魔獣聖戦 ~かつて女神に仕えし獣~前編
女神の双丘に似た、ただただ平らな草原が広がる地。
裂けた空の亀裂。
次元の隙間からこちらを覗く紅き瞳は、このディガンマ大陸の主神。
ブラックハウル卿。
それは――私の知るワンコで大魔族。
友でもある神獣。
魔狼ホワイトハウルが異なる道を進んだ異界での姿。
もし――魔王様が滅ぼされていたら。
そんな。
あまり考えたくもない世界で主神となった存在だった。
黒き獣毛に覆われ、血のような紋様を沸々と滾らせながら。
彼は言う。
神の咢を開き――共に人間を滅ぼさないかと。
対する素敵ニャンコな大魔帝ケトス。
すばらしき私は相手のペースに呑まれないように猫の口を、うなんな!
『あのさあ、ホワイトハウル。悪いんだけど、私が……魔王様から無辜なる人間をむやみに殺しちゃいけないって言われているのは覚えているだろう? 君の願いを聞き入れるわけにはいかないよ』
一瞬にして、転移。
私の背後の次元から、もそっと――細くシュッとした顔だけを突き出し。
獣は咢を開き言う。
『ん? なーにを言っておるのだ? 魔王様の言いつけを破る事にはなるまい?』
『だーかーらー、罪もない民間人を滅ぼすつもりはないって言ってるの!』
今の転移は私にも見えなかった。
振り返り告げたその時には、また違う次元に入り込んでいたのだろう。
今度は奥の平原から、モフっとした耳を出して。
グハハハハハハハ!
グハハハハハハハハハ!
やはり顔だけを突き出して、この世界の主神は妖しく嗤う。
『グハハハハハハハ! 問題あるまい、何故なら人間は人間である時点で罪。もはやその種族自体が不浄なる生き物、生きている理由などないウジ、世界に寄生する害虫であろう?』
『それ、本気で言ってるのかい?』
人間は憎い。
けれど、私の考えはそれは個人に対する恨みや憎悪であって、全体に向けたモノではなくなっていた。
けれど――ホワイトハウルは違うのだろう。
冷徹な神としての顔で、裁定の神獣は瞳をスゥっと細める。
『魔王様は個と全を分けて判断なさっていた。異界のケトスよ、きさまもそうなのだろう。なれど――我は違う。我の考えは変わらぬ。我を裏切り、神を裏切った人にかける情けは既になし。もはやそのような議論は不要』
声が次第に、低い唸りになっていく。
あ、やばい。
これ狂乱状態だったり、戦意高揚による暴走状態ならなんとでもなったけど……。
こいつ。
完全に素の状態で、冷静に咢を蠢かしているのだ。
肉球で頬をポリポリしながら、はぁ……。
私はジト目で言う。
『うわあ、君……なんかゲームのラスボスみたいなこと言ってるね』
『ふむ、ゲームか――世界がいっそゲームであったのなら、我はこれほどまでに悲しき想いをせずに済んだのであろうがな』
や、やばい……。
ホワイトハウルのくせに、色々と悟った顔をしてやがる。
『全ての議論はもはや無意味。そのような次元は疾うに過ぎ去った。さて、懐かしき邂逅の言葉はこれで十分か。ケトスよ。主神として汝に命ずる。我と共に来い――たとえ異界のそなたとはいえ、我はもう二度と、優しきお前を傷付けたくはないのだ』
『逆にこっちから命令するよ、君が私に従いなよ。君が恨み、君を傷付けた人間だけを狩るというのなら私は君に協力してもいいと思っている。全ての人間ではなく、個人を恨むことは――できないのかい?』
私は冒険の中で、様々な出会いを果たした。
昔の私は、全ての人間が滅んでも別に構わないと本気で思っていた。
けれど――今は違う。
『議論は無意味と告げたであろう』
空気が、変わる。
世界が揺れ始める。
『人の味方をするというのならケトスよ。我はおまえの曇ってしまったその目を、覚まさせてやらねばなるまいか。良い、我とお前の仲だ、それくらいの余興もまた再会を祝う花火となろう!』
言って、異界のホワイトハウルは口角をつり上げる。
鋭い犬歯と覗く歯茎。
魔狼は雄たけびを上げながら、魔力で私に語り掛ける。
『人を忘れられぬ哀れな魔猫よ。さあ、我と共に――常闇の宴を上げようぞ!』
ウオオオォォォォォォォォッォォン――ッ!
その遠吠え自体がやはり魔術詠唱となっているのだろう。
ガッガッガッガッガッガッガ!
大地を揺らす足音と共に、顕現したのは――。
何もいなかった平原を埋めるほどの天使兵。
先ほどまでの戦いは、あくまでも私が顕現してくるまでの御遊び。
今度の天使兵たちが本命なのだろう。
その一体一体から漂う魔力量は濃く、天使の造形も美しい――。
神に作られし天使は、その容姿や魔力量。
そして――全体造形の秀逸さで、能力を変動させると聞いたことがある。
人体がもっとも整って見える黄金比。
計算された設計図通りに作られた天使ならば――その力も絶大。
まあようするに。
出来の良いフィギュア人形を作り出すと、その分、能力が上がるという事である。
そして目の前の兵士たちは間違いなく最高級品。
ワ、ワンコのくせに、めっちゃカッコウイイ天使兵たちを作ってやがるのだ。
本気の戦力ということだろう。
ま、まあ、あのワンコ手でコネコネしていたのだと思うとちょっとかわいいが。
次元の隙間から紅き瞳だけを輝かせ、魔狼は吠えた。
『魔猫以外は消滅させて構わぬ――武勲を立てたモノには魂を注いでやろう! さあ行け、我が無敵の兵士達よ!』
それが戦いの始まり。
合図と判断したのだろう、私の配下の魔物達が一斉に強化魔術を発動した。
『くそ、問答無用か。まあ、こうなるとは思っていたけど――ね!』
私が肉球を掲げると――草原全体が赤く染まっていく。
魔物の群れの瞳が、赤く輝き出したのだ。
『我はケトス! 大魔帝ケトス! 魔王陛下の留守を預かる、魔王軍最高幹部なり!』
『ほぅ! 部下たち全員と魂をリンクさせるか。なるほど、脆弱なるその者らのダメージ。そして死すらも肩代わりする代替魔術か。どうせリポップする魂にまで情けを掛けるとは、貴様も甘くなったものよ。だが――その甘さが命取りである!』
ウォオォォオオオオオオオオオオォォッォォォォォォン!
神の唸りが魔力を放ち――発動!
空を裂き――。
ざぁぁぁぁあああああああああぁぁぁっぁあ!
空間の亀裂が、水平線の彼方まで飛んでいく。
『なっ――! 味方ごと攻撃するのか!』
『所詮は神に作られし人形よ――もはやそのような感情、我にはなし!』
動揺する私の目の前。
魔狼の咆哮を受け崩れた天使たちが、最後の力で跪き。
神に祈りを捧げるように消滅していく。
祈りは主神であるホワイトハウルのもとに届き。
ムフフフフゥ!
それを糧とし、力としているのだろう――魔狼の魔力が飛躍的に向上されていく。
『攻撃と回復と強化の同時発動か、しかも、いろいろとゲスイ! 君、そういうキャラじゃなかっただろう!』
『我はもはや手段など選ばぬ道を歩んだ。ただそれだけの話。ああ、それだけの話であるぞ!』
再び。
ウォォォオオオオオオオオオオオォォォッォォォン!
破壊と嘆きの咆哮が平原を襲う。
ばたばたと、荒ぶる風に私は耳を抑えて――くっ、と息を吐く。
『あ、あれ!? 攻撃じゃニャいだって!』
『ぐぐぐぐ、ぐふふふふふふふ! 振り返ってみよ! 他者からの窃盗スキルはなにも猫魔獣だけのスキルではない、我とて魔狼、相手から奪う力は備わっておるのだぞ!』
なーんか、超ドヤ顔で。
次元の隙間から、わっふわふ♪
一体、何を窃盗したのか……って、私の操っていた太陽髑髏が――奪われた!
殺戮呪殺魔術を緊急解除!
『ふぇ? あれ、ちょ――ブニャニャ!? ちょっと、返してよ! それ、私の太陽なんですけど!』
『グハハハハハッハ――ッ! 汝のモノは我のモノ! 我は主神ぞ! 全てが思いのまま、我はもはや譲らぬ、配慮せず! 油断もせぬ!』
奪われた太陽が巨大な月へと変貌していく。
ま、まずい!
あいつ、犬じゃなくて実際は狼なのだ。それも月の魔力の影響を受けるマジもんの神獣。
平原で天使兵たちと戦う魔物達。
常に強化魔術を使い続ける彼等も、昏く染まる空を見上げ――動揺し始める。
黒ワンコは漆黒に輝く肉球を――モコ!
次元の隙間から前脚だけをこちらに顕現させ――クイクイ!
詠唱を開始した。
『我、主神ブラックハウルの名において命じる。神話再現――永遠なる美貴公子の眠り。顕現せよ――月女神セレーネー。勅命だ。我が魔猫へ、不死たるその代価を請求す。彼の者に等しき眠りを授けよ!』
月から顕現した黄金の王冠を装備する女神が、ホワイトハウルの命に従い。
矢を構え――って!
『アダムスヴェイン!? なんで君が、古き神々の扱う魔術を使えるのさ! そんなもの、いつの間に覚えたんだい!』
『覚えたか――か。そうか異界の我はまだこの魔術を解放しておらんのか。ならば、聞かせてやろう。我は今まで使っていなかっただけ。忌まわしき楽園の魔術など、捨てていた筈だった! だが――もはや、我はそのような矜持さえ捨てたという事だ!』
こいつ!
古き神々の一柱だったのか。
たしかに、ホワイトハウルが由緒正しい神獣だとは知っていた。
魔王様に拾われていたという事も知っていた。
けれどそれ以上の情報はない。
詳しい過去を聞いたことは一度もなかった。
魔王様も彼については何も語らなかったのだ。
それはおそらく、魔狼が嫌がるからだろうとは思っていた。
しかし――あり得ない話ではない。
世界のどこかに、あの楽園から散った神がいるとは知っていた。
主神である大いなる光や、大いなる導きだってそうなのだ。
今までどうして考えなかったのだろうか。
まさか、こんな身近にいただなんて。
『なんて、考えている場合じゃないか! ロックウェル卿……じゃなかった、大魔帝ロック。あぁぁぁぁぁぁ、もうロックウェル卿でいいや! 卿は世界を守る結界を優先! ラストダンジョンのみんなは、強化を続行! 前線部隊は湧き続ける天使たちの相手を頼むよ!』
大魔帝ケトスとしての私の指示が、スキル効果となって発動する。
しゅんしゅんしゅん!
命令を与える事によって、行動速度を上昇させる魔王軍幹部スキルである。
『部下たちをいくら強化しても無駄。なにしろ我はここから一切、でるつもりはないのであるからなー! グハハハハハハ! きさまが闇の霧に潜み、一切のダメージを受けずに戦うあの卑劣な戦法。そっくりそのまま真似してくれるわ!』
『くっ、なんて卑怯な奴だにゃ!』
空間を移動し――また違う次元の隙間から顔を出し。
ワンコは、わふっふっふ!
『ん? 卑怯な分野が得意なのはそなたであろう? 我はそれを真似しただけであるからな~♪』
あ、やばい!
今のはホワイトハウルの挑発スキルだ。
あ、あぶねえ……私、幸運値の影響で確率判定はほぼ最善の状態で計算されるし、状態異常耐性がほぼ完ぺきだから挑発も無効化したけど。
もし。
今のワンコ挑発が、完全耐性も無視するスキルだったら終わっていた。
攻撃範囲外から挑発しつづけ、行動を制限。
眷族や遠距離攻撃でペチペチ。
延々とダメージを蓄積させるのは本来、猫魔獣の得意分野なのだ。
動揺する私のモフ耳を揺らしたのは、黒ニワトリさんの叱責。
『クワワワワワ!? ケトスよ! なにを遊んでおる! 異界の女神が顕現するぞ!』
『わ、わかってるよ!』
月から顕現した女神は、背に光り輝く翼を生やし――。
十重の魔法陣を展開。
何もなかった草原に――月光の矢が降り注ぐ。
『ぶ、ぶにゃ! 鑑定結果は――触れると永遠の眠りにつくヒュプノスアローだ! 眠り状態異常耐性の低い種族は直接触れての迎撃は避け、回避か結界による防御を! 私は、まずアレをやる! 速攻発動:影猫渡り』
言って、影猫となった私は漆黒の魔狼が潜む次元の狭間にダッシュ!
召喚された美人さんには悪いけれど――。
その魔力核の内側に顕現し――影猫化を解除。
ぐじゅぁああああああああああああぁぁぁっぁぁぁぁ!
内部から崩壊させ、血しぶきが飛んだ――その瞬間。
更に肉球の先で血文字の魔法陣を刻む。
血文字陣から闇の結界を飛ばし――月女神の影を喰らい。
二撃確殺!
しかし。
ちょっとやばいな――今のは本物の女神ではなく移し身。ただ影法師として呼ばれた女神のコピーだったのだ。
それなのに、いつかのリールラケーより――強い。
『ほう、異界より召喚され不安定な状態の神。その真核の座標に干渉顕現、そして影食い即死の魔術か。相変わらず、敵に回すと恐ろしい魔猫よ。だが――我はもはや主神、おまえが相手だとしても一歩も遅れなど取らぬ! ああ、楽しいぞ! 楽しいぞ!』
ワンコが更に別の場所から顔を出し。
むふふ~!
私の行った攻撃は本来なら禁忌。
結構、残酷な攻撃だというのにワンコはまったく動揺していない。
その瞳を紅く尖らせたまま――次のアダムスヴェインを発動させようと、長い鼻先をワウワウワウー!
高度で複雑な詠唱を開始し始める。
『詠唱なんてさせるか! 闇よ、我が敵の咢を戒め。その刃にて糸巻き、縛り、声を吸え!』
肉球を鳴らした私は、神狼縛りの糸付き魔槍を顕現させ。
解き放つ!
しゅぅぅぅぅううううううううううぅぅぅぅ――!
直撃させれば、その口を縫い留めて――遠吠えによる詠唱を妨害できるのだが。
『甘いわ! 我が次元の隙間に入り込む方が、早いのであるぞ!』
『にゃぁぁぁあああああぁぁぁ! 次元の狭間からとっとと引っ張り出したいのに、隙が無い!』
次に動いたのは――黒き翼。
両翼を広げたロックウェル卿が、結界を構築し始める。
『ま、ポテチの分だけは働いてやるとしよう!』
『大魔帝ロックよ、貴様。異界のケトスにつくというのか!』
って、こいつ。
私ばっかりみていて、ロックウェル卿に気が付いてなかったんかい。
やっぱり、この辺も変わってないでやんの。
『言いたいことは分からんでもないがな。しかし余は魔猫に負けた。それが全てであろう。強制契約されておるから仕方あるまい? クワワワワワワ! それに、こちらについた方が面白そうであったからな! 悪く思うでないぞ!』
揶揄うように翼をバッサバッサとさせて、ロックウェル卿が闇の中に溶けていく。
黒き羽だけを残し、その身が完全に透明化する。
攻撃されない場所で、結界に専念するのだろう。
私は意識を引き締めた。
それはつまり――隠れた上で、結界に集中しなければ耐え切れない。世界を破壊するほどの咆哮を、あの魔狼が放っているという事でもある。
戦略モードに頭を切り替え、私は考える。
とりあえず。
優先するのはロックウェル卿との戦いとは逆、ホワイトハウルを次元の狭間から引きずりだす事だろう。
次元を駆ける獣としての属性も持つアイツにとって、あの空間は得意フィールド。
影使いである私が、影の多い空間だと能力を増す原理と同じ。
今、あそこでフフンとしている黒ワンコの能力は、大幅に増強されている状態にあるのだ。
瞬時に次元を渡り、わふわふ♪
攻撃を完全に回避しているのがその証拠だ。
ハッキリ言って、今の私の攻撃を回避できるというだけで――規格外の更に上。
バケモノなんていうレベルを超えているのである。
そして大きな懸念が一つ。
これがもっとも厄介な事実で――。
空の亀裂から、むふふふ~♪
と、悪戯ワンコ顔で、長い犬口を出している時点で確定してしまった。
この黒ホワイトハウル。
強敵であった異界のロックウェル卿とは大きく違う点がある。大魔帝ロックとして捨ててしまったあのチート属性。
ギャグ属性を、こいつは持ったままなのだ。
 




