来訪者 ~誤算と紅茶とジャムクッキー~その3
無礼な来訪者を招き、グルメを要求したあの日――。
人命を救うためには対価が必要だ。
そんなダンジョンの基本を教えるため、心を鬼にし――汗と涙とヨダレを垂らしながら、グルメ宣告をしたあの日。
聖職者軍団が用意するだろうグルメを想い。
お腹をどでーん!
にくきゅうをのばし。
昼と夜にしかグッスリ眠れなくなってしまった――そんなあの日から、既に一週間ほどが過ぎていた。
ヤンキー少女はそのまま姿をくらましているが、状況に変化はない。
大魔帝ケトス。
素敵ニャンコな私は、優雅なポカポカ学園生活を送っていた。
といっても、生徒ではなく教師側だけどね!
こちらも学園内の結界を強化しているからね、大きな事件は起きていない。
その功労者の一人は!
なんと! あのヘンリー君!
現在も私達は校舎をモニターでチェックしつつ、結界構築中。
その内訳は――。
授業の一環として、結界張りの作業を続ける細身の男、冥界の王子ヘンリー君!
最強ネコ魔獣な私!
そして、私を膝に抱き――穏やかに微笑。地球のナチュラルメイクを覚え、魅惑の唇を薄く光らせる女神様!
計、三人? である!
その中の一人。
ヘンリー君が、じぃぃぃぃ。
特異で得意なひきこもり結界を利用し、校舎内への直接転移を禁じる結界を張りながら。
じぃぃぃぃぃぃ。
だいぶ顔色も良くなってきた残念王子は、思う所があるのか。私を抱いたまま空飛ぶ椅子に腰かける女性――苺ジャムクッキーを口にする舞踊の女神。
ようするにだ。
大いなる導きに目をやっている。
かつて世界を滅ぼしかけた女神は――ふふふ。
天女の如き微笑を浮かべ、後光を放ちながら王子に言う。
「あら、ヘンリーさん。わたくしの顔になにか?」
「いーや、少し眩し過ぎるが貴女はとても綺麗な女神様だと思うよ? ああ。女神様だね……? で? なんで異界の女神様がアンタに付き従ってるんだ、駄猫?」
言葉を受けて、私も大いなる導きの膝の上でバリバリむしゃむしゃ♪
苺ジャムクッキーを齧り。
魔力で浮かべたティーセットを楽しみながら告げる。
『説明しただろう? あのヤンキー少女が現われた時のための備え。生徒達を守ることに協力して貰うのと、敵の正体を鑑定して貰うために――緊急召喚。古き神で私の協力者の女神様、大いなる導きに来てもらう予定になっているって。もしかして、ご飯の時間に話したから、夢中になってて忘れちゃった?』
ダメだニャ~と嗤う私に、ジト目でヘンリー君。
「おい、コラ待て! 駄猫に言われたくはないぞ! ボクが聞きたいのはそういう意味じゃない!」
『え? じゃあなんだっていうのさ』
ヘンリー君の視線を受けて微笑む大いなる導き。
彼女がどうかしたのかな?
彼女の膝の上から私も見上げて、ネコの瞳をきょとん?
まあ、どこにでもいる普通の主神クラスの女神である。
少し変わったことと言えば……。
なるほど。
ヒラヒラと動いてジャレたくなる羽衣を眺める私の瞳が、ギラーン!
『ああ! 分かった! 君! 大いなる導きがちょっと薄着だから、照れてるんだろう! ぷぷぷー!』
「なっ……! いや、え!? はぁぁぁぁあぁぁぁ!?」
揶揄いながら宝石の様なネコの瞳を大きく広げ、肉球をビシっとした私。
とってもかわいいね?
指摘されるとより意識してしまうのだろう、おバカ王子は耳の先まで茹でたタコのように紅く染め。
「そ、そりゃたしかに扇情的だとは思うが……!」
『やーい! むっつりスケベェ!』
そう!
この女神様は神であるが、その職業は支援職――踊り子に近い服装なので、まあそれなりに肌の露出も多い。
それが気になるのだろう――ちょっとセクシーな天女っぽい姿から露骨に目線を逸らし、頬を赤くしつつ。
うぶなヘンリー君は言う。
「違うっての! 相変わらずデリカシーの欠片もないネコだな、あんた! そうじゃなくて、なんで原初の力を扱う最高神の一柱が、自らの世界を離れて、おまえに従っているのか――! その意味の分からない状況を聞いているんだ!」
『んー、話せば長くなるけど。成り行きかなあ』
まさかブリ照りで召喚されて、異世界で教師になっていた。
んで、なんだかんだあって人間に滅ぼされていた主神を蘇生させて、現在あの世界は執行猶予中。今から約九年後の未来に再び一緒に戻り、審判を下す。
蘇生召喚したわけだから、一応召喚主が私になっているので従っている。
なんて、説明しても――たぶん伝わらないよね。
信じては貰えると思うのだが、意味が分かるかどうかはまた別なのである。
その辺の説明を省略するように、羽衣を纏う女神は微笑み。
赤く狼狽する王子に言う。
「大魔帝ケトス様ですから。なんだってアリ――なのでしょうね」
『疑うわけじゃないが、あんた……大丈夫なのか? 失礼を承知で言わせて貰うが、あんたの魂には善だけじゃない淀んだ邪気を僅かに感じる。無条件に人間に味方をする存在ってわけじゃないんだろう?』
言葉を噛み締めるように、そっと瞳を閉じ。
大いなる導きがゆったりと唇を動かした。
「確かに……かつて一時は、わたくしも世界の裏で暗躍をしておりました。人を愛したことをきっかけに、全てが変わってしまった。人に滅ぼされ、人を恨み……邪神の残滓といえる存在として世界に漂っておりました。哀れな少年の魂と心に寄り添い、多くの魔物を生み出した存在。後の人々や異界の方々がわたくしの伝承を耳にすれば……人の愛に溺れた愚かな邪神と呼ぶでしょう。冥界の住人のあなたにとっても――わたくしは、魂を冒涜した悪神といえるのかもしれませんね」
汚名も受け止めた上で、今、彼女はここに居る。
人間に恋をした女神。
その悲恋も共に伝わっているだろうから、邪神として扱われたとしても――人々の目にはただ悪いだけの女神とは映らないだろうが。
ともあれ。
話題を変えるべく、あえて明るい口調で私は言う。
『それよりさあ、どうだい君の死神名簿の方は。レベルも順調に上がってるし、今までチェックできなかった情報も開示できてたりしないのかな?』
「ん? ……まあ、引き出せる情報は増えてはいるが、もういいんじゃないのか。あのヤンキー女が悪意ある侵入者で確定してるわけなんだし、他の生徒のほとんどが黒だったわけだし。なんかボクとしては、無駄にスキルを使ったような気しかしないんだよねえ」
能天気なことを言っている彼に、私は鼻をフンとする。
『君もまだまだ甘いねえ。これから異世界に乗り込んで世界全員分の情報を記録しないといけないっていうのに、それじゃあ途中で気力が尽きちゃうよ?』
女神様の膝の上で、肉球についたクッキーの粉を舐め舐めしながら私は言ったのだが。
寝耳に水だったのか。
ヘンリー君が怪訝そうな表情で言う。
「いや、待て。駄猫、なんだその異世界に乗り込むって話は」
『あれ? 言ってなかったっけ? 例の来訪者、聖職者軍団の事件は君も知っているだろう? 繋がっちゃった宗教国家で大迷宮があるだろう世界に、こっちからお邪魔しようと思ってるんだけど?』
なぜか頭痛を抑えるように眉間に細い指をあて。
ヘンリー君が唸るように唇を動かす。
「なるほど。だいたいわかった――ようするにおまえ! グルメが待ちきれなくて、直接受けとりに行くつもりだな!」
『お! よく分かったねえ。いやあ! ジャハル君とか他の幹部とかが相手だと、とりあえずの建前を用意するんだけど、君は話が早いねえ』
更に考え、彼は言う。
「で、この女神は見た目が明らかに神様だから、なにかと便利――異世界人に神として認識させる効果が強いから同行させるつもりなのか。ボクを連れていく理由は、向こうの世界で例のヤンキー女が潜伏していないかチェックするため……ってところか。ボクの固有スキル、死神名簿のチェックから洩れる時点で怪しい存在。自らの身を誤魔化すために変装しているってことになるからな」
『ご名答。君達がいればもし例の古き神候補である黒幕女がいても、その正体を看破できるだろうからね。期待しているよ』
ここの世界から消えているのだ、繋がっている向こうに行っている可能性は結構高い。
そう。
別にグルメだけが目当てに行くわけではないのである!
「しかし、そうなるとこっちで確保している人質はどうするつもりなんだ? いしのなかに埋めてあるわけだろう? そもそも交渉の条件としては、グルメと引きかえに人質を解放するって話だったわけだしな。いしのまま連れていくつもりなのか?」
『ん? いしのなか状態なら解除して、もう元の世界に送り返してあるよ?』
フォックスエイル印のクッキーボックスを召喚して。
包装をパリパリっと剥がし。
再度、むしゃむしゃと食べ始める私に――ヘンリー君は茫然としている。
「いや、人質を先に解放したらダメだろう」
『あー、平気平気! ちゃんと彼らには伝言を託してあるからね。約束のグルメを用意できないなら、国家そのものを「いしのなか」に埋めちゃうからね~って! こっちからしてみれば、あっちは侵略者といえなくもないし、先にちょっかいかけてきたのもあっちだし、警告もしたし。問題ないよね? だから今頃、必死でグルメを用意して待ってるんじゃないかな?』
にゃははははは!
と、笑う私に――ヘンリー君は再び眉間にしわを寄せて、口元をヒクヒクヒク。
「おい、待て! 駄猫! それって世界滅亡勧告じゃないか!?」
言われて賢い私は考えて。
……。
ベロでぺろぺろ――鼻の頭についたクッキーの粉を拭きとりながら。
『まあ、そう……ともいうかもね。あ、でもいしのなかに埋めるのはニンゲンとか亜人とかの人類種だけで、動物とか植物は埋めないよ?』
「それでも、ダメだろう……」
肩を落とし、なにやらドン引きした様子の彼に私は言う。
『えぇ? だって、向こうが襲ってきたんだし、いいんじゃない? しかも私に失礼なことを言ってたしさあ。その場で滅亡させなかっただけ、慈悲をかけたと思うんだけど……?』
うにゅにゅ?
ヘンリー君と同じく、眉間にしわを寄せて頭の上にハテナを浮かべる私も、とっても愛らしい!
「下手すりゃおまえ……相手の世界にとっちゃ、ゲームのラスボスみたいな扱いになってるぞ、たぶん……」
『ああ、よくあるよね~! 目覚めさせちゃいけない神を起こしちゃった的な展開!』
私を相手にしても無駄だと思ったのか。
ヘンリー君は大いなる導きに目線を移し。
「なあ女神様。これ、あんたとしてはどうなんだ?」
「そうですね――。わたくしも一度甘い顔をみせたところを人間に滅ぼされてしまったので……まあ、少しくらい神は怖い存在だと伝える事も、時に必要なのではないか――そう考えますわ」
ふふふっと、やはり女神スマイル。
胸元にそっと美しい指をあてる大いなる導き。
一度失敗している彼女は、人間を完全に信用しているわけじゃないからね。
ともあれ、更に唇を動かした。
「わたくしも僧兵たちの様子を過去のヴィジョンで確認しましたが……彼らには多少の驕り高ぶりが見えました。もし彼等ニンゲンがダンジョンを通じ、こちらの世界に本格的な戦争をしかけてきたら……その答えは滅亡、でしょう。そして彼らは、茨の道を選びかけていた。その哀れな未来を回避するための道筋の一つが――滅びの勧告。むしろです――ケトス様は慈悲をおかけになられたのです。滅びも繁栄も、全ては導きのまま――それは変える事の出来る運命で御座います」
まるで神託のように言っているが。
言葉をかみ砕くようにヘンリー君が言う。
「ようするに、あの狂信者ども……駄猫が勧告をしなかったら攻め込んでくるつもりだったのか……」
『まあ、そうなる未来もあったってことさ。敵意や悪意があった場合は容赦する必要なんてないし、私も遠慮なく大魔術をぶっ放していたんだから。これでも一応、気を遣った方なんだよ』
言葉を繋げるように、大いなる導きが後光を放つ。
「それに宗教国家だというのなら、おそらく主神に近い神を崇めている筈でしょう。その神がわたくしの同胞、かつて楽園に棲んでいた古き者の可能性もありますし――。世界が繋がっている今、様子を探りに行くことは理に適っていると、わたくしは考えますわ」
『そーいうこと! こちらから出向いて敵意のある存在かどうかを確認したい! っていう正当な理由もあるわけさ。これは魔王様への言い訳でもあるけど、事実でもあるからね』
実際。
古き神の存在、残党は無視できない。
大魔王ケトス騒動の時――私と大魔王との決戦の裏で、魔王城を襲撃しにきていたわけだしね。
「分かったよ。ただ同時にもう一つ分かった。超越者――神の思考であるお前達だけだと不安だって言う事も、よぉぉぉっく分かった。アンタがいるならボクも安全だろうし、ついていってやるよ。ありがたく思うんだな! で、出発はいつなんだ?」
『今からだよ?』
こてんと首を横に倒す私に、ヘンリー君が青筋を浮かべ。
「はぁあぁああああああああぁぁぁぁ!? そういう大事なことは! 先にちゃんと説明しておけよ! だからお前は、駄猫扱いされるんだろ! どいつもこいつも、お前の事情に合わせるお人好しだと思うなよ!?」
『えぇ! だって未来予知だと君はついてきてくれるって、でてたし。どうせ、なんだかんだ文句を言いながらも最終的には、ついて来てくれるんだろ? 君もけっこうお人好しみたいだし』
だったら一緒じゃん!
そう、ぶにゃはははははと嗤ってやったのだが。
なぜかヘンリー君は、そういうやつだよ……おまえは、と。
妙に大人びた様子で項垂れたのであった。
◇
とりあえず、ネット仲間に連絡を入れると部屋に戻ったヘンリー君。
その転移魔術の上達に、私が感心していると――。
大いなる導きが、神としての顔で私をまっすぐに見つめて言った。
「なぜあの者の成長を、それほどまでに急いでいるのですか?」
『ん? 何の話だい?』
羽衣を揺らし、未来の流れを舞いとして顕現させてみせて――。
女神は言う。
「此度の急な異世界への降臨も――彼の成長を促すためなのでしょう。わたくしには見えますわ、彼が新しき道を歩もうとしている姿が、運命に抗おうとしている姿が……けれど、少し性急ではないでしょうか?」
『あー……君は導き手。他者の行く末を導く、道祖神としての側面もある神だから……見えているのか』
真面目な口調で私も応じた。
『彼の弱点。それは自分を見つめる能力の欠如。私はね――いつか彼に、自分の情報を死神名簿に刻んで欲しい、そう願っているんだよ』
「自分自身を……名簿に? よく分かりませんわ」
応えず私は、逆に問いかける。
『ところで、君には彼の道程がどこまで見えているんだい? 神の権能も少しは回復しているのだろう? 私だけじゃ不安だからね、少し見てくれないかな』
「畏まりましたわ、マスター。ふふ……っ、なんて、あなたはこの呼ばれ方はあまり好きではなかったのですね」
女性からマスターと呼ばれるのは、なんか使役しているみたいで。
ねえ?
召喚者と召喚されし者の関係なので、間違ってはいないのだが。
ともあれ、彼女は導きの力を使い――。
そして。
他人をあまり褒めない大いなる光に、心優しいと形容される彼女は……その美貌をわずかに曇らせ。
小さく口を開いた。
「なるほど。そういうことでしたか……彼、やはりまだ道筋が安定していませんのね。早く成長させないと――ほとんどの道が途絶えて消えている。あなたから離れてしまったら……そのまま……消えてなくなってしまう運命、なのですね」
私も見た。彼の道はどこかで必ず途絶えていた。
『ああ、そして私がずっと共にいても、いつか……――彼は自らを重荷と思い、消えてしまう。彼自身が成長する、それしか道は残されていないんだよ』
もう十分に成長したが、まだ足りない。
彼はあれでも冥王の息子。
それは――すなわち王族であり神の子。
姉であるカナリアくんが数奇な運命を辿っていたように。
彼もまた――。
ゆったりと瞳を閉じ、モフ毛を靡かせる私に女神は言う。
「あなたは本当にお人好し。今は魔王陛下と呼ばれている……あの方と似ているのですね」
『それは光栄だね。私にとっては最高の誉め言葉だ』
あの方に似ていると言われると、私も心がほんわかするのである。
「わかりました。わたくしも協力しましょう。あの死神の少年、いえ、もう青年といった方がいいのでしょうか? 彼の道を作るその手伝いを、わたくしも――ふふ、これはわたくしを呼び戻してくれたあなたへの恩返しになるのでしょうか?」
『ああ、助かるよ――』
黒猫と女神。
二人は秘密の約束をした――。
未来が途切れて消えてしまう青年を導くために、私は教師として肉球を進める。
一度預かった生徒だからね。
ちゃんと最後まで責任をとって教育するのである!
さて、ヘンリー君が戻ってきたら出発!
次の舞台は、大迷宮がある宗教国家の異世界! 女神と猫神と、ついでに死神の息子が降臨するのである!




