歪み ~ニャンコの瞳は何を見る~その3
魔女の森に沈む墓標のような石碑の山。
碑文図書館。
それらが魔王様によって記述された日記のようなものだと知った私、大魔帝ケトスはモフ毛を揺らしていた。
あの方の残した文字が私の目の前にある。
それが何を意味しているのか、考えるより前に嬉しさがこみあげていたのだ。
けれどだ。
あの方がいない日々の中、ニャンコ散歩という物語の中で大魔帝は成長していた。
ふぅと冷静に私は周囲を見渡す。
以前ならば――。
ぱぁぁぁぁぁぁぁっと、お星さまとお花を飛ばして。
ぶにゃ!
こ、これは永久保存しなくては!
と、すっ飛んで。
この碑文図書館の時間と時空ごとロックオン!
封印処置を施していたのだろうが。
ぐっと我慢する私、偉いね?
考えないといけないことは山ほどにある。
私は魔王軍最高幹部として思慮深く、モフ耳をぴょこん。
『大魔女君、大いなる導きが何故これを私に託したのか、その理由を君も知らない。そういうことでいいんだよね?』
「ああ、そうじゃ。おぬしとは味方の契約をしたであろう、不利になるような嘘偽りは言わん。学園に生徒がいる限り、ボクは生き続けないといかんからな。おぬしの機嫌を損ねて殺されるのは御免じゃ」
大魔女の答えを受けて、賢い私は考える。
なぜここまで私が悩んでいるのか、理由は単純。
魔王様が大いなる導き――すなわち楽園の住人に自らの日記を預けるとは思えないからである。
『もう一つ質問だ。大いなる導きは善人だったかな。主観でいい、教えておくれ』
「ふむ難しい質問じゃな――」
火炎の魔術でパイプステッキに火をつけて、考え込むように吸い。
「主神として世界を支えていたのは本当じゃ。それを善というのなら善人じゃろう。我が創造主だからと贔屓するつもりはないが――まともで公正な神であったとは思うておるぞ。ただ、まあ……主観ついでに言うと、個人的には嫌いじゃったがな」
煙を静かに森へと流し、目線で追いながら大魔女は言う。
その表情には……苦味がある。
『気恥ずかしさを誤魔化すための言葉――ってわけじゃなさそうだね。嫌いな主人に仕えるのはさぞや大変だっただろう。まあ私は! 素晴らしい主だから! 幸せなんだけど、ね!』
「ふん、自慢するでない。あーあー、嫌じゃ嫌じゃ」
嘘を言っている様子はない。
外道な言い方ではあるが、おそらくこちらが向こうの生徒を人質にしている状況にもなっているからである。
この碑文図書館。
何か問題があるとしたら既に滅んでいる大いなる導きが、私にとっての敵側の存在だった場合か。
善人だからと言って私の味方というわけでもないのだ。
これを読むこと自体が罠。
という可能性もある。
例えばの話だ。
この碑文の記述に、この世界に対する私からの干渉を魔王として禁ずる。
なーんて一文があったのなら、私は行動できなくなってしまう。
それに。
ふとアドバイスを思い出していたのだ。
ロックウェル卿は言っていた、私だけが動いても世界の崩壊は止められないと。
それこそが私に対する行動制限の追加による結果。
なんて可能性もある。
考えすぎかもしれないが、杞憂であっても警戒するべきだろう。
にゃふふふふ、猫は慎重なのである!
まあ大いなる光による大いなる導きの評価は心優しい女神。
魔王様か、あるいは魔王様の身内――冥界神のレイヴァンお兄さんとまともな交流があった、という可能性もあるが。
……。
もしかしたら恋愛関係、なーんてこともあったのかな。
まあ。
あるとしたら手が早そうなお兄さんの方だろうけど。
魔王様、そういうことをあんまり語りたがらないしなあ。
ブスブスーっと猫頭に知恵熱を浮かべる私に、心配顔のハザマ君が言う。
「なにか気になる事でもあるのかい? ケトスちゃん、魔王陛下って方はあんたの大事な人なんだろう? 普通に考えたらあんたに何かメッセージを残したって事だろうと思うんだけど。違うのかい?」
シリアス紳士な魔猫顔に肉球を当てて私は、んーみゅ。
猫口をゆったりと動かす。
『どうだろうね。一昔前の私なら飛んで抱きついていたような碑文だ、ちょっとあからさま過ぎやしないかい?』
「罠、という可能性があるってことかい?」
『ま、考え過ぎだとは思うけどね――けれど、致命的な事態になる可能性もあるのは事実なんだよ。君だって魔術による制約の恐ろしさは知っているだろう? 私は主人である魔王様の本気の言葉には逆らえない。逆らうつもりもないけどね。もし私が敵ならばそこを利用する。少しでも私を知る者ならば、絶対に私には勝てないと知っているだろうし』
ハザマ君がふーむと考えて。
頬をボリボリ。
「えぇ……? そりゃ本当に考え過ぎじゃないかい」
『いや――相手は魔王様の日記だからね。何があるか分からないんだよ。かわいい私が異世界のトラブルに巻き込まれないように、早く帰ってこーい。なーんて、魔王様が考えている可能性だってあるし。あの人、私を溺愛しているからね! この場合は魔王様がかけた罠ってことになるのかな』
魔王様。
私が悪戯好きなのを知っているからなあ。
たまーに、強制帰還させられたこともあったし。
「って、いいのかい? もしその考えが合っているなら、ケトスちゃん、あんた……魔王様の意志に逆らう事になるんじゃ」
『ニャフフフフフ! 甘いね! 聞いてしまったり見てしまったらそうなるけれど。確認するまでは結果は不明。不都合な箱は開けなければいい、開けるまでは謎のまま――結果は固定されないのさ。私はね、ハザマ君――この世界の行く末をちゃんと見守りたいのさ。君の事も気に入っているし。なにより教え子を放棄して強制帰還なんて考えたくもないね』
そもそもだ。
と、言葉を区切って、首のモフモフをふふんとして私は言う!
『こう言っちゃなんだけどさあ――私、基本的に神ってカテゴリーにある者を信用してないんだよね~。大いなる導きなんて、楽園から流れて主神をやってる神の代表みたいなもんだし? それに大魔女理事長君の言葉にあっただろう? 個人的に嫌いだって。それってとても重要な情報だと思うんだ、生徒のために行動できる女性の言葉と本音なわけだし。何か猫の直感に引っかかるんだよね~。ネコと女性の勘は信じろって言うのが、長く生きる私の経験則さ』
大魔女が瞳を見開いて――。
その後、少し……微笑してみせる。
ハザマ君も碑文を見渡し。
タバコを吹かしてキシシシと笑んでみせる。
「へえ! あんた、普段はグルメしか考えてないネコちゃんなのに意外に冷静だね。今更だけど、本当に魔王軍最高幹部をやってるんだって実感したよ」
『まあそれほどでもあるけどね! くははははははは――! 我を讃えよ! 我に平伏せ! もっと褒めてくれても良いのだぞ! って、危ない危ない。あんまり本当のことを言って褒めないでおくれ、猫モードだとすぐにドヤって暴走する危険もあるんだよ。今もモフ毛がウズウズしてるし……まあ、今すぐ読む必要もないのは事実だが――そうだね、とりあえず碑文を翻訳できるようにはしておこうか。どちらにしても解読には時間がかかるだろうし』
言って私は――ニヒィ!
モフ尻尾とツンツンおヒゲをピンピン!
肉球を翳し、学者帽子の司書猫達を召喚!
碑文の解読班を結成!
知識欲の塊である司書猫達はしっぽをピーンと立てて目を輝かせる。
『さて、君達に仕事だ。時間がかかってもいいから、悪いけれど解読をお願いするよ。私がやると少し問題が発生する可能性があってね――って、もう人の話を聞かないで飛びついてるね……』
さすがは猫魔獣。
自分の欲望に忠実だ。
司書猫の周囲を取り巻くのは魔法陣の波。
幾重にも連ねた魔法陣を並列配置し、魔術演算を加速させているのだろう。
これでもし私を止めるための罠が書かれていても、見なかったことにできる。
魔術の駆け引きって、こういう小さなことも大事なんだよね。
意識を碑文から離した、その時だった。
ツーーーーーーーーーーー!
僅かな気配が、蠢いた。
『今のは――』
歪みのような何かが、隣接した空間を過ったのだ。
思わず口を開く私の耳を、魔力が揺らす。
「きこえて……か? ケト、ス……せんせ……ぃ――」
電波が遠い感じになっているけど……ハンド君を通じての魔力通信かな。耳をにょーんとして波長を合わせ、私は魔力会話に耳を傾ける。
「聞こえておりますか? ケトス先生、あなたのエリカです。今お時間宜しいでしょうか? 外で少々厄介なトラブルが発生いたしまして、どうしたらよいものかと――指示を仰ぎたいのです」
落ち着いた声のエリカくんである。
ハザマ君にも目線を送り――。
『ああ、聞こえているよ。そちらも聞こえるかい? エリカ君。すぐに向かうよ』
「よろしくお願いいたしますわ。では後程」
私は司書猫たちが既に巣作りをしている魔女の森を見渡し。
その主人で領域ボスである大魔女をちらり。
『それじゃあ理事長先生。悪いけど話はこのトラブルを解決したらね――君にはまだ聞きたいことがある。なぜ大いなる導きが滅びたのか、なぜ魔物が学園に向かっているのか、その辺りを全部ね。できたら敵の正体なんてモノも教えてくれると助かるんだが』
「ふむ。こちらからも話がある。色々と相談がしたいからのう――ただまずはこれだけでも聞いておくれ。この歪みには覚えがある。先に忠告しておくぞ。けして甘く見るでない。おそらく相手は……我が神、大いなる導きを滅ぼした連中じゃ」
瞳を細めた私はうにゅー。
ヒゲをシリアスに前に倒す。
『私の力を知っても尚、甘く見るなって忠告してくれるってことは――なにか裏技でもあるってことかな』
「奴らは外道なんじゃよ、やり口がな」
ふむ……。
単純な強さとは違う意味での警告か。
『もったいぶらずに教えて欲しいんだけど。大いなる導きを滅ぼした連中って何なんだい』
「大いなる導きの信徒達――導きの女神教と名乗る人間達じゃよ」
あー、やっぱり人間でやんの。
しかも宗教って。
うわぁ……。
自分が崇める神を殺しちゃうって、絶対狂った宗教じゃん……。
「どうやら、異界の魔族といえど人間が主犯だと知り困惑しているようじゃのう。まあ無理もない」
いや、犯人人間説はもうとっくに上がっていたんだけど。
なんかドヤ顔してるから黙っておくか。
帽子君の方が、コイツ絶対知ってたぜ! と、大笑いしそうになっているからシーっと合図を送って。
ハザマ君にもレストランの方に向かって貰うように、魔法陣を設置。
「と、お喋りはここまでじゃ。何かあってからでは困る。いざ、参ろうぞ」
告げる大魔女も足元に転移の魔術を形成し始めていた。
『忠告ありがとう、魔女さん。ティータイムはまた次の機会にね。じゃあ君とハザマくんはレストラン内の君の生徒を頼むよ』
「了解。生徒の方は任せとくれ」
「言われるまでもない。あの子たちは、ババアの生きがいじゃからな。ではまたな」
大魔女が頷くのを確認した直後。
私は瞬時に転移を開始した。
◇
場所は魔女レストランのパーティ会場の外。
そこにいたのはエリカくんだけだったのだが――すぐにトラブルの原因は判明した。
何者かがレストランを囲んでいる。
それも、明らかに殺意のある連中である。
街路所の裏に気配がズズーンと存在している。
ぴょこんと闇の中から顕現した私は、ザザザ!
空間把握の結界を展開。
扇で口元を隠しているエリカ君に言う。
『待たせてすまないね、状況は』
「ミシェイルさんとフローラさんはレストラン内で何事もなく、歓迎してくれている生徒達と過ごしておりますわ。気付いているのはアタシ達だけ。殲滅するにしても先に声をかけるべきだと、ふふ、先生に頼ってしまった訳ですわ」
このタイミングで。
殺意のある者が偶然。
歓迎会が行われているレストランを、襲う! なんてことはないよね。
『理事長が動いたせいで私たちの存在を何者かに気付かれたか。それとも南の学園に居た時からマークされていたか。まあ対処するしかないね。エリカ君、君は巻き込まれないように下がっていたまえ。いざとなったらレストラン内の扉をフェニックスで塞いで中へ』
「了解ですわ。どうか――お気をつけて」
アタシも戦いますわ!
とならないところがエリカ君の賢い所だろう。分かっているのだ、巻き込んでしまう危険を考えると私が逆に動きにくくなると。
いいなあ、この判断力。
もしこの世界が壊れちゃったら連れて帰ろう♪
ともあれ。
敵の能力を感知しようとネコ髯をうにょうにょ~ん!
……。
あれ? 反応がないな。
歪みが発生しているのは確かなのだが。
ふむ。
何らかの妨害魔術が展開されているのかな。
だったら他の手を打つまでだよね~!
『君達! 聞こえているんだろう! 出てきたまえよ! それともなにかい。まさか、レベル一桁の猫魔獣に挑発されてでてこない、なーんて恥ずかしい事をするんじゃないだろうね?』
お尻ぺんぺん、ぶにゃははははは!
あ、ほれ!
あ、ほれ!
私の尻尾から挑発の魔力が――ぶわっ!
ギャグみたいな精神系魔術なのだが、これ、魔竜の精神力ですら貫通する結構極悪な効果なんだよね。
効果は単純。
隠れている筈であっても言葉に従い、出てきてしまうのである。
「んだ!? このクソ生意気な魔力は!」
挑発の魔術に反応は――あった!
ぶにゃははははははは!
私から隠れようだなんて、二千年早いのである!
現れたのは――おや、人間だ。
これって例の主神殺しの連中なのかな。
しかし――。
人間如きが私の感知を妨害?
大魔女の言葉にあった通り、単純な戦闘力ではない何かがあるということか。
眉間をうにゅうにゅして疑問に頭を悩ます私の前で、殺意を隠さぬ男がズズっと前に出てくる。
そこに現れたのは長身痩躯の男。
「なんだぁ、こら、このデブってるファッキン駄猫は! ああん!? 飼い主だせや! 飼い主!」
神父服のような恰好をした、眉の薄い、人相の悪い男なのだが。
はてさて。
いったい、何が目的なんだろうか。
……。
……ん?
いまこいつ、デブってるとか言った?




