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猫魔獣の誘惑 ~エビフライの罠~後編


 会場の前。晩餐会が行われる筈の白亜の宮殿の前には異常ともいえる人だかりができていた。

 その中心。

 優雅なドレスで着飾った淑女たちの真ん中にいたのは、むろん。


 この私である!

 右を見れば人間の娘の山。左を見れば亜人種の娘の山。皆が皆、私と話をしたくてウズウズと瞳を輝かせている。


 ちょっとしたハーレム王気分である。

 ヒラヒラドレスの女性の中から一人が代表して私に声をかけてきた。


「あの、炎帝ジャハル様のお付の方ですわよね」


「ええ、そうですよ。お嬢様方は?」

「まあ御上手、お嬢様だなんて。わたくし共は既に三十路が迫っておりますのに」


「私は五百歳を超えておりますから」

「五百歳……まあ、では魔族の方でしたのね」

「魔族はお嫌いですか?」


 少しだけ、切ない表情を見せてやる。

 貴方に嫌われるのは、辛い。言葉だけではなく、愁いを帯びた瞳と表情で魂を揺さぶってやったのだ。


「恐ろしい存在だと聞かされておりますわ。でも……」


「でも?」

「あなたみたいな素敵な方もいるのでしたら、わたくし――」


 その瞳は既に魔性である私の虜。

 ふふふ、これでもう一匹ゲットだにゃ。


 まあ種を明かせば簡単。

 私はこれでも大魔帝。本物の大物魔族。

 相手が望む言葉を察知する能力もあるし、なにより見栄えだけなら本当にセレブでダンディな美貌おじ様なのだ。

 そこにほんの少しの魔力を注入。外見と言葉をコーティングすれば、誘惑の成功率は跳ね上がる。


 人を魅了するのは猫魔獣にとっても得意とする分野である。


 ぐにゃ、ぐにゃははははは!

 見たか人類よ。

 五百年前我を苦しめ虐め、殺した愚かなる人間よ!

 きさまらのメスは今、我が手中にある!

 このままメスどもを全員誘惑し、種を絶やしてくれようか!


 と、あまりにもやり過ぎたせいか。


「失礼、そこの魔族の方」


 先ほどから。

 ぐぬぬと、こちらを睨んでいた集団、その中心にいた男に声を掛けられてしまった。

 まだ若いな。

 どこかの貴族のボンボンか。これ見よがしに家紋の刻まれた紋章を見せつけてくる。


「おや、私に何か御用で?」

「往来でこれは他の方の迷惑となりましょう。直ちに解散をさせてください」


 ふん、青二才め。

 すなおに女を盗られて悔しいと言えばいいモノを。

 ふと私は考えた。

 あくまでも紳士的に、かつ、騎士に好まれそうな聖人魔族を演じることにした。


「これは失礼、えーと君は――」

「マルクス=フィン=バルドリッヒ。この名を聞けばお分かりでしょう」


 いや、人間の名前なんて知らんて。

 魔族の貴族でさえほとんど覚えてないんだし。


「申し訳ない、人間の爵位などには疎くて。君が誰なのか分からない」


「な……っ、無礼な!」

「けれど、君はとても偉いのですね。貴族でありながらも多彩でいらっしゃるようだ。その若さでこれほど立派な魔術を会得しているとは、よほどの努力をなさったのでしょう」


 言って、魔術文字を空に描く。

 私が結構大事にする、演出というやつだ。

 スキル名と、アイコンに似た簡易的な魔術絵画が次々と描かれていく。


「これはスキル鑑定……まさか!」


 ざわざわと男どもが騒ぎ出す。

 受付娘が言っていた通り、やはり人間たちの間ではレアなスキルなのだろう。


「おっと、失礼。私はジャハル陛下の護衛。職業柄の無礼、どうか許していただきたい。君のスキルがあまりにも優秀だったものだから。つい」


 ここで詫びを入れ。

 さらにこの国では国賓扱いのジャハルくんの身内であるとアピール。

 ついでに他の人間にも彼の隠している努力を暴露してしまう。


「優秀、ですか。スキル鑑定を持つあなたの目から見ても、本当に――そう思われますか」

「ええ、特に多重魔術詠唱を習得なさっているとは、驚きましたよ。よほど、苦労をなさったのでしょうね」


 ふっと遠い目をして見せる。

 食べ時を見誤って駄目にしてしまった生ハムさんを、悲しい瞳で眺めるときのソレである。


 人間、影の努力を褒められたら悪い気はしないだろう。

 実際に努力をしていたのなら尚更だ。

 自慢できない本人の代わりに自慢をしてやるだけでいい。

 大抵の若い武人はこれで落ちる。

 剣の修行の名残を見せる手を握り、武勲優れた先輩騎士風に言ってやる。


「どうかその技に磨きをかけてください。あなたならばきっと立派な聖騎士となれるでしょう」

「は、はい……っ、ありがとうございます!」


 最後に微笑んでやったら、もう撃沈だ。

 もはや彼の瞳は私に釘付け。

 男は顔を赤らめ、腰が砕けそうな勢いで口をわなわなと震わせている。怒りではなく、歓喜のわなわなである。

 彼がやっかみ男軍団のリーダーだったのだろう。

 男どもの敵意が消える。


「あの、あなたの御名前を教えていただけないでしょうか」

「あなたがこのまま成長なさればいつかまた、お逢いできる機会もありましょう」


 あえて名乗らず、意味ありげに笑って見せる。

 意味なんて、本当はまったくないけど。

 こういう風に言っておけば、相手が勝手に良いように解釈してくれるのだ。


 ちょろい、ちょろすぎる。

 オスなど要らんが、これもゲット完了だ。

 にゃふふふふ。

 愚かなる人間よ、あっさりと私の魔性に騙されおって。

 にゃっはー!


 やっぱり人間を誑かして遊ぶのって楽しいな。

 さて、次はどいつを誘惑して遊ぼうか。

 と。

 次のターゲットを探していると。


 奥の方で、なんかすっごいジト目がこちらを睨んでいた。

 むろん、用を終えて帰ってきたジャハルくんだったが。



 めちゃくちゃ怒られた。



 ◇



 会場に入るとそこにはもう広がるばかりの御馳走が用意されていて。


 くわぁぁぁっと猫目が大きく開く。

 ごくり。

 私の喉がこの戦に対して準備をし始めていた。晩餐会と聞いていたからズラーっと長いテーブルの並んだお堅い形式を想像していたのだが、立食パーティに近いモノらしい。

 まあ多種族が参加するせいでマナーやルールが違うおかげでもあったのだろう。


 さて、さっそく。

 ポンと猫の姿に戻って。

 テーブルににょきっと顔を出し、お手々でお皿を引き寄せ。


 エビフライをぱくり。

 シャクシャクっと衣の程よい硬さが響く。中のエビはプリップリで、じゅわーっとジュシー! 思わず尻尾がふりふり、ファッサファッサと立ち揺れる。


「オレ、勝手に動くなって言いませんでしたっけ」

「言ってたね、従うとは言ってないけど」


 エビの尻尾までかじりついて、ドヤ顔をしてやった。

 しかし。

 たしかに美味しいが、なんかこの料理すこし魔術の香りが……気のせいか?

 なるほど。魔力に敏感な種族に対しての食事となれば、隠し味に魔力を注ぐという手も確かに悪くない。


 さすがは宮廷料理。

 もっとよく調べたかったのだが。


 首根っこを掴まれてしまった。


「ほら、まだ挨拶とかあるんですから、行きますよ」


「ななな、なにをする! 我はおいしい素敵なエビフライさんにまだ話があるのじゃああああああ!」

「帰ったらなんかいっぱい用意しますから!」


 ずりずりずりと引きずられてしまう。


 挨拶を済ましているうちに。

 なんか色々とジャハルくんの苦労を察してしまった。

 国賓として、女帝として振舞うジャハルくんとの退屈な挨拶が続く。


 なんで食事を我慢して、こんな下らない会話をしないといけないのか。

 まあ。

 今回は常識を学びに来たらしいから、これが目的なのだろうが。


 さすがに飽きてきたなあと思った、その時。


 ざわざわざわと人の群れが動き出す。

 誰か重要な人物でも来たのだろうか。

 モーセの海割りにも似た光景が、目の前に広がる。

 中心に居たのは煌びやかな衣装の褐色肌の男。雰囲気は、ちょっぴりアラビアンな濃い顔立ちの無頼漢である。


 少し他の凡人とは違う魔術波動を感じる。

 受付娘の鑑定技術を模倣して、じぃぃぃぃ。


 職業は……カイザー。皇帝か。

 なにやら変なスキルをいっぱい持っているが。


 彼は部下をその場に留まらせると、紳士的な礼を寄越して見せた。


「お待ちしておりました、ジャハル陛下」


 ジャハルくんが私より先に、スッと前に出る。


「これはガラリア皇帝。人間のそなたに招待されるとは思もうておらんかったが、稀な人間世界観察も、なかなか良いモノじゃな」


 優雅に、煌びやかにグラスを傾け、女帝は瞳を細める。


「して、念のための確認だが。そなたら、我ら精霊族との盟約は破っておらんな」


「はい、我が真ガラリア魔導帝国においては精霊族の魂を利用した魔道具の類は全て厳重に禁止しております。もし古き悲しきそれらが輸入された時は、直ちに陛下の下へと献上いたします」

「その言葉、信じてよいのだな?」


「無論でございます」

「言うておくが人間の皇帝よ。わらわは魔帝、魔王様の方針に従い人間と無為な争いをするつもりはないが、もしそなたらが、妾の愛しき臣民を魔導の道具にしようものなら――それは宣戦布告じゃ。分かっておるな?」


 お澄まし女帝ジャハルくんは炎帝としての焔を隠すことなく、いや、むしろ威圧するかのように魔力として見せつける。

 周囲の人間が、緊張の息を呑む。

 魔力の波動にも耐え、人間の皇帝は落ち着いた口調で語る。


「ここは一度滅びた国。人間は愚かではありますが、二度、同じ過ちは繰り返さぬと信じております」


 ガラリアの皇帝は深く、忠誠を示す様に瞳を閉じた。

 なるほど。

 確かに精霊族はかつて人間たちに道具として使役された暗黒の歴史を持つ種族。精霊族が魔王様の守護を受け、魔族として転生する前は弱い立場にあったのだ。


 ジャハルくんはそれを警戒しているのだろう。

 彼が何故、力を求めているのか――その理由がなんとなく透けて見えてしまった。


 人間たちを監視し、警告するにはやはりどうしても力がいる。

 同種族を守りたいのだろう、彼は。

 そして、もし犯行の兆しがあるのであれば――脅しの意味で私を連れてきた。


 ここは世界最大の魔道具大国。

 魔道具にされてしまったかつての同胞を保護する機会も多い筈だ。

 だから、忌まわしき過去のある人間との交流も我慢して行っているのだろう。


 弱き者を守る女帝、か。

 まあ、そういう心は嫌いじゃない。

 私は、思わず微笑んでいたのだと思う。


 その気配を察したのか、真ガラリア帝が生意気にも私に目線を寄越してきた。


「それで、そちらの獣人の方は――」

「これか? これは、その……妾の護衛じゃ」


 たぶん今ジャハルくん、内心汗びっしょりなんだろうな。

 友好関係を築けているのなら、むしろ私の存在は邪魔なはずだ。

 私を邪険にするとはいい度胸であるが。


 にゃふふふふ、まあ今回は特別に許してやる。


 私は忠実な護衛、忠実な臣下を演じることにした。

 これでも私は高位な魔族。魔術による変身で人型になっていることもあり、外見だけならそれなりに栄えるはず。


 実際、外で待っていた時には、いとも簡単に魅了できた。


「お初に御目にかかります、私は炎帝ジャハル様に御遣いするしがない下級魔族に御座います」


「下級魔族の方が護衛なのですか」

「はい、護衛にもさまざまに役目がございましょう。私が得意とするのは毒味。まさか主に仇なす愚か者が人間たちに紛れているとは思いませぬが、用心は必要でしょう。なにしろジャハル様は精霊族のみならず魔族の中でも重要な役割を担っている御方ですから」


 こちらを見ていた淑女の皆さんがうっとりとした息を漏らす。

 さっきの貴族のボンボン。

 ……名前はもう忘れた。ともあれ男どもも皇帝と話す私の貌に見惚れている。


 にゃふふふふ、人間はちょろいなあ。

 これが常識。

 社交界にふさわしいおとなのまぞくである。

 にょほほほほ、我だってやればできる大魔帝なのだ!


「なるほど、だから今も口いっぱいに頬張られていらっしゃるのですね。主のために……さすがです!」

「分かっていただけたようで何よりです」


 お口いっぱい?

 ふと私は、むっしゃむっしゃしながら考える。


 振り返るとテーブルの上、豪華な食事が乗っていた筈の皿には、まるでイナゴの大群に襲われたかのような綺麗な無が広がっている。

 思わず、肉球をなめる要領で手のひらを舐めかけるが、そこはぐっと我慢してやった。

 偉い。

 私は実にできる魔族だ。

 しかし、この味は――。


 ふむ。

 人型のまま、ちょっと手のひらをぺろり。


 ハッと振り返ったジャハルくんは一瞬、ぴきっと頬をヒクつかせるが。


「あ、こほんこほん。妾を想うてのことじゃ。無礼を許されよ」


 ガラリア皇帝陛下は、友好的な笑みを浮かべて。


「どうぞジャハル陛下もお召し上がりください。エビフライと呼ばれるこの揚げ物は、我が真ガラリア帝国の名物なのです。きっと気に入っていただけるでしょう」

「そうじゃな、招かれたからには少し頂くとしよう」


 言って。

 皿に手を伸ばすが。

 それを私は制止していた。


「君は食べない方が良い、レディジャハル」


「どうしたのじゃ? まさか本当に毒など入っておろうはずがなかろう。毒など盛った所で妾には効かんのだからな。よもやお主、自分が全部おいしく召し上がりたいからそのような戯言を申しておるわけではあるまい?」


 こっそり、額に青筋を立てまくっているが。

 私はそれでも彼に許可を与えなかった。


 ゆったりと、瞳を細め。

 皇帝ガラリアを睨み。


「毒ではないが、これには精霊族を徐々に魔道具へと変換させる遅行性の魔術が混入されている。どういうことか説明を願おうか、ガラリア皇帝陛下」


 ざわ。

 会場には魔族の放つ怒気の波動が広がり始めていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >よもやお主、自分が全部おいしく召し上がりたいからそのような戯言を申しておるわけではあるまい? ww なんかこの台詞の言い回しが面白くて笑ってしまった
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