ゲームオーバー! ――涙のステーキ弁当――
最後の聖戦は終わった。
戦いに敗れた冥界神レイヴァン。
かつてこの空で散った魔兄は、ただ茫然と楽園の空を眺めていた。
朝を迎えた世界。
心地の良い陽射しが皆を照らす。
敗北の末に蘇生された楽園の住人、レイヴァン=ルーン=クリストフ。
その胸の上で――どでん!
勝利の証を刻むようにドヤるのは、この戦いの勝利者。
彼の者は、美しくスマートなネコ魔獣。
そう、この最終決戦のリーダー猫こそが私!
既に黒猫モードに戻った魔王軍最高幹部!
大魔帝ケトスである!
長き戦いの果てに掴んだ勝利を喜ぶように、ニヒィ!
笑みを浮かべ。
猫口を丸く蠢かしてみせる。
『くはははははははは! これぞ、叡智を極めし魔猫の軍略! 蘇生成功! それすなわち、我の勝利!』
肉球を上げて、ビシ!
ズバ! うにゃにゃ!
『いや、違うね! 訂正しよう、諸君! 我々、みんなの勝利なのである!』
告げて一呼吸を置き――勝利の哄笑!
くはははははははは!
勝利の雄たけびに、参戦していた皆が歓喜の声を上げる。
ででーん!
掲げた肉球に、生命の樹から垂れた朝露がぴちゃん!
その雫をチペチペ舐める私も、とってもかわいいね?
ちなみに!
勝利を掴んだ私が乗っているのは、大魔帝ケトスな私をよく知っているお兄さんの方。
前にはなかった心臓の鼓動が、私のネコ足に伝わっていた。
完全に蘇生は成功。
ラスボスへのトドメの攻撃が蘇生っていうのも、なんだか変な話だが。
まあ、回復魔術がラスボス相手には攻撃魔術になったりするパターンも、たまにあるしね?
胸の上でドヤる私が――目覚めたばかりのお兄さんには、ほんのちょっと重いのだろう。
眉を顰めた男は、その手を伸ばして私の頭を撫でていた。
お兄さんは困った表情で、唇を動かし始める。
酒と煙草に灼けた声が、モフ耳を揺らす。
「ああ、そうか――俺は負けたんだな」
『そうだよ、君の完敗さ。冥界神の身であった者のここまでの負け、それはなかなか珍しいだろう? もう一度やっても結果は同じだろう、おとなしく諦める事だね』
「あいつ……俺と同じバカ野郎は、どうした……」
もうすぐに他人の心配である。
まあ、同一存在だけど。
『異界の君、裏ボスお兄さんはあっちで寝ているよ。今は神話生物たちが周囲を守って、静かに眠っているさ。と、いっても消滅するわけじゃないよ? ただ休んでいるだけ。さすがに暴れ過ぎたんだろうね』
「そうか無事か……ならいいわ」
タバコを探るその手が亜空間を探るが、今は力を失っているので発動しない。
蘇生は成功。
復活したことにより死者属性が解除されている。
冥界神としての権能も力も失った状態だ。
今の彼らでもそれなりに強いし、常識外の私達を除けばそれでも最強に近いが――。
それは人知を超えない範囲内の話。
人間としては最高峰の存在、女子高生勇者ヒナタくんに勝てる程度の強さしかないだろう。
タバコを諦めた男は、眉間に濃い皺を刻んで。
ぼそり。
「で、おまえさんはどうしてそんな偉そうな顔をして、人の上に乗ってやがるんだ?」
『いやあ、転がってる相手の上ってなんかよじ登ってドヤ顔したくなるんだよね~!』
ネコの習性だから、仕方ないね。
『ただし勝負は勝負だ。君達の世界リセット計画は途絶えたし、ダブル魔王様も返してもらった。魔王陛下も大変なんだよ? 今は君が起こした事件、正確に言うなら君も加担した事件の後始末を行っている。弟としての責任だってね……私はもっともぉぉぉっと撫でて欲しかったんだけど!』
話が逸れそうだったので、私はこほんと咳払い。
『まあ、それはいい。話を戻そう。裏ボスお兄さんが起こした事件に犠牲者はいない。しかしそれは死者がいないというだけの話だ、ダンジョン領域日本にイナゴ被害を発生させたからね。魔王陛下はその件についての謝罪と、後はまあ……。あんまり堂々とは言えないけど……あの一件で、変に被害者意識を拗らして難癖をつけて来そうな連中の、脅しにいってるってわけさ』
魔王の兄が暴走したんだろう?
だったらその分、魔王とやらが被害者のために尽くせ!
兄を差し出せ!
そのままなぶり殺しにしてやる! それが嫌なら、魔術を全部よこせ!
なーんていう、めちゃくちゃ面倒な話になったら大変だからね。
うん。
主に私が。
今の私はそこそこに人間を信じている。
綺麗な部分も、醜い部分も知っている。
それでも一応、守ってやらなくもないと思っているわけだが。
魔王陛下に害をなそうとするのなら、それは例外となる。
たとえダンジョン領域日本のプレイヤーとて、私はその魂を灰燼に帰すだろう。
なので!
魔王陛下は人間のためにも、先に牽制している、というわけだ。
その辺の事情をなんとなく察したのだろう。
お兄さんが決まりの悪そうな顔で、タバコの代わりに息を漏らす。
「たまにはあいつが俺の尻拭いをしたっていいだろう、これでチャラだチャラ」
『魔王陛下も同じことを言っていたよ。いつも苦労をかけていたからってね』
やはり、兄弟なのだろう。
そんな共通点を見つけた私の目の前で、くぅぅぅぅっと小さな音がする。
それはお兄さんの腹からの音だった。
「腹が鳴ってやがる。そうか、本当に俺、蘇ったんだな」
酒と煙草。
そして煙を嗜む程度だった冥府の住人。
それももう終わり――だから、お腹が減る。
モッフモッフと楽園の大地を進む肉球音がする。
私ではない。
聖父クリストフ――レイヴァンお兄さんのお父さんである。
その口には、魔導ビニール袋。
中にはなにか温かい物が入っているようだ。
私の喉はごくりと鳴るが、我慢我慢。これぜったいにお兄さん用だし。
「クソ親父か……っち、何の用だ」
「食べるがいい」
カピバラさんが、ガサガサリ。
お兄さんの顔の横。
命が芽吹く草原に、ビニール袋を下ろしたのだ。
「はぁ? 何言ってやがるんだ」
「我が主神として治める迷宮、我が大地にて飼育している漆黒牛のステーキ弁当だ。話は後で、じっくり聞いてやる。お前とはこれから多く話す必要があろう、それも理解している。我等は長く離れすぎていた。けれど、食の事ならば――共通の話題も作れよう。だから、早く食べるがいい」
フンと偉そうにカピバラ鼻をふごふごさせた後。
聖人たる声が、続いた。
「本当はね、レイヴァン。我の失態で命を奪ってしまった、我が息子よ……。今回の件は贖罪に、君の側についても良かったんだ。それが君の望みならば。世界をやり直し、また新たな楽園で今度こそ……けれどね。レイヴァン。それはできなかった」
顔も全身もわふわふカピバラなのに。
声だけは聖人だ。
「あの時、我が手のせいで死んでしまった君が、蘇る。そうケトスくんに相談された時、一瞬、世界が止まったように思えたよ。我等楽園の過ちは二度と消える事はない。君を死なせてしまった事により滅んだ世界。我等楽園の住人は自業自得、選択を誤り滅んだのさ。故にこそ、この朽ちた世界はもはや不必要な大地。けれど――君は違う。どうか、生きて欲しい。そう思ってしまったんだ」
だから聖父は、私に力を貸してくれた。
隙を生み出す最後のカードとして、待機してくれていたのだ。
本当は、この戦いが始まったと同時に――もっと早く駆け付けたかった筈。
それを、勝利のため。
この蘇生という未来を掴むために、堪えてくれていた。
カピバラは言った。
「だからごめんね。君の味方にはなってあげられなかった」
その身が一瞬だけ、かつてこの楽園の権力者だった頃の、聖人の姿へと変貌する。
硬質的な美貌を緩め、聖父は静かに頭を下げた。
「すまなかった、レイヴァン。我が息子よ。会うべきだと思っていた、会いたいと思っていた。けれど、会えなかった」
言えなかった言葉。
それが今、この聖戦を終えた楽園でようやく。
伝えることができたのだろう。
「許してくれとは言わないさ。けれど、どうか――蘇った今を、幸せに生きておくれ」
朝陽の中で、風が吹く。
生命の樹が揺れている。
木漏れ日の中、お兄さんは恥ずかしさを誤魔化すように言った。
「あぁああああああぁぁ! うざってえな! そういうのは、まあ、今度でいいだろう!?」
「そうだね、時間はたっぷりとあるんだ」
聖父クリストフは笑った。
本当に、安堵した様子で微笑んでいたのだ。
その顔がもどかしいのか、レイヴァンお兄さんは目線を逸らし。
ビニール袋をガサガサごそごそ。
「まさかあの聖父様が、弁当作りとはな。楽園も死んで、時代も変わったってことだろうが。で、本当に大丈夫なんだろうな? 蘇って最初に食べた弁当が、親父の失敗作だったってのは、さすがに嫌だぞ?」
『心配なら、毒見をしようか?』
じぃぃぃっとステーキ弁当を覗く私。
とってもかわいいね?
こちらを眺めているギャラリーも、中継モニターで見ているダンジョン領域日本のプレイヤーも。
うっわ、この駄猫、空気読めよ……と叫んでいるような気がするが。
気にしない。
食に負けるのは、アニマルの性質。
じゅるりと、舌なめずりをしてしまうのである。
「おう、モフモフ野郎。一緒に喰うか!」
『ま、まあ! 君がそこまでいうなら仕方ないね、一緒に食べてあげようじゃないか!』
くははははは!
さすがお兄さん、よく分かっているのである!
さすがに最初の一口を私が貰うわけにはいかない。
お兄さんが箸を掴んで、冷めても美味しい漆黒牛の肉厚な身を挟み。
ぱくり。
ああ、いいなあ。
おいしそうだなあ。
早く私も食べたいなあ!
そんな私の目線の中。
お兄さんが、お弁当を味わっている。
おそらく、何千年ぶりのまともな食事なのだろう。
お兄さんは重厚なお肉を、胃袋におさめ。
一言、風に乗せるように言葉を漏らした。
「そうか、これからはちゃんと食べないといけないのか――面倒だな。ああ、すげぇ……面倒だ」
塩コショウを吸ったご飯を噛み締める、かつての冥界神。
魔兄レイヴァンは箸を進める。
そして、カピバラに戻った父を見て……。
一瞬、箸が止まる。
そして、喉の奥。肺から空気を吐き出し。
思わずと言った様子で、言葉を漏らした。
「なあ、ケトス……メシってうまいか?」
『ああ、とてもね。二度と消える事のないこの憎悪を、一時でも忘れさせてくれるほどには――ね』
紅き瞳を輝かせ、淡々と答える私に。
魔兄はゆったりと瞳を閉じる。
「そうか……うまいって、なんか、ずっと忘れてた気がするわ」
『これから思い出していけばいいじゃないか。私も協力するよ。うん、すっごい協力する。なんならいますぐ、協力するよ?』
「そりゃ、頼もしいな」
漏らしたその唇は、僅かに揺れていた。
瞳も僅かに濡れていた。
その口が、もう一枚……肉厚なステーキを噛み締める。
「はは、マジかよ。あのクソ親父の弁当なのに、うめえじゃねえか」
楽園の樹の下で輝いたのは――。
魔性の涙。
けれどそれはすぐに、涙消しの魔術で拭われる。
私によるサービスである。
きっと、泣き顔なんてお父さんに見られたくないだろうからね。
お兄さんもそれに気付き、目線と眉で私に感謝を示す。
けれど――何に対して泣いていたのか。
それは私には分からなかった。
だが。
私はお兄さんの顔に、ペチペチペチと肉球をあて。
じぃぃぃっとお弁当のお肉を見る。
ネコ魔獣奥義、グルメを見ながらペチペチである。
気付いたのか。
お兄さんが不器用に掴んだ箸で私の口元に、お肉を運んでくれる。
「ほらよ、お前さんにはまた世話になっちまったからな」
『くはははははは! これぞ! 我にふさわしきステーキ弁当よ!』
私の口に、蕩けるお肉の味が膨らんでいく!
ステーキソースと肉の粒が絡み合って、うまい!
けしてグルメを待てなかったわけではない。
お父さんと気まずいお兄さんのため!
こちらが空気を読んだのだ!
私達は、そのまま楽園に目をやった。
風の音がしたからだ。
お兄さんの瞳には、今のこの楽園がどう見えているのだろうか。
楽園にはさまざまな動物が蘇り始めていた。
古き神がいなくなった世界。
動物の楽園が、広がり始めている。
お兄さんが呟いた。
「これはどういうことだ」
『あんなに蘇生の力を放ったんだ、死した楽園の動物も蘇ってしまったようだね』
告げる私の言葉を証明するように、次々と命が再生されていく。
樹々も芽吹き始めている。
世界が蘇り始めているのだ。
リスが生命の樹を登っている。
このまま巣をつくるつもりなのだろう。
更に樹の上には、小鳥が集い始める。
かつて楽園だった場所。
死んだ世界が蘇り、新しい世界が始まったのだ。
これは――。ほんのわずかな世界転生。
動物たちだけの楽園の再開。
お兄さん達がもくろんでいた世界リセット計画。
その聖戦の結果はこれ。
世界に小さな爪痕を残したということだ。
終わった戦い、その痕に残された世界の再生を眺めて――。
ラスボスだった男。
魔兄レイヴァンが言う。
「ありがとうな、ケトス」
『感謝は私だけでなく、魔王様にもするんだね。きっと喜ぶだろうさ』
お兄さんは大きな手で、私の頭をわしゃわしゃ。
いつもの口調で言う。
「バーカ、こういう時は両方に礼を言うんだよ」
これで、終わったのだ。
人間も神もいないこの楽園。
朝陽が眩しい空を、一羽の鳥が飛んでいた。
……。
ロックウェル卿だね。
その翼が、私にだけ分かるように、ビシバサ、バサササ!
はなしがある。はやく、帰還せよ。か。
うまくやってくれたのだろう。
それはこの物語の裏の物語。
私は楽園とお兄さんを聖父に任せ、亜空間の魔城へと帰還した。
◇
城に帰還した私を出迎えたのは、大魔王ケトス。
ホワイトハウルにブラックハウル卿に、ロックウェル卿に、魔帝ロック。
そして。
折れかけた聖剣を床に置く、苦笑する勇者ヒナタくんと勇者ヒナタママだった。
その後ろには、戦いに参加していたメンバーもいる。
召喚された転移帰還者、私の生徒達。
出逢った魔性達。
私の配下の魔王軍。
立花トウヤくんと立花グレイスさん。
メルティ・リターナーズのメンバー。
異能力者の皆さま。彼らを束ねるスミレくんに、キリンさん。
ヘンリー君や、ハチワレにゃんこのホープくん、シュラング=シュインク神の世界から派遣された、ニャンコ部隊も揃っていた。
玉座クッションの上でステーキ弁当を食べながら、私はぶにゃはははは!
ねぎらいの言葉をかける。
『どうやらうまくいったようだね。みんな、お疲れ様!』
「もう! 本当に大変だったんだからね! もうちょっと感謝してくれてもいいんじゃない?」
と、ニヒヒと微笑むのはヒナタくん。
その手に掴んでいるのは、我が愛しき魔猫の書。
そう、私がこの世界に飛ぶための座標チェックに使った、北の賢者が残した書である。
その書には、魔術を発動するための根源。
無尽蔵のエネルギーであるプラズマ球が存在している。
そう――私はずっと、彼女にこれを預けていた。
これも切り札の一つ。
その書を御飯粒がついた顔で見て、安堵した様子で私は言う。
『ちゃんと封印はできた、ってことでいいのかな?』
「ばっちりよ! いやあ見せたかったわねえ、このあたしが覚醒して全員を守った、あの勇姿!」
ドヤるヒナタくんは、本当に活躍をしたようだが。
ま、なんとかなったならそれでいいか。
このメンツの中でも、堂々と発言ができるほど成長した生徒。
かつての引きこもり。
死神貴族のヘンリー君が言う。
「で? 駄猫。あんたがラスボスと戦っていたのは理解したけどさあ。ボクたちはいったい、何と戦わされていたんだよ」
『んー、一言でいうのは難しいけど。まあ、言葉にするとそうだね』
悩んでモフ毛を膨らませる私は、魔力の塊であるプラズマ球に封印された魔術式を見て。
こういった。
『世界生物論の怪物――私達が運命と呼んでいた、魔術式さ』
そう。
それはレイヴァンお兄さんの運命を狂わせ、転生前の勇者ヒナタママを狂わせ。
そして今度はヒナタくんの命を狂わせようとしていた、身勝手な流れ。
未来視で見えてしまう固定された結末。
形のない概念への呼び方は様々にあるだろう。
宿命、さだめ、運命。
ラプラスの悪魔。アカシックレコード。
答えは分からない、けれど――最も適した言葉は。
神、だろうか。
いつかのフォックスエイルが、猛吹雪の結界で世界からの視線を避けたように。
私は世界を騙したのだ。
まあ私は、定まった運命を書き換える破壊神。
それくらいできちゃうんだよねえ!
都合よく人々の流れを書き換える、世界の視線。
その視線をラストバトル――。
レイヴァンお兄さんとの戦闘に引き付けているうちに、奇襲を行ったのである。




