【SIDE:エリート令嬢エリカ】神父教師とお嬢様 ~謎のトンデモ教師~その1
【SIDE:エリート令嬢エリカ】
近年起こった中では最大規模の襲撃事件。
誰しもが心を震わせたあの日から一週間が過ぎていた。
大きな怪我の無かった生徒達は、すでに授業を再開している。
元より王都を守るための砦として作られた場所。
生贄の地なのだ――入学した生徒もある程度、覚悟が決まっている者は多かった。
死者が出ていれば喪に服す意味でも、しばしの休息を取る者はいたのだろうが。
あれほどの襲撃なのに犠牲者はいない。
だから。
平和が戻りつつあった。
何事もない日常に戻らされているのだ。
生徒たちの感情は様々だった。
死線を乗り越えた先、死を色濃く意識させられた戦士にだけ見えた景色があったのだ。
もう戦いたくないと思う者もいる。
名を上げるチャンスだと思う者もいる。
もっと強くなりたいと思う者もいる。
そして。
既に名を上げて、凛としている者もいた。
優等生として名高いエリカ――聖女候補でもある眉目秀麗な彼女もその中の一人。
あの襲撃での戦いで活躍し。
戦果を上げ。
更に名を上げた有名な女学生だったのである。
エリカはふんわりゆる巻きロングヘアーの似合う、まるで妖精のような十五歳。
高潔な血筋を受け継ぐ将来有望の聖女。
彼女を目にした、誰しもがこう思うだろうと言われていた。
無事、死なぬままに彼女が成長したら絶世の美女になる――と。
天は存外に二物を与えたがるのか――その実力も魔術師の名家の中でも随一。
名門魔術師たちが登録されている一門の秘蔵っ子。
彼女はいわゆる天才。
エリート令嬢だったのだ。
優秀で美しいお嬢様。そんなエリカが見るのは平和な日常を取り戻した、その象徴たる魔導学園だった。
既に修復が完了している学び舎。
誰も気にしないエントランス。
誰も気にしない校庭。
誰も気にしない渡り廊下。
誰も気にしない教室を見て――エリカは鼻梁に濃いシワを刻む。
愁いを帯びた悲しみの微笑み……。
ではない。
ぐぬぬぬぬぬ! と。
顔芸の如く歪ませているのだ。
その顔は、とても嫁入り前のお嬢様のしてみせるような顔ではない。
そう。
お嬢様は実力も見た目も優れているが、性格に少々難ありと評価されがちなのだ。
――どうして誰も気が付かないの? この学校はあれほどの被害を受けていたのよ? 死人こそ出ていなかったけど、修復には最低でも二週間は必要な筈。なのに、なのになのに。
新築のように輝く学び舎に向け、思わず叫んでいた。
「もう、なんなのよ!? この何事もなかったような学校は! どういうことですの!? アタシ、ここに爆炎魔術を叩きこんだのよ? あの華々しい戦闘の名残が、どこにもないじゃない! 傷一つないじゃない!」
そう、彼女が気にしているのは――元通りになっていた学校そのもの。
それはありえないのだ。
魔術の中には建築物を元の形として直す魔術も当然、存在する。
実際、エリカにもその基礎魔術は行使できる。
けれど、この修復はそんなレベルの領域ではないのだ。
術の形式も、魔術式もまったく分からない。
欠損箇所に新たな材質を与える術とは違う。
結界を固定化させ形を維持させる魔術式とも違う。まるで、そう――壊れた事が、なかったことにされているようなのである。
優秀なモノだからこそ見えている違和感が、そこにあったのだ。
――特定箇所のみの時間逆行? いえ、ありえない……ありえないのですが。
あり得ている。
これは現実なのだ。
なのに誰も気が付かない。
一部の教師と、優秀な上級生はその異変に気が付いている可能性もあるが――誰も、何も話題にしない。
口止めされている。
認識妨害を受けている。
答えは分からない。だからイライラとしてしまう。
――この学園に何者かが紛れ込んでいる? いえ、あの優秀で麗しい学長先生が見張っているのです、それはありえない。ありえないと、思いたいのですが――。
ブツブツと呟いて、ギリ!
「そうとしか考えられないんだから、仕方ないじゃない!?」
思わず魔力を込めた大声を出してしまったせいで、周囲の目を集めてしまう。
聞こえてくるヒソヒソ話は、陰口ばかり。
まーたあのお嬢様がヒス起こしてるよ――。
実力のある名家で、本人もそれなりに強いんでしょ? 仕方ないわよ……――。
はーあぁ、いいよなぁお嬢様は。強力な魔道具も揃えたい放題なんだろ? そりゃ、強えよな。
そんな嫉妬とやっかみとが混じった罵詈雑言。
並の神経の少女ならば、ぐすりと泣くか聞こえなかったことにしてやり過ごすのだろうが。
エリカお嬢様は違った。
ドレス状の制服の裾から、魔法陣が浮かび上がり。
白雪のような素足が覗いた――その次の瞬間。
ざざざ!
「はぁぁっぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!? ふっざけんじゃないわよ、呪い殺しますわよ!?」
言葉に魔術を乗せて、悪口を放ったモノを呪縛。
そう。
お嬢様はやられたらやり返す破天荒なお嬢様だったのだ。
少女らしさが残る美貌をゲスい色に変えて、ぎししししし!
「うふふふふふ、おほほほほほほほ! 呪い返しもできないだなんて、なんたるざまかしら? ほーら、早く謝らないとアンタたち、死ぬわよ? 血反吐を吐いて頭を垂れて、エリカさまぁ、生意気な口をきいて申し訳ありませんでしたぁ? って、土下座して詫びるなら許してやるわ!」
ビシっと呪う相手を指さし、ロングヘアーを翻してエリカお嬢様は高笑い。
武器ともなっている魔術扇で口元を隠し、更に――。
悪の令嬢スマイル。
「さあ、どなたかアタシを止めてごらんなさい! あなたたちのご学友が死んでしまいますわよ?」
普通、陰口を言われただけでここまではしない。
これもハッタリだ。
そう思う者が多いだろう。
けれど、学友は皆知っていた。
エリカ様はマジなのだと。
先日の魔物襲撃。
初めての実戦であっても、臆せず魔術を行使し扇で敵の首を刎ねていたエリカ嬢。
迷わず戦い、戦果を得た彼女はどこか、頭のネジが外れた存在だと認識されていたのだ。
それが。
学友を守るために必死に戦った結果だったとは知らずに――。
だから皆は白い目でお嬢様を見る。
怯えた眼でエリカお嬢様を見る。
そうして、お嬢様はわずかに愁いを帯びた顔を作る。
泣きはしない。
哀しいとも思わない。
ただ事実として受け入れていた。
また、優秀過ぎるが故に嫌われてしまったのだ――と。
そう。
お嬢様は、自分の破天荒を棚上げにして都合のいい事実ばかりを拾う悪癖もあったのである。
「一山いくらで買える下民どもが、誰の許可を取ってこのアタシを見ていらっしゃるの! お金を取りますわよ、お金を!?」
しかし不味い。
お嬢様はちょっと焦っていた。
誰かが止めてくれれば、それをきっかけに止めるはずだったのに。
誰も、何もしてこない。
――つーか、誰か止めなさいよ! 本当に呪い殺しちゃうじゃない! 愚民なら愚民で、そこは空気を読みなさいよ、空気を!
勢いに任せて呪殺の魔術を放ってしまったものの。
あれ? ちょっとやりすぎたかしら?
と、見えない部分で冷や汗をダラダラさせ始める。
そう!
お嬢様は手加減が苦手なご令嬢だったのである!
喧嘩を売ってきたのは相手が先。
けれどこれは明らかにやり過ぎだ。それでも自分から止めるのはプライドが許さない。
絶体絶命。
――まずいまずいまずい! まずいですわ!
前はちゃんと止めてくれたのに、止める者がいない。
エリカの心はどんどん混乱していく。
なぜ、誰も止めないのか。それが分からないのだ。
それは先日、あの襲撃事件のせい。
彼女が活躍し過ぎてしまった。
それが理由である。
正式採用となったハザマ教員も破竹の勢いで活躍したのだが、生徒でありながらここまで活躍したのはエリカお嬢様だけ。
だから皆、本気になったお嬢様に勝てるわけがないと、止めに入らないのである。
彼女にとっては手加減しまくっていたわけだが。
プライドを捨て呪いを止めるか、違反者としてしばらく謹慎を受けるか。
どちらがいいかと冷静に考え始めた。
その時だった。
『一体、何の騒ぎだい?』
声は、エリカの背後から聞こえた。
◇
振り返るとそこにいたのは――黒衣を纏った牧師風の美壮年。
表情が読めない程に長い前髪と、落ち着いた物腰が特徴的な長身の男だった。
黒の神父。
少女の頭には、そんな言葉が浮かんでいた。
不審者――ではない。
腕に教員用の紋章を装着している。
エリカ嬢は考える。
――こ、これはチャンスですわ!
「あら、あなたは――無駄に整った顔立ちですけれど、見無い顔ですわね」
『おや、失礼。私はつい最近、学長のコネを頼って教師になったばかりなので――授業を受けていない生徒なら、知らなくても仕方ないかもしれないね』
エリカはまともに顔色を変えて、思いを口に出してしまう。
「うそ!? 学長のコネ! あの天然記念物レベルなほど聖人で公正な学長がコネ採用をしたですって!?」
ガガーン!
ショックを受けた様子で面白い顔をするエリカ嬢。
そんな少女を見て、神父教師は口角だけを上げて微笑の形を作る。
『はは、そんなに驚く事かい? 今は戦時中。先の戦いで負傷者も出ている、猫の手も借りたい状況だったんだろう。まあ、私の事はただの数合わせの臨時教員。そう思ってくれればいいよ』
「まあ、いいですわ! で、このアタシ、エリカ=ハル=フランソワーズに何の用ですの? まさか、このアタシを止めようだなんて、不粋な事を言うつもりではありませんわよね?」
エリカ嬢はふふんと悪の令嬢スマイルを浮かべるが、内心ではほっと息を吐いていた。
呪いを解除できるからだ。
そう、お嬢様は案外小心者だったのである!
――よっし! これで言い訳もできますわね!
けれども。
神父姿の教師の反応は薄い。
まるで興味のない人間を見る猫魔獣のような顔で――きょとん。
『いや、止めないよ』
呪い殺されようとしている生徒のことなど気にしていないようで――。
聖書を片手に淡々と応じていた。
「そう、今すぐ止め……って、はぁあああああああああぁぁぁぁ? あ、あなた、いま、なんておっしゃいましたの!?」
『いや、だから止めないよ?』
エリカお嬢様の生徒証を魔術で読み取りながら、神父は瞳を細める。
『だってこの学園には階級のようなシステムが適用されているんだろう? 君は彼等よりポイントが高い――そして君はたくさんの生徒の命を救っている。彼らはいわば恩人の悪口を言った訳だ――なら、報復されても仕方がない事だろう?』
低く落ち着いた大人の声。
けれど、妙に甘ったるく――男の声質は黒く蠱惑的だった。
まじめそうであるのに、酷く情欲をそそる声なのだ。
――無駄に良い声。有閑マダムでしたら、声だけで騙されてしまいますわね。
そんな感想を抱くお嬢様の前。
人間味の薄い鼻梁を戯れの色に染めて、嗤うように男は続ける。
『それに、私はね。悪いけれど君達がどう死のうが、どう殺そうが関与するつもりはないんだ。道徳教育は専門外。契約に含まれていない。そもそも臨時職員といってもアルバイトみたいなものだからね、そこまでの責任を押し付けられたら――困るんだ。分かるかな?』
悪びれもなく神父教師は宣言したのだ。
生徒達からざわめきが起こる。
おそらく彼らはこう思ったのだろう――。
また厄介な教師がやってきたのだろう……と。
そう生徒たちは厄介な教師を知っているのだ。
その教師の名は聖女マイル。
人類最強の女。
性格以外は尊敬できるが、その天然ド地雷体質から尊敬しきれないと評判な聖女教師。
「あなた、呪っている側のアタシが言うのもなんですが……ひとでなしですわね……」
『そうかな? だって――今呪われている生徒たちは選択したんだろう? 逆襲される勇気があって陰口を言ったわけだ。私は教師として、彼らの意思を尊重しているに過ぎない』
あまりにも迷いなく断言するので騙されそうになるが。
ふと賢いお嬢様は考える。
エリカははっと気が付いて、がばっと瞳を開き叫んでいた。
「陰口って、あなた! 何の騒ぎだなんて言っておきながら、ばっちりちゃっかり、全部事情を把握しているんじゃないですの! 見てたんなら最初から止めなさいよ! それが人のする事なの!?」
お嬢様の圧力を受けても、神父は神秘的な美貌のまま。
穏やかな声音で微笑する。
『何故だい? 低級呪殺魔術の呪い返しすらできない生徒なら、きっと――そう遠くないうちに死んでしまうのだろう? うん、なら今ここで死んでしまっても同じことだ。可哀そうだとは思うけれどね、私には主に祈る事しかできない』
「主? ああ……貴方は教師なのにご存じないのですね」
なんだ、くだらない。
そんな感想がエリカお嬢様の心を占める。
お嬢様は知っていたのだ、この世界の主神は既に滅んでしまっているのだと。
生徒である自分が知っているのに、この男は知らない。
それだけの存在なのだろう、と興味が失せたのだ。
生徒を呪っていた術をあっさり解除し、お嬢様は思った。
だったら、追い出しましょう。
こんな教師。
中途半端な教師が教育をすれば必ず生徒に害をなす。遊びではないのだ、この学園は。
――アタシは、もう誰の死も見たくないの。
だから。
先ほどまで呪殺しようとしていたことを完全に忘れて。
彼女は言った。
「なるほど――そうやって口先だけで人の良い学長を謀ったのですね。あんなお人好しで高潔な紳士を騙すなんて、あまり、感心できませんわね」
『ふふ、手厳しいね。確かに私は君達を騙しているのかもしれない』
のらりと受け流す相手に、お嬢様の顔色が変わる。
挑発の魔術でもあったのだが。
――挑発に乗ってこない?
少し、興味が出ていた。
「貴方、何を教えていらっしゃるの?」
『道徳以外だったら何だって教えてあげるよ。戦闘も謀略も、治癒魔術も支援魔術、占術も戦略も、錬金術に料理、呪いや儀式、何だってね――生徒諸君、君達も聞こえているだろう? 私の教えを受けたいのなら誰だって歓迎だ。授業料はたった一つ、何か一つでいいグルメを一つ用意したまえ。さすれば君達に我が英知を授けよう。さあ、君達は何が知りたい? 若者よ、貪欲になりたまえ』
端整な顔立ちの壮年神父が、自信満々。
朗々と宣言する姿はそれなりに様になっていた。
見物していた多くの生徒達が興味を持ったようで、それぞれが様々な反応を見せている。
単純に、神父教師の容姿に見惚れる者。
インチキだろ、あれ……と嗤う者。
まーた、変な先生ね……と、苦笑する者。
けれど、だ。
数人は違った。
何人かが、なぜだろうか。
神父教師を見て――顔面を蒼白とさせている。とてつもない化け物を見るような目で、ぞっと――身体を震わせているのだ。
観察眼にも優れているエリカ嬢は、それを見逃さなかった。
――あれは……獄炎のミシェイルに、王家筋の姫騎士フローラさんじゃありませんの。なぜ、こんな主神の消失すら聞かされていないインチキ教師に震えているのかしら。
そして出した結論は、自分の専門分野外の事。
考え込むと理知的な顔になるお嬢様は、ロングヘアーをふふっと指で撫でながら思う。
――なるほど、魔術は素人であったとしても武術の達人、という線もありますわね。最高ランクのあの方々はそれを感じ取った、という可能性が――。
彼女の頭に浮かんでいたのは、つい最近正式採用になった戦場の猟犬、ハザマ教員。
エリカは先日の襲撃事件で彼女の戦闘を目にする機会があったのだ。
勝てない、そう思った。
単純な魔力量では、自惚れではなく自分が上だという自信があった。
魔導技術もあるいは同等かもしれない。
けれど。
勝てない。
そう断言させられるほどの戦闘センスの差があったからである。
――この男もそういう類のタイプ、なーんて、こともあるのかしらね。
どちらにしても、確認はしておきたい。
無能な教師ならとっとと排除をしたい。
戦闘の達人であるのなら技を盗みたい。
ならば――。
「先生。申し訳ないのですけれど、今から稽古をお願いできないでしょうか? アタシは魔術に関しては上級生にも負けない自信があるのですけれど、近接戦はあまり得意でないのです。もし! あなたが! 本当に! なんでも教えられるというのなら、構いませんわよね?」
掴みどころのない神父は言う。
『戦闘訓練かい? 構わないよ。ただし、グルメさえちゃんと用意してくれるならね』
「いいでしょう。アタシの従者が寮内に待機しております、彼、料理が得意なの。もしアタシを納得させることができたのなら。お貸しいたしますわ」
おお!
と、周囲にどよめきが起こる。
あのエリカお嬢様が戦闘訓練をするらしいと、ちょっとした騒ぎになり始める。
エリカ嬢は色々な意味で有名だった。
そして相手は何かと問題を起こしそうな謎の新人神父教師。
他の生徒達もその実力が気になっているのだろう。
ふふん、とお嬢様は嗤う。
たしかに、彼女は近接戦闘が得意ではない。
だがそれはあくまでも、超一流の達人を相手にしたらの場合。そんじょそこらの使い手程度であれば、軽くいなせるだけの技を習得済みだったのである。
だから少女は微笑んだ。
――うふふふふ、おほほほほほほほほほ! 生徒たちの前で、ぶっ潰して差し上げますわ!
と、美貌を顔芸の如くギャグ顔に染めて。
ギャラリーを引き連れ、神父とお嬢様は場所を移動した。




