【SIDE:麒麟巫女スミレ】侵食 その2
【SIDE:麒麟巫女スミレ】
モフ猫が集いて、屋根で踊る。
彼らは言った。
この組織はもう終わりなのだ――と。
そして太陽を崇める者達は、祈りを捧げる。
異教の神を仰ぎ、語るのだ。
巫女様もどうか、光の導きに従いましょうと。
黒猫の祟りで狂気に支配された屋敷。
麒麟信仰の神社。
精神が女神に汚染されていない者は、残り僅かであった。
麒麟の巫女スミレ。
気付いた時には猫と光に汚染されていた組織を束ねる、長たる者――彼女が比較的安全な屋敷内に戻り、一時間ほどが過ぎていた。
光教団のリーダーとなって天を仰ぐ老女に目をやり。
日本人形を彷彿とさせる巫女は、見えぬ眼を震わせた。
「婆や……なんといたわしい事でしょう」
それもこれも、全部あの黒猫のせい。
彼女の異能で機能する耳には今もどこかから、ネコの嗤い声が聞こえている気がする……。
いや。
実際に屋敷の中で、ネコの声が蠢き続けているのだ。
ぐぬぬぬぬと唸る巫女スミレの頭上、天井裏からトントントン!
わざとらしい音がする。
「ぶにゃはははははは! もうすぐ、この屋敷は我等のモノ!」
「いやあ、別荘が増えますニャ~!」
「しかし、光の女神を信仰する者には怖くて手が出せぬ、さてどうしたものか?」
小芝居を続けるネコの計画は明白。
女神を信仰させようとしているのだ。
長い黒髪を膨らませ、巫女は叫びて力を放つ。
「ええーい、やかましい! ネズミではあるまいに、天井裏で走り回るでない!」
威圧に動じるネコはいない。
「おーおー! なにやら巫女が騒いでおりますニャー♪」
「然り! 効いている証拠と見たり!」
「さあ、我等の踊りを再開じゃ! 怪我をしない程度にちょっとだけ不幸になれ~♪」
巫女の声を嘲笑いながら、ネコは地味な呪いで屋敷を汚染し続ける。
テレビのリモコンが謎の故障をしたり。
バターを塗ったばかりの朝食のパンを、床にべっちゃり落としてしまったり。
丁度、期限の切れた映画キャンペーンの当たり無料券が、カップラーメンの中からでてきたり。
なにしろせこい不幸が、じみ~に屋敷を覆っていた。
今も尚。
邪悪な彼らは舞い続ける。
踊る肉球が、天井裏をガタガタと揺らしていたのだ。
「黙れといっているでしょう!? ワタクシはスミレよ!? 麒麟の巫女なのよ!? あなたたち、ただで済むと思っているんじゃないでしょうね!?」
叫ぶ巫女の肩が揺れる。
髪も揺れる。
心も息も荒れていた。
ぜぇぜぇぜぇ……、怒る肩を嘲笑うようにネコの声が響き渡る。
そんな中。
巫女に心配そうな目線を送るのは、まだ女神信仰に陥っていない女中達。
巫女を怒らせないように、その中の一人が言葉を選ぶように口を開いた。
「巫女様……あのネコ達はいったい、どうやって天井裏に……」
親指の爪を噛み、巫女は応じる。
「転移の異能――でしょうね。霊力とは違う力……漫画でみるような魔法陣? を発動し、瞬間移動をしている場面を見ましたから。間違いありません」
「ただの飼い猫が、異能をですか!?」
そう。
今、この屋敷を我が物顔で祟っている彼らは、先日までただの飼い猫だったのだ。
あのスコティッシュフォールドは、隣の老夫婦が飼っている猫。異能の力など、持ち合わせてはいないと巫女も知っていた。
三毛猫も、シャムネコも首輪をしている事から同じだろう。
しかし――。
「冷蔵庫の♪ 中には♪ 我らのプリン♪」
「ぜーんぶ、我等の♪ 胃袋に落ちる~♪」
「巫~女の口には♪ ひとつも入らぬ~♪」
猫達は転移を繰り返し、暴れ放題やりたい放題。
その力は――未知。
頭に上っていた血を抑え、巫女は冷静になるために息を吐く。
ぎゅっと胸の前で手を握り。
深呼吸。
大丈夫。大丈夫。こうしていれば何も怖くない。
そんな言葉をかけてくれていた婆や、は……。
冷静になった巫女は、答えを口にする。
「おそらく……大魔帝ケトスとやらの異能でしょうね。本人は低級霊力しか持たぬ大きなネコでしたが、その本領は部下を統率する力……と、みるべきでしょう。使い魔や眷属、ファミリアを強化する能力者なのだと思いますわ」
「やはり、我等も一時的に光の女神を信仰するしかないのでは? あの猫達は光を拝むモノには手を出さない。それは確かなのです。だからこそ、婆様も――」
そこまで言って、女中は慌てて口を塞ぐ。
ぎゅっと唇を噛む巫女スミレ。彼女に頭を下げる女中の顔は、真っ青だった。
「も、申し訳ありません!」
「よい……婆やの忠告を聞かなかったワタクシも悪いのですから。そもそもの事の始まりは、ワタクシが暴走する若者らを止めずに、むしろ囃し立てたこと。己が失敗を、あなたたちにぶつけるのは品無きことです」
ぎゅっと拳を握った巫女は考える。
反省はした。
これはおそらくあの黒猫に無礼を働いたことへの、罰。
まずは皆の女神信仰を解除させるべきか。
息を吸って、呼吸を整え。
巫女は長たる顔で厳かに語る。
「猫による恐怖汚染、女神による精神汚染。この二つは彼らの仕掛けてきている罠。それは分かっているのです」
「と、おっしゃいますと……?」
「まずネコの祟りの異能。闇の中を自由に移動し、じろじろニヤニヤ眺め呪いの言葉を吐き続ける。ようするに……地味な呪いをかけ続けこちらを精神的に追い詰めている、ここまではいいでしょう?」
状況を冷静に語る巫女に、威厳が戻りつつあった。
が――。
「はい巫女様、後はやはり地味ですが……食糧庫から毎日、食事が盗まれておりますが」
巫女スミレはやはり額に青筋を浮かべ。
ぐぬぬぬぬと唸る。
「そうです、あの猫共はワタクシのプリンを貪りつくす悪魔なのです!」
「み、巫女さま!? お、落ち着いてくださいませ!」
プリンがまたもや盗まれた。
一大事である。
その狼狽が、長の威厳を再び失墜させる。
「そ、そうですね、すみません――とにかく、ネコによる地味な祟りで嫌がらせを続け、不安になっている所を狙った悪徳商法。詐欺みたいな行為なのですよ。猫汚染で弱る心を見計らい、慈愛の光を纏った女神が降臨し……そっと微笑みかける。そしてネコに襲われない祝福をかけて去っていく。その繰り返し。実際、女神の祝福を受けたモノはネコの祟りを回避できているのです。どう見ても、あの猫共と女神は結託しています」
巫女は考える。
彼らが協力関係にあることは明白、狙撃手たちの証言から分かっている。
もっとも……。
始まりはあの若者ら。あの狙撃手たちから、女神汚染が広がっているのだが……。
戦闘状態となった時、既に――このマッチポンプが仕掛けられていたとみるべきだ。
つまり。
あの高級料亭での話し合いが行われていた時点で、こちらは罠にハマっていた。
そういうことである。
巫女はスッと息を吸い、告げる。
「解決方法は……二つ」
「この猫汚染から抜け出す方法があるのですか!?」
聞いていた女中たちが、言葉を待つ中。
巫女は語り始める。
「一つは単純です。敗北を認め、黒猫と女神、両方共につながりがあると思われる金木白狼社長に連絡を取り、祟りを止めて貰う。これはこちらの完全敗北ですね」
「こうなってしまっては、それも致し方ないかと……」
これは異能者同士の戦いでもあるのだ。
敗北を認め、はいそれで終わり――そうなるとも限らない。
だから巫女はあえて、硬い声で言う。
「けれどその場合、こちらが何を要求されるか分からないでしょう? こちらの命、組織の滅亡が目的でしたらそこでワタクシたちはおしまい。ワタクシのミスで、代々続いた阿賀差の巫女。麒麟様に仕えるこの神社は滅びて終わり……。まあ、それはそれで綺麗に終われるのかもしれませんが」
自嘲に似た声の後、巫女は続けた。
「もう一つは、麒麟様にお目覚め願い、憎き駄猫を追い払って貰う」
「しかし、祭事以外で麒麟様をお呼びすることなど……可能なのですか?」
異能を司り、とてつもない霊力を持つ存在がいるのは確か。
それを麒麟と呼び、崇めているのも確か。
けれど――直接目にした巫女はいない。
麒麟は年に一度、降臨する。
帳で覆われた高御座の中。
尊顔を隠す結界内。
貢物を受け取る時にだけ麒麟は降臨し、その威光溢れる巨影だけを帳の外に見せるのみ。
麒麟の姿を直接に見ようとした者がどうなるか……。
それは――巫女スミレの見えぬ瞳と聞こえぬ耳が物語っているだろう。
そう。
巫女の視力も聴力も、全てが過ちによって失われたもの。
麒麟様のお姿を見たい――そんな少女の出来心から奪われてしまったのである。
そして。
まばゆい光のみを見た彼女は、麒麟の姿を見る事もなく、暗闇へと囚われた。
彼女は霊力を継承され、老いぬ当代の巫女となったのだ。
もし巫女を下りてしまえば、霊力も失う。
異能がなければ何も見えず、何も聞こえず。
これは一種の鎖でもあったのだろう。
麒麟の巫女は、決意し告げた。
「精神汚染されていない者を集めなさい。儀式を行います」
それは麒麟降臨の儀。
残った者達は巫女の顔に強さを見たのか、皆、厳かに頭を下げた。
◇
儀式の準備は順調に行われた。
なぜかあの猫達は、儀式の準備を邪魔しなかったのである。
積まれていくのは、新鮮な草木。特に麒麟様は若芽を好み、肉類はあまり要求しない。
食べられないことはないそうだが――。
殺生を嫌う神であり、肉を避けているのだろうと伝承には記されている。
しかし。
山のように盛られる植物を目にした巫女の口が、ぼそりと言葉を紡いだ。
「まるで動物園ね……」
失礼な言葉を漏らす巫女の言葉に、女中たちの背が揺れる。
「み、巫女様……?」
「ごめんなさい。本音が漏れてしまいましたわ。忘れて頂戴」
謝られてしまったら何も言えなくなってしまう。
儀式の支度が整い。
身を清めた巫女は霊力を纏いながら、女中たちに告げる。
「これより儀式を開始します。その前に――あなた達はここを離れなさい。何があるか分からないのですから……おそらく、守ってあげる事もできないでしょう」
ざわめきが起こる。
「ワタクシは良い巫女ではありませんでした。そしてこれからもおそらく、我儘で愚かで、不遜なままに生きるのでしょう。ですから最後に一度だけ告げておきます。ワタクシが麒麟降臨の儀に失敗したら……光の女神に下りなさい。猫は信用できませんが、女神ならば――おそらく信徒となった者達の命までは奪わないでしょう。本当に、申し訳ありませんでした」
それはまさに別れの言葉。
不遜な巫女がみせた、反省の言葉でもあった。
五メートル以上もある高御座の前に、供物をささげ。
巫女は祈るように、跪く。
女中たちは掟に従い、その場を離れる。
麒麟様を直接目にしたものは、目を焼かれ耳を奪われる。
けして見てはいけない。
だから拝謁できるのは、麒麟に視力と聴力を支配される巫女、ただ一人。
独りとなった巫女は言った。
「おいでくださいませ、麒麟様。巫女スミレ――あなたの下僕が参りました。どうか、その御姿を我が前に……。一大事に御座います。一大事に御座います」
霊力を放つ巫女の身体から放たれるのは、魔術式。
それは召喚魔術そのものだった。
嵐が起こり、天が夜に沈んだように暗くなっていく。
そして。
雷が帳の中に落ちた。
雷による煙が、儀式の間を覆う。
焦げた香りが巫女の鼻と心を揺らす。
視界を塞ぐ高御座の中。
そこには――神がいた。
招かれやってきたソレこそが、麒麟様。
角を生やし。長い首を雄々しく震わせ――神は語る。
むっしゃむっしゃと若芽を齧りながら。
渋く清廉とした声が、巫女の鼓膜を直接に揺らしたのだ。
「この騒動。只事ではあるまい。巫女よ、答えよ。之は一体、何事であるか」
「実は……」
姿が見えぬ麒麟様。
その帳の中へと向かい、巫女は経緯を語った。