攻略ラストタワー ~にゃんこ(強)と愉快な仲間達~決着後編
大魔帝ケトスたる私が語るのは、一つの終わりの物語。
アン・グールモーアが、まだとある鳥だった頃の話だった。
彼の物語を魔導書として創世し、静かに一言。
『すまないが――ヒナタくん、他の人を頼めるかい?』
召喚ゲストライブの準備のため。
そんな言葉を言い訳に、私は――ヒナタくんにトウヤ君以外のメンバーを連れて、先に帰って貰うことにしたのだ。
異界の転生魔王様の愛娘は、眉を下げて。
けれど暗さを感じさせない顔を作り、頷いた。
「オッケー、じゃあ先に行って美味しいご馳走を用意しておくわ。今夜はパーティーなんだから、あまり遅くならないようにしてよ。あたしはともかく、きっと他の獣神達が食べちゃうんだからね。なーんて、それじゃあ、後でね~」
「それでは我が主、後は頼みました――」
ヒナタくんはそれを了承し、全てを知っているホープ君も頷く。
物分かりの良過ぎる聡い少女勇者の髪と、黒白猫の尻尾が遠ざかっていく。
グレイスさんは少し後ろ髪を引かれたようだが、それでも深い礼を残し――。
塔を降りた。
割れた塔の隙間。
去り行く姉の赤毛が、暮れていく空のオレンジ色に反射していて……。
それはまるで、甘い大学イモの輝く金色のようだと場違いな感慨が浮かんでいた。
もちろんそんなことを口にする程、愚かではないが。
静寂の中。
私は周囲に目をやった。
アン・グールモーアの端末は既に魔力消失と共に、消えている。
ここには眠る恐怖の大王。
アン・グールモーアと彼の世界を滅ぼした私と、そして彼のせいで人生を狂わされた人間。
殺戮騎士になるほどに、殺したくもない他者を殺した哀れな青年――。
立花トウヤ君。
三人のみが残されていた。
私はどんな顔をしていたのだろうか。
分からないが――トウヤくんの顔をきっと、穏やかな表情で見ているのだと思う。
ネコの口が開き出す。
『それでは語ろう。魔導書に記されたアン・グールモーア。とあるペンギンの物語を――』
崩れる塔を魔力で支えながら、私は暮れる太陽の下で語りだしたのだ。
そのために、顕現した魔導書が開かれていく。
それは終末を記した物語。
予言ではなく本当に起こった、楽園の終わりを記す魔導書。
アン・グールモーア。
彼が恐怖の大王、異界の主神として目覚める事となる、そのきっかけと生涯を綴る書だ。
世界の法則が書き換えられる。
童話魔術の応用で、その歴史を映像として顕現させた。
◇
時は遡る事、世紀末の占いの五百年前。
アン・グールモーアこと、かつてペン・グインと呼ばれていたペンギンに似た鳥は――数多くの仲間と群れを持っていた。
北半球のとある楽園で、何百万という鳥の楽園を築いていたのだ。
その時、まだアン・グールモーアは生まれてもいない。
その魂すらもない。
彼が生まれてくるのは、まだ先の話。
この時のペン・グインは幸せの中に棲んでいる。
平和な楽園だった。
彼等は天敵のいない世界で悠然とのんびり過ごしていたのだ。
血縁とも仲が良く、夫婦の仲も良く。
種族間の仲も良好。
とてもおだやかな種族だった。
終わらぬ楽園。
永遠に続く筈だった平和。
けれど。
楽園の終わりは突然。
天敵に発見された事がきっかけだった。
船が、やってきたのだ。
彼等は警戒心を知らぬ、心穏やかで人懐っこい鳥だった。
ペンギンのようなフォルムで、ガァガァ――がぁがぁ。
興味津々だった彼らは天敵とも知らずソレに近づく。
ガァガァとその顔を見上げた。
大きなサルたちは微笑んでいた。
にこにこ、てかてか。
満面の笑み。
きっとこれは良い生き物だ。
ペン・グインたちはそう考える。
だってこんなにもニコニコしている。まるで宝を見つけたように。
恐怖を知らない楽園に棲んでいた彼らは、ニコニコ猿に無防備に近づいた。
きっと、楽園を案内したのだろう。
ニコニコ笑う彼等、その名は人間といった。
彼等が去った後。ペン・グインは少し寂しくなった。
せっかく来てくれたのに、おもてなしもできなかった。
あんなに良い生き物なのに。
それが残念だ。
しばらくして――大きな船がやってきた。
それは人間達にとっては、さほど大きな船ではなかったのかもしれない。
けれど楽園の外を知らないペン・グインにとっては大きな船だ。
興味津々だった彼らは近づいた。
あのニコニコ笑顔な生物の顔を覗き込んだ。
遊んでくれるのかな? と、見上げたのである。
人間達、彼らはやはり笑顔だった。
けれど、その笑顔は笑顔であって笑顔ではない。
ろくに動かぬ、よちよち歩く宝を見つけた顔だったのだろう。
ペン・グインの瞳には、太陽が見えていた。
キラキラと輝く太陽だ。
その太陽の下、人間達は大きな棍棒を握り――ぐじゃり。
空は赤く染まり、太陽は色を失った。
そう。
人間達がニコニコ笑顔を浮かべていた理由。
それは人間を警戒しない間抜けな、そして飛べもしない大量の鳥を――宝を見つけたからだったのだろう。
楽園は血に染まった。
ペン・グインは生まれて初めて天敵を知ったのだ。
そうして彼らは――死んだ。
次々と死んだ。
死んで、死んで、死んだ。
狩りに、遊びに、ニコニコ笑顔な殺戮者達が毎日やってくる。
楽園の鳥にとっては地獄。
笑顔人間にとっては天国。
乱獲されたのである。
その羽毛を、肉を、脂を――うまく逃げる事も出来ない彼らは、狩人にとって良い獲物だったのだろう。
乱獲は続く。
乱獲は続く。
乱獲は続く。
時は過ぎ。
仲間の数は減っていた。
楽園は楽園でなくなっていた。
楽園は既に滅んだ。
邪悪なる恐怖の大王に支配されるようになったのだ。
けれどペン・グインは山ほどいる。
どれだけ狩ってもいなくならない。
やがて時が過ぎ。
ペン・グインはふと周囲を見渡した。
何百万といた筈だった仲間は、既に彼等だけになっていた。
まだ名もなきアン・グールモーアは卵の中で考える。
なぜ生まれる前の卵の彼が考える事ができるのか。
答えは簡単だ。
それはおそらく神の奇跡。彼がこの楽園で、最後の卵だったからである。
最後のペン・グイン。
それがアン・グールモーアの魂だった。
島には何も残っていない。
死骸の山すらも持ち去られた。
二羽のツガイと卵だけが残されたのだ。
それでも終わりではない。
孵化する前の魂は、両親の温もりを覚えていた。
楽園は滅んだ。
けれどまだ自分がいる。
卵は自覚をしていた、自分には特別な力があるのだと。
だから。
生まれる事ができれば、大丈夫。
滅びる楽園をなんとかできる、そう考えていた。
温かい日々だった。
両親の羽毛が、毎日自分を温めてくれるのだ。
楽園は死んだが、まだ――。
ある日。
急に周囲が冷たくなっていた。
父と母の温もりが消えている。
仲の良いツガイはいつも一緒に行動をしていた、二羽で交互に卵を温めるのだ。
だから、今日もその筈だった。
なのに冷たい。
ゴン。
鈍い音がした。
何かがつぶれる音だ。
何かがおかしい。
目覚めぬ卵は魂のまま外を見た。
そこには地獄が広がっていた。
まず目に入ったのは動かぬ黒い羽毛。
父であるオスのペン・グインはツガイである母を守ろうとし――こん棒で殴られ殺されていた。
犯人は人間だ。
ニコニコ笑顔で虐殺を行う、残酷な生き物。
次に目に入ったのは、揺れる黒い羽毛。
どさり。
卵を守ろうとする母は、そのまま絞殺された。
死体はそのまま運ばれていく。
彼等は貴重な最後の宝。
その身は剥製とされ、最後のペン・グインとして稀少価値のある死骸として売られていくのだ。
そして。
その騒動の中。
アン・グールモーアの魂は死んだ。
生まれる前に割れていたのだ。
卵を守り、ガァガァと鳴いた父と母。
その声も願いも天に届くことはなく。
最後のペン・グインは生まれることなく、死んだ。
世界は死んだ。
アン・グールモーアの卵は、そのままゴミのように投げ捨てられたのである。
最後の卵。
その白い楕円がつぶれる様は――まるで灰化し壊れる地球の様だった。
割れた卵から、雫が垂れる。
ポトリポトリと、流れる雫さえ――やがて塵のように流れて消えた。
楽園には憎悪の魂だけが残された。
それこそが、楽園が終わった瞬間。
それは、一つの世界が終わった瞬間でもあった。
ペン・グイン。
まだ人間達にペンギンが発見される前に、ペンギンと呼ばれていた鳥。
オオウミガラス。
人間の手によって何百万羽と殺され、絶滅した種。
オオウミガラスにとっての恐怖の大王。
それは人間。
終わりを齎す神とは人間だったのだ。
人間に与えられた終末予言とは違い、滅びが現実となった終末。
本当にあった終わりの物語だった。
楽園は死んだ。
そこには何も残らなかった。
◇
最後のペン・グインだった卵の魂は、世界を彷徨っていた。
人間を恨み、憎悪し。
その憎悪を纏って世界の狭間を彷徨っていた。
それはまるでブレイヴソウル。
生まれる事の出来なかった――力ある泡子。
アン・グールモーアになる魂は考える。
ニコニコと笑顔で虐殺を行う人間を、許したりはしない。
楽園を滅ぼした人間を、許したりはしない。
世界を終わらせた存在を許したりはしない。
やがて魂はとある楕円の隙間に入り込んだ。
とても穏やかな場所だった。
静かで暖かな場所だった。
ガァガァ――と仲良く自分を温めてくれた羽毛を思い出し。
しばらく温もりに包まれていた。
そこが何なのか、分からなかった。
けれど、何者かに温められているのだとは分かる。
ある日。
生まれる事の出来なかった最後の命は、ふと目を開いた。
そこには自分たち、優しい父と母とよく似た種族が自分の顔を覗いていた。
黄金の美しい飾り羽をもつ。
イワトビペンギンと呼ばれる、外見だけは父と母に似ている鳥だった。
生まれることなく殺されたペン・グインは、ペンギンとして転生したのだ。
転生特典は、不可視の能力。
もう二度と絶滅しないための力――敵から身を隠す能力である。
そしてもう一つ。
自らの分身端末を生み出す能力。
絶滅を防ぐ、一種の危機回避能力であった。
そして時は流れ――彼は大人となり。
思い出したのだろう。
人間への恨みを、世界を滅ぼされた哀しみを――鳥の頭脳に思い浮かべたのだ。
そこに、奇跡が起こった。
人間達が恐怖の大王を召喚しようとしていたのだ。
共鳴が起こった。
それは偶然だったのかもしれない。
それとも神と呼ばれる存在の、慈悲や悪戯だったのかもしれない。
真相は分からない。
けれど、神としての力を授かる権利を有していたのは現実だ。
人間達が抱く終わりへの畏怖。
負の感情が漂っていた。
その偶像に、人間を終わらせるほどの恨みを持つ彼が選ばれたのは――はたして偶然だったのだろうか?
やはり真相は分からない。
天命を受け、力を授かったペン・グインは神となった。
恐怖の大王としての資質を手に入れたのだ。
かつてペン・グインだったペンギンは言った。
「父上、母上。吾輩は神となります。神となって、今度こそ楽園が滅ぼされないように――人間を滅ぼしたいのであります」
言われた両親は、ガァァァ?
ただのペンギンである彼等には、言語が理解できないのだろう。
けれど彼は言った。
「吾輩は今日からアン・グールモーア。世界に滅びを齎す神を顕現させる、恐怖の大王となるのです!」
決意するための言葉だった。
今度こそ、仲間を守る。
楽園を守る。
そのために、アン・グールモーアは旅立った。
「吾輩こそがアン・グールモーア! 吾輩こそが恐怖の大王! 終わりを齎す破壊神を召喚させる、復讐の神なり!」
人間達の恐怖の大王への畏怖を信仰の力とし――次元を渡り、異界の人間達の住まう世界で神となった。
ブレイヴソウルの亜種ともいえる彼の力は強大だった。
終末予言への畏怖を取り込んだ、その力も強大だった。
彼は主神となり。
そして、見た。
人間達が、異界より人間達を呼んで奴隷としているのである。
憐れだと思った。
憐憫が浮かんだ。
けれどだ。
よくよく見ると、その大半が青き遠き世界の住人。
そう、憎きあのニコニコ笑顔の人間どもだ。
アン・グールモーアは思った。
何故救う必要がある?
彼は冷めた鳥目でそれを承認した。
かつて自分たちの楽園を滅ぼした人間、それを奴隷と使役する世界を認めたのである。
主神であった彼ならば救えた。
神の言葉で、異界人を使役するその行為を止めればよかっただけ。
けれど、止めなかった。
彼の心に浮かぶのは、あの両親の温もり。
ガァガアと鳴く懐かしき声。
撫でても貰えず、抱きしめても貰えず。生まれる前に死んでしまった楽園と世界への、望郷。
彼はこう思ったのだろう。
世界を滅ぼした悪魔たちを、何故吾輩が救う義務がある?
勝手に苦しめばいいのである。
勝手に滅びればいいのである。
止めて欲しいのならば、楽園を取り戻してみせるがいい。
何百万といた同胞を駆逐したお前達に、救われる権利など――ない。
そして時は過ぎ。
大魔帝ケトスを名乗る異神が現われた。
彼の者は何者かに導かれたのだろう。
召喚されたのだろう。
それは狭間に取り残された人間の魂。
終わりを運ぶモノとして、世界に顕現したのである。
気に喰わぬモノ全てを滅ぼし、世界に終わりを齎したのだ。
まるで、あの終末の予言を成就させるかの如く。
偶然か。
必然か。
大魔帝ケトスこそが、終わりを齎す神だったのか。
それは誰にも分からない。
もし本当にそうであったのなら――或いは、青き星を滅ぼす神もまた――。
◇
語り終えて――。
私は一冊の魔導書を閉じた。
《滅びし楽園のペン・グイン》
ペンギンとは違う、ペンギンの終わりを記した書であった。
『これが、彼がアン・グールモーアとなった経緯。滅んだ楽園の最後の卵。その亡霊が掴んだ、恐怖の大王として降臨した物語さ』
既に落ちかけた太陽。
黄昏の中。
崩れかけた塔の隙間から覗く、夕焼けの下。
淡々と告げた私は、ただ茫然と空の赤色を見上げる青年を見た。
殺戮騎士の瞳に浮かぶ雫。
彼は泣いていた。
自分の人生を狂わせた敵、その正体を知って――ただただ綺麗に泣いていたのだ。
きっと優しい心の持ち主なのだろう。
だから、泣いている。
私はあえて冷静な声で、神父の吐息で言葉を繋ぐ。
『このペンギンが恐怖の大王の伝承と共鳴した理由は、これ。種の絶滅。すなわちそれは滅んだ世界、終末。終わりという共通の属性が、最後の命としての特殊アビリティを受けた強力な個体、そして転生者であったアン・グールモーアと――引き寄せ合ったんだろうね』
神へと至るまでには理由がある。
おそらく。
アン・グールモーアは相当に、人間を恨んでいたのだろう。
トウヤ君は静かに、眠るアン・グールモーアに目をやった。
コミカルに目をぐるぐるさせているペンギンだ。
けれど。
その魂には、憎悪や恨みが詰まっている。
おそらく、このまま消滅させてやるのが一番いい。
昔の私ならどちらに協力をしたのか、それは分からない。
けれど、きっと。
あの日々。グルメを通じて人間達と触れ合っていなければ――私はアン・グールモーアのツバサを握っていたのではないだろうか。
彼が望むまま、彼が顕現させる筈だった――終末を齎す神として顕現。
この地球に、滅びを齎していたのだろうと思う。
でも、今は違う。
そうはならなかった。
今の私はきっと、まともな人間もいるのだと信じて――この世界を救ってしまうだろう。
だから。
私はこのペンギンをここで、永遠に眠らせる。
揺れる青年の赤き瞳を見て、私は猫口を蠢かす。
『私は初めに語ったね。それでも君が被害者であることに変わりはないと。かつてただの鳥の卵だったアン・グールモーア、彼の種族が理不尽に滅ぼされたのは事実だ。それでも君が受けた仕打ちが、非道であったことも事実だ。君は君としてその理不尽に怒る権利がある』
「それでも俺は――っ」
吐き捨てるとは違う。
強く吐く言葉とも違う。
擦れた言葉が、青年の口からは零れていた。
「俺は……」
やっぱりこうなったか。
きっとこの青年が事情を知れば、心が変わってしまう。自分が受けた仕打ちすらも二の次にして、哀れなペンギンの物語に共感してしまう。
そんな直感はあった。
だから。
誰にも語らぬまま――この物語を閉じるつもりだった。
私と分身端末であるホープ君の中だけで、終わらせるつもりだったのだ。
けれど、今。
被害者でもあり、加害者の種族でもある人間の青年が――こうして私に訴えるように、ぎゅっと唇を噛んでいる。
「うまく、言えねえんすけど……俺は、そのペンギンに滅んで欲しくないんだと思います」
綺麗ごとだった。
まるで物語のような、単純な言葉。
けれど、どこかその言葉を私の心は喜んでいた。
猫毛がぶわりと膨らむ。
人の心の輝きと光に、歓喜さえしていた。
それでも私は言う。
『アン・グールモーアは君を苦しめた世界の神であり、君を襲い、何年も昏睡状態にした悪だ。君の誘拐事件でお姉さんは傷つき、その人生を狂わせた。その原因でもある。元をただせば人間のせいかもしれない。けれど、いやだからこそ――人間の世界を考えるなら、ここで処理をしてしまった方が平和に終わる』
口から、次々と言葉が流れる。
『おそらく、このペンギンの憎悪が消える事はない。その証拠に、既に人を何人も殺めている。そしてここで放置すれば、犠牲者は増える。君だけの問題ではなくてね。これ以上の犠牲者がでないように、悲しい思いをする存在が増えないように――滅ぼすべきだと、私は提案する。既にそれだけの罪をこのペンギンは犯しているんだ、仕方のない事だと――どうか君にもそう思って欲しい』
建前ときれいごと。
都合のいい事を、この私が口にしている。
それも私には不思議で仕方がなかった。
私はきっと。
既に大きく変わっているのだろう。
「無理ですっ、だって俺だって! もし、このペンギンと同じ立場だったら、きっと……っ」
トウヤくんの言葉は途切れてしまう。
噛んだ唇は赤く。握る指の爪先は、白く変色していた。
しばらくして。
浮かんだ感情をそのまま言葉にするような息が、漏れた。
「こんなの……っ、だって。どうにか、ならないんすか……っ。俺だって、色々憎い事があります。今でも疼く憎悪が、あの日々を思い出して――殺せ殺せって、瞳に宿って訴えていて、でも――このペンギンの心も理解できてっ……俺は、死んでしまった人々の心を無視して、ペンギンに死んでほしくないとも思っていて……っ」
まだ彼の心は成長しきっていない。
大人になる前に、召喚されてしまったから、まだ純粋なままなのだろう。
その青臭さが、私には酷く愛おしいものに思えていた。
もし、彼が。
こんな恐ろしいペンギンは危険だから、早く滅ぼしましょうとニコニコ笑顔で口を蠢かしていたのなら――。
赤く染まった空と、色を失った太陽なような顔をしていたら。
世界の運命は変わっていたのかもしれない。
私は魔猫。
天邪鬼な悪戯ネコ。
この青年の魂が醜く黒く歪んでいたのなら――世界は終末の予言を成就させていたのかもしれない。
それも一つの可能性。
そんな、冷たく黒い感情を心のどこかで覚えつつ。
そうはならなかった現実を見て。
この場に居合わせた主神クラスの神として、私は行動をする事にした。
大人として、提案したのだ。
手を伸ばした。
ネコの手だ。
『そうだね。確かに、部外者である私がこの世界のためだ! なーんて正義感で、邪魔をするのも理不尽か。既に一度、私はアン・グールモーアの復讐を邪魔しているわけだし』
悪戯ネコの顔で、少し道化っぽく……。
私は、んーむと考える。
そして。
言った。
『ならば契約をしよう、運命の歯車を狂わされた哀れなる殺戮の騎士よ。ただ一度、私はこの場だけはこの者を見逃そう。その代わり、もしこのアン・グールモーアが無関係な人間を殺してしまったとしたら――その時は、君が責任を持つんだ』
「責任?」
『ああ、そうさ。しばらく、アン・グールモーアと君の魂を繋げる。眷族契約を執り行うことにした。君がマスターだ。契約期間、君にはアン・グールモーアを制御し、他人を殺めぬように監視する義務が発生する。もし、このペンギンが君の心を裏切り、看過できないレベルの罪を犯したら――君が君の責任で断罪をする。約束できるかい?』
トウヤくんが、言う。
「それってつまり……このペンギンを身近に置いて、監視しろって、ことっすか?」
『まあ、そういうことだね。そして責任が発生した以上。もし問題が起こったら――君もその命を消失する。それは覚悟して貰うよ』
些か、強い口調で私は告げていた。
トウヤ君は言葉を受け止め、その意味を考えている。
まあ、契約時に制限をかけるから。
ペンギンはそういう行動ができなくなるんだけどね……。
これはトウヤくんの覚悟と意思を確認しているのである。
考えた末の結論が浮かんだのか、彼は言った。
「分かりました。お願いします」
『了解だ。まあホープくんを見ている限りは……大丈夫そうな気もするけどね。ともあれ約束は約束だ。もし何かあったら私はこの場を見逃した責任を自分で取る。それだけは覚えておいてくれ』
ようするに。
なんか起こったら私の責任で全部解決するよ、そういう意味でもある。
少し甘すぎるかなとも思うけど。
いいよね。これくらい。
彼はそれくらいの甘さを受ける権利が、私にはあると思うのだ。
だって私、猫魔獣だし。
好き勝手やっても許されるし、ねえ?
「あー、でも、なんつーか……もし俺がそれで死んじまったら、姉ちゃんにごめんって、詫びてたって言ってくれますか?」
かつて人間に絶望した青年。
その口からは、姉を思う言葉が零れていた。
『私がグレイスさんから恨まれないように、そうならないことを願っているよ』
苦笑して、私は魔力波動を纏う。
十重の魔法陣を展開。
『準備はいいかい?』
「いつでも。ありがとうございます、ケトスさん……なんつーか、何度も、甘えるみたいになっちまって……その」
『まあ年上に甘えるのは悪い事じゃないさ。これでも私は君よりもかなり年上だからね』
ナイスミドルな微笑を浮かべる私。
渋くて素敵だね?
「何歳なんっすか?」
『ふふふ、それは内緒さ』
不敵に笑い。
私は――契約の儀式を執り行った。
◇
日は完全に暮れて、一つの物語が終わり。
そして新たな物語が始まった。
アン・グールモーアは、かつてペン・グインと呼ばれた絶滅種は――きっと人間を許すことはないだろう。
私も憎悪の魔性。
永遠に残り続ける感情もあるのだと、知っていた。
けれど。
グルメを通じで私の心に光が差したように、いつか彼にも……。
そう思ってしまった私はやはり、甘くなっているのだと思う。
アン・グールモーアが目覚めたら、とりあえずマグロでもご馳走してやるか――と。
主であるトウヤくんの腕の中。
ガァガァと寝息を立てるペンギンの顔を見た私は――。
祭り会場へと亜空間を駆けた。
さあ、今から大規模イベントのメインステージなのだ!




