【SIDE:鬼天狗】ダンジョンタワー ~謎のプレイヤー・ケトス~前編
【SIDE:鬼天狗】
異界の四獣神が集ったあの日。
彼らが世界に鬼畜ダンジョン要素をばら撒いてから、一か月が過ぎていた。
人間の好青年に化けた鬼天狗は背広姿のまま、じっと神の建造物を見上げた。
天高く聳えるダンジョンタワーに目をやり。
ムフーっ。
内心だけで歓喜していたのだ。
――ふむ、よもや我の作り出した愛しきゲームが現実に顕現するとは。
武神たる自らさえも苦戦するだろう仕掛けを施した、あのソシャゲ。
どうにも売上自体は奮っていなかったが、一部の層からの熱い声が届いていた素晴らしきダンジョンゲー。
寝ずに考えた魔物の数々。
夢溢れるダンジョンを実際に攻略できるのだ。
鬼天狗はこう思っていた。
「夢が叶ってしまった――か」
と。
彼はあの魔猫達にうっかり感謝しそうになり。
こほん。
貌をギロっと引き締める。
強面だが女性受けする顔立ちを隠し――凡人に化ける鬼天狗は、今、とある男と待ち合わせをしていた。
時は早朝。
場所は顕現した超難度ダンジョンタワーの入り口。
この一か月でこの世界の住み分けはだいぶ進んだ。
乙女ゲーやギャルゲーを楽しみたい者。
この夢の中の二年間をただのんびりと、静かに過ごしたいと思っている者は――顕現したダンジョンには入らない。
彼等が相手にするのは、公園や観光スポットに湧く魔物。
いわゆる――雑魚モンスター。
それなりにしか強くない敵を相手にし、スキルや魔術を習得。
日々の暮らしの中で、ちょっとした遊びが増えた感覚で過ごしている。
彼等のほとんどは一般人。
チュートリアルにでてきた案内キャットに説明された通り、この世界がただの長い夢だと信じている者達だった。
反面。
そうでないモノも現れ始めている。
元から魔力を持っていたモノや転移帰還者達。
魔術や超常現象に才能があった者。
鬼天狗のようにかつて信仰されていた土着の神達や、陰陽や魔術、サイコキノを中心とした超能力者。
いわゆる常人ならざる者達は気付いたのだ。
これは現実世界だと。
ここが高位の魔術で支配された結界の中であり、世界に何かが起きていると。
社会の裏、血で血を洗うほどに戦い合っていた能力者達の――長い戦争すらも、この怪事件で休戦。
長年争っていた異国の神同士の睨み合いすらも、休戦。
キノコ信仰とタケノコ信仰の争いさえも休戦。
あまりにも規模の大きなこのソシャゲ化日本のおかげで、何故か平和になっているほどなのだが。
ともあれ。
この世界が現実である。
それに気付いた瞬間、チュートリアルで説明を担当する案内キャットが裏の顔をみせるようになる。
このソシャゲ世界の秘密を語りだすのだ。
曰く、地球は五年から十年後に滅んでしまう。
自分たちはそれを阻止するためにやってきた異世界神。
二年間という時を二週間に凝縮して、死んでも蘇る、いや――なかったことになる夢の世界を作成。ゲームというスキンを被せ、地球人達にスキルや魔術を潜在的に植え込み、未来を変えようとしている。
そういうのだ。
そして案内キャットは朗々と語る。
強くなりたいのなら。
終わる世界を変えたいのなら、日本各地に顕現した様々なダンジョンタワーを登れ!
と――猫毛をモコモコ、ふわふわさせて大喜びで語るのだ。
『そこは、死んでも外に出されるだけで命を落とすことのない場所。
そこは、ゲームを通じて己が魂を鍛える場所。
さあ、登れ。
登れ、登れ、登れ!
その頂上には様々なギフトが用意されている。
世界を救いたい者も、ただ力が欲しいモノも。
限定超絶レアリティなイケメン男性キャラが欲しいモノも、限定ウルトラレアリティなかわいい女性キャラが欲しいモノも。
さあ登れ!
この難関を登りし者には、宝を受け取る資格があるのニャ!』
と。
妙に太々しい顔をして言うらしい。
難関ダンジョンの攻略――そして魂の成長。終わる世界を救うための一手。
それこそが、裏モード。
このソシャゲ化したダンジョン領域日本の裏世界。
あの黒猫が望む世界構造だったのだろう。
何人かの人間がそれに気が付き、一月前に突如顕現したダンジョンタワーに挑戦した。
それは鬼畜の名にふさわしい糞ダンジョンだったらしい。
すぐに諦めるモノが続出した。
なにしろ本当にクソだったのだ。
突入と共にアイテムはなくなり、レベルも最初期に戻され、スキルも魔術もなくなってしまう。
むろん、ダンジョンから外に出ると全て元に戻るのだが――。
アイテムもレベルも魔術さえも、中に持ち込むことができないのである。
なのに中はありえないほどのクソゲー。
入った瞬間切り殺されるなど、序の口だった。
待ち受けているのは様々な悪意の詰まった罠。
そして、登場階層を間違えたのではないかと疑われるレベルの、糞設定な強敵ばかりが揃っている。
ダンジョンタワーはただのバグステージ。
すぐに話は風化し、誰しもが三日もすれば忘れてしまった。
そしてこう思った。
あの案内猫の話はデマだったのだろうと。
しかし、その数日後。
クソの中のクソ。二度とやるかこんなクソゲー! と呼ばれたダンジョンタワーを登り切った者がついに現れたのだ。
それは一人の女子高生だった。
糞と呼ばれた塔を登り切ったその理由は単純。
最上階の報酬が目当てだったらしい。
金が目当て?
いや違う。
伝説の武器が目当て? それも違った。
塔の頂上にはあそこにしかない、他の何ものにも代えられない報酬があったのだという。
それは――例の乙女ゲーで大人気だったオジサマキャラ。
悪魔執事セイバス。
抱き枕まで販売され、一般女子にまでその名を知られていたキャラが、目当てだったというのだ。
女子高生曰く。
よりにもよって理不尽死にゲーなダンジョンタワーの、最上階ドロップ報酬に設定されていたらしい、とのこと。
それが判明したのは偶然だった。
女子高生はポテチを齧りながら、夢猫テレビの前で語った。
『え? インタビュー? いいけど、へへーんいいでしょ! あたしの専用の執事セイバスおじ様よ!』
その女子高生だけが、何故か人気オジサマの召喚カードを入手していたことが騒動のきっかけ。
この夢の世界では未実装だと思われていたキャラが発見されたことで、夢猫ネットが騒然となったのだ。
それを聞きつけた執事オジサマファンが、女子高生に質問攻めをしたのである。
『まあ、別に秘密ってわけじゃないから話してもいいけど、あのダンジョン、ほんとうに死ぬほどクソゲーよ……? セイバスおじさまが一発ドロップしなかったら、ブチ切れる自信があったくらいのね』
と。
女子高生も隠すつもりはなかったらしく、塔の場所も攻略方法も発表した。
そして実際、その女子高生以外にもクソオブクソタワーを攻略したモノ好きが現われ、実際に様々な報酬ドロップを獲得した。
その一覧の中に、ドロップこそしなかったが悪魔執事セイバスの召喚カードも表示されていたのである。
つまり。
最上位のレアは塔を攻略するしかない。
そして、一番レアなイケメンもかわいい女の子も、塔の天辺に行くしか入手手段はなし。
ガチャでも手に入らないのなら――。
そしてこれはどうせ夢なのだ。
塔で負けても、何回でもやり直せる。
いままで興味を持っていなかった層も、塔の攻略をしはじめ。
主婦ですら塔を登るようになった。
なにしろ突入と共に全てが初期化されるのだ。
事前に持っている資金や地位も関係ない、あるのはただ素の実力と運のみ。
チャンスは誰にでもある。
もし運よく塔を攻略し、超絶レアな召喚カードを手に入れる事ができれば。
その稀少性は絶大。
かなりの自慢にもなる。
なにしろこの塔はクソなのだ。
なかなか攻略などできやしない。
それが案外に人間の心を惹いた。
それに――。
途中の特定階層には、ダンジョンを抜け出す手段が用意されていた――その時に持っていたアイテムごと転移し帰還、持ち帰れる魔術のスクロールまで存在していたのである。
それが大きかった。
最上階に登らずとも、手に入るものがあるのだ。
経験とちょっとの宝と夢。
運よくクリアできれば、皆の注目を集める事ができる。
乙女はレア召喚カードを求めて。紳士もレア召喚カードを求めて。
そしてなにより。
実際に世界の終わりを確信した者達は、その未来を変えるため。
皆がクソゲーアンドクソゲー塔に興味を持ち始めた。
夢の世界には空前の、クソゲーダンジョン攻略ブームが訪れていたのである。
そのブームの中で一人。
とある有名なプレイヤーが出始めていた。
各所の鬼畜オブ鬼畜な塔を次々と制覇している猛者が一人、現れたのである。
その名をケトス。
魔猫のアバターを使っている、ありえないほど熟練したソロプレイヤーだった。
そして。
鬼天狗の待ち人の名はケトス。
更に特筆すべきは――世界にダンジョン要素をばら蒔いた四柱の中。
主犯だと思われている黒猫の名もケトス。
そう、鬼天狗はついに発見した。
あの首謀者とおぼしき人物との、接触の機会を得たのである。
◇
待ち合わせの場所に現れたのは、酷く蠱惑的で物腰の落ち着いた一人の紳士だった。
長い前髪に隠れ、瞳の色は覗けない。
けれど、人の目を惹く美貌を持ち合わせていると明らかに分かる、端整な男だった。
鬼天狗は思わずネクタイをぎゅっと引き締め、息を吐く。
人違いだったか。
そう思い始めていたのである。
なにしろあの、暴走大迷惑ぶっとび猫神とは正反対な静寂を纏う男だったからだ。
カツリカツリ。
まるでならない筈の足音を作るかのように――少々、わざとらしい靴音を立てて男は鬼天狗に近づいた。
太陽の位置が悪かったのだろう。
聳えるクソゲー塔に作られた影に、表情を隠し――。
黒髪の男は唇を蠢かせた。
『すまない。私に用があるという記者くんは、君でいいのかな?』
「え、ええ……すみません。急に連絡をいれてしまい。えーと……」
相手に名を語らせたい。
鬼天狗はにゃんスマホの録音機能をオンにして、促していた。
黒髪の男は言った。
『私はケトス。まあ本当の名ではないが許しておくれ。私は現代のゲームにあまり詳しくないのだけれど、あまり本名は名乗らないモノなのだろう?』
「そうですね。失礼いたしました、我、いえワタシは小仁井典雅と申します。本日はよろしくお願いいたします」
軽く握手を交わし、二人はダンジョンタワーの前にある簡易喫茶店に入店する。
一瞬。
黒髪の男は店内を見渡した。
鬼天狗の胸に、ふっと冷たい感覚が走る。
――気付かれた……か?
老骨な店のマスターが、ぎょろりとした目を動かし。
ウェイトレスの女性が、紫色の口紅をふふふと輝かせる。
杞憂だったのか、黒髪の男は予定通りの席に座り。
ゆったりと言葉を漏らす。
『申し訳ないのだけれど、昼食がまだで……インタビューを受けている間に食事を済ませたいんだ。注文させていただいても構わないかな?』
「はい、経費で落としますので――ここの勘定はこちらでお持ち致しますよ」
人に化け、性格も化ける鬼天狗は屈託のない笑顔を送ってみせる。
ただのお人好しな、どこにでもいる記者。
そう装っての提案だったが――。
ぶふー!
ウェイトレスの女性が、思わず吹き出していた。
鬼天狗の眉間に、びっしりと青筋が浮かぶ。
思わず角が飛び出てしまいそうになったが、そこは耐え――心の中でだけ、唸っていた。
――琵琶天女め。これでは……っ、作戦が失敗してしまうではないか。
そう、旧神達はここで黒き魔猫を結界に閉じ込め、封印。
その後、力を弱体化させ対話をしようと考えていたのである。
つまり、これは罠なのだ。
既に、異国の神の力を弱める結界は発動している。
「あら、失礼しましたわ」
「すみませんのう……この娘は、ちょっと頭が、その、アレでな?」
メニュー表で軽く女性の頭を叩く老人店主に苦笑し――。
黒髪の男は、眉を下げる。
くっきりとした口角を微笑させ、今度は記者に化ける鬼天狗に告げた。
『ご厚意は嬉しいけれど、さすがに奢ってもらうわけには――ねえ?』
「いえ、構いませんよ。できたらインタビューに細かく答えていただきたいので、報酬から引いたりはしないのでご安心ください」
『そうかい? なら断るのも失礼だし……すまないが、全メニューを一通り頼めるかな?』
注文し終えた、その直後。
黒髪の男は言う。
『それで、君は本当に何の用があって私を呼んだんだい?』
少し、語気が変わっていた。
まるで注文さえ終われば用はない。後はどうでもいい。
そんな空気にさえ思えて――。
角を隠しながらも、鬼天狗は眉間の皺をきつくする。
「え、ええ――それはもちろん、ダンジョンタワーを次々と踏破されているランカーのあなたに、色々とお聞きしたくて。なにしろ、今の貴方はネットの有名人ですからね」
『ランカー?』
「ランキング上位にいるプレイヤー、と思っていただければ。まあ、これは夢の中なので、ランキングもなにもないのですが」
あくまでも夢だと思い込んでいる。
そんな記者を演じ続けて、鬼天狗は好青年風な笑顔を作り。
「攻略の秘訣などを、購読者のみなさんにお伝えできれば――と」
『とはいっても――私も皆と同じでレベル一から、普通にスタートしているだけだからね。何度も何度も繰り返し、登り続けているだけだよ』
男の声は少し弾んでいた。
ゲームを純粋に楽しんでいる、そんな空気だ。
鬼天狗はほぅと息を漏らした。
「中にはこの素晴らしいタワーをクソゲーだと仰る方もいらっしゃいますが、どう思われますか?」
『そんな人がいるのかい? これほど素晴らしいゲームは初めてなのに、その人たちは勿体ないね』
きゅん!
鬼天狗はうっかり揺れる心のまま、よっしゃー!
と、身も心も弾けそうにさせるが、ぐっと耐えて――。
あくまでも記者の顔と声で言う。
「素晴らしい、ですか」
『ああ、特にどれだけ塔で成長しても、ちょっと油断するだけで即追い出されて全部失い、最初から――あの緊張感も素晴らしい。実にいい。まだ成長途中だったあの日、あの方との懐かしき心を思い出させてくれるからね』
「それでは貴方にとってこの塔ゲームは」
ドキドキしながら問いかける。
男は心底からこの鬼畜ダンジョンを愛している。
そう、直感があったからだ。
案の定、目の前の男は微笑み頷いた。
『大満足さ。無礼にも罠を用い――私を待ち構えている君達を、即座に消そうとはしないほどにね』
「え?」
空気が変わる。
一瞬だった。
たった一瞬で、ぞっとするほどの威圧感が周囲を重く締め付け始めたのだ。
『君達だろう、このソシャゲを生み出した神々は。君達の中の誰がこの極上な鬼畜ダンジョンゲームを生み出したのかは知らないが、おめでとう。君達は――この素晴らしきゲームによって生かされているのさ』
ズン――ッ!
凍てつく空気の中、店員たちが飛んだ。
「鬼天狗! 全てバレておるようじゃ! 破邪顕現! 黒点栄羽の――ッ」
「ぶっ放すから退いてちょうだい! 神力解放! 清き泉の……っ」
旧神達が本格的に動く――その前に。
パチン、男の筋張った指が音を鳴らす。
『おっと、面倒はごめんだよ――魔力解放。《鳥籠を囲う闇猫》』
ざざざ、ざぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!
闇が襲う中。
鬼天狗は変身を解き、角とツバサに魔力を這わせ――唸る。
「老公! アホ女! 貴様――っ、いったい何を!」
『おっと、動かない方が良いよ。私とは違い、私の猫は敵には凶暴だからね』
淡々と告げる言葉。
その意味を察した鬼天狗は、ぐっ……と息を呑んでいた。
背後にも足元にも、モコモコもふもふなネコ達が、ギロ!
ギロギロギロギロ!
次々と、赤い瞳が輝き出す。
まるで地獄の底に誘うハンターの顔で、ぶにゃ~!
足に、翼に、腕に――肉球をかけて、クイクイクイと引っ張っていたのだ。
爪を出されていたら、死んでいた。
鬼天狗は心で唸る。
――影を無数の猫に支配された……っ、しかもこいつら、遊んでいるだと……っ! くそ、動いたら――。
殺される――。
ごくり。
もう一度、深く唾を呑み込んで――鬼天狗は闇猫に囚われた自分たちに目をやる。
対する黒髪の男は――じぃぃぃぃぃぃ。
影猫による縛りを確認するように、赤き瞳を輝かせ。
更に周囲をチラリ。
魔術師の顔で、自らの理論を確かめるように。
その唇が動き出す。
『かつて異国より流れ着き土着神となった者達。神を信じなくなった現代社会、信仰の衰えと共に力を失いつつあるとはいえ……君達の結界内でも、私の影猫魔術の効果は衰えないか――それとも、あの素敵なタワーのおかげで、私の能力がまた一層、高まっているのかな』
憎悪に染まるその紅き瞳の先にあるのは、蠢く闇猫達。
一匹一匹が、神の器に近い眷族なのだろう。
続いて。
ネコに戒められた神を見下ろし。
『ひーふーみー。あれ? あの時にこちらを覗いていたのは八柱だと思っていたんだけど、三柱か。まあ、いいけれど――そうだね、改めて自己紹介をさせて貰おう』
誰にともなく告げて。
飄々とした様子の黒き男は、慇懃に頭を下げた。
『初めまして、異界の神々よ。君たちにとっては、こちらが異神になるのかな? 私はケトス。大魔帝ケトス――安心しなよ。敵じゃないさ――今の所はね』
大魔帝ケトスを名乗る男は――。
嗤っていた。




