【SIDE:エルフ王国】辿るルートの行方 その4 ―魔猫箱庭ルート―
◇~【SIDE:エルフ王国】~◇
礼拝堂は二つの恐怖に支配されていた。
天から眺める二つの赤い月。
けして目を合わせてはいけない、大邪神ケトス。
そして、追放伝承に描かれる悲劇の勇者とは印象の違うモノ。
太陽のように明るい美少女黒髪勇者。
女神ヒナタ。
勇者ヒナタは天真爛漫なあかるさを表に出しつつも、その制裁は苛烈。
聖と闇。
煌々たる魔力の奔流をその細い体躯に纏い、平然と微笑んでいる。
「よーし! とりあえずのお仕置きは終了ね!」
全員にゲンコツを喰らわせ、ちょっとエルフ全員を瀕死状態にし。
慌てて回復魔術で治した後。
エルフ達の怯える視線を受けながらも、ビシ――ッ!
女子高生勇者のヒナタは空に向かって指をさす。
「いい! あんたたち、よく聞きなさい! 生き残るために、まずは大量の小豆をかき集めるの! 全員で国中を駆け回りなさい! こし餡の材料を用意よ!」
その言葉に含まれるのは扇動の力。
抗いがたい強制力が滲んでいる。
床に伏すエルフの目の前にいるのは黒髪美少女。
けれど、その印象を言葉にするならば――。
”無邪気な魔王”。
背に炎を抱く少女の顔を見るエルフ達の一部は、ごくりと息を呑む。
彼女は――空で眺める魔猫と同じカテゴリーの存在。
絶対に抗ってはならない、天災にも似た上位存在だと実感したのだろう。
聖職者のエルフたちは、跪き。
心からの祈りを捧げ始めている。
一度死んだ経験のあるエルフたち。
そして死の原因を作ってしまった騎士団を中心としたエルフ達も――反省という言葉をようやく覚えたのか。
女神ヒナタに心からの尊敬と、畏怖を抱いていた。
しかし、なぜ小豆?
と。
エルフ達が互いに顔を見合わせる中。
アッハッハッハ!
と、太陽のように微笑む少女に、エルフの聖騎士ローラが困った顔で言う。
「あの……小豆ですか? ヒナタ様。このような時に……そういった戯れは……」
「あら? 戯れなんかじゃないわよ。忘れたの?」
全員を見渡し、少女は言う。
「ケトスっちは言ってたわよね? つぶ餡より、こし餡だって。それってかなりのヒントっていうか、答えそのもの。せめてグルメを差し出してみろってことよ」
混乱するエルフ達に構わず、こほん!
黒髪を靡かせるように手を横に払い、バサ!
ヒナタは声に魔力を乗せる――。
更に扇動スキルを重ね掛けしたのだ。
効果範囲は礼拝堂のエルフ全員。
禁術の領域に分類される程の扇動力に、エルフの背筋がびくりと震える。
「ようはケトスっちにこの地を守る理由を作らせれば、とりあえずはそれで良いのよ! 心からの反省が一番必要だし、手っ取り早いかもしれないけど。まあアンタたちじゃ無理でしょ?」
言葉を聞き。
その中で反省しているエルフだけは長い耳を下げ、頭も深く下げる。
同意だったのだろう。
「正直、長年刻まれた他力本願で無責任な性根が、すぐに治るとは思えないし? 本当に反省するのはその後でもできるわ。だから、今はこの状況を生き残る事を優先しましょう。文句がある人がいるならこのまま逃げて貰ってもいいわ。まあ、魔竜と鉢合わせするって可能性もあるけど――そこまでは責任を取れないわよ」
ザワつきが起こる。
そう、蘇ったのだから今の内に逃げる。
そういう選択もあるのだ。
扇動の効果に従い、自分の意思でこの王国を捨て逃げだす者もではじめた。
反省できていないしする気もない、一部の老いた円卓連中。
とにかく逃げたくて仕方がない民の一部が、礼拝堂から退席する。
別にヒナタの意見に従う必要はないのだ。
逃げるのも自由。
そして逃げた先で殺されるのも自由。
ヒナタは未来視で彼らの行く末を確信しながらも、もはや声をかける事はなかった。
扇動スキルにわずかながらも耐性があるのか、ローラが言う。
「アタシはヒナタ様に従いますが……その、やはり小豆グルメで本当に大丈夫なのか。正直、不安もあります。その真意をお聞かせ願えないでしょうか」
小豆といわれ――当然困惑している聖騎士ローラと騎士団。
そしてエルフの民に、ヒナタは頬に汗を浮かべ――。
眉も、肩も同時に落とし。
「ふざけているように見えるでしょうけど。これは、ガチでマジのシリアスよ。たぶんこれしか解決方法がないわ。あの子に極上のこし餡グルメを用意して、この国とエルフ族の価値を認めさせる。それがグッドエンドに向かう唯一の道よ」
「価値を認めさせる……ですか」
そう呟いたローラが、自嘲気味に声を漏らす。
「たしかに。今の我々エルフ族は――こし餡で命が左右される程度の存在でしかない……ということかもしれませんね」
漏らした言葉が、礼拝堂に響く。
自嘲にも似た言葉は強く人々の心を揺らしたのか。
裁定魔術による影響で反省を促されている住人達の顔も、あきらかに揺れ動いていた。
嘘をつかぬ顔で、勇者ヒナタが眉を下げる。
「ま、そういうことね。でもいいじゃない、これから変わっていけばいいだけの事よ!」
「これから……ですか」
「そうよ、これから! 過ちを起こさない人間なんていないでしょ? エルフなんてもっと長命なんだから仕方ないわよ。このあたしが力を貸してるんだから、前向きになりなさい!」
魔術による影響もあるだろうが――。
ようやく、反省の表情が彼らの顔に強く浮かび始める。
同時に希望の光も見え始めている。
扇動の力を受けた住人たちの顔に変化が生まれるが、その中で現実を見る目があるモノもいたのだろう。
魔導士と思われるエルフが前に出て……おずおず。
申し訳なさそうに手を上げる。
「あ、あのヒナタ様。よ、よろしいでしょうか?」
「なにかしら?」
「あの、わ、わたくしは時間逆行前にま、魔竜に殺されたのですが……その、あの……いま、迫ってきている魔竜は……っ、どうしたら」
一度殺された者にとっては魔竜は恐怖そのもの。
恐ろしくてたまらない、そんな表情をぶち壊す明るさで勇者ヒナタが言う。
「ああ、なるほどね。祭りが終わって寝静まった後に攻めてきたんだっけ。あははは、悪かったわね。まーた、くだらない言い訳をされると思ったから、身構えちゃったわよ」
にっこりと微笑む黒髪美少女。
ヒナタは周囲を落ち着かせるように、余裕そうな顔で続ける。
「魔竜への対策ね。それは問題ないわ。完全に攻め込まれる前で、誰かを庇う必要がないなら――あたし一人でもなんとかなるし!」
ふふんと微笑し、黒髪を靡かせたヒナタが大地に九重の魔法陣を刻む。
ワンコ模様の光が天を衝く。
周囲に展開した結界の厚さは、それなり以上に大きい。
「どーよ! このあたしの結界術! ちょっとしたもんでしょ!」
胸を張ってドヤる少女は一瞬でその結界を構築したが、ちょっとしたもんで済ましていいレベルの結界ではない。
戦闘経験のある者が、ごくりと喉を鳴らす。
騎士団が再び跪き。
勇者ヒナタに頭を下げる。
「ありがとうございます、ヒナタさま」
「もっと、もぉぉぉっと感謝してくれていいけど。そんな場合じゃないわね。女王の不在を知った魔竜が、今更進軍を止めるとは思えない。それに相手にはあの糞主神が力を貸しているんだから、いつかは破られるわ。だから、その前にと――」
ヒナタは魔導書からさまざまなこし餡料理のレシピを浮かべ。
礼拝堂の壁に魔術文字で記入していく。
それは誰にでも読め、把握できるようにする翻訳魔術。
魔導を扱うエルフ達の一部が再び驚愕するが、少女は気にせず。
再びふふん!
太陽に向かって吠えるように、エルフ全員の心を揺らすほどの声を発する。
「というわけで! 死ぬ気でグルメを用意なさい! まずは生き残るために、ケトスっちへの餡子グルメ、こし餡を使ったエルフ自慢の料理を大量に作りなさい! 生き残りたかったらね!」
「しかし、グルメを用意するだけで本当に、大丈夫なのでしょうか……」
「ケトスっちもそういう妥協点があった方が、救いやすいでしょうからね。動機を与えてあげるのって結構重要よ?」
女神のウインクに、騎士団の男エルフがポッと顔を赤らめさせる。
キシシシっと悪い笑みを浮かべたヒナタは、ビシっと空を指差した。
「このあたしを女神像に封印までしておいて? そのまま全滅? 冗談じゃないわよ! 絶対にケトスっちに、この大陸を助けさせてやるんだからっ! これはあの子とあたしの勝負でもあるんだからね!」
ケトスっち。
あんたに絶対、この国を守らせてやるんだから!
と、吠える少女を、魔猫の瞳がじぃぃぃっと眺め続けていた。
◇
魔竜の進軍を結界で足止めしている最中。
怠惰だったエルフ達は、心を切り替えたように働いていた。
大魔帝ケトスに捧げる贄――。
こし餡グルメ作りが進められていたのである。
エルフの街の中央。
噴水広場には、いままでにはなかった像がいつの間にか出現している。
美しくモフモフな黒猫を抱く、美丈夫の像。
ようするに、魔王と黒猫の神像だった。
その周囲にはモキュモキュと空気を揺らす、黒い影が踊っている。
更に周囲には、宙に浮かぶ血塗られた人間の手が、ここに供物を捧げるのじゃ~とアピールをしている。
勇者ヒナタは見慣れた邪神の眷属に目をやって。
「あんたたち……本当にケトスっちが好きなのねえ」
声に応えるように、くぉぉぉぉおおおおおぉぉっぉぉぉ!
邪悪なる人魚が大好きアピールを披露する。
当然、こし餡グルメを用意したエルフ達は、困惑気味に邪神の眷属を見る。
「あの、これ……大丈夫なんですか? メチャクチャ禍々しいですけど……」
「こっちから手を出さなかったら害はないから大丈夫よ。えーと、じゃあローラさんからでいっか。とりあえず、そこの祭壇に捧げてみて」
「畏まりました」
豊満な胸が強調されたエプロンを着込む聖騎士ローラ。
その膨らみをジト目で、ぐぬぬぬっとする勇者に気付かず――ことん。
祭壇に、ホカホカの蒸しあんまんが捧げられる。
フワフワもちもち。甘い香りが周囲に充満し。
皆の鼻孔を擽った――。
次の瞬間。
あんまんが消え――。
空が暗澹と曇り、赤い瞳がつぅっと細く締まっていった。
カカカカ!
稲光が発生し、声が朗々と響き渡る。
『ブニャハハハハハハ! 良いぞ、実に良い! ねりゴマとこし餡の絶妙なハーモニーや、良し! 評価A! 汝にはこれを授けよう』
天から雷がドデデドン!
ぶしゅぅっと煙が発生した後――誰しもが息を呑んでそれを見た。
祭壇の前に、一本の剣が顕現していたのだ。
雷を纏うその刀身が、ぶぉぉぉんと輝きだす。
鑑定の魔術を瞳に走らせたローラ。
その喉から、震えた声が飛び出した。
「こ、これは……神殺しの魔剣だと!?」
「なるほどね、どうやらグルメと引きかえに神器を貸し出す事にした……ってところかしら。自分達で魔竜を倒してみせろって事でもあるわね」
呆れた様子で呟く勇者ヒナタの前で、聖騎士ローラは魔剣を手に取る。
その魔剣の力は素人が見ても強大だと分かるほどに、禍々しい魔力を放っている。
警告するようにヒナタが言う。
「その魔剣は聖騎士では装備できないわ。もし使うなら……職業が暗黒騎士や魔剣士に変わっちゃうけど、大丈夫?」
「もとより、アタシの剣は陛下に向けられた時、既に曇ってしまった……闇に落ちる事で、民と国を守る力を得ることができるのならば、願ってもない事。躊躇いなどないさ」
決意がこもった聖騎士の視線に、ヒナタは頷く。
聖騎士ローラが、魔剣を装備しようとした。
その刹那。
光が――闇を払い。
キィィィィィィッィンと、振動を鳴り響かせた。
「おっと、それは許可できんな。罪に穢れしエルフ族の娘よ」
周囲に神々しい光が満ち始める。
それは神の輝き。
ローラが思わず声を張り上げた。
「な、なんだ!?」
「なんだとは、失礼なエルフであるな。神の降臨を前にしてその不遜。本来ならば万死に値する大罪なれど、そなたはまだ他人の肌も知らぬ娘。こどもだ。神の慈悲である……その不敬を、一度の死のみで許そうではないか」
謎の声に――エルフ達の動きが、止まる。
呼吸もままならない彼らに防御結界を張ったのは、この中でも力あるモノ。
勇者。
ヒナタはウンザリとした顔で、声の主を睨む。
もっとも、そこにはただの光しかない。
光の集合体に向かい、彼女は言った。
「ケトスっちが散々挑発してもでてこなかったのに、やっと出てきたわね。このくそ主神。さすがに神殺しの魔剣を授けられるとマズいってことかしら?」
「ふむ、クソとは口が悪いぞ――正妃ヒナタ」
邪悪なる魔猫の気配を振り払い。
光が集い始める。
「まあよい。そのような戯言もまた夜の花を彩る蜜の一つ。良い、許す。どれほどの罵詈雑言とて、汝の行くつく先は、我の腕の中。大海よりも深き寵愛で、太陽のように輝く慈悲をもって、汝の非礼すらも愛でようではないか。なあそうであろう? 我が生涯の妻と選んだ、異界の勇者、ヒナタよ!」
それは――主神の降臨。
クククククと嗤う光が、男の形を作り始め。
この地へと顕現した。