本拠地探索 ~ワンコとニャンコのダンジョン散歩~後編
辿り着いた先は――かつて魔王陛下も住んでいた楽園。
全ての始まりの場所。
なのだが。
最強戦力かつ最恐でカワイイ、私、大魔帝ケトスはモフ毛を逆立て警戒していた。
それは、何者かがやってくる気配のせい。
獣の本能が警戒を促しているのだ。
私の横で、犬歯を剥き出しにし威嚇する神獣。
白銀の魔狼こと見た目シベリアンハスキーなホワイトハウルも、警戒に唸りを上げる。
『ケトスよ――いざとなったら逃げるぞ。分かっておるな』
『ああ、敵の陣地で長居をするつもりはないよ。何事も慎重にね』
それでも、せっかく来たのだから情報も欲しい。
清い空気と温かい香り。
樹々の中に沈んだ楽園を見渡し、私は言った。
『そういうわけだよ、ねえねえ! でてきなよ~! まさかこっちを見る事は出来るけど、怖くて出てこられない。なーんて、情けない事は言わないよね?』
挑発の魔術だが。
判定は失敗。しかし、魔術は失敗しているが――。
声は背後から私のモフ耳を揺らした。
「んだぁ? せっかく俺様が寝てるっていうのに……黒猫に、白い犬?」
ぞっとした感覚が肉球に走る。
プニプニされていたのだ。
ホワイトハウルがまるでこの世の終わりのような形相で、グワっと唸る。
『いかん! ケトス! 我ですらたまにしかプニる事を許されぬ汝の肉球が……っ!』
『許可なく私をプニるとは、随分とまあ生意気じゃないか――っと!』
振り向きざまに私は魔眼を発動。
《夢支配の魔猫王》の権能を使用したのだ。
効果は単純。
相手を眠らせる――ただそれだけである。
もっとも、その眠りは耐性を貫通する絶対睡眠。
もしこの気配がお兄さんなら、無傷で連れ帰れたらなぁ――なんて思っているのだが。
振り向いた先には、何もない。
ただノイズに似た暗澹とした闇が、浮かんでいるだけ。
闇が蠢き。
ギギギギっと壊れかけたラジオのような音を立てる。
「おいおい、いきなり強制睡眠か? それなりには強えぇみたいだが、ここは俺様の世界。そんなニャンコの小細工なんて通じねえって」
相手の姿が見えない!?
声はする。
気配もある。しかし姿が見えないのだ。
ただ声は間違いなく、あの男。
魔兄レイヴァン。
楽園フィールドを利用して、私ですらも把握できない隠匿状態を維持しているのだ。
シリアスな場面なのだろうが。
私の貌は、げんなりとジト目である。
だって、ねえ?
実は今も、姿を消したお兄さんが私の肉球を握って。
プニプニプニ。
……。
プニプニプニプニプニプニ!
めちゃくちゃプニプニしているのである。
『うわ……っ、やだなあ。絶対、これ面倒なヤツじゃん……。相手からの攻撃の正体が掴めないって……すんごい、ラスボスっぽいよね』
『ええーい! 許可なく肉球プニプニをしようとは、痴れ者め……っ! ケトスから離れるがいい!』
ホワイトハウルには相手が見えているのか。
眉間にモノすっごい邪悪な皺を刻んで、嫉妬の魔性としての力を放出。
まるでラスボスとなった神獣が、赤き炎を纏うように魔力を纏っている。
ワンコの赤い瞳が、本気モードとなって尖る。
『始原解放――《神殺しのヴァナルガンド》!』
最高神をも噛み殺した神獣。
フェンリル狼の原初を力とした、アダムスヴェインだろう。
効果はおそらく――最高神を噛み殺した逸話を利用したバフ、神を殺すことに特化した自己強化。
ノイズのモヤモヤがやはり壊れたラジオのような音声で、告げる。
「ああん? 神話再現だと? そこの白い犬……お前には覚えがある……。はて、どこで会ったのか。いや。ああ、そうか。おまえさんも、楽園の住人だった者か。覚えている、ああ、覚えているぞ。弟と一緒にいた、次元の森に棲みついた裁定の魔狼か! いや、まあ、どうでもいいがな」
どこか他人事のような、気怠い声だった。
おそらく正気を失っている。
『その声、やはりレイヴァン神か。久しいな、もっとも――我は今のそなたを知らぬがな! とりあえず、ここで出逢ったのならば好機! キサマを拘束させて貰おう!』
ガルルルルゥゥゥゥゥウウゥゥッゥ!
バウバオォォォウォオオオォォォン!
咆哮と共にホワイトハウルの魔爪が空間を薙ぐ。
ジャギィグリィィィィイィィィィ!
次元を支配するティンダロス・ビーストの権能を用いた、空間そのものへの攻撃である。
ホワイトハウルの攻撃は、別次元からの攻撃。
防ぐことのできない必殺の一撃だった筈。
けれど。
「おいおい、ワンコ。そりゃあねえんじゃねえか? こっちはせっかく、眠い所を相手してやっているっつーのに。ああ、だりぃ……ったく、アニマルどもを殺すのは趣味じゃねえんだ。あんまりウザってえ事をするんじゃねえよ」
相手は無傷だ。
おそらく、相手の聖域となった楽園にいる限り、相手のペースは崩れない。
なんらかのインチキでホワイトハウルの攻撃すらも無効化している。
ここは――。
撤退!
『ホワイトハウル! 聖域結界を早く――!』
『主よ! 道を照らし光で包む我が主よ! 我は魔狼、我は裁定の神獣ホワイトハウル。汝の奇跡の御手を欲するモノなりや!』
私の叫びに同調し、ホワイトハウルが私を背に乗せ空へ逃げる。
瞬間。
大いなる光の力を借りた絶対不可侵の聖域が、黒猫とワンコの周囲を包む。
私達の選択は。
一目散に逃走!
楽園空間を駆けながら、ワンコの口が蠢く。
『ここはかつて滅びた楽園。終末を終え、既に死んだ世界。ケトスよ、お前も言っていただろう世界は二度生まれ変わっていると。ここは楽園であり、大魔王ケトスが滅ぼした第二の世界。おそらく、冥界と同じく死者の世界となっている。奴の得意フィールドである冥府と呼んでいい場所なのだ。冥界神としてのヤツが本気を出せる場所であろう』
なーるほどねえ。
『つまり、第二世界の死者全てを囲う冥府。楽園という形をとった、世界の墓標なのか』
『そしてその神である今のレイヴァン神は、三千世界全ての命の力を集合させた概念そのもの。全知全能なる存在となっているのだろう。このフィールドにいる限りは、比喩ではなく無敵に近い存在となっている筈だ』
告げて私達はしばし沈黙。
……。
これ、どうやって冥府から引きずり出そう……。
私とワンコは二匹で肉球に汗を浮かべ――なにも思いつかない。
とりあえず! 偵察は終わり!
私はワンコの頭の上から、肉球を翳す。
『様子見のつもりだったんだから、逃げるが勝ち! 逃げ切ったら勝利さ!』
『であるな! ガハハハハハハ! レイヴァン神よ、我等の勝ちなのである!』
一方的な勝利宣言に、楽園の空から酒と煙草で灼けた声が響く。
「逃がしゃしねえさ――なあ、せっかく遊びに来たんだ。お前さんたちも、ここに残れよ? いいだろう? 退屈なんだよ。つまらねえんだよ。あいつが死んじまった世界なんか、どうでもいいだろう? なあ、こっちにこいよ――」
告げるその声の先に、人影が顕現した。
おそらく、魔王様が作り出されたクローン体――今のレイヴァン神の本体だろう。
そこにあったのは、無気力な面差し。
冷たい美貌のままに、口を蠢かす神がいた。
イメージはそのまま大天使や堕天使。
その雰囲気は、素顔モードの聖父クリストフに似ているだろうか。
冥府の神は、酷くつまらなそうな顔で詠唱を開始する。
「我はレイヴァン。レイヴァン=ルーン=クリストフ。我こそは天から落ちたモノ。明けの明星、曙の子。我は奈落に投げ落とされた、全ての死者、全ての冥府を統治せしモノ」
名乗り上げの詠唱である。
それはかつてあった惨劇。
楽園で殺された自身の物語を綴っているのだろうか。
いつか私も目にしたレイヴァン神の過去。
逸話魔導書が正しいのならば、彼は楽園で殺された後に死者となった神。
死者の国を実力で統治し――冥界神となって再顕現したのだが。
「死海書に紡がれし我こそが、死。死こそが我。我を畏れよ。我を尊べ。我を知れ――始原解放、アダムスヴェイン。《定められし失楽園》。さあ、共に世界の終わりを眺めようじゃねえか」
詠唱の終わりと共に、楽園の空が夕闇色に沈む。
パラダイス・ロスト。
効果はおそらく、召喚魔術だろう。
世界が軋み、そこには無数の悪魔が顕現していた。
私は鑑定の魔眼を発動させる。
悪魔たちの鑑定結果は――。
『うわぁ……マジもんの悪魔を顕現させたのか』
『どういうことだ、ケトスよ』
うにゅーっとげんなりしながら耳と尾を垂らし。
私は肉球で空を指差す。
『あっちに見える蠅の王っぽい人形を把握できるかい? あれがかの有名な暴食を司る大悪魔ベルゼブブ。で、あっちの赤い蛇はサマエル、色欲を司るアスモデウスと同一視される天使で。あっちの紅蓮の戦車に乗った偉そうな竜が、ベリアル。明けの明星に代わり、傲慢を司るとされる悪徳の悪魔さ』
他にも無数の悪魔や天使の姿が確認できる。
もっともこれは本物ではない。
あくまでもレイヴァン神が神話再現を用いて創世した、神話存在のレプリカだろう。
なんか、けっこうファンシーな姿だし……。
見た目が、クレーンゲームの景品に出てくる縫いぐるみっぽいのだ。
しかし、その強さは本物。
まあ、終末を綴った黙示録のイナゴを呼べたのだ。
これくらいはできてしまうのだろう。
『奴め、アダムスヴェインを完全に使いこなしているのかっ……』
『そのようだね! でも、逃げるのなら問題ないさ!』
言って私は影を伸ばし、詠唱を開始!
『我はケトス! 大魔帝ケトス! 魔王陛下の忠臣なり!』
《匂いも遮断! ネコ砂乱舞》を発動!
ギャグみたいな魔術名だが、これは魔王様との脱走ごっこで編み出した逃走用の魔術。
効果は、ネコ砂……。
ようするに猫用トイレの砂による煙幕――気配と匂いと魔力の完全遮断である。
楽園の空に、モワモワモワっとしたネコ砂が降り注ぐ。
砂の中には触れると魔力枯渇の呪いを付与する、汚染物質もしみ込ませているのだが。
相手は見事にそれを回避。
まあ、逃げる時間稼ぎにはなるだろう。
「ほぅ、アホみたいな魔術だが――効果はえげつねえな。てめえ、そこのモフモフ猫。何者だ?」
『くはははははは! 覚えておくといい! 私は魔王陛下にお仕えする魔猫さ!』
言って、次元を裂いて逃げるホワイトハウルの背中から、私は猫砂をバサバサっと撒き続ける。
更にプラスして私の得意とする幻術で、私達の幻影を無数に召喚。
相手の視界には、四方八方に飛んで逃げるワンコとその背で砂を蒔く猫が見えているだろう。
無機質な美貌を気怠く蠢かし。
レイヴァン神が私達を指さし告げる。
「神話に記されし者達よ――奴らを捕まえてきな。俺様はそこのワンコとにゃんこをモフモフしながらしばらく寝る。肉球だ。ああ、肉球はいい……」
……。
正気を失って暴走しているからか。
すんごい阿呆なことを言っているのだが……。
召喚された禍々しいアダムスヴェインの怪物達も、ヒソヒソヒソと集合。
どーする?
いや、でも召喚主には逆らえないし……と、困惑している。
これ、レイヴァンお兄さんがこんなんだし。
暴走して、狂気に染まっていても根はあのお人好しっぽいし……。
たぶん、隙をつけばなんとかなるな。
私達はそのまま、楽園空間から離脱した。
◇
楽園を抜け出した私達は、猫目石の魔杖と三女神の牙杖を装備したまま。
亜空間で息をひそめ。
じぃぃぃぃぃいっと待っていた。
失楽園の悪魔たちや、レイヴァンお兄さん本体がでてくるのを出口から待っているのだ。
あのお兄さんの強さは楽園フィールドに依存している。
ようするに、あそこから引きずり出してしまえばそこまでの脅威ではない。
のだが。
『ぜーんぜん、でてこんのぅ……』
『うーみゅ、やっぱり暴走しててもお兄さんはお兄さん。作戦には引っかからないか』
漆黒牛のステーキ弁当を開けて、ピクニックセットも顕現。
ムッチャムッチャしながら私達は待った。
ホワイトハウルの結界で、周囲は覆った。
出口も入り口もここだけしかない。
表世界に顕現するには、確実にここを通るのだが。
……。
パリパリパリ、パン!
ヤキトリさんのパック詰め合わせを包んでいた輪ゴムの音が響く。
むっちゃむっちゃ。
ズズズズズ♪
ああ、ヤキトリのタレが残った口の中に流し込むお茶って、美味しいよね!
……。
やはり、相手は楽園に引きこもるつもりなのだろう。
まったく、出てくる気配は無かった。
しばらくして、ホワイトハウルがシリアスな顔で、私をじっと見た。
『ケトスよ――』
『分かっているさ、タイムリミットだね。見張りのコピー影猫を残して一旦帰還するしかない』
両者共に異論はない。
そう。
持ってきた食糧が尽きてしまったのである。
今回の遠征は相手の本拠地を確かめる事。
まあ、作戦は成功である。
転移門を形成した私達は帰還し、魔王陛下達と合流した。