大魔帝再臨 ~ゆたんぽ救出大作戦~前編
周囲はこの騒ぎに動揺していた。
けれど誰も動かない。
それは私から漏れた怒りの波動の影響。高レベル冒険者ならともかく、彼らは戦闘能力をもたない客人。死の直前にも似た凍えるこのオーラを前にし、一歩も動けないのだろう。
その中で、ガラリア皇帝は動いていた。
「護衛の方よ。すまぬが貴殿がなにを仰っているのか、ワタシには――皆目見当がつきませぬ」
私の睨みに動じず。
片眉を跳ねただけで応じられるのはさすがに皇帝というわけか。
「そうか、ならば調べてみればいいだけの事。もしこちらの過ちであったのなら、非礼を詫びましょう。この手の魔術が込められた料理は一瞬で塵にすれば魔術の痕跡が残る。試してみるかい?」
私の言葉に、ジャハルくんが素早く反応し、指をならす。
目の前の料理が地獄の業火に焼かれ、霧状の魔術薬のみが残される。
禁じられている魔薬だ。
ジャハルくんの貌が、見る見るうちに変貌していく。
「これは――っ、魔ガス硬化剤……魔薬。そうか……、皇帝よ、きさま炎帝である妾を使役しようというのか」
紅蓮の業火が会場に拡がろうとしている。
何か仕込まれていたのは確定だろう。
意図したものかどうかは不明だが。
ジャハルくんの敵意が膨れ上がっていく。しかしわざわざ招待して罠にかけたということは、彼に対しての準備、炎帝対策はしていると想定するべきか。
「許さぬ、許さぬぞ! 妾はこの忌まわしき魔の薬だけはどうしても許せぬのだ! 一度滅びた哀れな国だと思うてこれまで目をかけてやったというのに、ガラリアアアア! きさま、恩を仇で返しおったな!」
完全に理性を失っている。かなり珍しいなこれは。
魔力を伴った火柱が天を衝く。
さすがに実力で選ばれた魔帝。
並の人間ならば到底かなうはずのない魔人だ。
あ、シャンデリアを燃やしちゃったよ。
あとでジャレたかったのになあ……。
落ちたガラスが客席に向かうが、私が指を鳴らし防御結界を張り客を守る。
その一瞬の結界で私の実力の一部が見えたのだろう。
淑女も男どもも、私の見る目が更に深い尊敬へと変わる。
そうだそうだ、もっと讃えろ!
……。
いやいや、そんなことをしている場合じゃない。
とりあえず無関係な客を安全な場所に転移させて、と。
私は人間がどう動くか、観察することにした。
「お待ちくださいジャハル陛下! これは何かの手違いにございます!」
悲鳴に近い声で叫ぶガラリア帝。
衛兵が飛んでくるが。
地獄の業火の壁に阻まれ皇帝を守るには至らない。
皇帝の発言は演技か、それとも真実か。
ともあれ。
やっばいなあ。
ジャハルくんマジぎれだよ。
魔力ガス生命体の彼は、霧状の物体を固まらせる硬化系の攻撃に弱い。いくら相手が蟻んこ並みの人間とは言え、油断はしない方が良いのに。
仕方ない。
私は冷静さを欠き始めたジャハルくんを守るように前に出て。
「どこから硬化剤がくるか分からない。君は下がっていたまえ」
「しかし、これは妾への宣戦布告じゃ!」
完全に目が血走ってるよ、これ。
「君は幹部だろう、少しは冷静にならないと」
「なれど。これだけは……っ、これだけはどうしてもならんのじゃ!」
あーもう。
参ったなぁ……相手が何人いるのか分からないのだ。この最中に死角から攻撃されたら守り切れないぞ。
私はもう二度と仲間と認識した者を失いたくないのだ。
胸の中がざわざわした。
大事なものを失った記憶が、ぎしりと精神を鷲掴みする。
先日出逢ったあの転生者の貌が思い浮かんだ。
大事なものを失った絶望。
あんな想いはもう、私もしたくない。
メシリ。
メシリ。
何かが歪んでいく。
食い下がる彼に、私は言った。
『いいから、下がっていろ炎帝。これは――命令だ』
なぜか。
自分でも信じられない程の、ドス黒い声が飛び出していた。
ザザザと周囲が闇に沈んでいく。
言葉は魔力会話になっている。
「え、ちょ……、ケ、ケトスさま!?」
ジャハル君はハッとした様子でようやく私に目線を移す。
ザアアアアアアアアアアアァァァ!
と、更に闇が広がる。
あ、あれ。
なんか……思ったより力がでちゃってるような気が。
人型のまま、私は憎悪と絶望の魔力に包まれ浮かんでいた。
魔力さえも遮断する闇の中で、紅い瞳がぎらりぎらりと照る。
それはさながら怒り全開モードの時の魔王様の降臨。
私の口は勝手に魔力に従い動き出す。
『ガラリアとやら。三十秒以内に真実を答えよ、我は気が短い。数少ない心を許せる同胞を狙った非道な行為、それ以上の暇は持てそうにない』
ズザザザザザザ!
会場の床から、地獄の底からもり上がってきたかのような禍々しい巨大な懐中時計が顕現する。
カチ……カチ……カチ。
規則的で断続的な音が時間を告げる。
九重の魔法陣が会場全体を魔力の渦で覆い隠す。
怒りが、憎悪がいつのまにか胸中を駆け巡っていた。
……。
え? なにこれ、こっわ。
時属性の魔術。これ、あの天然受付娘の魔術の応用か。
ゴミを見る目で人間を見下しながら、ふと冷静な私の心は考える。
あーなるほど。
そうか。
私は、自分で思っている以上にジャハルくんのことを気に入ってるらしい。
それに。
たぶんこれ。
この間世界を壊しかけた時に、なんかパワーアップしちゃった、ぽい?
そりゃあまあ。憎悪増幅装置にされていたギルマスくんと出逢っちゃったわけだからなあ。こういう変化もありえなくはないだろう。
重圧が、帝国全土を潰す様に膨らんでいく。
目の前で、皇帝の座に就く者が恐怖におびえたように崩れた。
しかし。
答えない。
カチ……カチ……カチ。
乾いた唇を震わせ、なにかを語ろうとするが。
『なぜ何も言わぬ、きさま魔族である炎帝を使役しようなどという愚かな企みだけでなく、我をも愚弄するか?』
憎悪を力とする大魔帝としての私は、このまま国を潰しても構わないと思っていた。
魔族の幹部、魔帝に招待状を送り罠にかける。それは立派な敵対行為。
魔王様の方針は襲われた際には、容赦なく相手を殺す。
何の躊躇いもない。
『時間だ、答えよ。人間の皇帝よ――最後のチャンスだ』
けれど、皇帝の返事はない。
カチ……カチ……カタン。
三十秒が過ぎた。
『そうか、なら滅びたまえ』
これは。
このジャハルくんは。
私の大切な、湯たんぽなのだから。




