【SIDE:黒幕】計画書? 計算? ~そんなものは、こうだニャ!~前編
【SIDE:血伯爵ヴァージニア】
勇者ヒナタの活躍で再び平和になる筈だった世界。
アッシュガルド。
血の海の上に咲く、蓮の花を彷彿とさせる吸血鬼の古城。
玉座で静かに瞳を瞑る、大柄な美丈夫。
彼の名はヴァージニア。
遥か昔、人類に変化を齎さんと欲した主神の手によって、真祖のヴァンパイアとなった男だ。
玉座の間。
戦闘の準備が進む空間。
シルクハットを深く被り、血玉の杖でカツンと床を叩き。
彼は考える。
蠢く最上位のアンデッド軍を率いる彼は。部下の報告を待っていたのだ。
右腕カーマインは、おそらく……。
もう二度と帰らないだろう。
それはいい。
企みが漏れた場合の状況も想定していた。今この瞬間も、計画の内。
しかし。
大魔帝ケトス。
勇者ヒナタを連れ帰る際に、ちゃっかりとついてきた、主神クラスの怪物神。
アレの動きだけはまったく、掴めない。
ブニャハハハハハハ!
ネコの嘲りが、今も耳元で聞こえているようで落ち着かない。
計算を全て壊すアレは、まさに伯爵の天敵だったのだ。
たった一匹の黒猫が、伯爵の頭を悩ませていた。
孤独な玉座に腰かける男。
その薄い唇から、言葉が漏れる。
「分霊体が消されたのだ、そろそろやってくるとは思うのであるが――」
つぶやきに応えるモノは誰もいない。
それもその筈だ。
かつて部下だった吸血鬼は皆、上位存在の血による支配が完了している。
もはや彼らに、自由意志などないのだから。
伯爵はかつてニンゲンだった者どもに目をやった。
白い肌に赤い瞳。
騎士の鎧と、ふわりと膨らむフードマントを纏う聖騎士団の一人が、きぃぃぃぃぃぃん。
上位存在である伯爵の支配を受けた状態で、無機質な声を上げる。
「ご報告いたします……よろしいでしょうか?」
「構わぬぞ。戦いが始まったのであろう?」
ゆったりと応じる伯爵に、洗脳を受ける騎士が頷く。
「はい、それで。裏切り者がでておりまして――指示を仰ぎたいのです」
「紅の聖騎士カーマインであろう。分かっておる、それは計画の内。多少のイレギュラーはあれど、全ては順調に進んでいる」
カシャリ。
部下たちの鎧が擦れ合う音が響く。
顔を見合わせているのだろう。
「どうしたというのだ、全員がおかしな顔をして」
「畏れながら申し上げます。紅の聖騎士カーマインが裏切り、魔猫の君に従った。それは事実です。なれど――」
報告者ではない他の吸血鬼騎士が、赤い瞳をくぉぉぉぉんと輝かせる。
「裏切ったのは奴だけではないのです」
「なに? どういうことだ、我が支配は血による絶対的な眷族支配。お前達がそうであるように、抗う術などありはしない」
そう、ありはしない筈。
……。
普通ならば。
伯爵の頭の中では、くははははははっと魔猫の声が響いている。
あの男。
あの駄猫を前にすると、どんなに長考し、悩み、計算をしつくした後の結論とて――簡単に覆る。
これもまた、その一つだろう。
ギリリリっ……ッ!
奥歯を噛み締めた伯爵は、ダンと玉座の手すりが割れる程に、怒りと焦りを叩きつける。
「大魔帝ケトス! あのネコがなにをしたというのだっ!」
焦るヴァージニアは珍しいのか。
血による絶対支配を受けている吸血鬼ナイトの列に、動揺が走る。
「あの者の仕業ではないのです」
「裏切りが発生しているのは、炎熱地帯。温泉宿を中心としているのです」
「おそらくは、あの……なんでしたか、でかいネズミがいる」
部下達にいわれ、ヴァージニアはハッと顔を上げた。
はらりと落ちる前髪を揺らすように、口から息が漏れる。
「カピバラ。聖父クリストフ――あの得体のしれない、謎の古き神か!」
大魔帝ケトスがいつのまにか連れてきた、大飯喰らい。
温泉宿で一日中。
贅沢三昧をしながら湯船を楽しむ、タワシのようなケダモノ。
勇者ヒナタの着替えを観察されないようにと、魔猫が結界を張ったその瞬間。
何故か出現し、温泉宿の居候と化していたイレギュラー。
ただ、その性質はただのセクハラオヤジ。
不快さはあっても、害はないとの報告を受けていた。
なのに。
何故――!
「いや、たしかに……報告書には大魔帝ケトスとの接触の記載はされていたのだ。あり得ない話ではない。しかし、おかしい。なぜ、カーマインは正確な情報を送ってこなかったのだ」
考えられる答えは、一つ。
当時のカーマインがそのような反意を見せる筈がない。
ならば。
ぞっとした様子で、巨漢を震わせ魔城の主が言う。
「既に魔猫に気付かれ、カーマインも知らぬ所で――報告書が改竄されていた?」
敬愛すべき主神。
シュラング=シュインク神と、大魔帝ケトスの会議の報告は上がっている。
そこにあのカピバラの記載もあった。
しかし。
情報があまりにも少なかった。
答えは単純だ、あの大魔帝ケトスのしわざに違いない。
あのクソ猫が悪戯か、あるいは既に警戒を示し――メモ帳に干渉していたとしてもおかしくない。
奴は、想像や計算などお構いなしに動く。
安定や調和。想定内の範囲で動くことを是とする者にとっての、大悪神。
自らがネコであるからと好き勝手に行動する、身勝手な毛玉だ。
伯爵は考える。
どこまでが計算だ。どこまでがきまぐれだ。
どこまでが戯れだ。どこまでが偶然だ。
分からない。
考えれば考える程わからない。
ただ、意識を集中させると聞こえてくるのは――哄笑。
くははははははは!
くははははははは!
思考妨害の、ネコ声。
これもヤツの能力だというのだろうか。
忌々しい。
ああ、忌々しい。
あの、クソネコがぁあああああああああああああぁぁぁっぁぁぁぁぁ!
そう叫びたくなる心を抑えるように、男は奥歯をギリリと鳴らす。
刺さる牙から血が漏れる。
落ち着け。
落ち着くのだと、伯爵は自分に言い聞かせる。
部下たちは伯爵が落ち着いたと判断したのか。
報告を続ける。
「温泉宿から裏切った吸血鬼の数ですが……不明です。おそらくはヴァージニア陛下。あなたの血の支配よりも上位の支配能力――仮名となりますが、カピバラ洗礼を受けているのだと思われます」
……。
「いま、なんと?」
「ですから、カピバラ洗礼です。元吸血鬼だった者が裏切り、カピバラ化。我等が吸血により同胞を増やすように、カピバラによる洗礼でカピバラ化してしまうのです」
智謀に長け、計算高い巨漢の美丈夫。
かつて英雄だった男。
神のためならば、なんだってしてしまう狂った男はこう思った。
なんじゃ、そら。
と。
頬をヒクつかせる主人に気付かず、血に支配された騎士は報告を読み上げる。
「あの地域一帯の住人は既に感染済み。ネズミ算式に数を増やし、漆黒牛の牧場を包囲。保護と称して、全て略奪しているようなのですが……」
「漆黒牛を? これから戦争となるのに、なぜ」
伯爵は思考を巡らせる。
そこには必ず何か重要な理由がある筈だ。
……。
「現地の観察者によると――戦争準備の隙に乗じて、漆黒牛の畜産業を丸ごと盗もうとしているようにしか、見えないとありますが」
「蹄の手入れ……削蹄技術習得のいただきにまで上り詰めた能力者は、特に優遇する。これからは漆黒牛の時代だ。我が迷宮国家で汝等を歓迎する、共によりよき食卓を育てようではないか。迷える子羊たちにも、たまには最上級の牛を喰わせてやりたいしのう! 畜産スキルを持つ者には最高位の勲章をくれてやろう、ガハガハグワハハハハ! ――と笑っていたとのことです」
意味が分からない。
その不安定さが伯爵の胃を締め付ける。
謎のカピバラと大魔帝ケトス。
奴らの繋がりは明白。
ならば、考えるだけ無駄だろう。
「もうよい。あの地域は捨ておく」
「よろしいので?」
問いかける部下を一蹴するように、伯爵は邪悪な笑みを浮かべる。
「能力向上効果のある魔竜の肉。ニンゲンのみに有効な効果であるが、我等のモトは全てニンゲン。ヴァンパイアであろうと、元ニンゲン族の我等が食せば大幅に戦力を増強できるからな。あれの効果は絶大。その最たる三大魔竜が一匹、邪竜ニドヘグルの肉は既に我が手にある。もはやあの火山地帯を優遇する必要もないのだよ」
必勝の策はまだまだある。
大魔帝ケトスの出現は想定外だったが、邪竜ニドヘグルの肉を回収できたこと。
それはまさに幸運だった。
「稀少な邪竜の肉を放置し、我等に回収させた。それはヤツが犯した最大のミスと言えよう」
そう。
何も焦る必要などないのだ。
少し計画が狂ったところで、問題ない。良い方向に進んだ点もあるのだから。
しかし。
タイミングを見計らったかのように、重いトビラが開く。
カツンカツンカツン!
走って入ってきたのは、厨房に向かっていた筈の魔剣士タイプの吸血鬼。
魔竜の肉による壮大な計画――眷族どもの能力大幅向上作戦を進めていた、側近の一人である。
見た事も無い形相で、側近が叫ぶ。
「た、大変です陛下!」
「騒々しい。今度は何だというのだ」
伯爵の脳裏に、直感が走る。
悪い予感だ。
悪寒も、背筋を走っている。
聞きたくない。
聞きたくないが、聞かぬのは愚か者がすること。
男は、疲れた吐息に言葉を乗せた。
「申してみよ――」
「そ、それが――陛下からお預かりした邪竜ニドヘグルの冷凍肉を調理し、まずは遠距離攻撃が可能な魔導士部隊に配給したのですが……」
魔剣士は主と顔を合わせる勇気がなかったのか。
跪く動作のまま、床に向かい言う。
「全員がその身を変貌させ、ヴァンパイアナイトキャットに変化……謀反を起こしております。おそらくはあの肉、本物の肉ではなかったのでしょう。魔導大豆の配列を組み替え偽装させた、マジックアイテムだったかと思われ……その、わたくしどもも、陛下からあれがニドヘグルの肉だと聞いていたので、調査はせずに――」
「大変です陛下!」
魔剣士の言葉も終わらぬうちに、次の家臣が跳んでやってくる。
伯爵はぐぬぬぬと唇を震わせるも、その声だけは冷静さを保っていた。
「今度はなんだ――よもや、また謀反が起こっているというわけではあるまいに」
「そ、それが……」
魔剣士の横で共に跪く追加家臣に向かい、伯爵が言う。
「報告せよ――」
「城内の守りについていた一部の家臣が、ドリームランドからの命令だと……城内の備蓄食料を全て、亜空間へと転送し始めて……どうやら! 何者かの支配を受けているようなのです!」
静寂の中。
伯爵は考える。
これからムースベース大陸の、魔猫の本拠地に攻め込む筈だった遠征準備。
その大詰めとなったこの段階で、次々と計画が破綻している。
いつだ。
いつ手を打たれた。
洗脳の時間など、無かった筈。ではなぜ。
伯爵は考える。
そして、思い至った。
「あの時かっ! 奴め! 城内での模擬戦闘の時、既に――自分の世界に拉致したあの瞬間から、我が家臣の洗脳を計画していた!? 先に手を打っていただと!」
額に浮かべた青筋を、ぐつぐつぐつ!
沸騰しそうなほどに煮えたぎらせ。
男は、こう叫んでいた。
「クソ、クソ、クソ……――ッ! なぜこうなった! なぜ見抜かれた! あの、あの……! そう、あぁぁ……っの、クソネコがあぁああああああああああぁぁぁぁ!」
叫ぶ声が城内を揺らす。
家臣たちもいつも冷静な主の慟哭に、心を揺らす。
そして。
城内の隅。
普段ならば誰も気にしない、四隅。
底が見えぬほどの暗闇も、揺れている。
なぜだろうか。
まるでチェシャ猫が嗤うように――揺れていたのだ。
伯爵は怒りを鎮め、周囲を睨む。
「この気配は――」
『やあ、久しぶりだね――』
告げる影が、はっきりとしたネコの形を作っていく。
太々しい顔の猫が。
太々しい顔で――鳴き声を上げる。
くはははははははははは!
くはははははははははは!
くはははははははははは!
その哄笑が、普段は冷静な男の怒りを煽ったのだろう。
直後――響いたのは声。
翼を広げた闇王の、口が裂ける程の叫びだった!
「ぐがぐぐぎぎぎぃぃぃっぃいいぃぃ! 忌々しい糞ネコ! 大魔帝ケトス……っ! 我が主の力さえ凌駕する、歩く特異点。きさまさえ、きさまさえ……ッ、きさまさえカーマインが巻き込んだりしなければ!」
冷静な顔も剥がれてしまえば、悪鬼と同じ。
いや。
知略縦横。普段冷静で全てを先読みしている男だったからこそ、ここまでの慟哭を漏らしたのだろう。
賢人を気取る者ほど、崩れた時の精神は――脆い。
闇の中。
ネコはヒゲをピンピンにさせ、トコトコトコ。
赤き瞳を見開き、腹を抱えて嗤いだす。
『ブニャハハハハッハ! いやあ! 君のその声、最高だね! 冷静で計算高い策士を気取る男の激昂! これだから知略無双は止められない!』
声が、響き。
周囲に闇が広がっていく。
大魔帝ケトスの眷属もいるのだろう。
玉座の間は、既に猫の影で囲まれていた。
そこにはかつての右腕、紅の聖騎士カーマインも控えている。
部下を前にして、冷静な君主を演じたのだろう。
尖る牙を輝かせた伯爵の口が、蠢く。
「カーマインよ。この者を城内へ手引きしたのは――キサマか」
「――……。ご覚悟を、我が主よ。もう――終わりです。全てが明るみとなっております。我等はあなたに殺された。けれど、その統治に不満はありませんでした。せめて……せめて、綺麗に終わっていただきたい、我等騎士団はそう願っています」
静かに警告する聖騎士カーマイン。
その後ろに並んでいたのは、もはや主を滅ぼすべき悪と認定した吸血鬼たちだろう。
モフモフマントを装備したヴァンパイアナイトキャットが、シリアスな顔で牙を尖らせている。
彼等の表情にあるのは決意。
狂った主を滅ぼす。
そんな強い意思を感じさせる視線だった。
姿はコミカル。
聖騎士装備に身を固めたネコだ。
しかし、その瞳に支配はない。
自らの意志で――。
まるで清廉な聖騎士のように、かつての主人を諫めようと義憤に駆られている。
。
伯爵は今頃みせた部下たちのまともさに、皮肉な運命を感じていた。
主人が変われば、部下も変わる。
そんな言葉を思い浮かべ、男は言う。
「そうか、我が分霊から情報を得たのだな――全ての経緯を知り魔猫についたか」
伯爵は考えた。
この大陸を支配するために、ニンゲンが全滅するように仕組んだ。
その知識も過去も、あの魔書には刻まれていた筈。
騎士団の叛意はもはや覆らない。
血による眷族支配は不可能か。
全てを見抜いていた賢帝ケトス、あの大魔帝が対策もせずに、彼らをこうして使いはしないだろう。
賢きネコが――。
愚者の口調で嘲り笑う。
『これぞ! クレバーでスマートなニャンコ無双! ねえねえ! ねえねえ! 念のため程度に用意されていた私の罠でさ? 計画を! ぜーんぶ、ひっくり返された気分って!? どんな気分なんだい!?』
全ての計画を破壊した魔猫が、ニヤニヤうにゃうにゃ。
モフ毛を膨らませて。
ドヤアァアアアアアアアアアアアァァァァァ!
無駄に空間転移を繰り返し、伯爵の周囲を回り続ける。
実に偉そうに。
勝ち誇った顔をしていたのだ。
シリアスの中に浮かぶ、一匹だけのコミカル。
異様な獣。
道化ともいえるその姿がより一層に怖い。
そのギャップが脅威だった。
冷静沈着。
全てを見通していた伯爵にとっての、未知の怪物。
男は思う。
これには敵わないだろう、と。
嘲りの中の奥にある、憎悪。
明るさで暗澹とした闇を覆い隠す、その生き方が不気味に思えて仕方がなかった。
それでも――。
ここで諦めるわけには、いかない。