反省するは我にあり! ~素敵ネコちゃんはなにをしてもカワイイ~後編
私の部屋を訪ねてきたのは、一人の姫。
数奇な運命を歩んだ、かつて金糸雀だった少女――。
いや。
もう少女というのは失礼になるかもしれない――。
彼女はおそらく、既に女王になる覚悟ができているのだから。
けれど、やはり。
私にとっては少女だ。
守るべき、庇護の対象……。
死の聖母としての、姫モードになっているカナリア君の前。
お見舞いのおうどんセットから私はなんとか目線を逸らし、黒いヴェールに目をやった。
……。
こっちもジャレたくなるけど我慢。
大魔帝ケトス、シリアスモードである。
毛布から抜け出した私はぶわっと、魔力を纏い。
赤く瞳を輝かせ、告げる。
『さて、大魔帝として君に問う。カナリア姫よ、君は冥府の番人の長。すなわち、冥界の女王となる決意はあるかい?』
問いかけを耳にした姫の口元が、動く。
「不安はあるのですよ、けれど決意はあります。あたしはあなたとしばらく共にいて、ふふ……っ、ごめんなさい――アレだけのことをしたのですから、これからは何だってできてしまう。そんな直感があるのです」
決意はある、か。
少し楽観的だが、それは誰に似たのだろうか。
ネコのモフ毛を靡かせて、私は徐々に身体を変貌させていく。
『ならば試練を与えよう。君の代わりに先に冥界を支配してしまったからね、君の試練を奪ってしまった代わり、そう思ってくれればいい』
「いいわ。何をすればいいのかしら」
頷く姫を眺めた私は肉球を翳し、闇の霧を発生させる。
ざぁぁぁぁっぁぁぁあ。
いつもの演出である。
暴走はしていない全盛期モードで、葬儀のヴェールで顔を覆う姫に目をやる。
かつて金糸雀だった姫の前で、闇の獣が咢を開く。
終末の獣としての私。
そして――王権所有者としての私である。
『我はケトス、大魔帝ケトス。終わりを齎すケモノ。汝に試練を与えし――冥府の王なり』
ふしゅ……ぅ。
冥界の獣としての吐息が、姫の頬を撫でている。
きっと、カナリア姫の心は緊張で揺れているだろう。
『汝はこれより魂の輪廻を見守る神となる。故にこそ、汝自身が転生せしその瞬間、その理由、その時の心――その理を汝の目で確かめよ。汝の心で確かめよ。転生とはナニかを己が眼に焼きつけよ。我は誘おう、あの日へと、汝の魂の在り処へと』
「過去……ですか?」
怪物となったネコと姫少女が、対峙する。
まるで絵本の物語のように。
風が吹いている。
魔の風が、怪物となった私の獣毛と姫少女の髪を揺らす。
私は、厳格なる口調で――ぎしり。
『その通り、汝は汝自身の転生を知る。それが最後の試練。我の与えし、女王への道程よ』
言って、私は彼女の魂に接続した。
彼女も瞳を閉じる。
それを同意と受け取り――私は祈り、念じた。
意識が互いに、落ちていく。
冥府の王の妻。
死なぬ女王の死。
あの日の想いを確かめるため。
◆◇◆
ここはあの日の炭鉱。
滅んだ金糸雀が、自らの骸の上で――滅びの歌を歌っていたあの時の、記憶。
灯りもない世界で、黄金の翼をドレスの代わりに小鳥は滅びの歌を披露していた。
ここは少女の魂の奥。
私は彼女の記憶と同化し、共にそれを眺めていた。
仄暗い灯りが闇の中で広がる。
誰かがやってきたのだ。
それは死と氷の気配。死が、歌う金糸雀を眺め――息をのむ。
死んだ金糸雀の魂は、籠の中からそっと上を向いた。
そこに誰かがいる事を確信し。
ブチ――ッ!
怒り狂った様子でピーチクパーチク。
憤怒する金糸雀は言う。
「誰よ!? そこであたしを見ているのは! 失礼じゃない! もうあたしは誰かのためになんか歌わない! あたしはあたしのために、滅びを歌うの!」
「妾をみることができる……か。既に魔性と化したか」
応じる声には憐憫が滲んでいる。
闇が姿を現し、続けた。
「弱き者よ、憤怒せし者よ。妾は死。死こそが妾。冥府の王の妻。常しえの河にて、嘆く死者たちを見届ける者――死を纏う女王、女神ステュクスである」
ツバサを黄金のドレスとして滅びを歌うカナリアを眺め、ソレは告げた。
そこにいたのは、一人の女性。
自称する通り、死を纏っている――そう形容したくなるほどに冷たく細い、女王だった。
「女神ねえ、やはり人間の味方なのかしら。ねえ! あなたからみて、あたしって、かわいそうなの? そーよね! きっとそうなのね!」
「そなたの哀れな運命に導かれたのは、事実――それを言葉にするのならば、かわいそう……なのであろう。人は時に惨い仕打ちをする……」
元冥王の亡くなった妻だろう。
死した金糸雀の遺骸を抱き上げ、死を纏う女王は頬に涙を流す。
対照的に、明るい声で金糸雀は歌った。
「そう! じゃあかわいそうなあたしを愛でてもいいわ! 存分に聞きなさい! あたし、怒っているの、ここから人間を滅ぼす歌を歌い続けるの! あなたに、特等席で見る権利を上げるわ!」
死を纏う女王の前で、滅びを歌う金糸雀。
その光景を目にし、感情が動いたのだろう。
お母様。
呟く声が、私のモフ耳を揺らした。
私と共に過去を見るカナリア姫だった。
彼女は死したはずの母との再会に驚き、手を伸ばそうとするが、手は伸びない。
それは黄金の翼で、それも既に死体であり――。
動かない。
私達は、死体となった炭鉱の金糸雀の瞳から、過去を眺めていたのだから。
時を止め、私は言う。
『無駄だ、姫よ――これは記憶の残滓。そなたの転生する前の情報を魔術によって再現した幻。触れる事も、撫でる事もできぬ泡沫よ』
「そうみたいね。はぁ……分かっちゃいたけれど。ケトスにゃん、あーた、禁忌とされる過去視の魔術さえも扱えるのね」
姫の声は存外に明るかった。
けれど、母なる死の女王を見る少女の瞳は――揺れていた。
「死ぬ前の……お母様か。あたしの遺骸に古き神の魂を授けた……母様。この後……あたしを産んで、しばらくしたら……死んじゃうのよね。あまり、見たくないわね」
『これは試練である。見届けよ――そして転生とは、転生を齎す神とはどうあるべきか。汝の答えを我に見せよ』
告げて、私は肉球を翳し――時を進める。
死を纏う女王が、死した金糸雀を胸に抱き。
その涙で、乾いた遺骸の瞳を濡らす。
死骸の瞳。
その死を覗く眼を軸に――魂を拾い上げているのだ。
「黄金のドレスを纏い歌う、悲しき鳥よ。人に見捨てられた哀れなる者よ。今一度生きたいと願うならば、一度でいい――妾の涙を魔力とし、死した瞳で瞬きせよ。さすればそなたの願いを叶えよう。妾は思うのだ、このままそなたが消えてしまうのはとても……理不尽であるとな」
と、死を纏う女王は告げた。
炭鉱のカナリアの亡霊は、きょとんと首を傾げ応える。
「今一度、生きる? どういう意味? あたし、よくわからないわ」
学も教養もない。
彼女にあるのは、ただ歌う事だけ。
それが、炭鉱の金糸雀。
「弱き者、カナリアよ――そなたは籠の中で生まれ、籠の中で歌い、籠の中で朽ちた。それではあまりに可哀そうだ。機会が与えられても良いのではないか――女王として、輪廻を司る者として妾はそう思うのだ。だから、おまえに世界を見せてやりたい、そう我欲が浮かんでしまってな」
大空を仰ぐ表情で、女王は天を指さす。
そこには空が広がっていた。
遠見の魔術の応用だろう。
黄金色の朝焼けが、まるで希望を示すように輝いていたのだ。
金糸雀は大空を見て、瞳を大きく見開いた。
「きれい、まるであたしみたいにキレイだわ!」
「外の世界で歌いたくはないか? 外の世界をその瞳でもう一度、眺めてみたくはないか。やりたいことは、ないのか?」
死の女神は歌うように両手を広げ朗々と告げる。
けれど、カナリアは小鳥。
何も知らない籠の中の歌い手。やはりよく分からないのだろう。
「外の世界でやりたいこと?」
思い至るのは――怒りだったのだろう。
小鳥はその憤怒に染まった瞳を赤く染めて。
言った。
「あたし、どうしても許せないの。あの人間達が許せないの。ねえ、女神様! もしその転生という船に乗ったのなら、あたしは人間に文句を言えるかしら! あたしがどれだけ苦しかったか、あたしがどれだけ悲しかったか。伝える事ができるかしら!」
「それはそなた次第であろうな――」
赤く染まる瞳。
魔性の証を見ても、その危険性を知っても尚――死を纏う女王は考えを変える気はないのだろう。平等に転生の機会を与えようとしている。
それが女神の矜持であったのだろう。
それもまた、管理者の選択。
死を纏う女王としての、仕事だと判断したのだろう。
カナリアの母は言った。
「弱き者よ、人を恨みし憤怒のカナリアよ――! 妾は問う。己が身を用い、多数の命を救ったその功績への褒美に、そなたへ来世を歩む権利を授けよう。なれど、生きるという道の疲れを、憤怒という名の激しい感情も、恐ろしさもそなたは知った筈だ! 断ってもいい、そのまま朽ちて滅び消えてしまう。それを選ぶ権利もある!」
言って、死を纏う女王は一つの魂を取り出し。
その古き神の力に接続する。
大魔帝たる私と共にこの過去を見るカナリア姫が、葬儀のヴェールの下の顔を揺らす。
表情が揺れたのだ。
今の彼女は知っているのだ。
母がこの後、どうなってしまうかを。
してはいけないことをしようとしていると。
それは――古き神の魂への冒涜。
この儀式のせいで、優しく厳格な母は――寿命を得るのだ。
そう、終わらぬはずの死の女神に贈られた、死の始まり。
「お母様、ダメ……! あたしは、あたしは……!」
『姫よ……無駄である』
「分かっている、分かっているわ――でも、でも……っ」
叫びは届かない。
あくまでもこれは過去を見ているだけなのだから。
過去を変える事は容易にはできない。
彼女の母は死した金糸雀へ禁忌の術を施し、転生させたことをきっかけとし……。
死ぬのだ。
我らが見ているとは知らずに、物語は進む。
金糸雀が瞬きをする。
生きたいと願ったのだ。
「あたし、生きたいわ! よく分からないけれど、自由を! 世界を知りたいもの!」
「よかろう――ならば妾の涙と、そしてこれを――」
告げて死の女神は細い手で自らの心臓を掴み、そこに封印されていた古き神の魂を取り出し。
涙に混ぜて……炭鉱の金糸雀の遺骸に注ぐ。
「しばらくすると、冥府の橋渡し……鎧に包まれし炎、冥王アーケロンがやってくる。そなたはその船に乗り、来世へとその命を繋ぐのだ。輪廻は回る。そなたの新しき人生が始まる。妾は船を受け止め、そなたの道を作ろう」
死を纏う女王の目線の先に、光が見える。
金糸雀は光に目をやった。
「見える、見えるわ! あたし、あの船に乗ればいいのね!」
金糸雀は囀っていた。
その遺骸も、舞っていた。
死した瞳に女神の涙を浮かべ、冷たく硬くなった黄金の翼を最後にバサりと開いて。
歌を歌ったのだ。
それは希望の歌だった。
自由を求める歌だった。
籠の中から解放され、自由に歌う権利を得るための歌。
「綺麗な歌であるな」
死の女神、ステュクスは微笑んだ。
そして。
儀式を行った。
己が魂の内に拘束していた古き神の魂――サタン・ムエルテ神を原初とする楽園の女神の魂を取り出し、金色の金糸雀に来世を授けたのだ。
それは冥王アーケロンに受け継がれ、母なる女王ステュクスへと渡される。
金糸雀の魂の受け入れ先は――自らの母体。
おそらく。
古き神の転生に耐えうる身体の候補を押し付ける気はなく、自らでその役目を果たすつもりなのだろう。
古き神の転生とは、神を産むと同義。
それは容易い儀式ではない。
まるで創世神話をみているようだった。
来世を目指し、希望の歌を歌いながら眠るカナリア。
アーケロン……炎に身を包む鎧の王に送られながら、その魂が成仏していく。
その時だった。
転生の輪に移ろうとする金糸雀の魂の中から――声が聞こえた。
「お待ちなさいよ……勝手に、あたしの魂の行き先を決めないで欲しいのですけど」
それはお伽噺にあるような、古き神の声。
サタン・ムエルテ神の力を宿す、楽園の住人。
金糸雀と共に転生する死の聖母の魂だろう。
死を纏う女王は言う。
「そなたは罪人。もし抗うというのなら、これを罰と思うがよかろう」
「あら、お優しい死の女神様、それとも死を纏う女王様とお呼びした方がいいのかしら。どちらでもいいけれど……そんなことをしたら、あなた――死んでしまうわよ? だって、この儀式であなたは人へと身を落とす。母になるのですもの、当然、制約が生まれる――永遠だった筈の神に、寿命が生まれてしまうのだから」
金糸雀を産むために、人へと身を落とす。
それは神格を捨てるということ。
女神の死だ。
けれど、女王は言った。
「妾はもう長く生きた、それで十分」
更に、穏やかな微笑をもって続けた。
「それに――転生を司る妾は……たくさんの母を見た。皆、幸せそうだった。人の身に堕ちるのではない、ただ母へと変わるだけ。これもまた輪廻転生。どちらが上でも下でもない。妾はそう思うのだ」
威厳ある女王の言葉に、迷いはない。
その毅然とした顔を眺め、くすりと死の聖母は言う。
「そう、あたしはもっと長く生きたかったけど……死んでしまった。復讐に燃えるあの方に、絶念の中に沈んだあの方に……殺されてしまった。まあ、それなりの悪さもしたから仕方ないけれど、いまでも永遠に生きたいと願っている。あたしはあなたとは反対ね」
古き神は嘲り嗤ったのだ。
けれど、死を纏う女王は微笑んだ。
「そなたも新しき生を得る。どうか次の人生においては、その悪心を抑え――善行を積むことを願っておるぞ」
死を纏う女王は案外に天然なのか、会話が微妙に逸れている。
毒気を抜かれた死の聖母は言う。
「まあ、次の命に転生させて貰えるのなら。いいわ、約束しましょう――前世で殺した分の命を救いましょう。不幸にした者の数以上に、他人を幸せにしましょう。それもきっと、退屈しのぎになるのですから」
転生を楽しみにする古き神は、声を僅かに細め。
言った。
「けれど――本当にいいのかしら? あたしは大人しくするつもりだけど……金糸雀はたぶん人間を恨んでいる。怒っている。憤怒していると言ってもいい。深い嘆きと悲しみの念も抱いているわ。だって、信じていた観客に裏切られたんですもの。もっと言うのなら――生贄となったカナリアたち、この子と同じ境遇の中で死んだ小鳥たち、転生できずに漂い彷徨う獣達の魂を――既に吸ってしまっている。きっと、転生したらこの子、人間を恨むわよ。憎むわよ、怒るわよ。いつかこのことを思いだして、人々に復讐の歌を歌うわよ」
死の聖母は嘲笑する。
おぼろげながら、未来が見えているのだろう。
けれど、死を纏う女王は言う。
「それもまた運命。この者には、復讐する権利もあるだろう。それが生きるという事、生者の権利。輪廻は回る、妾はただそれを見守るのみ――そこに悪も善もなし」
瞳を閉じ、魂を腹に当てながら死を纏う女王はそう答えていたのだ。
再び毒気を抜かれた顔で。
そう……と。
死の聖母は不思議そうな息を漏らし、けれど穏やかな声で言った。
「分かったわ。ならばせめてもの感謝に願いをかなえてあげる。楽園の神として、誓いを立てるわ。もし、生まれ変わった金糸雀が暴走し、人々を無差別に呪い襲う存在となってしまったその時は――あたしが少しだけ時間を稼いであげる」
それは原初の女神としての権能。
「時間を稼ぐとな」
「ええ、そう。暴走し、魔性として覚醒する未来のあたし達を止める事の出来る、強い神を招いておいてあげるわ。あたしはどんな願いも叶える死の聖母。善も悪も叶える心の広い神、サタン・ムエルテ神の力を宿す女神、あたしはいまここで世界に願うわ」
暗闇の中。
淡い光を抱き。
聖母さえも動揺するほどの慈悲の光を纏い、両手を結んで女神は誓う。
「いつか遠い未来、だれか素敵な殿方があたし達を止めてくれますように……、ほら、願いは運命に刻まれた。見えるかしら、これでもしなにかがあったとしても……世界が誰かを呼んで、止めに来てくれる。世界へかけた呪い、魔導契約よ」
「未来へ布石を投げた……か」
死を纏う女王は先を見るように願いを眺め、眉を顰めて言う。
「太々しい顔をした黒猫が見えるのだが……?」
「あら……本当ね、なにかしら。これ」
ドヤ顔をした猫が、うどんを啜って――くはははははははは!
二人はしばし沈黙し。
見なかったことにして――シリアスに戻る。
転生の道を歩み、消えかけそうになる死の聖母。
その魂を眺め、死を纏う女王は言う。
「契約は見えた。たしかにこれならば、盟約に従った世界が力ある救世主を導き、滅びの歌を鎮める。魔性と化した未来のそなたを止める。滅びる世界を食い止め、この世に平和を齎すであろうが……何故殿方なのだ?」
あまりにも真面目な女王の問いかけに、死の聖母は砕けた口調で笑った。
「あら、決まっているじゃない。あたしだって女よ、王子様が来てくれるならその方がいいでしょう? ま、まあなぜか変な黒猫が映っているけれど……気のせいね」
「なるほど、よく分からぬ……」
困惑とも違う、淡々とした声で告げる死を纏う女王。
女神ステュクス。
彼女は金糸雀の転生の合図、その準備を悟ったのだろう。
女王としての声で、言う。
「そろそろであるな――」
「そのようね、じゃあ行くわ」
既に眠る金糸雀の魂。
来世を進む光。
温かい光に導かれていきながら、死の聖母の魂も声を発した。
「それじゃあさようなら、今度会う時は……あたしは何も知らず、あなたの子どもになっているのでしょうね」
「で、あろうな。さらばだ、そしてまたあおうぞ――どうか来世では、幸せになってくれることを信じておる」
死を纏う女王が微笑む。
不器用な笑みだった。
けれど、美しかった。
それは黄金のドレス。
あの大空。
希望を示す朝焼けのような――美しい微笑みだったのだろう。
死の聖母の唇が、小さく動く。
「ありがとう……あたしにもやり直す機会を与えてくれて。あなたの選択が、世界のためになりますように……、どうか世界が滅びませんように――なーんて。ふふ、ついでに祈っておくわ」
苦笑を残し――楽園の住人は転生した。
金糸雀と合わさった姫として、来世で幸せになるために。
どんな願いも、純粋であれば叶えてしまう死の聖母。
その願いが成就したかどうか。
それは――。
はたして。
過去視の魔術が、解け始める。
◆◇◆
魔王城の最奥。
大魔帝ケトス、私の部屋の中。
黒猫と姫少女は再会した。
願いは――成就されたのだろう。
現実世界に帰還した、私とカナリア姫。
目の前の少女は、頬に涙の痕を残していた。
「ああ、そうなの……あたし……こうして生まれ変わったのね」
あの日の思い出を胸に抱くように。
少女はそっと胸元に……手を寄せる。
厳格なる声で私は告げた。
『試練は終了した。汝は既に冥界の女王――その力、正しく使われることを願っておこう』
そう。
これで黒猫と姫の物語は終わり。
カナリア君は既に姫ではない。
冥府の女王としての資格、王権を手にしているのだから。
教皇の許しにて行われる戴冠式を彷彿とさせる仕草で――平伏するように。
跪く彼女は言った。
「あたしは憤怒の魔性、金色のカナリア。死の聖母サタン・ムエルテ神の原初を受け継ぐ死神の女王。大魔帝ケトス様――もしあたしの力が必要な時は、いつでもなんなりと――あなたのご恩に報いると誓い、ここに魔導書を献上いたします」
葬儀のヴェールを揺らし、告げて――。
彼女は一冊の魔導書を顕現させる。
それは、彼女自身の逸話が記された魔導書、グリモワール。
憤怒の魔性としての力も記された書。
私との契約が結ばれたのだ。
書を受け取り、私は静かに言う。
『さて、新たなる女王よ――この書のタイトルは何にするべきか、そなたの答えは?』
「おじ様、どうかその書のタイトルはあなたがつけてくださいませ」
ふふっと微笑し、彼女は私を困らせた。
難しい問題だからである。
これは彼女の逸話を記した書。
死神の姫が歩んだ、物語のタイトルなのだから――。




