【SIDE:異能力者集団】いきなり突撃! ~ニャンコのアジト訪問~その1
【SIDE:異能力者集団リーダー、白狼】
正義に燃えて――勝手に飛び出した工作員の一人が、リターナーズの学び舎に嫌がらせを続けていた、との報告を聞き……。
一週間ほどが過ぎていた。
秘密組織トレーダーの代表の男。
金木白狼は、焦りを誤魔化すようにグラスを傾け――。
グググググイ!
ロックアイスの回るウイスキーに口をつけ、下唇を噛んで長い脚を行儀悪く揺すっていた。
時刻は夕刻。
立ち並ぶオフィス街の最上階フロア。
狂ったこの世界では、会社は休み。
自室である社長室から下々を見下ろし、細い目を更に細めて男は言う。
「まだ帰ってこない――っ、あいつはいったい何をしているんです」
男が愚痴を漏らすあいつとは――もうご存知の通り。
先日、転移帰還者達の学校の校門を魔物で囲っていた男。
トカゲ顔の警官、金木黒鵜である。
そう、酒を呷るこの男はあの残念ポリスマンの兄だったのだ。
代表の男、ハクロウは人を睨むようなトカゲ顔が特徴的だが――長身で理知的で、まだ若いと言える成功者。
しかも金持ちだった。
お見合いパーティにでも参加すれば、女性がチェックするだろう逸材なのだが。
その表情は昏い。
酒が男の口を軽くする。
「なぜあのバカ弟は、こうも毎回トラブルばかりを起こすのか――誰に似たんでしょうね。まああんな弟、どうだっていいのですが……、そう、どうだっていい筈なのですが――」
ウィスキーの氷で僅かに濡れたテーブルを、筋張った指がとんとんと叩く。
とんとんとんとん。
……。
とんとんとんとん……とん、ととととととッ、ととととん!
ようするに、めちゃくちゃ心配していたのである。
それもその筈。
彼は、今のこの世界を包む異常。
ダンジョン領域日本と化したこの世界に、強い違和感を覚えていたのである。
この世界は今、夢の世界に落とされている。
大きな力を持った集団が、動いている。
ここ最近、立て続けに暴れ続けている。
オフィス街の一等地に会社を構えるほどの金はある。金と権力を振りかざした情報収集にも長けたハクロウは、既にそれを知っていたのだ。
ただでさえ異能力者なのだ。
誰に狙われているかも分からない、だから不用意に動くことなど厳禁!
の、はずなのに。
鳴らないにゃんスマホを見る瞳は、ぎしりと尖って。
ぐぬぬぬぬぬ!
「バカな弟だが、あれはあれで役に立つ所もあるのですが――どうして、こうも猪突猛進なのか。まあ、アレはバカですから、逆に? 逆に無事だとは分かっているのですが。なんだか落ち着きませんね」
漏らす独り言に応える声はない。
その筈だった。
けれどそれでは物語は進まない。
いつだって物語は勝手に進む。まるでネコが悪戯をするように、止めようと思ってもペチン! と、自由気ままに動かしてしまうのだから。
そう――それは突然。
どこからともなく侵入する蜘蛛のように――。
やってきた。
沈黙の社長室。
男のすぐ近くで、酷く蠱惑的な紳士の声音が響き渡ったのだ。
『ふーん。やっぱり君がハクロウくんか。弟くんが言ったとおりの、寂しそうな男だね』
声は耳元から聞こえた。
◇
慌てたハクロウが振り向くと――そこには何もいない。
誰もいないオフィス、秘書すら不在の休日の空間が広がっている。
けれど、ハクロウは言った。
「気のせい……ではないようですね。誰ですか」
細い瞳を尖らせ、立ち上がる。
その手にはやはり、召喚異能を発動させるカードが掴まれている。
周囲に、カードから生み出された騎士団が生まれる。
それは弟と同じ異能だった。
『おや――これは失礼した。勝手にお邪魔しているけれど、構わないよね? 君の弟くんの、金木黒鵜くんだっけ? あの愉快なポリスマンから、身元引受人になりそうな人を聞いたら君の事を教えて貰ってね。本当はこっちも複数で会いに来る予定だったんだけど、待ちきれず一人で会いに来ちゃったよ』
暇だったしね。
と、それは呟き顕現した。
黄昏に落ちる空。
オフィス内に生まれた僅かな闇の中――それは現れたのだ。
一匹の、黒いネコである。
妙に太々しい顔をした、愛嬌のある大きな猫。むろん、ただのネコの筈がない。
眉を顰めハクロウが言う。
「転移帰還者達の扱うファミリア……使い魔といったところですか」
『意外に冷静だね』
黒猫は赤い瞳をギラギラさせて、社長室の絨毯をモサモサモサ。
まるで我が物顔で歩んでいる。
なぜか並ぶ酒のグラスを見て――ごくりと息をのみ、首をぶんぶんと横に振って。
ワタシハ、シンシ。イマハダメ。
そんな呪文を唱えて、慇懃に頭を下げる。
『さて、初めまして。一応自己紹介をさせて貰おうかな。私はケトス、大魔帝ケトス――君たちが言う所の異世界では、まあそれなりに有名な魔猫だよ』
そう言われても男には異界の知識などない。
「これはご丁寧にどうも、ワタシの名は――」
『君が金木白狼くんだろう?』
言葉を遮り、黒猫はまるで童話にでてくるチェシャ猫のように、ニヒィ!
闇の中で、にやにやにやにや。
口を広げて笑んでいる。
『歳は二十九歳。どんな商売をしているかは知らないけれど、ここの社長さんで――あの正義かぶれのポリスマンのお兄様。趣味は乗馬と独り酒で、両親は共に他界。交友関係はほぼなし。会話はもっぱら弟くんとだけ。あまり健康的な暮らしじゃなさそうだね』
ハクロウはわずかに動揺した。
「それは弟が?」
『いーや、君が思っている通りさ。君の弟くんはたしかにバカだけど薄情ではない。この場所を教えたりはしなかったよ、最後までね』
再び。
ニヤニヤニヤニヤ。
黒猫が嗤っている。
最後まで。
言われて鼻梁をぎゅっと黒く染めたハクロウは考える。
拷問され殺された、そう判断するべきか。
彼は知っていたのだ。
異世界関係者は既に倫理観など壊れていて、野蛮な連中なのだと。
ハクロウの胸の中に浮かんでいたのは――後悔だった。
転移帰還者の事件に巻き込まれ死んだ、父と母。
その無念を晴らすために警官となったあの正義かぶれの弟が、無惨に殺された。
それは完全に油断であり、想定外だったのだ。
そもそも転移帰還者達から、異能力者を守るために自分は組織を作り上げた。
その筈だったのに。
「弟すら……守れなかった、ですか。皮肉な話ですね」
血が滲むほどにぎゅっと拳を握るも、声は冷静なまま口を伝う。
「弟はあんなでもそれなりに強かった筈です。如何様にして?」
『あれ? ……ねえ、君。何か勘違いしていないかい? 最後って、お酒を飲んで寝ちゃう前って意味だよ? 別に、あの残念ジャスティスマンを殺したりはしていないよ? アレを引き取ってくれるようにお願いに来たんだけど……どうやら、その顔じゃあまり信じて貰えそうにないね』
生きている!?
動揺が走る。
けれど、この黒猫は敵か味方か。
どちらにしても信用は出来ない。
スゥっと息を吸い、ハクロウは吐息に言葉を乗せる。
「アレは生きていると?」
『生きているよ、生きている。ウチの学食でオムライスを三回もお代わりをして、コンビニで買った狐印の焼酎をラッパ飲み。酔い過ぎちゃったもんだから、校庭のベンチでぐーがぐーがーイビキをかいて寝ちゃったし……私が運んだんだよ? あのさあ、こういうことを他人に言うのもなんだけど、どーいう教育をするとあんな警察官ができるのさ? ちょっと呆れてるんだけど』
ジト目で肉球を翳す魔猫。
その手の上に、ブォォオンと映像が浮かび上がってくる。
そこには本当に焼酎を抱えて、医務室で眠る弟の姿が映っていた。
「魔術、というやつですか――ワタシたちの異能とは異なる力なのですね」
『おやおやー! 弟くんがちゃんと生きている事に安心しているくせに、そっちの方を聞いちゃうんだ!? プププー! あれだね? 君、ツンデレお兄さんだね!』
ぶにゃははははは!
嗤う黒猫だったが。その目は――嗤っていない。
社長として、若いながらも他人を多く見てきたハクロウには見えていたのだ。
コレは何かが歪だった。
この黒猫は、心の底で嗤っているわけではないのだろう。
と。
しかし交渉はできそうだ。
ハクロウはビジネスを意識した、フレンドリーだが僅かに威圧的な声を上げる。
「弟がそちらで迷惑をかけているのなら、すみません。正式に謝罪をいたします。そして引き取りもしましょう。それでこちらは迷惑料をいくら支払えばいいのですか?」
『お金なんて要らないさ。ここは夢の世界、ドリームランドの亜種のようなもの――終われば醒めて消えてしまう幻だし……なによりもう、お金は全国からのガチャ代金で十分稼いだからね。正直、金銭には困っていないのさ。そこでだ――』
黒猫は、瞬時にハクロウの顔の近くまで猫の額を寄せ。
猫の丸口を、ニヒィ!
『君が知っている情報を私に提供しておくれよ。この秘密組織トレーダーなんて、異能者集団といっても弱小なんだろう? 私はこの機会に、日本に潜伏している異能者集団と連絡を取ろうと思っていてね。あー、もちろん滅ぼすためじゃないよ? こっちも無駄に攻撃されるのは嫌だし、ちょっとしたお知らせもあるからね。その協力者が欲しいんだ。駄目かな』
しばし考え、ハクロウは言う。
「たしかに、ワタシは他の組織の情報も握っています。かつて起こった能力者同士の戦いも、直接ではないが知っていますからね。情報の提供は可能といえば、可能です。ですが――それをあなたに提供するかどうかは別です。なにしろ、ワタシはあなたを信用出来ていない」
交渉だった。
けれど相手もそれに乗り、大袈裟な仕草で口元に肉球をあて。
あんぐり!
『ええー! 失礼な弟くんを殺さないで、校門を攻撃されて破壊されたことも不問にして。今、彼が学園で使いまくってる施設の代金も、ぜーんぶ私が肩代わりをして! 私の部下へのセクハラだって大きな罪には問わなかった。ここまでしているのに、まぁぁぁっぁぁだ信用できないのかい?』
セクハラと聞き。
ハクロウは理知的な顔を、ビクりと引き攣らせる。
「またあの病気が出たのですか……」
『ああ、ウチの部下の胸を物欲しそうに、じぃぃぃぃっと眺めていたよ。あれは無自覚だろうから本当に悪い癖だね。きっと、母親を求めているのだろうとは思うが――そのうち警官もクビになるんじゃないかい?』
「そうしたら、ワタシの下で働けばいいだけの事ですよ」
呟いてハッとした。
存外に、和やかに会話が続いていたことに驚いたのだ。
ハクロウは困惑した様子で顔を上げる。
試すしかない。
そう思い、男は異能を発動させる。
「情報提供の前に――勝負をしませんか」
『勝負?』
黒猫は興味深々でオウム返しである。
「見たところ、あなたは異世界と呼ばれる場所から流れ込んだ魔術師のようだ。その姿が本当にネコなのか、それともこのソシャゲ化空間などという……狂った世界で使用されるアバターなのか。それは判断できませんが、ここに侵入できたのです、それなりに強いのでしょう?」
『まあ強いと言っても、それなりさ。私よりも強い存在は、多いとは言えないが――探せばちゃんと見つかるだろうね』
すなわち、探さないと見つからない程の強者。
ということだ。
相手は強さに自信を持っている。
ならばこそ、ハクロウは逆に自信を持っていた。
「それでは勝負の結果で契約としましょう。こちらが勝てばあなたは無償で弟を解放する。そしてセクハラの件も不問。そちらが勝てば、あなたが欲する情報を提供しましょう。もちろん、知らない事まではお伝え出来ませんが――どうでしょう」
『いいよ、ならば魔導契約だ――』
猫口を丸く蠢かし、ぶにゃん♪
黒猫は宙に禍々しい羊皮紙を浮かべ始める。
自動書記なのか、サラサラサラっと日本語による契約が結ばれていく。
それはまるで、悪魔の契約。
魔術という概念がある世界の住人ならばともかく、異能しか知らない男にとっては、未知の領域。
強い忌避を感じてしまう行為でもある。
「それは――」
『魔術による契約書さ。先ほどの条件がこれで契約となって履行される。後からなしでーす! とは、できないってことだね。ここは日本なんだ、契約は大事だろう? 何事も判子社会。約束は守りましょうってね。懐かしいね』
言葉に違和感を覚えたハクロウが眉を顰める。
「懐かしい? あなたは日本に以前に来たことがあったのですか?」
『いや、忘れてくれ――私も忘れたよ』
ふと、漏らす黒猫の声はぞっとするほどの寂しさが滲んでいた。
相手は感傷に浸っているのか?
好都合。
ハクロウはそう思った。
「それには勝負の内容は刻まれていない、そうですね? 武力による勝負とも、記載されていない。違いますか?」
『ん? ああ、それはそうだが――ああ、なるほどね。君はそれでこの話を振ったのか。自分が勝てる分野で勝負を仕掛ける、うん、悪くない作戦だね。いいよ、私はある程度ならば、全ての分野で一定以上の力を発揮できる。脆弱なる人に過ぎない君にハンデとなるのなら、それでいい』
よっと机の上に登って、生意気そうな顔で猫は言う。
『勝負の方法は君が選びたまえ』
「勝負の内容は――カードゲーム。弟も使っていた魔物達が蠢く、暗黒ゲームです。ただし、異能は使わず本当にただ、カードゲームのルールに則った勝負をする。これでいきましょう」
異能の力に従い、カードが次々と具現化していく。
それがこの兄弟の力。
《カード具現化》
黒猫が、まるで心を読んだように、そのまんまじゃん!
と、呟き。
『ネーミングセンスはともかく……ふむ。私は構わないけれど、問題が二つある』
存外に頭が切れるのか。
黒猫の表情にあったのは――まるで皇帝のような計算高い覇者の余裕。
『まず、私は君達が使っているカードを所有していない。まさかカードを持っていないのだから、私の不戦敗。なーんてせこい事を言うつもりではないだろう?』
「カードはこちらで用意させていただきます。なにしろウチで作っているトレーディングカードゲームですのでね」
黒猫のもふもふの毛が、ぶわっと膨らむ。
一瞬、瞳に円マークが浮かんだ気もするが……それは気のせいだろうとハクロウは猫を見る。
猫は言った。
『おや、本当に金持ちなんだね。って、それならなんで残念な弟の黒鵜くんは給料一年分のカードを密輸なんてしたんだい? カードぐらい、あげればいいじゃないか』
「甘やかす事だけが愛ではありませんから」
思わず本音が漏れていた。
酒が入っているせいか、或いは目の前のネコに誘導されているのか。
男は、いささか不機嫌になりムっと黒猫を見る。
なぜか口が滑ってしまうのだ。
「それで、もう一つの問題とは?」
『簡単な事だよ。私の勝ちが決まっている勝負は、少し気の毒に思えてしまうのさ』
黒猫は、勝利を確信しているようにそう言った。
さすがのハクロウも機嫌を損ねる。
「失礼ですが――あなたに言っておきたい。このワタシに勝てるとでも? 魔物を召喚するのではなく、普通にカードゲームで勝敗を決めるのですよ? 素人のあなたが、勝てる確率などほぼないでしょう」
『ああ、それでも商品として発売されているのなら――勝ちパターンのような定石……ランダム要素を極限まで下げる事により勝率を向上させる、そういう手があるんだろう? あと、壊れカードっていうのかな? そういうお約束は既にあるんだろうし――、一発逆転のような特殊勝利条件のカードもあるんじゃないかな。カードゲームはエンターテイメント。そういう遊びの幅を膨らませる仕掛が含まれているのなら』
言葉を区切り、まるで神のような顔でネコは言った。
『どうあがいても、私の勝ちさ』
「まあ、こちらは勝てればいいのですから構いませんが――」
言って、ハクロウはカードケースを金庫から取り出し。
小馬鹿にした顔で相手を見る。
「お好きにどうぞ。ここに今まで発売された全てのカードがあります、ご自由にしてもらって構いませんので――それと、これがルールブックです。自社商品の品質を下げるようなことはあまりいいたくないのですが、強すぎるカードが禁止されていたり、使用できる枚数に制限が加えられています。そしてなにより、すぐに覚えられるような、素人が扱えるほどの量ではないですよ」
『構わないよ――私は天才だからね』
黒猫は新しい要素に興味津々なのだろう。
カードをぺちぺち♪
ルールブックをでろーん!
赤い瞳を輝かせて――柔らかそうな獣毛から、赤いオーラを放ち始めている。
これが魔力と呼ばれる要素。
異界の力なのだと、ハクロウも知っていた。
『うん、決まった。デッキ構築っていうのかな、御言葉に甘えてそこのカードから使わせて貰うよ』
黒猫は金庫の中からシュシュシュシュン!
四十枚のカードを選び抜く。
ハクロウは勝利を確信していた。
人生は失敗だらけ。
ようやく会社として成功したが、それまでには苦難が山ほどあった。
けれどだ――これだけは、別。
カードだけは自分を裏切らない。
ことカードゲームに関してだけは自信があった。
人生で今まで、一度も――これだけは誰にも負けたことがなかったのだ。
それは幸運の力。
ゲームに関する事のみだけに発動する、異能だった。
男はひそかに嗤う。
絶対に――負けない!
相手が自分さえも上回る、天文学的数字レベルの豪運の持ち主でない限りは!
と。