魔導契約《縛るモノ》 ~シリアスを維持するのって超大変~
吸血鬼の屋敷! 椅子の上でドヤるは、もふもふニャンコ!
美しきネコ魔獣。
大魔帝ケトスである!
まあ私の事なのだが。
紅い輝きを宿す瞳の前にいるのは――狡猾な商人吸血鬼。
大柄の美丈夫。
かつて世界を救った英雄の一人、ヴァージニア伯爵である。
グルメ大好き魔獣ともいえるこの私が、グルメを捨ててまで行動する。
それはさすがに相手にとってもかなりの想定外、考えてもみなかった筈。
その証拠に――ヴァンパイアの眼光には緊張の色が滲んでいる。
そう、これはシリアスな話し合い。
温泉宿で行われているグルメ祭り、楽園ともいえる宴を放棄した上での行動だったのだ。
聖父クリストフにカモフラージュを頼み、こっそり抜け出し。
緊急転移。
ヒナタくんとカーマイン君の目を盗み、直接、伯爵と交渉する機会を得たのである。
『さて、せっかく得た機会をちゃんと有効に使わないとね。話し合いに来たよ、伯爵。君に拒否権はない、構わないね?』
闇の中。
私は影を広げて、邪悪なるネコの顔で言う。
伯爵は一瞬、自衛の剣を召喚しようとしたようだが――すぐに無駄だと悟ったのだろう。
その手は召喚陣ではなく、自らの胸の上に当てられていた。
恭しい礼の仕草へと昇華されたのだ。
魔力火の灯りを受け――吸血鬼王の瞳が、ぼんやりとした輝きを放つ。
「何人も、貴方様の行動を縛ることなどできはしないでしょう」
『いや、それでも会話の機会を拒否する、そんな終わりの選択を選んで貰っても構わないよ? 私はこの場で不安要素となっている君を処分する。カーマイン君に怒られてしまうだろうが、それも君の選択だ。私は尊重しよう』
まあ、私に睨まれて拒否できるとは思えない。
だから。
そのまま私は一方的な交渉を開始する。
『邪竜ニドヘグルの討伐は完了した。必要数の漆黒牛も、我が魔王城にて貰い受けた。これで君との契約は完了だ、伯爵さま』
「おや――他の二大陸を助けてくださいと願うワタクシの依頼、こちらを受けては貰えないのですかな?」
私は交渉する魔族の顔で、丸い口をニヒィ!
闇の中で妖しく笑む。
『私は魔族だからね。契約相手が裏切らない限りは、契約を順守する。つまり、逆に言えば受けてしまったら最後、君は狡猾に動くだろう』
「狡猾とは心外ですな。契約の範囲内で行動するのが伝承に刻まれし魔族の特徴。その性質を尊重するだけでございます」
あくまでも丁寧に、けれど強者にも怯まずに男は言う。
この私と対等に交渉をしようとしている、その時点でこの男は既に規格外の存在なのだ。
けれど私は――ネコの牙を、深い闇に照らす。
『私は――契約を結んだ未来を見た。あくまでも表向きは絶対に、君たちはこの世界の闇をみせなくなる。きっと、反省した民たちは二百年前の非礼を詫び、それを受け入れた勇者は世界を救い……平和の時代が訪れるのだろうね。お人好しな彼女を利用した、そんな綺麗な物語が紡がれる筈だ。それは面白くない』
「ふむ。それは――どうでしょうか」
すぅっ……と。
伯爵が人間離れした大きな手を伸ばし、薔薇の形のムースケーキを顕現させる。
シリアスを維持しようとする本能に逆らい。
ネコちゃんの腕が――うにょ~んと伸びる。
『言っておくが、食べ物じゃあ誤魔化されないよ?』
ケーキを一口で呑み込み、むっちゃむっちゃする私を。
じぃぃぃぃ。
こほんと咳ばらいをし、伯爵が言う。
「どうかもう一度、お考えくださいませんか? 勇者様を裏切った愚かな我等は、こうして危機に陥りました。その証拠に創造主ともいえる神の手により、この世界は終わろうとしております――。何も手を打たなければ、待っているのは確実な滅び。他の地方は正直な所わかりません――なれど、我が領土の民は、さすがに勇者様を追い出した己の過ちを学んだ。少なくともワタクシはそう考えております……なにしろ一度、死んだわけなのですから」
『しかし、君達の中でのヒナタくんの存在は、お伽噺の登場人物として語られている。反省しているのならいつまでも実在した英雄として語られていないと、おかしくはないかい?』
伯爵の瞳が、闇の中で照る。
「ならば逆にお聞きいたします。貴方様もお伽噺の存在と語られたことがあるのではないですか? そうであるという前提で、話を進めさせていただきます。人とはあまりにも大きな存在の逸話を耳にすると、それが現実にあった事だと認めない、へそ曲がりな生き物なのでございます。その結果が、神格化。かつてあったかもしれない曖昧な話、お伽噺へと転化させてしまうのでしょう。過去の物語、過去にいたかもしれない伝説上の存在。神、英雄、勇者、呼び方はこの際なんでもいいでしょう、ともあれ――自分たちとは違う上位存在として祀り上げてしまう生き物なのですよ」
『変わった推論だね。私には、よく分からないよ』
私の横やりに構わず。
男の唇は闇の中で動き続ける。
「事実、人間ではない種――エルフたちの亜人種が中心に住まう大陸、アーレズフェイムではヒナタさまを今でも崇め、そのお帰りをお待ちしていると耳に致します。あの大陸ならば、当時を知るモノもまだ多少は生きているでしょう。おそらく反省をしている。そう思える行動をしていると、ワタクシは信じております。なにしろあちらは現在進行形で、神が生み出した魔物に襲われております。いかがでしょうか、ケトスさま。ワタクシの依頼をお受けいただくかどうかは、保留としてくださいませんか? ヒナタ様を崇めるあの地へ一度、顔を見せた後に……お決めいただくことはできませんか?」
『襲われているエルフたちが、いまだにヒナタくんを信仰している、か。まあ今はそうかもしれないね。けれど――喉元過ぎれば熱さを忘れるって言葉を知っているかい? かつての故郷でよく使われていた言葉さ』
あまりにもしつこく、私が皮肉めいたことを言ったからか。
伯爵の顔が一瞬、動揺に揺らいでしまう。
「故郷……でありますか」
『どうかしたかい?』
「いえ――すみません、貴方様の闇の圧力はとても強い。少々、精神が揺らいでいるのやも知れませぬ」
ま、これくらいでいいか。
『さて、これほどに挑発をしても君は全てを受け流し、そして一度たりとも怒りを露にしなかった。その忍耐力だけは認めてあげるよ』
「では、依頼を受けていた……――」
話を遮り、私は言う。
『それとこれとは話が別さ。ま、グルメを探すついでに他の大陸も一応、散歩しにいってあげるよ。亜人種の大陸、アーレズフェイムだっけ? そこに向かって欲しいのなら、地図と転移座標を用意してくれてもいいよ。ただし――勘違いはしないでおくれ』
「はて? 勘違いとは……?」
あくまでも素直に。
しかし。
打算も滲ませた悪いネコの顔で、私は決定的な言葉を口にしていた。
『依頼は受けない。君達と魔導契約をする気はないということさ』
ネコの口が動き続ける。
『他の大陸を見に行って――気が向いたら助けるかもしれないし、気に入らないなら見捨てるかもしれない。そしてなによりも、場合によっては相手側につく可能性だってある。この世界の人間種や亜人種たちだけの主張を、鵜呑みにはしないという事さ。ニンゲンを優先して助ける、な~んてそっちにとって都合のいい決まりがあるわけじゃないからね? 依頼という名の楔と制限、契約の枷を受け入れるつもりはない。そこまでこの世界を信用できていない。それが今の私の立場だよ』
言葉を受けた伯爵の頬に、汗が滴る。
彼にとっての勝利は、どんな形でも大陸を救うという魔導契約を結ぶこと。
けれど私はそれを回避し続ける。
ネコは頑固な生き物だからね。一度決めたら変えようとはしない。
苦笑の瞳に光を宿し。
言葉尻を捕らえるように、男の唇が動く。
「ならば信用に値するとなった場合は、お引き受けくださる可能性もあるわけですな」
『そうなる事を、私も心から祈っているよ』
けれど――。
今はそうじゃない。
現状では、契約は確実にしない。
その私の心を察したのだろう。
交渉の緊張を崩し、伯爵が言う。
「大変失礼な質問をお許しください。そして、どうか正直にお答えいただきたいのです。現状だと……我々はあなたの信用を得られてはいない、そう思って、よろしいのでしょうか」
『少なくともこの大陸だけでは、五分五分だね。君という庇護者がいるおかげだろうか、滅びの危機にあるというのに、ここの騎士達は傲慢さを捨てきれていない。むしろ人間よりも力を引き出せる種族、吸血鬼であることを自慢としている。種族を誇る事は悪い事ではないとは思うよ? けれど、その言動の端々に驕りが見える。おそらく、彼らはこのままだと二百年前と同じ過ちを犯すだろう。人間如きに世界を救われた、ああ、うっとうしい。そんな感情がだんだんと倍増してくるんじゃないか――私はそう考えている。部下たちの過ぎた驕りは、君が一番感じているだろう?』
伯爵は否定せずに、少しだけ寂しそうに暗闇の中で外を見る。
吸血鬼の瞳。
人を捨てたモノの眼には、夜の中でもハッキリと蒼い月が見えているのだろう。
そのまま彼は、唇を蠢かした。
「それでもヒナタ様はおそらく、世界を救ってしまうのでしょうな。そして、あの日のように笑いながら、この世界を去っていく。彼女は……本当に、どうしようもない程のお人好しでありますから」
『だろうね。それが勇者ヒナタという存在だ。だからこそ私は君に警告しよう』
本題である、警告を行うのだ。
可愛く佇む私――その影だけが、ぐぎぎぎぎぎぎっと歪んでいく。
ぎしり……っ。
全盛期のフォルムになった影が、咢を開く。
『我は思うのだ。人間の性根など変わりはしない。一度裏切ったモノは、また裏切る。それがニンゲンという種族の習性。しかし、汝も語っておったが――あの娘はそれが分かっていても尚、この世界を救うであろう。裏切られる前に、この地を去るやもしれぬ。分かっていた事だと、諦めと共にこの地を去るやもしれぬ。人の醜い部分を知る、哀れな娘だ。愚かな娘だ。なれど――とても眩しく美しい』
椅子の上でただ静かに、座る私とは裏腹。
クハハハハハハ!
魔猫の影だけが、ぶわっと広がり哄笑を上げ続ける。
『我は気に入っている、あの者を! その心を! あの輝きを! 故にこそ――警告だ。もし、同じ過ちがこの大陸、この世界にて起こったその時には――我は獣となろう。魔を狩るケモノとなり、この世界を暗澹の中へと沈めよう。思うがままに、嘆きの咆哮を解き放とう。死者も生者も関係ない。全てが、我が影の咢へと落ちるであろう!』
全盛期の口調で告げた私は、ドリームランドに捕らえていた騎士達を影から吐き出し。
グフフフっと邪悪な笑みを浮かべる。
影から吐き出された聖騎士たちが、軽い呻き声を漏らす。
『この者らにはしばしの教育を与えた。死んではいない。しばらくすれば目も覚ますであろう。この者らは弱さを知った、どう変わるかは我にも分からぬ。どうかそれが良き変化であってくれと、他人事ながら願わずにはいられぬぞ。なにしろ――変わらなければ、確実な死が待っているのだからな』
お節介な警告だったか。
まあ、もうこれで注意したしぃ。後は私のせいじゃないですしぃ。
私の影は愛らしいネコちゃんに戻っていく。
私はしぺしぺと毛繕い。
気を静め、昂った魔力を抑えているのだ。
「我が部下を返していただき、感謝いたします」
『遊園地の清掃ご苦労様と伝えておいておくれ。身の程を教えてやった、それ以上の報酬は払えないけれどね』
言って私は、床に転がるフード付き騎士達を見て、ふふん♪
彼等は向こうでしばらくの間、影ニャンコたちにゲシゲシとこき使われていた筈。
ちょっとは懲りた筈。
なのだが。
……。
あれ? 何人か既に猫化が始まってるな……。
数人にネコの耳と尻尾が。
更に数人は、完全に……灰色モコモコにゃんこに変化している。
吸血鬼でナイトなネコちゃんである。
あー、どーしよ。
ドリームランドのネコ化って、さ?
黒マナティー化の呪いと同等レベルだから……ロックウェル卿の協力がないと、完全には解けないんだよね。
別ベクトルの解決方法として、ホワイトハウルと私が力を合わせて浄化の奇跡を使えば――。
まあ……。
元に戻せるかもしれないが。元が吸血鬼だし、浄化されちゃうよね?
まさか部下がネコになるのは想定外だったのか。
伯爵も、床に転がり眠るネコヴァンパイアとなった部下を見て。
困ったように、ぼそり。
「不勉強で申し訳ないのですが――この猫化状態は、どうやって解けばよろしいので?」
『と、時が来れば、元に戻るだろう――』
それっぽい言葉で告げてやったのだ。
言い切ったのはいいが。
目線が泳いでしまったのである。
しっぺしっぺと誤魔化すように毛繕いをしたせいか。
伯爵の眉間の皺が、ピクリ。
あー……これ、解けないやつだと、諦めの吐息が漏れていた。
ま、いっか。
相手を殺さなかっただけでも、譲歩したんだし。
『あー……ネコ化って能力が大幅上昇するから、お得だよ? ヴァンパイアでも日光浴ができるようになるし、君もなる?』
「いえ、ワタクシは遠慮しておきます」
コホンと咳ばらいをし。
何事もなかった顔で私は言う。
『さて、私が言いたいことはそれだけさ。せいぜい、私の気を害さないように動くんだね。ああ、そうそう。さっきも言ったけど依頼は受けない。しかし、君達が勝手に私の心変わりを信じて報酬を積んで用意するのならば、そうだね――あくまでも感謝の心として受け取るかもしれないし? その辺は君の自由だよ?』
先ほどのムースケーキを召喚してみせて、私は意地の悪い笑みを浮かべる。
食べたモノを鑑定し、把握。
まったく同じアイテムを無から生み出し、作り出したのだ。
むろん、魔術を扱える者なら仰天するような現象なのだが。
私だからね!
おお、口の中でラズベリーのふんわり生地が、蕩ける~♪
のんびりとスイーツを味わう私を見て、男はゆったりと瞳を閉じる。
「つまりは、敢えて契約をしないことで義務を回避し……なおかつ最も大きな報酬を引き出す、そういう事でありますか」
『どう思うかは君の勝手さ』
悪徳商人の声音で、私は言う。
いやあ、実はこれ。
種明かしをすると、狐商人フォックスエイルの助言を受けてたんだよね~!
依頼を受けない方が遥かに優位で、有益だと。
実際。
呆れちゃったら、見捨てて帰ってもいいわけだしね。
「分かりました。あくまでも感謝の心として、こちらも何かを用意させていただくことになりましょう。タダより高いモノはない、こちらが口にした言葉ではありますが――まさに今、あの言葉を噛み締めておりますよ」
いつ裏切るかも分からない相手。
報酬に上限を定められない相手。
不安定な要素を残したまま動く私は、きっと商人としての彼を苦しめているだろう。
依頼を受けないことこそが、ささやかな――。
いや、もっとも大きな仕返しなのだ。
「二百年前、ヒナタ様を守り切れなかったワタクシへの罰、でしょうか?」
『それも同じさ。どう考えるかは君の自由だよ、伯爵さま』
ここ、なんかそれっぽい大人の交渉ポイントである♪
ニヒルに嗤う私も超カッコウイイのだが。
ふと、私は世間話の体で彼に問う。
『実際、このまま私達が世界を救ったら、二百年前と同じ事になると思うかい? 当事者である君的にはどう思ってるのか、ちょっと気になるんだけど』
「人はそこまで愚かではない。ワタクシはそう信じたいとは思っておりますよ」
商人としての顔ではなく、疲れを知った勇者の供としての顔で――。
伯爵はそう言ったのだ。
ふと、私のネコの直感に過去の映像が浮かび上がる。
先程、彼は言った。
ヒナタ様を守り切れなかったワタクシへの罰なのか、と。
二百年前、世界を救ったヒナタくんを裏切り――神への花嫁とするために動いていたと聞いていたが、本心でそう動いていたのならば。
守り切れなかったとは、口にしない筈。
神に脅されたか。
守るための仕方ない行動だったのか。
それとも本当にただ、商売のためには仲間を神に捧げる事も是としたか。
或いは、その全てか――。
真相は分からない。
けれど――。
もしかしたら、二百年前の彼は……。
いや、考えるだけ無駄か。
もう過ぎた話、そしてなによりこれは彼女たちだけの物語。
私の物語ではないのだから。
◇
温泉街に戻った私は、ヒナタくんに亜人種の住まう地域、アーレズフェイム大陸に向かう事を告げた。
彼女は頷き。
カーマイン君は共についていくと、宣言した。
既に泥酔状態。
吸血鬼のお姉ちゃんの膝の上で、ドヤ顔で眠っていたカピバラさんは……。
まあいいや。
出発は翌朝。
聖父クリストフと、氷漬けの偽物魔竜の遺骸を残し。
私達は新たな散歩へと、肉球を踏み入れようとしていた。
ま、転移座標を把握してるから、一瞬で飛べるんですけどね。