エピローグ:巨獣人族編 ~懺悔~
ネコ魔獣で世界が満たされる事となった大事件。
異界の邪神、大魔帝ケトス降臨と主神シュラング=シュインクの再臨。
そして勇者ヒナタの帰還。
彼らは皆、強大な力の持ち主。
性格に難アリだが、見栄えだけは美しいとされる伝説の存在だ。
彼らの珍道中。
三大大陸を巡って行われた長い冒険が終わり、早一ヶ月。
ネコで溢れかえった世界は、一つの変革期。
ターニングポイントを迎えようとしていた。
これは、新王となる聖騎士カーマイン君。
彼が大陸に住まうネコ達の王となる戴冠式、その前日の出来事である。
……。
ところで、性格に難アリっていうのは、記録クリスタルの記載ミスだよね?
◇
勇者ヒナタの帰還、そして主神シュラング神の再臨と共に世界は変わった。
アッシュガルド。
それは、ネコと魔竜、神の加護を受けた二つの種族が共存する世界。
ネコ魔獣も魔竜も新人類と認定された――その歴史的な宣言による、弊害か。
ネコにはならなかった者。
かつてのまま生きるモノ――旧人類が古き人類と呼ばれてしまう事例も、ごくわずかに発生していた。
主神に平和の感謝を祈る巨獣人族。
かつて聖女とまで讃えられた聖職者。
山羊巨獣人のシスター、アンネさんもその一人だった。
秋の気配を感じさせるようになった世界。
ミドガルズ大陸に作られた教会。
魔王陛下とシュラング神を崇める礼拝堂で、彼女は日課の祈りを捧げている。
その視線の横には――。
落ち葉でじゃれるネコ魔獣達。
焚き火で焼き芋をクリエイトする彼らは、既に猫生活にも慣れ始めているようだ。
更にその横。
タワシボディの齧歯類。
カピバラ化したモノ達が、焚き火の熱でほんわかと毛を温めて、トウモロコシを齧っている。
その中央には、黒く輝くモフモフ毛玉が一つ!
他のネコ魔獣やカピバラの毛並みとは明らかに違う!
こう、なんつーか。
品? みたいなものがあるんだよね。
そう、もうお分かりだろう。
『くはははははははっ! 我がヤキイモを食したいモノは、魔王様への祈りを捧げるのだ!』
凛々しきモフ毛の魔猫。
大魔帝ケトス!
つまり――私である!
この世界にも魔王様信仰が根付き始めているからね。
信者を獲得し、定期的に魔王様への祈りを捧げさせることが我が使命!
そう、世界が安定するまでは力を貸す。
そういう約束で一ヶ月が経っていたが、ちゃんと私にとっても利益があるので問題なかったのである。
今朝はネコ魔獣達に指導。
身体が大きすぎると不便という理由で、ジャイアントワイルドキャットに小型化の魔術を教えていたのだが。
なぜか、ヤキイモを作るという流れになっていたのだ。
髯をピンピンにさせ、焼けていくお芋を眺めていると。
「なぜか、じゃありませんよ、ケトス様。最初からお芋を召喚していたでしょう」
『あれ? アンネ君、君、いつの間に心を読む魔術なんて手に入れたんだい?』
焚き火とヤキイモの香りの中。
ニャンコと聖職者が顔を合わせる。
絵にすると、ちょっとセンチメンタルな情景になっているかもしれない。
クールさをイメージさせる眼鏡を輝かせ、アンネさんが呆れた様子で言う。
「ケトスさま……おそらく記録クリスタルをつけながらイモを焼かれていたのでしょう? 口に出されている時もあるようですので……、気付いていないのでしたら問題です。少し注意なさった方がよろしいのでは?」
『まあ、ここの子たちになら聞かれても問題ないし、セーフさ』
パチパチと燃える枯れ木。
込みあがってくるデンプンの香り。
皮がパリっと焦げていく香りがなんともまあ、ネコちゃんの鼻孔を擽ること。
集うネコ魔獣もカピバラ魔獣も、お芋の香りにワクワクしているのだが。
アンネさんだけは別。
巨人である彼女の僅かに漏らしたため息が、枯葉を揺らす。
表情にも、ほんの少しの違和感がある。
それは悩む者の顔だった。
『さて、今日は君に、明日の戴冠式の招待状を届けに来たのだが。なにやら浮かない顔をしているね。何か悩み事、というか相談事かな?』
麗しいネコの姿だった私は、神父モードへとこの身を切り替えた。
真面目な空気になる。
そんな直感があったからである。
虚を突かれたのだろうか。
彼女は一瞬、瞳と心を揺らしたが……。
すぐにいつもの表情で微笑んでみせた。
「ケトス神父は本当になんでもお見通しなのですわね」
『全て見通しているわけじゃないさ。ただ長年生きているからね、他人の心の変化や隠し事に敏感なだけ。弱みにつけこみ、自らが信仰する神を布教する聖職者にとっては、大事な能力だろう?』
聖職者を皮肉る私に、彼女は眉を下げ。
穏やかな声で言う。
「場所を変えさせていただいても?」
『ああ、構わないよ』
カピバラ魔獣とネコ魔獣にヤキイモを授け、私達は場所を移動した。
◇
辿り着いた場所は、告解室。
赦しの秘跡と呼ばれる罪を神に告白する場所なのだが、懺悔室、と言った方が通りは良いだろうか。
普段はカーテンで遮られた、守秘義務が尊重される場所でもあるのだが。
今回は別に聖職者と信者の密談ではない。
カーテンで覆ったりはしていない。
ただ、シュラング=シュインク神の彫像の前で語るその言葉に、嘘はないだろう。
聖職者アンネ。
彼女は、敬虔なる主神の信徒なのだから。
斜めに入り込んでくる太陽。
木漏れ日の広がる室内。
聖職者のヴェールを風に靡かせ、彼女は言葉を口にした。
「トトメス様を元の世界、あなた様と故郷を同じくするその場所。地球へと戻して差し上げる事は、できないのでしょうか?」
突然の言葉だった。
だから少し返答が遅れてしまった。
けれど、彼女が何に悩んでいたのか――理解はできた。
私は神父姿のままで、彼女の瞳を見る。
『どうしてそんなことを言いだすんだい? 君と彼女、実は友達だったんだろう?』
そう。
トトメス帝は王宮から幻影を飛ばし、もう一つの生活を送っていた。
それは民を見守るという意味もあったのだろうが、その真意は日々の慰めであったのだろう。
トトメス帝の仮の姿は、鑑定が得意な女鹿獣人。
アンネの友だ。
「友達だからでございます」
聖職者の声で、静かに彼女が言う。
まっすぐな言葉だった。
もはや十分に悩んだ末の結論だったのだろう。
窓から入り込んでくるヤキイモ味の風が、カーテンを揺らす。
静かだった。
穏やかだった。
朝の陽ざしは温かいが、少しだけ眩しくも思えてしまう。
私は聖職者としての声で告げた。
『できるかできないかで言えば、可能さ。君たちが望むのなら、私が責任をもってその願いを聞き入れよう』
私の言葉に、アンネさんは安堵の表情を浮かべる。
しかし。
私は更に告げた。
『けれど、本人がそれを望んでいるかどうか。そこが問題だね。アンネくん。君は今、トトメスくんと一緒に暮らしているんだろう? ちゃんと彼女とも相談したかい?』
「いえ……」
声は小さかった。
やはりそうか。
ならばこそ、私は少し厳しい口調で言う。
『今だけは倫理や気遣いという概念を無視して、真実を語るが――構わないかい?』
彼女が頷く。
衣服が擦れる音を聞きながら、私は言葉を口にする。
『ハッキリと言おう、ホムンクルスとそして巨獣人族の王として長年誘拐され続けていたトトメス帝。彼女が今更、地球に帰ったからといって……幸せになれるとは限らない』
「え……?」
アンネさんの山羊角が――。
震える。
『彼女はコピーを繰り返し、新たなホムンクルスに人格を転写することで存在を維持してきた。オリジナルの存在とは既に異なった人物、トトメス帝として新たな人格を得ているんだ。彼女の元の名前は知らない。おそらく彼女自身も、もう二度と思いだすことはできないだろう。その姿も性質も……もはやだいぶ現地人とはかけ離れているものになっている』
ぎゅっとローブの裾を握る彼女。
その揺れる心を眺めたまま、あくまでも私は真実を淡々と告げる。
『それにだ――召喚された彼女のオリジナルは、魔導書となり果てた。可哀そうな話だけれどね、誘拐された本人の意識はもう死んでいるのさ。魔導書に人格を移されている時点で……殺されているといってもいいだろう』
「それこそが――わたくし達、巨獣人族が犯した罪……なのでしょうね」
ヴァージニア伯爵は技術を与えただけ。
かつて巨獣人族だった高慢な者たちが、自らの生活を楽にするべく異世界人を使役した。
その事実は変わらない。
『もはや自分本来の名前すら憶えていないトトメス帝。彼女が地球に戻ったとして、幸せにはなれないだろう。帰る家もなければ知り合いもいない。寄る辺なき場所を故郷と言えるのかどうか……果たしてそれが最善なのかどうか。私には判断できないね』
「けれど――……地球に戻ったその時に、全ての記憶が蘇る。そういうことだって、あるのではないでしょうか」
可能性の一つとしてはある。
けれど。
いつの時代から召喚されたのか、それも分からない。
『私も異世界召喚されて猫となったモノだ。かつての故郷、地球に戻った時にも記憶は戻らなかった。私の故郷はやはり魔王陛下の膝の元。あの世界なのだと、強く実感させられました。別に故郷に戻してさしあげる事だけが、贖罪とは限らないと……そう、私は思いますよ』
言葉の最後が、穏やかなる聖職者の言葉になってしまった。
おそらく。
これも私の消えてしまった記憶の欠片なのだろう。
ふと思う事がある。
私はかつて、どんな人間だったのかと。
きっと、素晴らしい人格者だったのだろうと思う事にしているが。
……。
ともあれ。
私は迷える信徒に目をやった。
宗派は違うが、同じ聖職者――その心を照らしてあげたくもある。
アンネさんは感情を抑えるように、スゥっと口を開いた。
メガネを曇らせながらも、なんとか言葉を紡ぎ出したのだ。
けれど。
言葉は感情と同じく、揺れていた。
「では、どうやって……我等巨獣人族は、いえわたくしは! どうやって、この罪を償ったらよいのでしょう! 異世界から無関係な少女を召喚し、長年に渡り王宮に閉じ込め……玉座という重圧と責任を与え続けました! わたくしも、わたくしも……っ、命令だからと、一時、異世界召喚に力を貸したことがあるのです! わたくしは――っ、彼女に、あの子に、何と言って詫びたらよいのでしょうか?」
たしかに。
彼女ほどの力の持ち主が、異世界召喚に手を貸していても不思議ではない。
巫女やシスターがその儀式の鍵となる魔術式も、存在する。
「わたくしは、あの子に笑っていて欲しい。もう二度と、苦しい思いをしないで欲しい。辛かった分、いえ、苦しめてしまった分以上に、微笑んでいて欲しいのです……っ」
悩めるシスターに、私は告げる。
『その言葉をそのままあの子に伝えればいい。それに彼女は賢い女性だ。長く高慢だった君たちの種族を統率していた帝王なんだ。きっと……君が召喚に手を貸していた時期があったことも、もう知っているよ』
「では、どうして……」
どうして何も言わないのか。
責めないのか。
それが気になって仕方がないのだろう。
『友達だから、じゃないかな』
彼女の心に、私は語り掛ける。
神父として、導く者として――続ける。
『君は孤独だったトトメスくんを、ずっと支えていたんだ。彼女が帝王だとは知らなかったとはいえ、長い付き合いの友達なのだろう? くだらない会話も、どうでもいいような口喧嘩も、きっと――彼女にとってはとてもかけがえのない時間だった筈さ』
アンネさんは過去を思い出しているのだろう。
同僚としてのくだらない会話。
とても普通な……普通だからこそ、それが孤独な帝王には大事だった時間。
朝陽を背後に受けた私の貌は、きっと黒く淀んで見えるだろう。
神父姿の影が、淡々と唇を動かしているように見えるだろう。
私は大邪神だから、それは仕方がない。
けれど。
告げる言葉だけは、真剣だった。
彼女達が救われる道を、探していた。
だから私は彼女の心に、光を翳す。
『誰かが近くにいてくれる、皆は忘れがちだけれどね……それはとても救いのある事なんだ。きっと、君が本音で話せば……向こうも本音で語ってくれるさ』
私は照らす。
未来を照らす。
かつて人間だった頃、そうしていたように。
『それでももし、どうしても――君があの子のために故郷への帰還を望んでいるのなら。君も一緒に行くと良い、傍にいてあげるといい。けれどその前に。やはり一度、腹を割って本音で語るといい。君の心も、わだかまりも、過去の罪も全部……ね。私から言えるのは、それだけさ』
聖職者としての言葉。
迷える者を導く言葉。
告げる私の言葉を噛み締めるように、ぎゅっと胸の前で手を握り。
聖職者アンネは立ち上がる。
「お願いがありますの、ケトス様……」
『なんだい?』
「厚かましい願いだとは承知しております。けれど、少しの間……一時間ほどでいいのです、この教会の留守をお願いできますでしょうか?」
ああ、きっと。
彼女は心を決めたのだろう。
かつて、トトメス帝の召喚に手を貸してしまったかもしれない、その罪を語る勇気を得たのだろう。
それでも。
彼女の表情にはまだ迷いがある。
けれど、開き直る姿よりは……いい。
多少迷っていた方が、心は美しくみえる。
私はそう思うのだ。
だから、その背を押すように私は言った。
『その程度の願いなら構わないよ。無償で引き受けよう、もっと時間がかかってもいいさ。私はまだヤキイモを食べていないからね、ゆっくりと味わうには時間も欲しいのさ』
告げると彼女は深い礼を残し。
歩き出す。
朝陽を受けたその背が、足が、駆けだした。
きっと。
アンネさんはトトメスくんと話し合うのだろう。
語り掛けるのだろう。
タッタッタッタ。
聖職者の駆ける音が、私の耳を揺らす。
勢いよく開けた扉から風が吹きこんできた。
私の前髪が、風に流れる。
憎悪の魔性の証。
もはや二度と戻らぬ赤い瞳が、彼女達の未来を鑑定する。
長年、苦しみ続けたトトメス帝。
心優しき最後の巨獣人族、聖職者アンネ。
彼女達はこの後、たくさん泣くのだろう。
言えなかった謝罪や感謝をたっぷりと口にして、明日へと繋ぐ道を作るのだろう。
ヤキイモの香りが漂う教会の中。
懺悔室。
私は神に祈りを捧げていた。
『主よ――どうか、迷える彼らに祝福を』
話し合いの結果。
トトメス帝がもし、地球への帰還を願うならば私はそれを叶えよう。
地球で暮らしていけるだけの、恩寵も与えよう。
けれど。
おそらくは――……。
エピローグ:巨獣人族編 ――終幕――