【SIDE:暴君エメラルド】残虐女王の最期
【SIDE:エルフ暴君エメラルド女王】
自然豊かなエルフの王宮。
格式ばった円卓会議の中央にあったのは、蝶の羽にも似た優雅な魔力ドレス。
その王者の衣で身を包む――、一人の淑女だった。
この世界のエルフの特徴である金髪碧眼。
幻想的な白い肌。
誰しもが美女と称するだろうこの女性こそが、エルフの女王。
その名をエメラルド。
女王として君臨してからもはや何年経ったのか、それを覚えている者はもうあまりいない。
長く在位しているからではない。
平和ボケをしているエルフ達が、物事に無関心だったからである。
ともあれ、会議の中央にいる女王エメラルド。
その金糸のように輝く髪には、民を従える証となる神樹の王冠が乗っている。
だが――。
凛と佇む彼女を見る臣下たちの視線に尊敬はない。
彼女が激怒していたからだろう。
さて、そんな彼女はいかにも悪の女王。
民の声を蔑ろにし、わがまま放題を続けている君主に見える――筈だった。
女王を睨む目線は、何も中だけに限った話ではない。
木漏れ日を作るほどの大樹の枝。
円卓会議場の外。
ぶわぁぁぁんと魔力を灯らせる黒きネコが、その女王の在り方をじっと眺めていた。
観察していたのだ。
ネコが見ているとも知らずに、彼らの物語が進む。
◇
のんびりとし過ぎた臣下たちが集まる会議室。
その静寂を打ち破り響いたのは、ひときわ大きな女性の声。
女王たるエメラルドの悲痛な叫びだった。
「な、なんということを……っ! 大邪神ケトス様を、帰してしまったですって!?」
「はい、陛下。その、何か問題が?」
家臣の一人がぼやくと、周囲の視線も女王に向く。
冷ややかな視線の中にある言葉は――。
また女王陛下がヒステリーを起こしている。
勘弁して欲しい。
それよりも空に飛ぶ、あの綺麗な城を眺めていたい、早く会議が終わらないだろうか?
そんな――。
老害どもの、声なき視線が女王の顔を射抜いていたのだ。
あぁ……やっぱし、こういうパターンかと。
窓の外のネコが、頭をぺちんと叩いて尻尾を揺らしているが。
それに気づかず。
エルフ達の会議は踊ってすらいないのに、終わりに向けて進んでいた。
「問題あるに決まっているでしょう!?」
大勢の臣下の中。
女王はなんとか怒声を抑え、喉の渇きを潤すカップを倒す勢いでテーブルを叩く。
その細い腕が、ギリリと鳴っていた。
孤独な女王はヒマワリ色の濃い金髪を揺らし、責めるように叫ぶ。
「あの魔力に、あの幻影術! 歴戦の魔竜を追い払ったという、その力。そして天空城の件! 地底空間の魔道具ごと失踪した、ドウェルグ族への言及! どう考えても、その御方はタダものではない。絶対に、ぜったいに……敵にしてはいけない類の災厄の獣! 早急に交渉を開始し、こちらに敵意がない事を伝えねばならないというのに……!」
訴える女王エメラルド。
対する臣下たちは、零れそうになったカップを支えて、呆れ顔。
「落ち着かれよ、女王陛下」
「は、はぁ……しかし指揮官ローラはおそらくタダ可愛いだけの道化師であろうと……」
「と、言う話ですからなあ」
愚かなほどに能天気な彼らを見て。
女王は奥歯をギリリと噛み締める。
いつだってそうだった。
こいつらには危機感がない。
勇者を世界から追放した時だってそうだった。
エルフの女王エメラルド。
その脳裏に、かつての部下達が漏らした無邪気な言葉が蘇る。
あれは――。
勇者ヒナタが世界から追放された、その数年後の出来事だった。
慌てて真実を追及する女王に、部下だったエルフ達は言ったのだ。
◆◆◆
え? 勇者の追放を今更知ったのかい?
なにをそんなに怒っているのさ?
どうせピンチになったら誰かが助けてくれる。
だから勇者が助けてくれた。
それだけの話だろう?
神が花嫁にあの勇者を欲しているのだから、それを勇者が受け入れればいいだけじゃないか?
ほら、何も問題ない!
けど、その役目を放棄して戦争しそうになっているんだろう?
それってワタシたちへの裏切りでしょう?
だって勇者なんだもん、ボクたちのために全てを犠牲にしてくれるはずだよね?
だったらアレは偽物だったってことですな!
然り。
追い出したって僕らは悪くない。ほら、偽勇者が悪いのだから追放されて当然なのさ!
なのにさあ。
君は女王なのに、頑としてそれを認めなかった。
空気、読めないよね?
だから女王が眠っている間に、追放の署名にサインをした。
重要なボク達エルフの重鎮、全員のサインだ。
みんながうんと頷いたのだから、僕が悪いわけじゃない。
ワタシが悪いわけではありません。
そんなことより女王様!
早く、遊ぶ場所を作ってくださいよ!
平和になったんです! これからはずっと楽しくのんびり生きましょう!
ねえ、女王様。
なんでそんなに泣きそうな顔をしているの?
みんな迷惑そうにしていますよ?
空気、読めないですよね?
もう平和になったのに、なんで軍を存続させるのですか?
もう戦う必要なんてないんですから。
主神は信用できない?
魔竜が蘇る?
そんな妄想で国を好き勝手に私物化しないでくださいよ。
本当にあなたって。
エルフじゃないみたいですよね。
ああ、半分。
猿の血が混じっているからですか。
それでも別にいいですよ。ボクたちは許します。
だって、女王なんて面倒な仕事、他にやりたがる人なんて。
いないでしょう?
◆◆◆
女王である自分の裏で勝手に進められた、勇者の追放。
それが。
エメラルドが同胞であるはずのエルフ達の心に疑念を抱いた、決定的な瞬間だった。
そして、自らの種族の過ち。
世界を救ってくださった恩人への裏切りを――。
知ってしまった瞬間でもあった。
孤独な女王エメラルドは思う。
勇者の供であった人間の英雄戦士……。
優しく強かった父から、くれぐれも勇者ヒナタを頼むと……そう言われていたのに……。
現実に戻ってきたエメラルドの思考と瞳は――、日和見主義なエルフ達を冷めた様子で眺めていた。
これが、エルフの本質。
昔から変わろうとしないエルフ族の性根だった。
しかし、女王としての役割を与えられているのも事実。
その責任を果たすのが君主としての務め。
勇者のいなくなった世界で、もはや助かる道が消えかけているこの地でも――。
まだ間に合う筈。
怒気を抑えた女王は、整えた呼吸に言葉を乗せる。
「まあ、良いでしょう。それで? その魔猫の君は今、どちらに?」
「指揮官ローラが宿まで案内し、とりあえず滞在をしているようですが――」
怜悧で穏やかな女王。
そんな言葉が似合うほどの美しい声で、エメラルドは青い瞳を輝かせる。
「では早急に謝罪と、グルメをご用意し――お迎えにあがると致しましょう。まだ間に合う……そう、わたくし達はまだ、間に合う筈なのですよ」
ぎゅっと唇を結んで告げる女王に、周囲はしらッとしたまま。
「そのようなペテン師など、どうでもいいのではありませんか?」
「どうでもよいですって?」
怒るな、落ち着け。
エメラルドは自らに言い聞かせる。
女王は威厳ある口調で、臣下たちの頭を抑えつける魔力で言葉を発する。
「よくお聞きなさい。仮にペテン師であったとしてもです、その扇動の力は絶大。こちらとの接触を向こうから希望してくださっているのです、このチャンスを逃すバカはいないでしょう?」
そう。
そんなバカはいないと信じたい。
「そう言われましてもなあ?」
「それよりも、女王陛下、早くお休みになられないと……そろそろ残業代が発生してしまうのですが」
ああ、終わった。
そう女王は思った。
もはや最後の道であったのに臣下たちは誰も、何も、読み取ろうとしていない。
「世界の危機に残業代など関係ないでしょう。言っておきますが、おそらく、その魔猫。本物の大邪神ですよ? それにです……あの気難しいドウェルグ族を引き込み、あの天空城を建設したのもおそらくその者。味方とすれば頼もしいでしょうが、敵とすれば……もはや終わりの証。世界を更に危機へと陥れる魔の足音……あなたたちには聞こえないのですか?」
くどくしつこい女王にはうんざり。
そんな空気が円卓に広がっていく。
臣下たちは顔を見合わせて。
はぁ……とため息をつく。
「陛下。あまり我等を疲れさせないでください。そんな大事があるわけありませんでしょう?」
「はははは、陛下は相変わらず心配性でおられる」
「そうですよ、陛下。タダでさえ陛下は煩く、残酷で、処刑まで行うエルフ族の異端児と忌み嫌われているのですから。もう少し、エルフらしくおしとやかになるべきですぞ?」
事なかれ主義も過ぎれば害悪。
美しく気高き女王は疲れた眼で、無能たちを眺める。
きっと平和ボケをしている彼らの瞳には、自分は酷く醜く残酷な女王に見えているのだろう。
彼女にはそれが分かっていた。
必要な処刑だった。
必要な戦争だった。
必要な女神政策だった。
処刑は魔竜と繋がっていた裏切り者、防御結界の穴という国家機密を漏らした男のせい。男のおかげで何人も死者が出た。国が滅びかけた。
二度と同じ過ちをおかさないように、罰するべきことは罰する必要があったからだ。
戦争は魔竜からの奇襲を防ぎ、漏れた機密の不利を取り戻すため。
それは――争いを好まぬエルフには、野蛮で戦争狂の女王に見えただろう。
女神政策は……唯一の希望である、異界の勇者ヒナタ。彼女に行ったエルフ達の裏切りを謝罪し、恥を忍んで……。いや、恥も厚顔も承知で、もう一度世界を救ってくださいと願うための贖罪。
全て、エルフ達が生き残るために必要だった処置。
けれど。
女王はもう一度、疲れた眼で周囲を見渡した。
なぜ、誰も分かってくれないのだろう、と。
実際、いままでエルフ族が魔竜に滅ぼされずにいられたのは、彼女のおかげなのだ。
それを知っている者は、エルフ族の中ではたして何人いるのだろうか。
のんびりとした気性のエルフのため。
国のため。
女王は尽力してきた。
けれど、それももう終わり。
エルフの女王ははらりと垂れた前髪を直すこともせずに、世界の終わりを眺めるように外を見た。
空にそびえる邪聖剣。
天空城。
彼女には見えていたのだ。
魔竜はまだなんとでもなった。
今は人類すべての敵となっている主神とて、信仰のエサである自分たちをまだ生かす可能性はある。
けれど。
アレは違う。
大邪神ケトス。
おそらくそれは、伝承にある大魔帝ケトスの別名だろう。
大魔帝は二度もエルフとの接触を図ってきた。
一度目は魔竜から救う形で。
二度目は、降伏勧告に近い形で。
けれど、どちらもそれを拾い上げる事ができなかった。
今まで何度も腐ったこの国を支えてきたが――おそらくアレにはどうあがいても敵わない。
それに彼女は、疲れ切っていた。
もう、この国は。
「終わり、なのですね……」
女王の口からは、女王としてではなく……。
一人の女性としての静かな声が漏れていた。
「もういいわ、会議は終了です……。皆のモノ、遅くまでご苦労でありました」
もう疲れた。
それが本音だったのだ。
◇
疲れを感じさせる垂れた前髪が、金色に輝いていた。
最後の矜持だったのか。
乱れた前髪を垂れた耳の後ろに、そっと流し……女王は誰もいなくなった会議場を見た。
魔竜による侵攻が先か。
天空城からの攻撃が先か。
どちらにしてももう終わり。
既に滅びが確定しているのに。
会議場を囲う気配があった。
煩くなり過ぎた残虐な女王を殺すために、誰かが動いたのだろう。
「開いていますわ。どうぞご自由に……」
女王の言葉に従い、重い扉が開く。
そこにはエルフの聖騎士達が並んでいた。
その中には――まだ比較的優秀だった指揮官、ローラの姿もある。
もはや疲れた彼女には、どうでもいいと思えていた。
だから、その口は他人事みたいに動いていた。
「わたくしを、殺すのですね?」
「申し訳ありません。けれど――妄言で我等を惑わす指導者は、不要だと……皆が言っておりますので。大変、心苦しいのですが」
指揮官ローラ。
彼女の豊満な胸を見て、ローラはとてもくだらない事を思っていた。
結局、愛も恋も知らずに死んでしまうのね。
と。
くだらないけれど、きっとそれはとても美しいモノだったのだろうと……彼女は思う。
何故なら彼女は両親の恋を知っていた。
英雄だった父。
勇者ヒナタと冒険をしていた人間の戦士。
人の枠を超えた長命であったが――既に病に落ちていた、優しい父。
エルフの王家に恋をした、ある意味で愚かだった父。
エルフなど、助ける価値などないというのに……。
尊敬する父の願いを受け、亡き母の後を継ぎ女王となったローラ。
彼女はここまで頑張った。
けれど、それもおしまいだ。
「最後に聞かせてちょうだい。わたくしを殺した後は、どうするおつもりなの?」
指揮官は、しばし悩むも言葉を口にした。
「皆は、魔竜に下るべきだと――そう言っている。アタシも、それも悪くない話だと思っています。それであの辛い戦争が終わるなら――それでいいと。平和になる筈だと、皆が言っていますから」
「魔竜に、ですか……」
それは間違いなく滅びの道。
愚考。
けれど、つまらなくてうるさい女王を殺すための理由には適切だ。
きっと、何を言っても無駄。
彼女を取り巻く世界は変わらない。
エルフ達にとっての女王は――敵。
魔竜との戦いにこだわる、愚かで無謀な王と映っていたのだろう。
倒すべき悪と映っていたのだろう。
疲れと諦めが、エルフの女王の呆れを更に誘う。
彼女は最期を確信し、笑った。
女王は両手を広げ――正義の刃を受け入れるように身を差し出した。
「わたくしはそれでも――父と母が愛したあなたたちを憎むことはできなかった。それだけは真実なのよ。何を言っても、分からないでしょうけれど」
聖騎士ローラの耳が、ぴくりと跳ねる。
それでも。
その剣は止まらない。
「平和なる世のために――!」
傍若無人。
我儘な女王が今、正義の騎士団によって滅ぼされる。
民に嫌われた悪は殺されるのだ。
そう、その筈だった。
けれど。
酷く冷たくドス黒い声が――王宮に響いた。
『つまらないね、君達――』
キィィッィィィィギギィィン!
悪の女王を滅ぼすための一撃。
振り下ろされた正義の剣を止めたのは。
いや、正義の剣を一撃で断ち切り折ったのは――、目視を許されない程の神速の太刀筋。
キィン!
折れた剣の先端が、円卓の紋章を壊すように突き刺さる。
女王も、え……? っと動揺する中。
騎士達が、声を張り上げる。
「な、なにものだ!」
『私のことなどどうでもいいじゃないか。君達が要らないというのなら、この子は私が貰っていくよ。構わないよね、ローラくん』
やはり、酷く冷たい声だった。
聖騎士ローラも、瞳を見開き声を上げる。
「その声――まさか!」
『我こそは……いや、君たちには名乗るほどの価値もないか』
闇の中、ゾッとするほどの冷たい気配と共に浮かび上がってきたのは――。
黒猫。
そのモフモフな手には、騎士の剣を断ち切った武器。
焼きキノコを刺していた――竹串が、握られていた。