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戦争、女神の双丘にて、その1【三人称視点、教会軍】

 【SIDE:教会軍】


 西大陸最大の帝国。バラン帝国は既に教会の手中にある。

 その考えに間違えはなかった筈だ。

 事実、裏の権力を掌握した後の皇帝ピサロの動きは全てが後手後手だった。


 彼が何をするのも勝手だが、教会に不利益となる事、それだけは毎回口をはさみ取り止めさせることができるようになった。

 後はもう、やりたい放題。

 若き皇帝の首を撥ね、教会が用意した新しき教皇猊下の顔に挿げ替えるのも、そう遠くない未来の筈だ。


 この帝国は名実ともに聖職者のモノとなる。


 司教たちはとある魔族に感謝をしていた。

 帝国内での教会の勝利。

 そのきっかけとなったのは間違いなくアレだろう。


 東王国への進攻。大敗ともいえる、その敗戦。

 その裏にいると言われているのが、大魔帝ケトス。

 気まぐれに災厄と奇跡をもたらすとされている大魔族の名だ。

 本来なら勝てるはずの戦に帝国が負けたのは、かの者の介入が原因に他ならない。


 皇帝にとってあの戦の失敗は大きかった。なにしろオーク神が隠れ、弱体化した筈のオーク大森林が凶悪な軍勢を率い襲ってくるのは想定外だったのだ。

 たとえ負けたとしても、あくまでも牽制の意味での奇襲。

 被害はあまり出ない筈だったのに。

 皇帝の失敗は、傷ついた兵を見捨てることのできない中途半端な正義感を持ち合わせていた事だろう


 あの敗戦から全てが始まった。

 傷を負った兵士の治療には教会の力が必要だ。なにしろ神の奇跡で傷を癒せるのだから。そして治療には寄付がいる。

 皇帝ピサロは暴君の名をもっていながらも、国のために戦った彼らを見捨てなかったのだ。

 その甘さに、教会は付け入った。

 国や国の重鎮に借金を負わせる事に成功したのである。


 所詮、世の中は金。

 神の奇跡も金。

 全てがうまくいっていた。

 だから、さんざんに私腹を肥やした。

 気に入らない民を神の名の下で裁き。

 気に入らない勅命は握りつぶした。

 女も金も名誉も、全てが教会に集まっていた。

 まさに教会こそが神そのものになっていた。


 神はもはや名前だけの存在でいい。いざとなった時の抑止力。

 彼らは聖職者だからこそ知っていたのだ。神はそこまで人間を観察していない。そこまで干渉する気もないし、興味もないのだと。

 それもそのはず。

 なぜならば、どれほどの悪事を働いても、いまだに自分たちは罰を受けていないのだから。


 だから今回もうまくいく。

 そう彼らは皆、思っていたのに。


 戦場となった女神の双丘に目をやって。

 司教が叫びをあげた。


「なななな、なぜ。どういうことだ! 我らが押されているではないか!」


 強化を受けた民兵が、クワを片手に縦横無尽に跳ねる。

 白百合姿のメイド騎士が、神の奇跡を弾き。

 帝国正規軍が皇帝の号令支援を受けて突撃する。


「こちらはあれだけの魔道具を持っているのだぞ! 魔族にさえ対抗できるほどの力の筈だ、なのになにゆえ。なにゆえ!?」

「し、司教様!」


 聖騎士に向かい、ぐぬぬと歯を剥き出しにしていた司教が唸る。


「なんなのだね! この一大事に!」

「あれを、あれを……ご覧ください!」


 狼狽する聖騎士が指差す先にあったのは、戦場を蠢く黒い影。

 もっふぁー、バッサバッサ!

 うにゃにゃにゃにゃ!

 ニャッハー!

 蛇の様にうねるモフモフな獣の尻尾が、教会軍のバックパックの中から飛び出しているのだ。


「なん……だ、あれは。いったいなんなのだ!」

「さ、さあ。召喚獣、でしょうか」

「あのような珍妙な召喚獣など聞いたことがないぞ!?」


 黒い獣は高速転移魔術で次から次へと、軍の支給品である回復アイテム「奇跡の干し林檎」を奪い取り、暗黒空間に収納しているのだ。

 それだけではない。


『にゃっはー! 干し芋ゲットだにゃ! と、あー、あの人危ないな。やっぱり憎悪でレベルが上がってるとはいえ、基本は農民なのかな。戦い方がちょっと雑だよねえ、支援支援と』


 軍から食料を盗みながら、片手間に大規模支援魔術を展開しているのである。

 五重を超える魔法陣をあれほどに容易く。

 教会軍は次第にその黒き獣の存在を認識し始めた。

 戦闘を有利に運ぶと、それは必ずやってくる。

 そして致命的な一手を打っては闇の中に消えてしまうのだ。


 呆然と聖騎士が呟く。


「黒猫……? 魔獣を使役する職業の使い魔……なのでしょうか」

「そんなわけがなかろう……! アレは……、もっと別の、なにか悍ましき存在だ!」

「しかし、どうみても……黒い、太々しいドヤ顔をした猫でありますが」


 そう。

 見た目はどうみても黒い猫だ。

 そして。

 それがこの戦場を支配している。

 帝国さえも滅ぼせる戦力を手に入れた教会軍は、完全にあの黒猫に遊ばれていた。


 次から次へと展開する大魔術。

 教会軍が帝国軍を傷つけようとすると、その瞬間に、不可視の防御結界が瞬時に展開する。

 戯れだ。

 戯れなのに、圧倒的な差を感じさせるほどにこの魔力は強大だ。


「信じられません……幻の転移魔術、超高速防御結界。超高練度の盗みスキル。英雄級のモノにしか扱えぬ亜空間収納……っ、アレは、アレはいったいなんなんですか!?」

「ええーい! それはこちらが知りたいぐらいだ!」


 司教は神の奇跡で強化した視力で、それをじっくりと眺め。

 息を呑んだ。


「なんだ……これは」


「司教様?」

「本当に、なんなんだ! アレは、あんなもの、この世に存在していい筈がない!」


 強化した視界の中で司教は闇を見た。

 底のしれない闇が、ただその空間に蠢いていたのだ。

 視力を強化せずに目をやると、ただの黒い猫なのに。

 その背後。

 天を衝くほどの憎悪の魔力が闇となって、ただ、ただ、無限に広がっている。


 司祭はもう一度、蠢く闇を見た。

 ――この世界への在り方が、違う?

 そして、ぞっと背筋を震えさせた。


「だれでもいい、アレを鑑定しろ! アレは、なにかがおかしい!」

「は……ッ、直ちに!」


 聖騎士が黒い影を鑑定しようと、愚かな獣人から徴収した高級鑑定魔道具を翳す。

 モノクルに似た形状のグラス。

 膨大な魔力を含んだ魔道具、そのレンズが戦場を遊ぶ猫を捉える。

 少なくともこれで、名前と種族。簡単なスキルは把握できるはずだ。

 が。

 ギシーィィィィィイイイィィィイン!

 鑑定アイテムが朽ちて消えていく。

 消失に狼狽した聖騎士は消えていくアイテムに目をやり、


「え……?」


 その消失の先が広がっていることに気が付いた。

 痛みはない。

 痛みはないが、感覚もない。

 聖騎士の脳裏にはなにが浮かんでいたのだろうか。

 腐った聖職者と知りつつも、それに従ってしまった。

 それは彼にも自覚があった筈だ。

 自らの手を眺め。

 呟いていた。


「あ……あれ、どうして……オレ……し、しきょうさ……ま……」


 消えていく。

 全てが何もなかったものかの様に、消えていく。


「鑑定結果は……? ッ――! おい、どうした!」

「オレ、き……きえたく……な……、たすけ……――」


 そこで言葉は終わってしまった。

 司教の問いに答える者は既にいなかった。

 アイテムを使用した聖騎士ごと……鑑定魔道具が空間から消えたのだ。

 ガシャン!

 持ち主を失った聖騎士の鎧が、地面に落下し絶命の声を代弁し――。

 カラン……カラン、カラン。

 しばらくの間、揺れて、止まった。


「鑑定に対する反撃、だと……っ」


 ありえない。

 ありえないが、現実だ。

 いまもなお、この戦場に謎の黒き獣が跳ねている。

 戦っているのではない。

 あの黒い影は。

 遊んでいるのだ。

 戦場を遊戯の場として、ジャレつき、駆けまわっているのである。


「まさか……あの黒き獣は……っ」


 司教はようやく気が付いた。

 いたずらに人間世界に介入し、混沌を振りまき秩序とバランスを崩す最悪の黒猫の存在に。

 神は自分たちを見ていなかった。

 だから全てがうまくいっていた。

 けれど。

 あの黒猫は見ていたのだ。

 見ていて、動いたのだろう。

 人間ごときが、調子に乗るな……と。


 司教は。

 膝から崩れ。

 絶望の言葉を呟いた。


「大魔帝ケトス……。あの混沌の降臨だ……」、と


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