大魔王ケトス ~濡れた絹豆腐~
ふかふかベッドでぐっすりと眠り、翌朝!
二人でおへそを上に出して、ぐーがーっと眠ったから気分もすっきり!
大魔帝ケトスこと素敵ニャンコな私は今日も行く!
ビシ!
ふー!
昼下がりの陽射しって、眠り過ぎた瞳に優しくっていいよね~。
そんな私を見て。
黒髪を昼の陽ざしに輝かせ、日向くんこと女子高生勇者ヒナタくんが言う。
「なーに、ケトスっちよ。人の腕の中でビシって変なポーズして……背中でも痒いの?」
『ふっふっふ、ヒナタくん。人間の君にはこの麗しい決めポーズが理解できないようだね。これは魔王陛下にも認められ褒められた! 由緒あるポーズ! 肉球で明日を照らす偉大なるネコちゃんの構え! なんだよ?』
そう言えばちゃんと伝わる筈なのだが。
ヒナタくんは困った顔をし。
「そ、そう……それは凄いわねえ。と、とりあえずあんまり暴れられると重いから、ほどほどにしてちょうだいね」
『うむ――さあ進め! 我を腕に抱き、なんか無駄に派手な廊下を歩むのニャ!』
「はいはい、肉球で歩くと冷たいから嫌なのね」
そんなわけで。
偉いニャンコな私はヒナタくんの腕に抱かれて、長い廊下を移動していた。
皇帝さんのありがたいお話を聞くためである。
腕の中に抱かれて前進する私は、顔だけを擡げて周囲をきょろきょろ。
違和感が、賢きネコのヒゲをうにゅっと揺らす。
「むずかしい顔をしちゃって、どったの?」
『いや、うーん……文化の違いってだけかもしれないけど……』
黙っていても仕方がないか。
『違和感がないかい? こういう長い廊下に大抵あるものが――ないんだよ。このお城』
「そう? あたしには違和感なんてないわよ」
まあ地球にもそういう文化はないから、そうなってしまっても仕方がない。
『魔術のない世界に生まれた君には分からないかもしれないが――城の無駄に長い廊下には意味があるんだよ。廊下自体が魔法陣を描いて、城全体を大規模な結界で覆っているパターンが多いんだよね。実際、この城も廊下の床素材に使われている精霊銀が魔術陣を描いているし……』
「結界ができてるならいいじゃない。何の問題があるのさ」
学生靴で足元のミスリルを探りながら答えるヒナタくん。
対する私は、教師の顔で淡々と告げる。
『結界自体は問題じゃない。むしろちゃんと結界を作ってあるのに、魔術増幅効果のある偶像がない、それがおかしいのさ。大抵はね、その地域で信仰されている主神や地母神、ようは……祀られるべき上位存在の神像が飾られているモノなんだが。ん-む、そういった神像が見当たらないんだよね。結界の効果を増幅させる意味でも定番なんだけど……』
この地域。
プリーストやビショップといった僧侶系の職業が少ないのかな?
そういやこの大陸、なんて名前なんだろう。
「ま、もう神様なんてこの世界にはいないのかもしれないじゃない。あたしちゃんの飛ばされた世界でも、神様が既に滅んでいてそういう信仰がなくなっていた地域もあったわよ?」
『んー、どうなんだろう』
大いなる光がいるのだから、神がいないという結論にはならないのだが。
……
まあいいや。
しばらく進んで、飽きてきた私がふぁ~っと欠伸をし始めた頃。
目的地はようやく近づいて来た。
会談が行われている会議室の前に立つ衛兵が、ビッとこちらに敬礼をしてみせる。
「お待ちしておりました! 陛下も皆さまも既に朝から中で、お二方の入室を待たれているとのことです!」
「げっ、あたし達やっぱり遅刻じゃん。なーんか朝陽にしては角度がおかしいと思ったけど、って、もうお昼過ぎてるじゃない! ど、どーするよケトスっち? さすがに大遅刻ってレベルを越えてるわよ、これ!」
動揺する少女を見上げ、私は大人の余裕をみせてやる。
『ふっ……私なんて最高責任者なのに寝坊の常習犯で、部下を待たせることも多いからね。遅刻なんていつものことさ。慌てる事はない』
ちぺちぺと、女子高生の腕の中でお手々を舐めて顔を洗う私。
かわいいね?
ジト目の呆れ顔で私を睨み、少女は言う。
「なーんで偉そうなのよ……あんた。自慢になってないじゃない……ていうか、誰か起こしてくれればよかったのに」
『衛兵君を睨まないであげておくれ。我が熟睡を妨げる者には呪いあれ! そう、部屋の前に可視化した呪いの魔法陣を設置しておいたからね。あれを解除できる魔術師なんてそうそういないさ』
そう、つまり!
実は、遅刻は私のせいなのである!
「いや、なんでそんな面倒な魔法陣を張ったのよ……」
睨まれても私は知らん顔をし、毛繕い。
まあ、一言でいえば安全のため。
寝ている間に奇襲される可能性もゼロじゃなかったのだ。
私はともかく彼女は人間だ。
いくら勇者とはいえ全ての状態異常に耐性があるわけでもないだろう。
勇者を召喚し、その部屋に細工。
生贄に捧げて異世界のヤバイ奴を呼び出そうとする作戦だった、という点を考慮していたのだが。
結果としてになるが。
そういう悪意は、なかったんだよね。
その辺は黙っておいて。
『だって、眠い所を起こされてついうっかり、反射的に破壊の魔術で城を全壊させたらまずいだろう?』
「そんな何を当たり前の事を聞くのかニャ? みたいな顔をするんじゃないってーの。はぁ……あんた、会話の通じるタイプの魔族だからいいけど、そうじゃなかったら今頃全速力で逃げてるわよ。で、どうするの? これ、完全に遅刻だけど」
うん……これ、もう大幅に遅刻だね。
彼女の言葉じゃないけど、ちょっと寝坊したってレベルじゃないね。
黙り込んでしまう私達。
衛兵君が私とヒナタ君に言う。
「昨夜は遅くまで騒がれていたと給仕から連絡を受けておりますが、何かあったのですか?」
『いやあ、昨日は私もヒナタくんも夜遅くまでゲームをやってたからねえ。彼女が持ってた携帯ゲーム機を分裂させて、ガガガガのズババババってさ! 衛兵君にも見せたかったなあ、私の華麗なドリフトテク! んで、寝たのが遅くて、そのまま二人とも私の部屋でウトウト。ぐっすりスヤスヤと熟睡しちゃった、そういうわけなんだよ』
分かってくれたかな?
腕を組んでドヤ顔で猫笑いをする私に、衛兵君は「は、はぁ……」と気のない返事を返すのみ。
ヒナタくんが、ピーンと髪を揺らして言う。
「あー……! どうやらこの世界にはゲーム機……機械技術の概念がないっぽいわね。まあちゃんと理解できてるケトスっちの方がちょっと変なんだけど。なんか知らないけどゲームも無駄に上手いし」
『勝負事には全力で、それが私のモットーさ!』
再び、ビシっと勝利の猫ポーズ!
「はいはい、そのポーズはもういいわよ」
『まあ、遅刻しちゃったのは事実だけど。世界のために相談をしていたってことにすればよくない? 実際、もしこの帝国が悪なら滅ぼす計画を二人で立ててたんだし』
「おー、それ採用! 頭いいわねえ!」
ネコちゃんと女子高生の和やかな会話に、衛兵の顔が固まる。
これ。
部屋の中まで聞こえる声でわざとやってるからね。
悪なら滅ぼすって宣言しているようなもんだし。
実は裏で色々と工作をしているニャンコ耳を揺らすのは、部屋の中から響く怒声。
「さっきからうるせーぞ! ネコと小娘! ここは慣れない異界だ、遅刻を責めたりなんてしねえから、さっさと入ってこい! いますぐに!」
『この声は。あー、あのタヌキ獣人の武闘家くんか』
「タヌキじゃねえ! オレは人間だ!」
まあ確かにただでさえ遅刻しているのに、これ以上待たせるのは失礼かもしれない。
私はヒナタくんを見上げる。
以心伝心!
「オッケー。じゃあ、入りましょう」
彼女は私を抱いたまま、魔力で扉を開いた。
おー、便利なタクシーを手に入れた!
◇
会議室の中にいたのは異界の勇者様御一行と、皇帝陛下。
そして護衛の衛兵が数人と神官。
異界の英雄の誰かが張ったのだろう。
強力な結界に覆われてはいるが――私もヒナタくんも結界を素通りして。
ふふん!
「あっちゃー、ご、ごめんね~! 遅刻しちゃった、許してにゃん! てへ♪」
かわいくテヘペロをしてみせるヒナタくんだが。
微妙に滑った空気が流れる。
いや、これ。現実でやったら駄目だろ。
こういうのはカワイイにゃんこが、コロコロとお腹を出して転がりながらやるから許されるのであって。わりと美少女な女子高生でも、きっついぞ……。
「変ね。ねえねえ! ケトスっち、なんかみんな黙り込んじゃったんだけど」
『えぇ……この状況で私に話を振るのかい』
「そ、そんなこといったって! あたしの世界ではこれが一番上位に位置する謝罪の作法なんですけど!?」
この娘。
さらっと嘘をつきやがった。
他の異世界人は、これが謝罪の作法なら、仕方ないか……みたいな空気になってるけど。
私は違うと知っているから、なんとも気まずい。
ともあれ。
重くはないが、変な空気を振り払ったのは――この帝国の主。
カシャリと騎士の金属鎧を鳴らし、立ち上がった貫禄のある皇帝イプシロンくんが一度小さく頭を下げ。
大遅刻をぶちかまして誤魔化し笑うネコちゃんと女子高生に、告げる。
「いや、こちらが突然召喚したのだ。今一度非礼を詫びよう。貴殿らの予定や体調を考慮せず、一方的に呼んでしまったのだ。少々の……ではないが、あー、アレだ。遅刻も詮無き事よ」
遅刻なんて気にするなと言ってしまうと、待っていた他の英雄たちに悪い。
なんともむずかしい状況に、皇帝君も困り顔。
ん-、悪い人には見えないが。
はてさて。
ヒナタくんの腕の中から降りた私は、ザァァァッァァァァっと霧を纏い人型の姿に変貌。
慇懃無礼な仕草で恭しく礼をしてみせる。
『お待たせしてしまって悪かったね、異世界から降臨せし英雄たち。そして、聖帝国イプシロンの皇帝よ。私はケトス。大魔帝ケトス。自己紹介は――まあそんなに必要ないかな?』
必殺!
紳士モードに変身して、遅刻を誤魔化す作戦である!
実際、おちゃらけモードなネコからこの姿になるとかなりインパクトが強いらしく、皆の視線は私の美貌に釘付けとなっている。
エルフの勇者なんて私の魔力と美貌に、はぅっと長い耳の先まで赤くしてるし。
まあ、作戦成功かな。
普段は抑えている猫魔獣としての能力、魅了の力をちょっと解放してるしね。
そして一番反応してるのは、私の横で全身を赤くする女子高生。
「ななななななん、なによこのイケメンは! ケトスっち、あんた! 実はイケおじ枠だったの!」
『君が一番驚いてどうするんだい……ほら、席に着きたまえ。たぶんあそこだ』
促された彼女は空いている席に座るが、私はそのまま瞬間転移し皇帝くんの横に顕現。
一瞬で闇を纏い、周囲を黒いモヤで覆っていく。
いつもの演出。
なんのいみもない、モヤである。
『遅刻は詫びるが、これでも私も忙しい身でね。手短に確かめさせてもらおうか』
言って、私は指を鳴らす。
顕現した闇の魔槍が、ジャギジャギジャギィィィィッィィンっと皇帝の周囲を囲む。
衛兵がバッと槍を構えるが――。
スゥっと皇帝がそれを制止する。
『さて、外での私の声は聞こえていただろう? 単刀直入に聞くけど、構わないよね? 人間の皇帝よ、我等を召喚し――何を企んでいる』
「その前に、聞かせてはくれぬか。そなたは――何を悪と判断する」
この私を前にして。
それも闇の魔槍に囲まれてもなお、自分の意見を口にできる、か。
私の口角が、邪悪に吊り上がる。
なるほど。
ヒナタくん曰くイケおじ枠のイプシロン帝は、王者としての精神力は持ち合わせているということである。
洗脳されてはいないようだ。
確かにイケおじと言えるロマンスグレーなイプシロン帝の顔を、ゆっくりと眺め。
冷徹な声音を意識した私は、静かに息を吐く。
『この状況で私が悪とするのは、敵味方問わず民間人を故意に犠牲とする為政者。そして勇者や英雄、英傑といえど遠き地に住まう者達を強制召喚し騒動に巻き込むモノ……それも悪と分類する可能性はある。後者は理由次第ではあるけれどね』
「無関係なものを巻き込んだこと、それは心苦しく思うておる」
勇者たちは息を呑んで状況を見守っている。
下手に手を出すと、逆に危険だと理解しているのだろう。
『本当かい?』
「紛れもない本音だ」
念を押した私に返す王者の言葉に嘘はない。
私は魔槍を塵へと変換し、少し、離れる。
『そのようだね。ああ、心配しなくていい……私は人間の心がある程度読めるからね。君が嘘を言っていないとは分かっている。良かった、ここで今の言葉が嘘だったら――私はこの場で君の首を刎ねていた』
「異界の英雄の方々が語っていた通り、どうやら本当に、あなたは話の通じる魔族であるのだな……」
難しい顔をして、イプシロン帝が私を正面から睨む。
殺意はないが、敵意を必死に隠している。
そんな反応だ。
「余の命でも魂でもなんでも差し出そう。望みがあるのなら、出来る限り叶えよう。だから――どうか、占領している街や国、砦を解放してはくれぬだろうか。大魔王ケトス殿。人間を恨むそなたの過去も異界の勇者たちから今、伝えられた。これが巡る因果であったのなら仕方あるまい。弱き猫魔獣であった貴殿を追い詰め虐げ、愛する者を奪った人間。我等が憎いとそなたが復讐に至った、その責も因も人間にある。なれど、なれどだ――どうか怒りを鎮めて下さらんか。我等は貴殿ら魔族に従属する……っ、どうか、どうか民たちの命は!」
……。
どうやら五百年前の、魔王様に拾われる前の事をいっているようだが。
はて。
『は? いやいやいや、私。この大陸の占領なんてしてないけど?』
「ん? おぬしは、あの大魔王ケトスではないのか?」
いや、それに。
大魔王って……。
「そなたこそがあのケトスなのだろう? かつて人間に虐げられた魔猫であり、その復讐に人を蹂躙する魔族となったもの。愚かなる人類など全て奴隷である、ディガンマ大陸は全て我等魔族のモノ。我こそがケトス。滅びし魔王の名を継ぐ者、この大魔王ケトスこそが、きさまら人類の飼い主である。そう宣言し、人類との戦争を起こし圧政を敷いている大魔族なのだろう?」
言われた私はポンと姿を猫に戻して、ぶにゃーん?
滅びし魔王って。
なんか、ものすっごい失礼な事いってない? 私がいうわけないじゃん。
……。
頭がついていかず。
ぶしゅーぶしゅーっと、頭の上に湯気を浮かべていると。
おずおずと、女子高生の声が飛んでくる。
「ねえ……横からで悪いんだけど。ケトスっち……あんた、どこかの誰かに、名前、勝手に使われて悪事の御旗に利用されてるんじゃない? あたしの世界でもあったわよ、名前を騙って悪事を働く詐欺みたいな手口……」
『あー……なるほど。そういうことか……そういう……』
フツフツと、頭の湯気が怒りマークに染まっていき。
『へえ、この私の。魔王陛下から与えられたケトスの名を騙る、バカな奴が……いるんだ。しかも、既に人間と戦争を起こして占拠しているって? へえ、なるほどね。なるほど……ねえ』
毛を逆立てた私は、ギロリ!
ざぁああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあ!
っと、闇の霧を巻き起こし。
キシャァアアアアアアアアアアァァァァァァ!
荒れ狂う魔力の中。
全盛期の姿で再臨し。
闇の咢がぎしりと蠢く。
『遥か遠い大陸の皇帝よ。異国の地を治め民を憂う勇気ある賢帝よ――我はケトス。大魔帝ケトス。魔王様は滅びてなどおらぬ。陛下の名において誓おう、我はこの大陸を襲ったりなどしておらぬ。この事件、興味を持った。汝の話、詳しく聞かせて貰おうか』
ぶふぉんぶふぉん!
尻尾が揺れて地震が起こる。
なんとか怒りを抑えているが、実はかなり私はお怒りモードで。
ぷんぷんぷん。
いや、冗談みたいに言ってるけど――これ、たぶん人間とグルメ交流する前だったらこの場で大陸ごと、やっちゃってたね。
そうか。私の、偽物ねえ。
……。
ぶっつぶす。




