兄弟戦争 ~うちの弟がこんなに弱い筈がない~後編
楽園内部での戦いは続いている。
どうやら魔王様達にも火がついたようで、空には多重の魔法陣が雨あられ。
聖剣を降り注がせる三毛猫陛下の魔術も、その戦渦に拍車をかけていた。
そこにいたモノ達は、こう思っただろう。
――兄弟喧嘩なら他所でやれ、と。
レイヴァンお兄さんの使役する神話生物たちは、ドン引きしながら観戦中。
そう。
ランクの違い過ぎる戦いを目の前で行われて、既に戦意を喪失しているのである。
なんか、アダムゴーレム(仮)と敵だった楽園の怪物が一緒に座って、見学してるし。
なんなら戦闘を中断したことによって、友情が芽生え始めてるし。
まあたしかに。
こんな宇宙大戦争みたいな戦いを、目の前でやられたら、ねえ?
ハラりと落ちた前髪を掻き上げたお兄さんが、そのまま腕を伸ばし。
瞳をキィィィンと血の色に染め上げる。
「フハハハハハハ! これならどうだ、喰らいやがりな! 《目覚めし死海のノア》!」
三毛猫魔王様の降り注がせる伝説の剣の雨。
その割れた空を強制停止。
アダムスヴェインで上書きしたのだろう。
今度はレイヴァンお兄さんの力で空が割れ。
次元の隙間から状態異常効果のある塩の柱が、嵐のように降り注ぐ。
塩柱の大きさはビルと同じほど。
ブヒュヒュヒューンシュンヒュン!
それが高速落下。
楽園の大地を抉り呪うのだ。
これにはアダムゴーレム(仮)も神話生物も堪らない。
彼らは協力して結界を構築。
兄弟喧嘩に巻き込まれないように結託していた。
んーむ。
なんつーか、既に兄弟だけの戦いになってるよなあ……。
そんな景色を眺めながら、のんびりするのは大魔帝。
ケトスと名付けられた最強魔猫な私は、優雅にクッションで待機中。
衣サクサク、中がジュ~シ~な塩唐揚げをガジガジガジ♪
毛布を抱き寄せうにゅ~っと身体を伸ばし。
唐揚げ肉の筋がわずかに残った牙を、爪で取り除きながらギュッギュ♪
モニターを睨む。
終わる世界を彷彿とさせる黄昏色の空。
樹林に埋もれた楽園で、兄弟喧嘩が勃発している。
本気になっている三毛猫陛下が液晶タブレットを、ソーラーパネルのように飛ばし。
演算開始!
やはり三毛猫陛下は天才ネコ、科学と魔術を器用に融合している。
魔術式の演算を現代技術に負担させ、最高位の魔術を展開しているのだろう。
「確かに今の僕は昔よりも弱い。弱体化しているさ。けれど――兄さん、それでも僕は僕だ。魔を統べる王の力、あまり舐めないで頂きたいね!」
宣言する魔王陛下の液晶タブレットから、十重の魔法陣が無数に浮かび上がる。
楽園の空をドローンのように飛び回るタブレット、その一つ一つが疑似的な魔術師。
十重の魔法陣を展開できるほどの熟練を超えた、神域の魔術師と同等の力があるのだろう。
尻尾を爆風に靡かせながらも、三毛猫陛下が邪悪に顔をニヤリ。
「ミドガルズの尊き守護者よ、我が敵に裁きを下したまえ。《雷神鉄槌》」
ドヤ猫顔をした三毛猫陛下が、猫髯を揺らし。
北欧神話の雷神トールを原初としたアダムスヴェインを発動!
効果は凝縮した魔力を、電磁砲……レールガンを模した科学現象に当てはめ、強引に解き放ったのだろう。
対するお兄さんは割れた空に手を翳し。
キシシシシと牙を見せ、嗤う。
空を更に闇色に染め上げ、夜の昏さに変換。
「アダムスヴェイン。《母たる夜女神の晩餐》! 雷光すらも覆いつくしな!」
割れた空から夜の聖母神の幻影が、赤子を抱くように巨大な腕を伸ばし。
ギギギギィィィィン!
放たれた魔術閃光を、夜女神の慈愛の力で弾き返す。
ニュクスとは――最高神すらも畏れたとされる、夜と死を意味する西洋の原初神である。
その闇のヴェールによる守りこそが、このアダムスヴェインの性質。
レイヴァンお兄さんの身体を守っているのだろう。
攻防戦は続く。
それはさながら宇宙戦艦同士の、艦隊戦。
或いは大怪獣の大決戦といったイメージか。
タブレットによる雷神の攻撃は止まらない。
三毛猫陛下がスマホに演算させた未来視を発動し。
ネコの瞳をカカカカッ!
「異界の僕! 五秒後に兄は転移で回避する。十二時の方向に合成魔術で仕掛けるぞ!」
「始原解放――! さあ異界の兄さん、覚悟するんだね!」
三毛猫陛下の言葉を受けた魔王陛下が、未来予測に従い――瞳を赤く尖らせ。
万華鏡にも似た色鮮やかな魔法陣を展開!
高出力の魔力砲を放ち、更に周囲に飛ばすメノラーの杖で空間を固定する。
空間転移で飛んだはずのお兄さんの身体に、ノイズが走る。
闇のヴェールが、剥がされたのだ。
「転移が……っ、クソ、嵌められたか!?」
空間を固定されたレイヴァンお兄さんが、別次元から強制排出され息を呑む。
顕現と同時に、その身に魔力砲が直撃した。
が――!
魔力砲を肩で抱えたお兄さんは、そのまま攻撃ごと魔力を喰らってほぼ無傷。
黒き翼で己の身を包み、何事もなかったようにフフン!
舌をぺろり。
「はん! 甘いな! 俺様の弟は、まだまだこんなもんじゃなかった筈。ああ、喰らってやる。全部、全部だ! フフフフ、フハハハハハ!」
三毛猫陛下の攻撃を吸収――ようするに、悪食の魔性の権能で喰らったのだろう。
その魔力を取り込み、自らの力に変換。
血の紋様が刻まれたサーベルを顕現させ、ジャキン!
首筋にまで赤黒い紋様を刻んで吠える。
「喰わせろ、もっと喰わせやがれ! ハハハハハハ! いいなあ、おい! 最高じゃねえか!」
空を神速で駆けたお兄さんが、魔王様に切りかかる。
三毛猫魔王様が召喚した魔剣を受け取った魔王陛下が、血のサーベルを受け止め――ズグゥィィィイイン!
鈍い音が空を走る。
宵闇色の空に弾け飛ぶのは、魔力の火花。
おそらく、現場では濃い魔力と金属の摩擦臭がしている筈だ。
兄弟は顔を合わせる勢いで、鍔迫り合い。
魔王陛下が勝機を掴んだ顔で、鼻梁を尖らせた。
兄の顔色を覗き込み、陛下の口が言葉を紡ぐ。
「悪手だったね、兄さん。このワタシに剣で挑もうとは――」
「舐めんなよ! 魔術じゃなくて剣の腕なら……っ、腕なら――っくそ、てめえ、なんだこれは!」
私の魔王陛下が勝ち誇った笑みを浮かべ。
堂々と宣言する。
「ワタシはケトスや部下達のために剣の稽古も続けていた。あの子達に剣技を教えるためにね、楽園でただ崇拝されていた頃のワタシとは違うという事さ――!」
そのまま流れるように剣撃の応酬となっているのだが。
有利なのは私の魔王陛下の方か。
お兄さんの頬には、濃い玉の汗が浮かんでいる。
「おや、兄さん――どうしたんだい? どうやら無数の魂を取り込んだ力でも、剣の腕は変わらないみたいだね」
「うるせえっ! バーカバーカ! なんでも器用に最強に使いこなしやがって、これだから天才は嫌なんだ!」
まあ、力が増しても技術が向上するわけじゃない。
むろん身体的な能力の向上の意味はある。
以前は不可能だった動きが可能になったり、剣圧が増すので相手への攻撃の威力は倍増するが――剣の達人でもある魔王陛下の技量に、今の強化お兄さんでも届かないようだ。
レベルだけ上げた剣士が、剣を極めた低レベルの剣士にうっかり負けたりするのは、そういった理由があるのだが。
ともあれ。
魔王陛下が三毛猫陛下の能力向上のバフを受けながら、お兄さんを生命の樹の根元へと追い込む。
魔術を使おうにも、魔術の祖たる魔王陛下の禁止指定を受ければ無効化される。
冥府の力で眷族を召喚しようにも、ホワイトハウルの浄化の光でかき消される。
で、ニワトリさんがたまに隕石を落下させて楽園フィールド自体を攻撃している。
まあ実質、五対一なのだ。
それも反則級の相手が五。
魔王陛下と三毛猫魔王様。邪悪ニワトリコンビ。ホワイトハウル。
結界を維持するブラックハウル卿を数に含めれば、六柱。
最強となった筈のお兄さんが押されてしまうのも、仕方がない。
このままクローン体の機能を一時的に奪い、停止させるつもりなのだろう。
魔王陛下がシリアスな顔で、静かに告げる。
「これで終わりだよ、兄さん――悪いけれど、またしばらく眠っていて貰う。兄さんの魂は、他の死者の魂を吸い過ぎて常に暴走状態にある。このままだと、自我も失ってしまうだろうからね」
「はん! そうはいくか! せっかく封印を解かれたんだ、また捕まってたまるかよ!」
そうは言うモノの、お兄さんの声には焦りが滲んでいた。
魔王陛下は基本的に魔術戦のみを得意としていた。
まさか剣で圧倒されるとは思っていなかったのだろう。
うっかり接近戦を選んでしまった、お兄さんの作戦ミスである。
「で――兄さんはいったい何をそんなに怒っているんだい?」
「だぁぁぁぁぁぁああぁぁ! 怒るに決まってやがるだろう!」
魔王様も三毛猫陛下も、ジト目で言う。
「まだロックウェル卿の天体落下攻撃を怒っているのかい?」
「かわいいニワトリのちょっとした悪戯だろう? 許容できなくてどうするんだい……」
……。
あれをちょっとした悪戯で済ませてしまう辺り、魔王様って懐が広いよね。
まあ、モフモフアニマルには激甘という事もあるが。
しかし、どうやらお兄さんの怒りポイントはそこではなかったようだ。
「そっちじゃねえよ! そりゃあ、あの極悪コンビにはイラっとしたが、モフモフだ。そこまで怒っちゃいねえ。俺様が怒っているのはな、おまえさんの運命を狂わせた連中のことだ!」
レイヴァンお兄さんの瞳が、力強く煮えたぎる。
魔性としての力が、フツフツと湧き上がっているのだろう。
「ん? いったい誰のことを言っているんだい?」
「決まってるだろう、人間だよ。勇者だかなんだか知らねえが、てめえが情けを掛け魔術を授けた種族――人間如きに殺されて、勝手に死にやがって! だいたい楽園を追放されたのだって人間に情けを掛けたからだっただろうっ。なのに、それなのにまた人間のせいで転生させられるなんて。それじゃあてめえが、あまりにも報われねえじゃねえか!」
叫ぶお兄さんの瞳は赤く染まっている。
お兄さんは弟の悲劇に、本気になって怒っているのだろう。
ぶわっとモフ毛をぶわつかせた三毛猫魔王様。
その瞳が、僅かに揺らぐ。
「だから、こんな世界。リセットしちまった方がいいんだ! 今度は人間が生まれない、人間が発生しない楽園を作り出して。てめえが死なねえよう、いや、もう二度と泣いたりしないようにする。それが兄の仕事ってもんだろうっ」
「兄さん……」
血を吐くような言葉に偽りはない。
魔兄レイヴァンの暴走。
その原因は――魔王様への、兄としての想いだったのだろうか。
吐露を受けた三毛猫魔王様が、穏やかな声で猫口を上下させる。
「気持ちは嬉しいよ。けれど、僕の心はそこまで弱くないさ。確かに……僕が地に這う奴隷であった人間に魔術を与えたせいで……すべてが変わってしまった。人間に情けを掛けたために、僕は二度も大事なものを失った。はじめは兄さんの命、そして次は僕自身の命。けれど、これは自分で決めた事だ。後悔などしていない。もう子どもじゃないんだ、自分で選んだ道の結末は――受け入れる。それだけの話だよ」
これは話術スキル、説得である。
しかし――レイヴァンお兄さんは肌に血の紋様をびっしりと浮かべ。
まるで闇落ちした天使のような顔で、鼻梁を邪悪に歪ませる。
あれ。
これ、本気モードに移行しようとしているんじゃ。
そう思う私をよそに、ラスボスお兄さんの口は怨嗟を紡ぐ。
「それもイラっとするポイントだ。俺様が一番怒っているのは、気に入らねえのは。てめえが全部を諦めちまったことだ! 絶念の魔性だかなんだか知らねえが、てめえは人間を許した、いや許す以前にその罪を咎める事さえ諦めやがった。それは優しさかもしれねえが、俺は納得できねえ。ニンゲンなんて不要だって、どうしても思っちまう。お前だって、二度も裏切られたんだ、そう思うべきだろう!? でも、できねえんだよな。ああ、分かってる。分かってるさ! だったらてめえの代わりに、俺様が怒ってやらねえと、ダメだろう! それが兄の仕事ってもんだ!」
なかなかレベルの高いブラコンである。
「お前は親父からもお袋からも家族として扱われていなかった。生まれた時から上位の存在。神として扱われていた。そりゃあそうだ、本当にお前さんは生まれた時から神だった。でも、それでも俺は知っている。お前さんが、親父たちから崇められて、複雑な顔をしてた事もな。ああ、知ってるさ。何度も何度も何度も何度も、お前さんが諦めながら家族を見ていたことをな!」
それは魔王様の過去。
生まれたその時から完璧な存在だった魔王様は、実の父、聖父クリストフの魂を魅了しその日のうちに屈服させた。
跪かせたとお兄さんの口から聞いた事がある。
家族なのに、実の親なのに。
崇拝の対象として見られてしまったと、語られたことがある。
ちょうどステーキとハンバーグを食べながらだったので、よく覚えている。
「だから俺は誓ったっ! ああ、誓ってやったさ! どれほどお前さんが怖くても、どれほどお前さんが非常識バカ野郎でも。俺だけは、俺だけは家族で、兄でいてやると。その誓いのためだけに、俺様は死の世界から蘇った。今もこうして、全ての魂を吸って世界をリセットすると決めた。俺は――魔王、お前のお兄ちゃんなんだよ!」
するってーと。
魔王様のために、暴走しているという側面もあるのか。
まあ確かに。
考えた事もなかったが、人間さえ楽園の奴隷のままならば――楽園は滅びない。魔王様も、兄を失い絶念に囚われる事もなくなるのだ。
魔王陛下が人間に魔術の火を灯した。
それも世界のターニングポイントなのである。
そこを変えるために、世界をリセットする。
その理屈だと、三毛猫魔王様が転生なさって今を幸せに生きていたとしても……お兄さんの目的は終わらない。
なんてことはない。
お兄さんは結局、家族のために世界をどうにかしたい、それだけなのだろう。
猫の魔眼。
私の赤い瞳の中。
光景を眺めていた私の思考に、お兄さんの見たかつての魔王陛下の姿が再生される。
そこには、寂しそうな顔で狂信的な両親の顔を見る、子どもの時の魔王様がいた。
いつもつまらなそうな完璧な子ども。
けれど、レイヴァンお兄さんと一緒にいる時だけは違う。
魔王陛下は、笑っていた。
お兄さんだけは、崇拝の対象となっていた魔王様の、唯一、普通の家族で在り続けたのだ。
けれど、その兄が自分のせいで死んでしまった。
魔王様は、その時生まれて始めて泣いたのだろう。
全てを諦め、絶念の魔性となってしまう程に……泣き腫らしたのだろう。
たくさん泣いた弟。
その運命を変えてやりたい、そう思う兄が行動しているだけ。
この聖戦は、兄が弟を想う、ただそれだけの物語なのだろうと思う。
魔王様にもその心が伝わったのだろう。
そこに一瞬の隙が生まれた。
刹那――。
魔王陛下を背後から襲ったのは、もう一人の黒き翼。
宵闇に落ちた空に、酒と煙草で灼けた気怠い声が響く。
「悪いな、バカ弟――」
それは不意討ち。
魔王様の身体を、イナゴの足に似た禍々しい魂。
死者の腕が掴んでいる。
「兄さん……っ、これは――どうしてっ」
「俺様も異界の俺様に賛成だ。そういう理由だっていうのなら、俺様は異界の俺様と手を組む――しばらく眠ってな」
そう。
いつも飄々としていたレイヴァンお兄さん。
私もよく知る方のお兄さん、魔王陛下の実兄だ。
ここは楽園。
冥界フィールド。
こちらのお兄さんも、力の全てを発揮できるのだろう。
「始原解放――アダムスヴェイン。冥界神の名のもとに命ずる。魔王よ、どうしようもない程にバカな、我が弟よ。汝に母なる宵闇の眠りを与えよう」
神話改竄:《夜聖母の揺り篭》が発動する。
まるで。
夜そのものが、覆いかぶさっているようだった。
効果は――宵闇のヴェールによる、封印魔術か!
まずい!
「しまった……っ、レジストできな……ぃ……」
「待ってろよ、バカ野郎。すぐにこの世界を終わらせてやる。だから――全てが終わるまで、静かに休んでろ」
お兄さんの瞳も――魔性暴走状態。
黄昏色に染まっていた。
ダメだ、兄さん……っ。
そう叫び手を伸ばした魔王陛下の姿が、闇へと消えていく。
レイヴァンお兄さんは魔王様の魂を掴み、冥界神としての力をもってして封印。
魔王陛下の魂が、籠の中に捕らえられる。
三毛猫魔王様が慌てて動くも、そのモフモフ獣毛も闇の腕に捕まり影の中へと溶けていく。
勝敗は既に決した。
魔王陛下が会話ターンの隙をつかれて、負けてしまった。
まさかお兄さんがお兄さんと手を組むとは想定外。
完全に魔王様も油断していたのだろう。
私も――油断していた。