エピローグ ~冥界の夜明け~
あれから一週間が経っていた。
始まりもあれば終わりもある。
騒動も終わり、一つの物語は終了した。
異界の冥界に、新しい女王が誕生したのである。
死神姫の物語を綴ったあの魔導書には、まだ名前をつけていない。
別にサボっていたわけではないのだが――うまいタイトルが決まらなかったのである。
まあそろそろ決めないとなあ、とは思うのだが!
ともあれ!
謹慎という名の休日を満喫している大魔帝ケトスこと私は、今、おせんべいをガジガジガジ♪
粒を零して齧りながら、猫目石の魔杖をぽちぽち。
遠見の魔術を発動させていた。
盛大な戴冠式が行われているクリスタル城。
その式場を映す、モニターの前。
新たな女王の勇姿を見届ける私は、自室で……ぶにゃん。
ネコのヒゲを蠢かし、じぃぃぃぃぃっぃぃい。
謹慎中とはいえ、見に行くぐらいはもちろん問題ない。
招待状も届いていたのだが――。
丁重に断った私はあえて、直接見に行くことはしなかった。
これから彼女は女王となるのだ、あまり肉球を差し伸ばし続けるのは良くない、そう判断したのである。
しかし心配は心配。
大丈夫だろうか。
そんなウニャウニャを誤魔化すために、こうして遠見の魔術で観察していたのだが――。
どうやら杞憂だったようで。
「あたしは未熟です。まだまだ分からないこともたくさんあります、だからこそ、あなたたちの力と協力が必要なのです。ふふ、ごめんなさいね。戴冠式当日に、それも女王となった初スピーチでこんな頼りのない事を言ってしまうなんて。失格なのかもしれません」
緩急をつけて述べた後、彼女はゆったりと瞳を閉じる。
そして目を開き。
民、ひとりひとりを見るように眺め――すぅっと息を吸う。
なかなかどうして、演技派なようである。
「けれど、これが本音なのです。あたしはあなた達と共に成長します、どうか力を貸してください。どうか共に、死者たちの未来への道程を見守ってください。あたしは金糸雀。炭鉱のカナリア。母なる大河、ステュクス神より生まれし死神の女王。あなた達の良き友であり、良き女王である事をここに誓いましょう!」
モニターからは喝采と拍手の音が、鳴り響いている。
拍手をする中には勿論、元冥王こと鎧のオッちゃんもいる。
実はその名をアーケロンとかいう、冥府の河の橋渡しのカロン神っぽい名前のお父さんなのだが。
まあ……。
嬉しそうに炎の身体を揺れしている姿は、それなりに微笑ましいか。
そして拍手の中に変な音が複数。
ブタの蹄でピギピギ拍手をしているアメントヤヌス伯爵と、その一派。
はて、ここは肉牧場かな?
……。
ん? そういや私……。
あ、あぁああああああああああああああぁぁぁぁっぁぁ!?
反旗を翻していた王子一派の豚化状態を解くの、すっかり忘れていた!
カナリア君よりも後に生まれた王子(空気)も、そのままだし。
反省はしているようだが。
……。
まあ、いっか!
洗脳電波に操られていたとはいえ、姫を暗殺しようとしていた人たちだし。
解きに行くのも面倒だし。
そのうち、自然に解けるだろう。
落ち着いた後――。
女王となったカナリア君が解除要請とお土産をもって、私の部屋を訪ねてきてくれるかもしれないしね!
そんな、いつものテキトーさを見せている私の前。
より一層の拍手が鳴り響いた。
「これからの冥界を共に歩んで参りましょう――!」
新たな女王の演説が終わったのだろう。
鳴り止まぬ拍手の海の中、女王は嫋やかに微笑んでいた。
金色のカナリア。
かつて金糸雀だった憤怒の魔性――か。
『君に幸運がありますように――私の加護も与えておくよ』
と、私は拍手が鳴る会場の天に亜空間接続。
ぐぐぐっと無理やり次元を開いて、っと。
神様視点で猫目石の魔杖を覗かせ――。
なんかそれっぽく。
パァァァァァァアアアアアアアアァァァァァっと、黄金のドレスにも似た朝焼けを顕現させてやる。
当然、戴冠式の参加者たちは狼狽して天を見上げる。
輝く魔術太陽は私の魔力。
雲が棚引く――黄金色の空。
そこに見えるのは――割れた天の隙間から覗く、素敵な黒猫。
そう、私である!
厳格なる声で、私は告げる。
『真なる女王よ。我はケトス、大魔帝ケトス。これは戴冠祝いだ――さあ受け取るが良い』
翳す魔杖の先から生まれるのは、四つの宝石。
吉兆の証。
青龍、白虎、朱雀、玄武の力を宿した黄金のティアラ。
当然、かなり貴重な伝説の装備なのだが。
ま、いいよね!
『冥界の民よ。汝等のこれからの活躍、我も期待していよう。我はいつでも邪から汝らを眺めている。眷族たるブレイヴソウルを目とし、そなたたちの闇を覗いておる。ふふふふ、ふはははははは! ゆめゆめ忘れるでないぞ』
黄金の空が閉じ、いつもの冥界の色に戻る。
とっても神っぽい登場と祝福、そして退場だったのではないだろうか!
これでカナリア姫……。
じゃなかった、カナリア女王には強力な! 大魔帝の後ろ盾があると伝わっただろう!
『にゃふふふふふ、さすがは私。気遣いの出来るニャンコである!』
肉球とお爪で器用にブイサイン!
ふう……。
安堵のため息も漏れてしまった所を見ると――私は、自分で思っていた以上に、あの子を心配していたのかもね。
さて、カナリア女王が上手くやっていくことを願い。
映像を切り替え……。
ようとしたのだが。
ふと。
賢い私は目にしてしまった。
戴冠式後のパーティに用意されている、ご馳走の数々を。
私の黒目が、ぶわぁっと拡がる。
……。
彼女は女王となったとはいえ、まだ女子高生ぐらいの歳。
きっと一人では大変だろう。
しゅたたたたた!
っと、毛布を掻き分け猛ダッシュ!
お出かけ準備を完了させた賢き私は――自室のメモに向かい、魔導ペンをきゅっきゅっきゅ♪
ちょっと、さんぽにいってきます。
よるにはかえります、ゆうはんは、やまもり、とっておいてください――。
ケトス。
よっし!
『仕方ないね! これは、うん、カナリア君のためだから!』
ドガドガドデデン!
脱走防止用の防衛魔術陣を一撃粉砕!
私は次元の隙間にスマートな身を潜らせ、ニヒィ!
『さあ! 待っていておくれ! ご馳走の数々! 私が君達をちゃんと丁寧に食べてあげるからね!』
くははははは!
くははははは!
「た、たいへんです! ケ……ケトス様が! 魔王様の編み出した最新結界をまたぶち壊して、脱走しました!」
「然り! 陛下、一大事であります!」
「ちょ! ま、魔王様! アレはぜったいに壊せないんじゃなかったのですか!」
幹部連中の声がして。
続いて魔王様の声がする。
「え? はははははは! 冗談を言って貰っては困るよ。あの結界には自信があるからね、絶対に……って! えぇ……マジか。ケトス……あれをこうもあっさり破壊して……あー、憤怒の魔性と契約して、また力を増したのかな……」
魔王様が脱走防止の結界を研究するより早く!
私はもっと成長する!
冥界グルメを目指し!
あんなに威厳ある登場と退場をしたばかりである私は、そんなことも忘れてGO!
亜空間を駆けていた。
◇
空間を破り顕現した私は、ズジャっと着地!
妙に柔らかい感触があるのだが。
はて?
クッションの上に落ちたのかな?
と、思ったらただのブタさん。
着地していたのはアメントヤヌス伯爵の上である。
ブタさんモードの伯爵が言う。
「ケ、ケトス殿……っ、お、おりてくださいませんか。お、重い……」
『あははははは、ごめんね~!』
重い筈ないのに。
なんとなくこのまま乗っていよう。
さすがに私の存在感は強いのか、視線が集まる。
ふふんとドヤ顔をしてやったのだ!
当然、カナリアくんも私に気付いたのだろう。
女王モードを忘れて、えぇ!
ヴェールを息で揺らすほどの、大声を上げていた。
「ケ、ケトスにゃん!? どーしたの、急に!」
『にゃははははは! 招待状を断っといてなんだけど、やっぱり心配になっちゃって来ちゃったよ』
ヴェールの隙間から、ジト目で女王は言う。
「って、どーせグルメに釣られてやってきたんでしょ? ま、こうなると思って、ちゃーんと用意しといたっしょ……じゃなかった。用意させていただきましたから、どうかお寛ぎ下さいませ。先代の冥王、大魔帝ケトス様」
大魔帝と呼ばれた私を見て、出席者達の目がぎょっと動く。
この私に驚いているのだろう。
あの小娘は本当に大魔帝と繋がりが!? みたいなちょっとなまいきな声も聞こえるし……。
……。
ふむ……。
『ははーん、君。なかなかしたたかになったね~』
「ふふ、なんのことかしら?」
死の聖母――死神女王モードでカナリア君はすっとぼけているが。
私には見えていた。
これ、わざわざ私を召喚するために、遠見の魔術の作動位置にグルメを配置したな。
ま、その思惑は見えている。
単純な理由だ。
大魔帝ケトスと対等に話をできる。それだけで箔がつくのである。
そして、私がその事に気付き――グルメ報酬と引きかえに協力することも。
女王である彼女には見えているのだ。
こういう強い女性は、まあ嫌いじゃない。
いつかのあの日。
私に狩りを教えてくれた、あの子の思い出に少し浸りながら――。
ゆったりと私は告げた。
『そこまで計算できるようになっているのなら、本当に大丈夫そうだね』
「あなたに鍛えられたのでしょうね」
なかなか言うようにもなったかな。
まあギャル風だった時は、けっこうズバズバ言っていたし。女王モードでも、ある程度こういう部分を出せるようになっているのだろう。
私は彼女の成長を実感しながらも、目線はグルメに向いている。
『それじゃあ、召喚されたようなものだし、贄はちゃんといただいちゃうよ!』
既に給仕も専用コックも用意していたのか、サササっと死神たちが私の席を用意し始める。
それを見守りながら、女王は言う。
「どうか、本当に楽しんでいってくださいね。ロックウェル卿様も、ホワイトハウル様も、おそらくそろそろ来る頃だと思いますので。たぶんケトス様もいらっしゃいますよ? と、お伝えしたら、奴が来たら遊びに行く、そう仰っていましたので。ふふ、仲がよろしいのですね」
彼女もヒナタくんとの交友を続けているようだが。
んーみゅ、しかし。
本当にしたたかになったなあ。
『おー! 気が利くねえ、いやあオンラインチャットだとゲームがうまく連携できなくてねえ、ここで協力プレイをしててもいいかい?』
「ふふふ、どうぞご自由に――あなたはあたし達の救世主なのですから」
モフ毛をもこもこさせて興奮気味に言う私に、女王は微笑む。
キレイな表情だ――と。
思った、その時だった。
天が割れて、朝焼けが生まれだす。
ホワイトハウルとロックウェル卿が降臨したのだ。
彼等はこちらに向かい、わふーわふー!
クワワワワワ!
ケートースと、遊ぶのだ! と、なんかよく分からん歌を歌って飛んできている。
私は友を待ちながら、静かに言葉を漏らしていた。
ネコの口が、自然と動いていたのだ。
『友達――か。まあ、こういう平和もたまにはいいよね』
きっと、心からの言葉だったのだと思う。
口にした後、私はすこし恥ずかしくなった。
私の友を眺めるカナリア君。
その口から、歌の様な光が漏れる。
「あたしもヒナタさんというお友達ができましたし、ケトス様。あなたには本当に――感謝しておりますわ」
『おや、なかなか幸せそうな顔をするじゃないか』
朝焼けを背景に、女王は言う。
まるで小鳥のように。
「だって本当に、今が楽しいんですもの。転生できて本当に良かった! ねえケトスさま。今のあたしは本当に、そう思っているの!」
まるで黄金のドレスを纏うように――。
まるで本当の幸せを知った、金糸雀のように。
彼女の魂は光で満たされていた。
歌う。
カナリアは歌う。
「あたし! 必ず素敵な女王様になるわ! 絶対に多くの命を来世に導いてみせるわ! 一人でも多く、幸せにしてみせるわ! だって、あたしは知っているもの!」
少女は笑った。
女王としての顔ではなく。
転生した少女としての顔で。
笑った。
「死神には命を幸せにする力があるって! 知っているのよ!」
黄金のドレスが彼女を包んだ。
世界を包んだ。
新たな女王。
金色のカナリア。
その歌声が響く。
希望の歌だった。
明日への希望が。
来世への希望が。
冥界を――優しく包み、彼女は微笑んだ。
その微笑み。
朝焼け色の歌に目を奪われたのは、私だけではなく――。
こちらを見守っていた民も、また……。
おそらく、この冥界は繁栄する。
良き女王に導かれ、死者の魂達は正しき来世へと回ることができるだろう。
そんな、直感があった。
……。
願いは成就されたのだろう。
あの日。
転生の直前に祈った聖母の祈りが――この平和をもたらしたのだと。
私にはそう、思えていたのである。
……。
まあ。
なんかこんな感動的シーンなのに、わふわふクワワ!
ケートースよ、どこにおるー!?
と、声がしているが気にしない。
空気を壊す魔狼とニワトリ。
友を出迎えた私は、そんなセンチメンタルな気分で苦笑し――。
記録クリスタルのスイッチを切った。
◇
戴冠式後のパーティは盛大に行われた。
私達は楽しみ、そして今は用意された寝室で休んでいる。
歌が聞こえた。
金糸雀が歌っているのだろう。
心地良い歌の中。
私は――遠くで聞こえる河の音に耳を傾けた。
冥府の河。
全てを覆うほどの大河。
流れる音は――とても優しい。
もし、この川が――かつて女神であったステュクス神の元の姿であったのなら。
きっと。
娘の成長を眺め、喜んでいるのだろうと思う。
この冥府の河があの女神であるかどうか、それは私にも分からない。
けれど、そういう神話を耳にしたことはある。
冥府の河が神格化され、女神となった存在。
よくある神話。
よくある逸話。
けれど――魔術がある世界とは、そういうモノなのだろうと私は思う。
魔王様が生まれ、魔術が生まれたその時に……世界は不思議がありうる世界へと、変わったのだろう。
ふと、言葉が漏れた。
『世界は既に一度転生している、か――』
言った後で、すぐに私は否定していた。
いや、考え過ぎだね。
と。
さて、私は残された宿題を片付けるように。
机に向かい、魔導ペンを翳した。
いつもの猫文字ではなく、後世の魔術師達に残すための魔術文字を刻む。
私は神父の言葉で言う。
『君のタイトルは――、まあこんな感じかな』
記した言葉が、記録クリスタルにも刻まれていく。
炭鉱のカナリア。
彼女の魔導書につけた、その名は――。
黒き魔猫と死神姫 ~朝焼けドレスと希望の歌~編
――おわり――




