決着 ~炎帝姉妹の別れ~
白亜の宮殿が咲くオアシスの畔。
二人の姉妹が静かに佇んでいた。
一人はもう、消えようとしている。
二人は思想を違えた敵ではなく身内として、今、最後の瞬間を迎えようとしていた。
戦士として滅びようとしているラーハル。
その消えかけた手を握り、ジャハルくんは唇を震わせた。
「なんで……こんな、バカなことをしたんだよ……」
「ごめんね、ねえさん……わたし……どうしても、許せなかったの。人間が……どうしても憎かったの」
蒼白い焔が薄れていく。
揺らぐ彼女の瞳に映るのは、どうしても消すことができなかった。
憎悪。
「だってわたしの大好きなねえさんをこんなにも苦しめた人間を、滅ぼしちゃ、だめなんて……ずるいじゃない……。魔王様の方針、まおうぐんの……決まりに、どうしても従えなかったの……」
「ラーハル、おい、ラーハル!」
「おねがいがあるの……ねえさん」
滅びゆく彼女は願った。
「なん……だよ」
「バカな、いもうとの……さいごの我儘、きいてくれる……かしら」
「最後なんて……言うなよ!」
それは。
ジャハルくんにも分かっている筈なのに。
消えかける魂をかき集めるように光をかき集め、唇を震わせた。
「オレを置いていくなよ……っ、オレを……ひとりにしないで……っ、おねがい、いやだよ……っ」
「ひとりじゃ……ないから、あんしんし……て」
「え……」
「ケトスさまに……おねがいして。わたしの魔核をつかって……魔道具にされてしまった……なかまを……もとに、もどしてくれない、かしら……」
もはや擦り切れた手を伸ばし、彼女は指先から蒼白い光の花を作り出した。
燃える焔の花。
これがラーハルの魔核。彼女は焔の花の精霊だったのだろう。
そして、今ここには魔道具にされてしまったほぼ全ての精霊族が揃っている。
まるで、初めから準備していたかのように。
「そんなこと、できるわけないだろう!」
「できるの……だって、わたし……ずっと、それだけを研究して、きたから……」
できるわけない。
その二つの意味が彼女には伝わったのだろうか。
そんな大儀式、できるはずがない。
そして。
妹の魔核を道具にはできない。
きっと。
伝わったのだろう。
ラーハルは笑っていた。
大事にされていた。
そして。
姉でさえできるはずがないと諦めた儀式を、完成させたのだから。
様子を見ていた私に、その蒼い瞳が映る。
「もうしわけありません……ケトスさま……、旧ガラリアを、滅ぼしてくれた恩人である、あなたに……攻撃を仕掛けたりして……」
「ラーハルくん、君は――」
「だって……こうしないと、ケトスさま……わたしをほろぼして、くれなかったでしょ? こうやって力をださないと……みんなをたすけるだけの、力が、でなかったから……」
ああ、そうか。
私は彼女の決意に、息を呑んでいた。
たしかにこの魔核に含まれた生命エネルギー、魔力量なら、様々な奇跡を行使することも可能だろう。
大魔帝と正面からぶつかり合ったエネルギーは彼女の魔核である蒼い花に凝縮されている。
たぶん、おそらく……全て、彼女の。
「ラーハル、おまえ……まさか最初から!」
炎帝の妹は。
ただ静かに微笑んだ。
しかし、もはや彼女は消えてしまいそうだ。
私は彼女の魔核に触れた。
なんと健気で愛おしい魂だろうか。
私はその尊さを無にできるほど、愚かではない。
この世は醜く憎悪で満ちている。けれど、僅かな光は存在する。
静かに、私は瞳を閉じた。
もう、時間はない。
「いいんだね?」
ラーハルは強く、頷いた。
「待ってください、ケトスさまぁ!」
ジャハルくんの叫びを聞きながら。
私は。
全力で、心の底からの祈りと共に魔法陣を展開させた。
「我はケトス。大魔帝ケトス――憎悪を糧とし力とする怨嗟の魔性なり!」
魔核を代償にし、術を行使する。
魔杖を振り――その生命エネルギー全てを、精霊から魔道具に変質させられてしまった者達への存在置換魔術にあてたのだ。
「待って……、お願い、いやだよ……っ」
ラーハルは、笑った。
「ありがと……う」
「いやああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ジャハルは叫んだ。
心優しき精霊。
蒼帝ラーハルの言葉通り、既に準備していたのだろう。
全てがうまくいった。
複雑で困難な儀式なのに、うまくいってしまったのだ。
それが彼女の努力の結果だということは、分かっていた。
だから。
少しだけ、心が痛くなった。
身勝手な自己犠牲を肯定するつもりはないが。
美しいと。
そう思ったのだ。
魔力が蒼白い光となって空へと消えていく。
無数の光。
淡い灯篭に似た輝きが一面を覆いつくす。
それも次第に薄れていき。
やがて、光は消えた。
魔道具に封印されていた精霊たちの魂が、元の場所、あるべき自然へと戻ったのだろう。
今はまだ魔道具のままだが、時間と共に、元の精霊へと変質していく筈だ。
それは大魔帝の力に匹敵するほどの大儀式。
どれほどの時間、彼女はこの研究を進めていたのだろうか。
ジャハルくんが魔帝となり力で同族を守ろうとしたように、彼女もまた、同族を助けようと努力をしつづけていたのだろう。
それが分かってしまったから。
ジャハルくんは、震えていた。
精霊族は救われた。
元に戻ろうとしていた。けれど。
もはや、ラーハルの身体が元に戻る事はないだろう。
光の残滓が、言葉を紡いだ。
「泣かないで……ねえさん」
「うっぐ……っ、泣いてなんか……だれが、ばかな妹のために……っ、泣いてやるかよ」
「愛しています……」
「オレも、お前を家族として……とてもだいじに……」
知っているわ、と姉の唇に指をあてて、彼女は笑った。
「ごめんね、ねえさん……」
言葉は塵となって消えていく。
ごめんねさいね……――と。
最後の魔力を振り絞った謝罪が白亜の宮殿に響き渡る。
彼女の残滓が、オアシスの上空へと飛んでいく。
月の光を反射した湖。
崩れて消えていく花びら。
それはまるで。最後の舞台で舞い踊る蝶のようだった。
彼女は消えてしまった。
誰も、何も言わなかった。
たぶん、言えなかったのだろう。
私もまた。
別の意味で言えなくなっていた。
タラーっと汗が出る。
どうしよう、これ。
「……って、あれ!? なんでわたし、まだ生きてるの!?」
ラーハルの声は、私の手の中で聞こえた。
「あー、あー……こんな雰囲気の中でそのいいにくいんだけど……」
私は手に咲く蒼い焔の花。
ラーハルの魂が宿る新たな魔核を魔力供給植木鉢に植えながら。
「私の中には、君の息吹と魔力が込められた晩餐会の食事があったからね。君の魔力は私の魔力と同調できる状態にあった」
ぽんぽんと。
肉球おててで、肥料を蒔いて。
以前手に入れた大司祭アイラの涙を奇跡の媒介とし。
「完全状態で再生とまではいかないけれど、まあ普通の精霊としての復活なら時間逆行魔術と合わせて、できちゃうんだよ、うん」
魔法陣で土に再生の癒しを流し込み。
無事完成。
「あとは三日もすれば、たぶん動けるぐらいには回復するよ」
そう、完全には元には戻らない。
けれど。
普通に外的魔力の影響で崩れたなら再生はできないが、彼女の一部が私の体内にあったのだ。
それくらい、うん。
できちゃうんだよねえ、これ。
私、これでも大魔帝だし……。
「感動的な場面なんだろうけど。なんか、ごめん」
つい。
肉球に汗を滴らせて目線を逸らしてしまった。
もっふもっふ尻尾が無駄に揺れる。
爪の間に土が入っちゃったのがちょっと微妙な気分になるが、まあそれは仕方ないだろう。
ぺぺぺぺぺと猫手を振って土を払う。
そんな私を強く抱きしめて。
「あ、あ、あ、あ、うっぐ……ありがとうございます、ケトスさま……っ」
ジャハルくんは泣いた。
子供みたいに、泣きじゃくりながら。
月が見守るオアシス。
白亜の宮殿の前で。
炎帝ジャハルは何度も何度も泣いたのだった。




