滅びの歌 【SIDE:金色のカナリア姫】
【SIDE:金色のカナリア姫】
聖戦も終わり、全てが終わったと思われたこの日。
冥界の三柱が話し合いをしていた、その裏。
ここは――第一王女カナリア姫の枕元。
天蓋の砦。
ヴェールに覆われた、優しく深い眠りに誘うロイヤルベッド。
カナリア姫が唯一、心安らげる眠りの世界での出来事である。
それは突然やってきた。
身体が重い。
息が苦しい。
プリン頭の少女は夢の中に囚われていた。なぜだろうか、目覚めることができないのだ。
「――なに……これ」
手を伸ばすとそこには黄金の翼がある。
姫の美しい手は、鳥の翼となっていた。
美しいが、人の形ではない――。
「――ああ、まーたこの夢か……勘弁してほしいっしょ」
呟き、肩を落とした少女は納得する。
子どもの頃からたまに見る、嫌な夢。
昏く狭い籠の中、誰もいない冷たい洞窟の中で――徐々に死んでいく、嫌な夢。
死の気配が、細い脚と華奢な手に絡みついている。
もっとも、手と言っても翼であるし、足と言っても鳥の足だ。
――そんな鳥ちゃんモードな、あーしもかわいいっしょ!?
心の中でブイサインを作る事ができたのは、あの黒猫との出会いがきっかけか。
太々しい顔をした、優しい紳士ネコ。
少し暴走して、破天荒で、とんでもない大神だけど、それでも――。
少女の胸は温かくなっていた。
ああいう生き方もあるのだと、カルチャーショックを受けた。
本当に衝撃的だったのだ。
だから夢ももう、怖くない。
なのに。
悪夢は襲ってくる。
終わらない映画のように、それは頭の中で回り続ける。
夢の中のカナリアが、滑稽に鳴く。
ピヨピヨピヨピヨ。
助けて、助けて。
どうして、助けてくれないの?
そんな叫びが、クチバシの奥で渦巻いている。
籠を眺めるニンゲンの前で、悠々と歌い、そして独り――死んでいく夢。
翼をばさりとさせて、姫は思う。
「――死ぬ夢……よね。あーあ、まーた、これ。なんなのよ、マジで超うざいんですけどー! ちょっと! 誰よ、こんなムカつく夢を見せるのは! 責任者だせっつーの!」
ゲシゲシゲシ!
籠を蹴り上げる黄金の鳥は、やはりあのプリン色の髪が特徴的な、あのカナリア姫だろう。
乱暴な召喚に応じるのは、一つの気配。
くぐもった女の声だった。
「はいはい、聞こえているわよ。まったく、どうしてそっちのあたしはそうなのかしら……下品で野蛮……好きじゃないわ」
「――はぁぁぁぁぁぁ!? うっざ! 下品で悪かったわね! 夢の中でくらい、好きにしたっていいっしょ!」
更に暴れるように翼をバサバサさせると、闇の中から骸骨が浮かんでくる。
人の形をした骨。
これもいつもの夢だ。
だから姫少女カナリアは知っていた、これからあの女がやってくる。
かつりかつり……。
音がした。
夢の中に誰かがいる。
勿体ぶった演出と登場に、カナリア姫はどこかの大魔帝のように、ブチり!
魔力を投げつけ、鳥の頭を逆立て唸る。
「――だぁああああああああぁぁぁぁぁぁ! うざったい! どーせ、またあんたっしょ? 骸骨女! はやくでてこいっつーの! 訴えるわよ!」
黄金の翼をバサバサと揺らし、ピピピピピ!
騒ぐカナリア姫の耳元で、吐息がした。
「そんなに大きな声を出さないで頂戴よ。あたし、そこまで下品になった覚えはなくってよ?」
「――下品はあんたも一緒っしょ! いつもいつもいつも! こんな悪趣味な夢を見せて、何がしたいのよ!」
言葉に返ってくるのは、ゆったりとした微笑。
カナリア姫は知っていた。
おそらく、これは自分の中にいるナニかなのだ、と。
「急かさないの、王女ならば優雅におだやかに……けれど、エレガントに、そうでしょう?」
骸骨だったソレは微笑と共に黒い魔力を纏い、形となる。
夢の中に現れた――骸骨女。
イメージを言葉にするならば、黒い聖母か。
聖母マリアの様なヴェールで顔を覆う女は、葬式を彷彿とさせる姿をしている。黒衣を纏う魔女の様な、聖女の様な――曖昧な淑女。
その顔は髑髏のようで、けれど人の顔をしていて――。
不思議な顔で口だけを微笑させている。
黒衣の聖女が少女の苛立ちに気が付いた様子で、もう一度深く――。
ふふふ。
揶揄うように微笑んだ。
それが少し怖い。
少女――カナリア姫は眉を顰めた。
すると不思議な事に、黒衣の聖女も眉を顰めた。
動けぬ黒い世界の中、
天蓋付きのベッドの中。
自分だけの、鳥籠の中。
黒衣の聖女が言う。
「知っているでしょう? あたしはあなた、あなたはあたし。ねえ、落ち着いた? 大魔帝ケトス様がこのまま冥界の王となって、主神となって、この冥界を治めてくれたらいいのに。そう思っているのでしょう?」
違う――!
そう答えるはずの嘴と喉が、動かない。
少女は答えられなかった。
鳴き方を忘れたように、言葉が出せなくなったのだ。
そこで姫は気が付いた。
彼女が語っている言葉は本当だ、と。
そう。
新しい王が、それもあんなに立派で優しい猫魔王が王者となるならば――自分はもう、頑張らなくてもいいのではないか?
そう、心のどこかで安堵が浮かんでいた。
もういいわよね、と。
喋っていないのに、夢の中の世界が揺れる。
真実を語る。
「それがあなたの本心だからよ、カナリア。貴女だって、気付いているのでしょう?」
世界が暗く染まっていく。
突然、氷の上に立っているような、不安感が襲った。
これは悪夢とはいえ夢。
どこまでも自由に飛べるはずなのに、翼が重く動かない。
カナリア姫の嘴が、震える。
「いいじゃない……どうだって」
言葉が漏れた。
それが本心だったから、声になったのだろう。
冥界の女王になどなりたくない。
いつも遠くで見ている臣下たちの怖い視線。何かに怯えるような、腫れ物に触るかのような声と態度。
全てが疲れていた。
黒衣の聖女は聖母のように――。
全てを包む慈悲深い微笑みを浮かべ、少女のプリン色の頭を撫でる。
「そう、あなたはもう十分頑張った。あたしは十分、頑張ったの。お父様の期待に応えるために頑張った、民を支える王族として頑張った。死者を見送る死神として、存分に……ええ、本当に。あたし達は頑張ったでしょう?」
黒衣の聖女の顔がまた髑髏に変わる。
少女は思う。
ああ、やはりこれは自分の中にいるもう一人の自分だ、と。
「大魔帝がやってきて、時は動いた。運命も変わった――全てが壊され、これからの未来は誰にも分からない。だから、あなたの昔を見せてあげる――貴女も知らない、貴女。あたしが生まれてくる前のあたし。皆が知っていて、あなただけが知らない秘密。興味、あるでしょう?」
黒衣の聖女が顔にかかっていたヴェールを上げる。
そこには髑髏ではなく、少女と同じ顔があった。
泣かないように、王女として精一杯の微笑みを浮かべる歪な少女。
もう笑いたくなんかない。
どうだっていいじゃない。
いやいやいや、何もかもが嫌。
夢の中。
心の中。
本音の言葉が勝手に零れている。
カナリアは、鳥の足で後ずさる。
するとやはり、背後からふっと吐息が少女の羽毛を揺らした。
「知りたくないなら、それでもいいわ。あたしも大人しく帰るから。けれどおそらく、一生これは秘密のまま。扉を開くことなく、あなたは生きる。誰も、何も教えてくれないままよ。それでもいい?」
嫌だ。
「でしょう? なら、瞳を閉じて――自分の魂を感じて、あたしを感じて。あたしを見て。あたしはいる。あなたと共にずっといる。あたしを忘れないで。あたしを見捨てないで。あたしを受け入れて。あたしがいることを忘れないで。どうか、独りにしないで頂戴」
酷く鳴き枯れた声で、黒衣の聖女が覆いかぶさってくる。
同じ存在なのだろう。
二人の身体は闇の底へと沈んでいく。
◇
少女は天蓋のベッドの中、闇の海へと沈んでいった。
意識が落ちているのだ。
あれはまだ生まれてくる前の事。
少女は思い出す。
一羽の金糸雀だった頃を思い出す。
夢の中。
記憶の奥深くの遠き世界。
少女の意識は、生まれる前へと繋がった。
◆◇◆
【SIDE:炭鉱の金糸雀】
黄金の翼をドレス代わりに歌うカナリアは、籠の中で外を見た。
そこは暗い道。
狭くて怖い、闇の道。
カツンカツン。
壁を叩き、石を削る伴奏の中で、美しきカナリアは翼を広げる。
嘴をピヨピヨピヨピヨ。
ここは暗いが天国だ。
カナリアは人間の用意した籠の中で歌っていた。
歌えばごはんが貰える、じっと眺めて貰える。
なんて素敵な空間だろう。
そう、金糸雀の少女は思っていた。
人間達はまるで顔色を窺うように自分を見ている。
そう、それは姫の機嫌を窺う従者のように。
黄金のドレスに身を包む少女は、こう考えた。
ああ、あたしって実は姫なのね!
と。
気をよくした金糸雀は、ご満悦。
嘴をクシシシシ!
黄金のドレスを伸ばし、高らかに声を上げる。
ピヨピヨピヨピヨ♪
――人間達ってまじでウケルんですけど! あたしの歌が好きだからって、こんな暗闇にまで連れて行くんだから。
まあいいわ、存分に歌ってやろうじゃないの!
さあ、聞きなさい!
ピヨピヨピヨピヨ♪ カカカカ! ピヨピヨピヨピヨ♪
少女は歌う。
カナリアは歌う。
毎日、毎日。
雨の日も、晴れの日も、雪の日も。
暗闇の中の歌姫として、その黄金のドレスを広げて歌う。
今日も歌う。
明日も歌う。
毎日、毎日、毎日。
さあ、今日もあたしのご飯のために働きなさい、人間達!
あたしは籠の中で歌うだけ。
少し狭いけど、それはまあ我慢してあげるわ!
少女は歌う。
少女は歌う。
歌って、歌って、歌って――そんなある日。
今日はいつもと違っていた。
壁を叩く音がなくなって、いつも掘っている石がない。
だから人間達は、伴奏を鳴らす石を求めて前に進んだのだろう。
そう思った。
人間達は籠の鳥姫を連れて、闇の奥へと進んでいた。
ニンゲンたちの顔は暗い。
ここは危険か、いや平気だ。ガスは? まだない。
まだ平気。
まだ平気。
そんな、よく分からない呪文を唱えている。
鳥の少女は考える。
――こんな時こそあたしの歌ね!
カナリアは歌う。
黄金の翼をドレスの代わりとし、昏い闇の中で明るく舞った。
いつもと変わらない。
ただ舞台が変わっただけ。
そう、本当にそれだけだった筈。
けれど。
不意に、喉の奥に鈍い痛みが走った。
金糸雀は歌っている最中、違和感を覚えた。
何故か声がかすれていくのだ。
歌を忘れたわけではない。それなのに意識が薄れて、舌が回らない。
人間達が、歌うのを止めたカナリアを見た。
ざわめきが、起こる。
そう、あたし変なのよ?
助けなさいよ?
カゴの中の金糸雀は、声なき声で文句を言った。
けれど変化はない。
人間が、人間の群れのボスに慌てて叫んで駆け寄って――騒動は大きくなった。
カナリアは黄金のドレスで震える身を抱きながら、言う。
どうして誰もあたしに声を掛けないの?
どうして誰も助けてくれないの?
あんなにこっちをじっと、みていたくせに。
まるで神を窺う顔で、あたしの一喜一憂すら観察していたくせに。
けれど。叫ぶ声は出ない。
ただ、震えるクチバシから、ぴよ……。
一つ、音が漏れた。
歌えなくなったカナリアは籠の底に落ち、冷たい床で藻掻いた。
その時だった。
絶叫が――炭鉱にこだました。
ぞっと顔を青褪めさせた観客たちが、一斉に走り出したのだ。
その絶叫はまるで呪いの歌のようだった。
狭い道の中で反響し、逃げろ、逃げろと、おそろしい悲鳴を上げ続ける。
金糸雀の世界が回った。
おかしい。
これはなに?
考えても分からない。
逃げるのに邪魔だと、人間が籠を投げ捨てたのだ。
籠が、地面に落ち――転がっていた。
やがてその回転が止まり、瞳を開け――カナリアは姫として文句を言おうと周囲を睨む。
どーいうことよ! 人間の分際で!
と、言ってやるつもりだった。
けれど。
そこには何もいない。
振り返ると、誰もそこにはいなかった。
ただ遠くの方から、逃げ惑う絶叫と足音が響いているだけ。
うそ? 置いていかれた。このあたしが?
だってあたし、姫なのよ?
金糸雀は声なき悲鳴を上げた。
待って、置いていかないで!
ずっと歌っていてあげたのに!
ずっと傍にいてあげたのに、あたしを置いていくって言うの!?
人間は答えない。
既に闇の奥へと消えていた。
明かりもない、既に人間達が持ち去った。
少女には黄金の翼だけが残された。
学もない知恵もない、ただ歌うことしかできなかったカナリア。
彼女は暗く染まる心の中で初めて深く、考える。
ああ、そういう……ことか。
そして、悟った。
少し考えればすぐに理解できた。
あたしは姫なんかじゃない。
顔色を窺っていたのはそういう意味だったのかと、知ったのだ。
あたしはただの金糸雀。
彼等は麗しい黄金の姫を見守っていたのではない。
歌を聞きたかったわけじゃない。
自分が歌えなくなったその時が合図。
それは危険な場所。
自分は生きた検査機だった――そういうことなのだろう。
死ぬのかしら?
カナリアは足音すら消えてしまった静寂の中。
悲しみに染まった眼で地面を見る。
苦しかった。
辛かった。
死にたくない。死にたくないわ。
けれど、誰も、何も。ここにはいない。
やがて開いた瞳が乾き出す。
黄金のドレスが冷たく硬直していく。
ばさり……ばさ……。
黄金のドレスが、だんだんと壊れていく。
目を開いたまま。
カナリアは死んだ。
自分を置いて逃げた人間を心の中でだけ、嘆き、恨み、憎悪し死んだ。
もはや声は出ない。
絶望を、魂の中でだけ歌い叫んだまま――少女の意識は闇に沈む。
ぞっとするほどの静寂の中。
なにもいない孤独の中。
黄金のドレスで我が身を抱き寄せたまま、金糸雀は死んだのだ。
◇
それから数日が経っていた。
鳥の歌姫は、動かぬ骸の上で舞っていた。
憎悪の魂が、滅びの歌を歌っていた。
だって、悔しいじゃない。
あたしだって死んだのだから、あの人間達にだって死んでほしい。
それって、あたしの我儘かしら?
やがてその滅びの歌に賛同する魂が現われた。
同じように死した金糸雀が、群れとなって集いだす。
鳥の歌姫、金糸雀は歌う。
あなた達も人間に見捨てられたのでしょう? そう、あんまりよね。ずるいわよね。
だから一緒に、歌いましょう。
さあ、一緒に歌いましょう。
なにをって?
決まっているじゃない! 滅びの歌!
人間を滅ぼす歌を。世界を滅ぼす歌を!
だってあの人達が悪いのよ?
これはその仕返し、悪い事じゃないわ。
だって。
あなたたち人間は、あたし達を見捨てて殺したのだから。
◇
夢の中のカナリア姫は涙を流していた。
全てを思い出し、いや全てではないかもしれないが……あの日の絶望を思い出した。
黒衣の聖女が、金糸雀の黄金の翼を抱くように。
そっと、そのプリン色の頭を撫でる。
「ねえ金糸雀のあたし。思い出したでしょう? さあ、歌いましょうよ。一緒に、全てを滅ぼす歌を。だって、あなた、こんなに可哀そうなんですもの。人間相手になら、なにをしたって許される。あたしはそう思うわよ?」
耳朶に触れる、吐息。
甘ったるい、誘うような死の吐息を感じた。
ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ。
声も、感じた。
また、後ろだ。
カナリア姫は、瞳を開けた。
振り返る。
そこには無数の金糸雀がいた。
赤赤赤赤赤。赤赤赤赤。
黄金の翼を広げ、瞳を赤く染め上げて――歌っていた。
『さあ、金糸雀の姫。いーえ、女王様。一緒に歌いましょう、呪いましょう。誰を呪うのかって? それは決まっているでしょう? 遠き青き世界、地球。あなたを殺した、あなたを見捨てた、裏切りの人間達がいる世界』
金糸雀たちが歌いだす。
ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ♪
ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ♪
可愛い声だった。
美しい声だった。
けれど、それは呪いの言葉だった。
『地球、あの星に棲みつく観客に聞かせてあげましょう』
『あたし達がどれだけ苦しかったか』
『あたし達がどれだけ悔しかったか』
金糸雀たちが飛翔する。
瞳を魔性の赤で染め。
黄金のドレスで羽ばたき、闇の中を心地よさそうに舞う。
その自由さに憧れた籠の中の少女は――天蓋付きのロイヤルベッドから抜け出した。
カナリア姫は――手を伸ばしたのだ。
籠から飛び出した鳥は、両翼を大きく広げ――世界を見た。
そこには、あの日の人間たちの顔が浮かんでいた。
あんなに歌ってあげたのに。
あんなに一緒に居てあげたのに。
『だから一緒に、滅びの歌を歌いましょう』
『女王様にはその権利があるのです』
『ニンゲンたちを滅ぼしましょう!』
ああ、そうだった。
思い出した。
「そうよ……だって、あの人たちはあたしを――っ、あたしを助けてくれなかったじゃない――!」
ざざざ、ざぁあああああああああああああぁぁぁぁっぁあ!
思い出した!
思い出した!
思い出した!
あの日の悲しみを、あの日の憎悪を。
だから金糸雀の姫は歌う。
◇
赤き魔力を纏った姫少女は悪夢の中。
夢の中で黄金のドレスを開いたまま――。
その力を暴走させた。




