの消失は、様々な波紋を呼んだわ。いいえ、今も呼んでいるまま……。あの謎の大事件のおかげで、長年保たれていた各世界のバランスが崩壊……いずれ、あたし達の世界が滅んでしまう未来が観測されたのよ」
ん?
超絶に賢い私は考える。
あれ? それってこの間の最終決戦の時に、魔王様が暗黒鏡からショゴスを大量召喚し。
ネコ化して眷族に加えた、あの時のことなんじゃ……。
まあ、あの猫の形をしたスライムたち。
そのまま魔王軍で元気にやってるし、もうあんな労働基準法違反な世界には帰らないって大喜びしてたけど。
いやいやいやいや。
『……ちなみに、その鏡ってどんなだったか覚えてる?』
「鏡のこと? ええ、覚えているわよ。そういえばちょっとだけだけど……そっちの世界の魔術法則の力に似ていたわね。暗黒鏡を操るほどの能力者がいるとは思えないから、偶然でしょうけど」
あ、犯人。
魔王様だ。
……。
あれ、これさあ。
私がカードという形で召喚されていたショゴスくんを、ショゴスエンペラーくんに進化させたこと。
そして、魔王様が更に大量のショゴスを召喚したせいで発生した問題。
労働者の大量脱走。
ようするに……。
相手は気付いてないみたいだけど、私達のせいなんじゃないかな。
これ。
まあ、労働力としてのショゴスの大量消滅がきっかけなだけであって。
私達が直接なにかしたわけではない。
だから、セーフ!
けれども、だ。
そんなことを馬鹿正直に言ったら、責任を取りなさいと言ってくることは明白。
『へ、へえ。うん、なんか色々と大変なんだねえ』
「どうしたの? 肉球に汗を浮かべて……もしかして、この空間、熱かったかしら?」
むろん、私はまったく気付かぬふりをして。
しっぺしっぺ♪
毛づくろいをしつつも、内心焦りまくりで私は考える。
さ、さすがに話ぐらいは聞かないと。
不味いよね?
――と、耳を傾けた。
これが今回の事件の始まりだった。




