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魔導教室 ~のんびりニャンコと天衣無縫(てんいむほう)~その2



 授業を開始してから二時間ほど。

 転移帰還者を集めた魔導授業は、それなりに充実した時間となっていた。


 風が爽やかなのも。

 陽射しが程よくポカポカなのも!

 この私がカワイイことも! 変わっていない!


 ぶわっと輝くモフ毛を靡かせ――天才ニャンコ!

 大魔術師である大魔帝ケトスは、今日も冴えわたる頭脳を活かし、大活躍!


 と、大大大な自画自賛はともかく。

 偉大な私の指導による、転移魔術の授業。

 貴重で珍しい大チャンスともいえる、マネコ魔導教室は順調に進んでいた!


 その効果たるや、学習塾だってびっくりの超スピード!


 実践段階も終わり、転移魔術を発動できるモノが出始めているのだ。

 授業内容は読書!

 もちろん、ただの本を読むわけではない!


 魔導を追求するリターナーズ。

 生徒達が読み耽るのは、大魔帝印が刻まれた私の生み出したアイテム。

 万能と叡智の書と名付けられた――スキル習得の汎用魔導書だった。


 読むだけで才能を探り、求めるスキルに必要な手段と儀式を検索してくれる。

 そんな、なかなか素敵な幻の一冊である。


 ちなみに。

 この一冊を、私の関係者ではないモノが手に入れようとするのは、かなり大変だったりするんだよね。


 そもそも――入手機会がほぼ皆無。

 フォックスエイルとのコネがないと販売場所にすらたどり着けないし、辿り着いたとしてもだ。

 買うのが一苦労。

 大きな街をそのまま、人件費と数年分の維持費込みで買えてしまうほどの、高級品なのである。


 だってこれでも私。

 本当に伝説の魔獣で、神で、大魔族で、英雄だからね。

 そんなニャンコが生み出した魔導書なので、高くて当たり前だよね。


 まあフォックスエイルが、こんな危険な魔導書を安価で売るわけにはいかないと、この値をつけたわけだが。

 それでもたまに売れているというのだから。

 いやあ、大魔帝印の魔導書って素晴らしい!


 現在、既に基礎を教えたので――それぞれが精神集中できる場所で学習中。


 木陰や教室や、図書館。

 学食や学食や学食。

 皆が自由な場所で、のんびりポカポカ。


 スキルを習得するための読書タイムとなっている。

 私も学食でパインジュースをちゅるちゅるしながら、読書中。


 全員に聞こえる音声で、私は教師の声で穏やかに言う。


『最初に教えた通り、転移魔術には複数の成功ルートが存在する。適性が確認されたスキルや魔術を発動できたら、合格だ。該当するスキル書や類似する魔導書。魔術スクロールを転移魔術用に変換し、贈呈するから頑張っておくれよ! 習得後は各自、訓練マニュアルに従い――君たち自身の適性にあった修行方法を反復練習、その技術を磨く事に集中するんだ。もちろん、手助けや助言もできるから遠慮なく聞いてくれて構わない』


 告げる私に、何人かの生徒から質問が飛んでくる。

 私は丁寧に優しく。

 異界グルメ情報と引きかえに……それらの声にちゃんと答えを返していた。


 スキル習得の魔導書で、適性を早期に発見できた生徒達は話が早かった――。


 該当する技能訓練用トレーニング魔導書グリモワール

 いわゆるスキル経験値の書を私が違法コピー……。

 じゃなかった。

 生徒達のために、異界の魔導図書館などから印刷複製すればいいだけなのだから。


 これの効果は単純。

 経験値入手。


 スキルに必要な技術を本を読むことで習得、経験値を伸ばすことができる――。

 いわゆる、インチキアイテム。

 技術経験値を短期間で大量に入手できる魔導アイテムである。


 たまにお金を払えば経験値を付与してくれる、露骨な神などが存在するが……。

 まあ、それと似た原理である。

 信仰を金で買い、金で経験値を買う。なんとも敬虔な信徒が聞いたら激怒しそうな手段だが、これに腹を立てた聖職者の皆さまは、いたって正常な感性の持ち主だと私は思う。

 どうか、その心を大切にして欲しいモノである。


 まあ私はどんどん、スキル経験値の書を違法コピーしちゃうけどね!


 ◇


 スキル、および魔術カテゴリーとしての転移の基礎を習得。

 ようするに、スキル一覧やスキルツリーとして載せる事ができている生徒は、もう問題ない。

 後は、自分で育て上げればオッケー。


 とりあえず日本観光ぐらいは軽くできることだろう。

 にゃんスマホを通して、賢い私は生徒達に語り掛ける。


『スキル習得が完了した者には自動でチュートリアルとマニュアルが転送されたはずだ。にゃんスマホを確認して、各自、自己責任で転移訓練を開始するように。まあ失敗してヤバい事になったら、ちゃんと元に戻してあげるから安心しておくれ。ちょっと死ぬほど痛かったりはするだろうから、そこは我慢して貰うだろうけど――』


 と、言いながら私はにゃんスマホをチェック。

 起動した画面にはちゃんと、転移魔術に関する注意点と免責事項について、の表示が浮かんでいる。


 転移といえば、失敗によって大惨事になってしまうこともある危険な魔術。

 その注意点。

 そして! 私がいない所でやらかしても、私の責任じゃないからね! と、同意書にサインをさせているのだ!


 いやあ、それぞれの世界に対応した魔術言語の文字化。

 これが地味に大変だった。


 ただ汎用的なチュートリアルを作るのとは、わけが違ったのである。


 基本システムともいえる魔術式。

 それぞれの生徒に対応させたその解読と日本語化が――めっちゃ大変だったのだ。

 何が大変って、みんな同じ規格や魔術言語じゃないからね。


 そこが大問題だったのである。


 魔術やスキル発動に使われる力の源――。

 魔力。

 曖昧な概念であるファンタジーな力を、具体的に動作させるための魔術言語と式。

 魔術計算式。


 魔術やスキルの発動に必要なのは、基本的にこの二つ。


 ただし、発動させるまでの過程には無限ともいえる手段が存在する。

 たとえばだ。

 答えが十の計算式があったとして、五たす五で式を使うか。五かける二で式を使うか。

 百ひく九十で式を使うか、答えは一緒だが途中経過は異なる。


 それが世界によって、まったく違う式を使うもんだから……ねえ?

 私や魔王様は最適解を一瞬で読み取り、無駄のない式を生み出すのだが――各世界にちらばった魔術はそうもいかない。


 そこでだ。

 世界によって異なるその細かい違いを、起動のタイミングで生徒ごとに対応させ、読み取り。

 誤差修正。

 にゃんスマホで訓練マニュアルとして、最適化した状態で起動させるわけである。


 それはすなわち、無限に広がる世界を把握するに等しい行為ともいえる。

 大規模なプロジェクトとなってしまったのである。


 世界によって異なる、現実の法則を崩す方程式。

 複雑な魔術計算式を、一から探るわけだからね。


 みんな別の異世界に行っていたせいで、統一性がゼロ。世界が変われば魔術も異なっていく。魔王様が生み出した魔術理論とは、微妙にズレができているからね。

 それぞれの世界の基準や標準。

 仕様に対応させたスキル習得、および訓練指導マニュアルを作り出すのが、けっこう骨が折れる作業だったのである。


 まあ私、天才ニャンコですから。

 三十分もかからず完了したんですけどね!


 様子を見に来ていたロックウェル卿とホワイトハウルが、内容を確認し驚愕。この私を手放しに誉め讃えたほどの偉業だったといえば、少しは伝わるだろう。


 まあ、なんか機械で翻訳したような文章になっているとのことだが。

 ……。

 読めればいいのである!


 ともあれ本当に授業は順調だった。

 もっとも、まだ転移を実践レベルで発動できている者は少ない。


 ブロンド巻き髪のおっとり少女、ノスタルジアくんは転移系の魔術に才能があったのか――既に、ふわふわ自由に飛び回っているが。

 まあ、彼女は例外かな。


 転移を繰り返し、空に自分の座標を固定しながらメルヘンチックな少女は言う。


「空をこうして魔術で飛べるようになるなんて、時代は変わったんですね~。えーっと~、わたしも昔空を飛んだんですけど、その時には国家プロジェクトレベルでしたし。ふふ、こうして自由に飛べるのは気持ちいいかもです~!」


 空中浮遊。

 まあ、これも転移魔術の使用方法のひとつである。


 方法は単純。

 常に転移を繰り返し、空中に留まるだけ――。

 まあ燃費が悪いから、ふつうに空を飛ぶ魔術を使った方が効率いいんだけどね。


 浮遊魔術がどうしても使えない者には、一応の救済処置。

 飛べるというだけでも、ありがたいのかもしれないが。


『魔術なんて発動すれば問題ない。理論や過程など省略してもいい――そういったテキトーな性格な存在の方が、複雑な魔術式を扱う転移魔術に向いているからね。どうやら君も、テキトー側の人間なようだね』

「あー! 酷いです、わたしだって色々と考えてるんですよ~?」


 と、ふわふわ少女は一人だけメルヘン空間を作りながら言う。

 んーむ。

 このふわふわ感。ノスタルジアくんは、妖精が棲んでいる異世界にでも行っていたのだろうか。


 まあ彼女は問題なし。

 当然、ヒナタくんも問題なし。


 彼女は新しいバリエーションを増やすべく、マニュアルを片っ端から起動し。

 即座に実践。


「へえ! 時間軸を止めて、高速移動――実質的な瞬間移動を可能にするなんてやり方もあるのね! 時属性なんてうまく使ったことなかったから、ちょっと新鮮かも?」


 既に転移を扱えていたし――同じ穴のムジナ、魔術なんて過程は省略、とにかく発動すればいい派。

 いわゆるテキトー側のニンゲンなので、ヒュンヒュン!

 ズジャジャ!


 新しい転移を取得して、飛び回っている。


 聖剣と魔導書を片手に、ぶんぶんバサササササ!

 転移を用いての戦術拡大。

 攻撃手段を増やそうとしているようだ。


 蜂のように飛び回るヒナタ君を見上げる私。

 その揺れるモフ毛を眺めるようにやってきたのは、一人の聖職者。

 委員長である。


 少しきつめだが、清楚に分類される顔立ちの彼女は私に近寄り。

 薄化粧をした唇を開く。


「凄いですわね、あの子。有名女子高生ランカーのヒナタさんでしたっけ、あ、でも大丈夫ですか? 転移魔術最大の罠である、アレを注意した方がよろしいのでは?」

『ああ、アレね。大丈夫だよ。彼女が今使っているのは時間を利用しての疑似転移だ。一度肉体を分解する類の転移じゃないからね、いしのなかに埋まったりなんてしないよ。まあ……壁に激突することはあるだろうけど。って、遅かったか……まあいいや』


 壁にめり込んで、ぐぬぬぬとしている少女を見なかったことにして。

 私は思考を教師モードに移す。


 そう。

 転移系で一番問題となるのは、転移先に既にナニカがある場合。

 いわゆる転移ミスである。


 最悪、存在自体が消滅する場合もあるからね。

 当然。

 マニュアルとチュートリアルでは、口が酸っぱくなるほどの注意書きを施してある。


 うっかりで、いしのなかに転移しちゃうと……うん。

 もうマズい。

 一度混ざり合った肉体と物質を分けるのって、すんごい大変なんだよね……基本はまあ、即死で魂も消失扱いである。


 もちろん私なら石の方を逆に侵食し排除できるし。

 いしのなかに埋まってしまった存在の救出も、できないこともないが。

 ともあれ。


 遠くを見る目で、委員長が懺悔するように祈りを捧げながら――告げる。


「なるほど――転移にも種類が複数存在していて、危険度も違うのですね。今更、仕方のない事とは分かっておりますが、もっと……早く知っておきたかったですわね」

『その口ぶりからすると――君がいた世界でも、転移によるミスがあったのかい?』


 何故問いかけたのか。

 答えは単純。

 たぶん彼女は私に聞いて欲しかった、そう思ったからである。


「ええ、他人を転移させる奇跡を行使した時に……一度だけ。たった一度の過ち。けれど、一生忘れられない大失態。世界を支える女神様と敵対する魔物軍との戦いでしたわ。本当に長い戦い。あの時の判断は、一時撤退。既に補給ラインも途絶え、連合軍が壊滅しかけていましたから……それで全員を避難させるために、集団転移を使ったのですけれど……」

『対象が多すぎて、術の制御に失敗したのかな?』


 彼女は首を横に振って、地面の石を撫で。

 唇をぎゅっと結んだ。


「転移の奇跡は成功しました。軍もその大半は無事。皆が褒め称えてくれたのです。嬉しかった、多くの命を救うことができて、本当に……嬉しかった。けれど、点呼をとっているとふと気が付いたのです。人数が合わない。よくよく調べてみると、どの部隊にも失踪者がいました。端の方に居た兵士の方がなぜか皆、見つからなかったのです……」


 私は察した――よくある事。

 そういってしまえば容易いが……彼女にとっては、とても苦い経験となった筈だ。


「全員を対象に組み込めなかったのではと、ハッとしましたわ。けれど――皆は言いました。大きな規模の奇跡でしたから、全員を救えなかったのは仕方がない。そうやって、誰も責めたりはしなかったのです。けれど、もはや助からないだろうと、作戦は中断。その時は救助の手は伸ばせず……せめて後で遺体を供養してやろうとなったのですが……。後日、あの現場でも、消失してしまった兵士の方は見つからず。どこにもいなくなってしまったのです」


 浮かぶ答えは――消滅。

 ロスト。


『なるほど、話は見えたよ。転移は全員対象に選ぶことはできた、けれど――』

「ええ、反応を探ってみたところ、彼らは城から見つかりました。生きていてくれた? そうも思いましたが、違いました。そう……彼らの反応は、壁の中。いしのなかから……目印となる徽章きしょうだけが反応していたのです。壁の中への転移。それはおそらく……即死、だったのだと思います。既に生命反応もありませんでした。誰も、何も言いませんでした。もうその時には異世界から遣わされた聖女、国の英雄の様な扱いでしたので、責めることなどできなかったのでしょうね。それが苦い記憶。異世界に転移して初めて……人を殺めてしまった瞬間。忘れてはいけない、異世界の思い出です」


 つまり。

 ふむ。


『じゃあ君が、あの闇番長に危険な転移を教えるのか、って聞いた理由はもしかして、彼が心配だったってことかな? いかにも制御に失敗して、壁石の中にめり込んじゃいそうなタイプだし』


 まあ決めつけるのは悪い事だが。

 前衛職って基本、脳筋なんだよね。よく、狂戦士化のバフまで使うし。


「笑わないでくださいね。あの時の転移ミスで失ってしまった仲間に、すこし似ているんです――あのバカそうな獣人。本当に……似ていて。いやっていうくらい、似ていて……。だから異世界での辛い日々と、昔の失敗を思い出してしまって。ちょっとキツク当たってしまうんです。バカだとは……自分でも分かっているのですけれどね」


 内緒にしてくださいねと、委員長が悲しい笑みを浮かべる。

 が……。

 んーむ、どうしよう。


 獣人って耳が良いからなあ……、たぶん全部、あの闇番長に聞こえてるんだよなあ。

 案の定、遠くの方で声がする。


「ちっ、あのバカ女……そういうことは、早く言えっての。それが分かってたなら、オレだって、もうちったぁ優しく……、いや、ねーわ。ねえよ! あんなバカ女、オレの知った事じゃねえ!」


 と、なにやらテンプレなセリフを漏らしている。

 私、猫で耳が良いから……聞こえちゃうんだよねえ。

 ……。


 あ、また私のネコちゃん頭脳に浮かぶ、未来予知グラフに変化が発生。

 恋愛未来予報に並ぶ委員長と闇番長――彼らの露骨な恋愛フラグがニョキニョキと成長。

 天井を貫いちゃってるよ。


『あ~、こりゃあ、たぶん。もうすぐ、くっつくな……』

「先生? どうなさったのです?」


 キョトンとしている委員長に苦笑し、私はネコちゃんスマイル。


『あー。うん。なんでもないよ。まあ、そういった制御もちゃんと教える事ができるから。もし不安なら、私に相談しておくれ! もっとも、君の様子を見るかぎり、その日の失敗を悔いて――もう既に、制御は完璧になっているようだけれどね。だいぶ、苦労したようだね』

「ええ、まあ――本当にたくさん、修行を積みましたから」


 異世界の中に、まだ心の一部を残しているのだろうか。

 まああくまでもそれは、比喩的な意味でのことだが……。


 過去を悔い続ける少女は言う。


「話を聞いてくださって、ありがとうございます。いままで誰にも相談できなくて……だから、胸のつかえが取れたみたいで。あれっ……、あらっ。ふふ、いやですわね。すみません、ちょっと失礼いたします――」


 まあ、誰にも悩みを相談できない。

 それも転移帰還者が抱える大きな問題なのだろう。


 真実を告げたとしても、誰も信じてくれないのだから。


『待ちたまえ――』


 私は姿を人型神父モードへと変えて、彼女の涙を指で掬い。

 その顔立ちに幻術をかけてやる。

 気丈な女性だ、おそらく泣き顔を見られたくないだろうと――周囲の目を紛らわせる幻覚結界を、一時的に展開したのである。


 それを一瞬で読み取り、察したのだろう。

 少女は頭を下げた。


「ありがとうございます。あなたはとても紳士的で優しい魔猫なのですね――。伝承に聞く、あの大魔帝ケトスの逸話からは想像できませんし、信じられませんが……実際に、あなたは優しい」


 私の顔を覗き込み、彼女は続ける。


「騙しているという気配もない。異界より伝わる伝承、特に魔術を発動できる異聞魔導書には、偏った知識が書かれている場合が多いと聞きますが……実際、その通りなのかもしれませんね。ふふ、もしアタシが魔導書を書く機会があったなら、優しい一面もあると追記しておきますわ」

『なんか皆、私をぶっとんだ魔族だと思っているようだけれど……いったい、どんな伝承が伝わっているんだい?』


 問いかけに、彼女は困ったような口調で応じる。


「え!? いや。えーと……すみません。たぶん、お聞きにならない方がいいと思いますわ」

『あー、うん……その反応で、なんとなくは理解したよ』


 くすりと微笑む彼女からは涙の気配はみえない。

 幻術がちゃんと発動しているのだろう。


「一つお聞きしても?」

『構わないよ』

「あなたなら涙消しの魔術ぐらい使えるでしょうに、どうして、それをお使いにならなかったのでしょうか? いえ、お気遣いはとても嬉しいのですが。隠してしまうよりも、効率的だと思うのですけれど――」


 涙消しの魔術とは、文字通り泣き止ませる事の出来る魔術のことだ。

 確かに、その方が手っ取り早いのだろうが。


 私は穏やかな微笑を浮かべ、太陽を背にしたまま答えた。


『ニンゲン、誰だって泣きたいときや泣いた方がいい時だってある。その権利を君から奪う資格は私にはないよ。泣きたいのなら泣きなさい。いままで泣けなかったのなら、なおさら……たまにはいいじゃないか、泣いたって。恥じることなどないさ』


 私は魔王様を守れなかった。

 あの日々の中。心の中で泣いて、強くなった。


『失敗が。そして失敗を悔いて、泣くことが――強さに繋がる事だってある。私はね、たぶん心とはそうやって育つモノ。挫け、泣きながらも立ち上がり、成長していくものだと。そう思っているよ。まあ、無理して泣く必要もないけれどね』


 告げる私に、過去を悔いる聖職者の顔が揺れていた。


「アタシ……泣いても、いいのでしょうか?」


 泣くことさえ許されない。

 そんな環境で過ごしていたのだろう。


 哀れな少女の魂と心を眺める私は、真綿でくるむような声音で告げた。


『それは君の自由だ。けれど権利の有無でいえば――当然、泣いたっていいのさ。不安ならば私が許可を出そう。好きなだけ、泣きなさい。この大魔帝が言うんだ、異を唱えられる者など魔王陛下、唯お一人しかいない。そしてあの方はお優しい。きっと、一人苦しんだ少女の心を酌んでくださるだろう。つまりは――全てが君の自由。そういう事さ』


 許しを与えたのだ。


 風が、ざざざ――っと。

 心を揺らすように、大樹の葉を揺らしている。

 木漏れ日が、少女と私の影にコントラストを作り出す。


 揺れる彼女の瞳には、何が映っているのだろうか。


 既に、幻覚結界で覆われた彼女の顔は見えない。

 けれど、その肩は揺れていた。


 しばらくして。

 彼女は言った。


「残念ですわね。あなたがあんな残念な猫先生じゃなかったら……アタシは……。ふふ、なんて。柄にもないことは止めときましょう。それではアタシは、行きますわね――自分が落ち着ける場所で、静かに泣いてきますので」


 照れを隠すように、去る彼女。

 けれどその背は一度だけ、振り向いた。


「闇の眷属の方にも、それなりに心がキレイな方もいらっしゃるのですね。少し、考えを改めますわ」


 それは闇だからといっていがみ合うのを止める。

 そういう宣言なのだろう。


 光が彼女の道を照らす。

 新たな運命を彼女は選び、選択したのだ。


 未来を覗く私のネコの瞳には、見えていた。


 去っていく彼女の背。

 その明るい未来が見えていたのだ。


 過去への憂いと後悔で、立ち止まっていたその足が、動き出している。

 光が集まり始めている。

 明日へと進む翼と力を手に入れたのだろう。


 彼女はきっと、これからもっと成長するのだろう。

 そして……。

 おそらく、あの獣人生徒と……。


 獣人と……あれ? どこだろう?

 ……。

 ネコの姿に戻った私は、眉間をぶにゃんとくねらせる。


『んー、あれ……? おかしいな、さっきまではずっと未来が見えていたのに……』


 なんか。

 闇番長との恋愛予報フラグがベッキベキに折れちゃってるんだけど。

 見つからなくなっちゃってるんですけど。


 どうしちゃったんだろう?


 悩む私のアイテム収納亜空間で、にゃんスマホがポロンと鳴る。

 夢猫メールである。

 そこには礼を述べる文章と共に――少女の声。


『先生、アタシ。あなたと出逢えて本当に嬉しく思いますわ。今度一緒に、ランチを楽しみましょう! お礼に、お弁当を用意してきますわね――か』


 これは、グルメ献上宣言と受け取っていいのだろう。

 その結果。

 闇番長と喧嘩をしながらもランチを楽しむ未来が一つ、消えている。


 もしかして。

 ……。

 私――やらかした?


 確定しかけていた未来を、また猫パンチでズドーン!

 と、しちゃった?

 若者たちのフラグを、メキメキに吹き飛ばしてしまったのかもしれないが。


 ……。

 まあ、いっか!

 グルメも貰えるみたいだし!


 壁に激突した痛みから回復したヒナタくんが、あー……また落としたわよ、こいつ……。

 と、何故か頭を抱えているが。

 ともあれ!


 さて、他の生徒の様子も見に行こう!

 今回の本題は、ヘンリー君のレベルアップなんだからね!



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― 新着の感想 ―
[一言] ケトス様はフラグクラッシャーの称号を得ました 何故かヒナタに怒られるフラグが立ちました フラグクラッシャーを発動できませんでした 諦めて怒られてください ヒナタとカナリア以外の女性にモフる…
[良い点] あや?何かケトス様やらかした?((o(^∇^)o)) [一言] あーあ…。本作品では珍しい恋愛フラグがボキッと折れちゃった!!(゜ロ゜ノ)ノ 罪作りなケトス様((o(^∇^)o))
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