【SIDE:魔物軍リーダー】リポップ ―最強の魔物― その1
【SIDE:魔物軍リーダー】
気がつくと――いつも彼はこの世界に再臨していた。
目を覚ますと、この世界で蘇るのだ。
何度も。何度も。
何度も、何度も、蘇る。
それがリポップと呼ばれる再出現の現象だと、本能が知っていた。
――何故ならワタシは魔物だからだ。
そう思考する彼の名はヒトガタ。
無数に蠢く魔物達の一団。その一つの群れのボスだと、彼は自覚をしていた。
群れはいくつもある。
無数にある。
おそらく魔物を作り出したナニモノかが、役割でグループ分けして複数の群れを創造したのだろう。
人間の言葉でいうなら井の中の蛙。
御山の大将。
一つの小さなカテゴリー内でのボス。異界より伝わる謎の言葉で形容するとしたら――中ボスでしかないということだ。
それでも彼には群れを率いる義務があった。
責任があった。
いつだってリポップした瞬間から魔物達は彼に付き従った。
格が違ったからだ。
ヒトガタは考える。何をするか考える。
そしていつも通りすぐに答えが浮かんだ。
やるべきことは唯一つだ。
北へ向かう事。
まっすぐ、北へ北へ。
北へ北へ北へ。
北へ北へ北へ北へ。
北へ北へ北へ北へ北へ。
何故北へ行くのか?
それは分からない。
リポップする時に忘れてしまったのか、それとも元から情報を与えられていなかったのか。
それすらもヒトガタは忘れてしまった。
「なあ誰か、どうして我々は北へと向かうのか。知っている者はいるか?」
周囲の魔物に問いかけるも誰も返事をしない。
意思がないのか、壊れているのか。
彼等もただ、魂に刻まれた本能に従っているだけ。
北へと向かう事しか考えていないのだとヒトガタは知った。
「まあ、いいか。では同志諸君よ北へ向かおう。我らが本能に従い、ただひたすらに――」
北を指さすと――同志たちが呻きを上げる。
北へ北へ。
ヒトガタには群れを扇動する力が備わっていた。
彼の言葉に従って、知能無き部下は従順に動き出すのだ。
人間を殺した。
殺した。殺した。
けれど、女子供は殺さない。
殺せない。
なぜだろうか、それはヒトガタには分からない。
きっと戦う意思のない、戦士になっていない人間を殺すのは時間の無駄。
それよりも北に向かうべきだ。
そう、判断したのだろう。
そうして殺して。殺して。殺して。
北へ進んで、思い出す。
学園と呼ばれる地のサルどもに邪魔されるのだ。
そこにはサルを率いるボスがいる。
その中の一つ。
温かい聖母の如き光にいつも邪魔をされる。
追い詰められ。
前回の死を思い出す。
また殺されるのだと。
ザシュ。
死んだ。
何度目の死だろうか。
死ぬ瞬間の痛みだけは、魂に刻まれていた。
「ああ、すまない同志諸君。また失敗だ――では次の人生であおう。と言っても、誰も返事はしないのだろうな」
呟く彼の言葉に反応する魔物はいない。
彼等は北へ向かう事しか考えていない。
ボスとして登録されているヒトガタだけは知能があり、覚えている。
何度リポップしても死ぬ時の痛みだけは忘れない。
そうして、長い年月が経ち。
彼は闇の中から這い出てくる。
リポップの完了と共に、彼は言う。
「おはよう同志諸君。君達は覚えていないだろうが、ワタシは覚えているよ。そして、返事をしてくれないだろうという事も」
またリポップした彼は考えた。
北へ向かう、その行く先には邪魔な土地がある。
魔導学園と呼ばれる人間達の棲み処がある。
北へ向かう自分たちを邪魔する、人間と呼ばれる強敵が潜んでいる。
あの学園が邪魔なのだと。
そう分かった。
だから優先的に狙い――そしてまた殺された。
痛かった。
痛い痛い痛い痛い。
そこで見た。
彼は見た。
痛みと憎悪の中で、確かに見たのだ。
「ああ、ワタシはまた死ぬのだろう。けれど、いつもワタシの死を見る君は誰だ? 聖女? マイル。ああ、どうして君はワタシをそんな目で見る。君はワタシを知っているのか? 知らないのか? いや、どうでもいい。ただ知っているのなら教えて欲しい。どうすればワタシは終われる。どうすれば滅びる事が出来る?」
問いかけに返答はない。
目の前に聖女の姿はなかった。
既に彼は死んでいたからだ。
問いかけていたのではなく、それは届かぬ闇の中の独白だったのだろう。
彼は見た。
光を見た。
それは温かい聖女の光。
けれど、憎い光。
リポップを待つ闇の中。
ヒトガタは考えた。
どれほどに強い魔物も、人間達相手には最終的に負けてしまうではないかと。
それはあの光のせい。
あの輝きのせい。
学園と呼ばれるあの場所にいる光。
「キラキラと輝く聖女――君の名はマイルといったか」
不思議だった。
なぜあの女は生きている?
リポップには間隔がある。
何年。何十年。
分からない、分からないが人の寿命はそこまで長くない。
ではあれはなんなのだ。
ともあれ、分かる事はあった。
北へ行けないのはアレのせい。
どれほどの時間が経とうと死なない、化け物のような女。
奴のせいだ。
あの女があそこにいる限り、我等は北へと辿り着かない。役目を果たせない。
まずはあの女を、あの輝きを学園から遠ざけなければならない。
だから考えた。
けれど答えは見つからなかった。
「同志諸君――」
そうしてまたリポップして、また殺された。
こちらも人間を何十人何百人と殺したが、奴らはそれ以上のペースで増えている。
まったくキリがなかった。
「同志諸君――」
また殺された。
「同志諸君――」
また殺された。
何度も、何度も何度も何度も。
発狂する自由はない。
なぜなら、そう出来るように作られていなかったからだろう。
「同志諸君――」
無限の輪廻の中。
リポップという地獄の中。
闇の中。
ヒトガタは考えたのだ。
もう死にたくない。
今度こそ最強の生物になればいいのだと。
「最強とは何か。それは死なない化け物。あの女か。いや、どうだろうか――同志諸君、君達は何か知っているだろうか? ああ、いや。いいんだ。君達が答えられないのだとワタシは知っている。嫌という程に知っている」
魔竜になるか?
天使になるか?
不死者になるか?
ヒトガタは考える。
どれも正解ではない気がした。
なぜならどれも一度はそれらの種族にリポップし、そして既に何度も殺されているのだ。
体格でも魔力でも勝っている筈の人間に負けるのだ。
屈辱だった。
けれど現実だった。
では何が最強か、考えた。
闇の中。
混沌とした無の中で再臨を待つ間。
様々な死の中で入手した叡智の中に、魔術というものがあった。
異世界から流れ込んできた技術。
その中で検索魔術を使い占ってみる。
最強と呼ばれる生物の候補は様々に浮かぶ。
神。
魔王。
魔神。邪神。鬼神。
中には猫魔獣や魔狼、魔鶏などという検索ミスまで引っかかる。
「猫? 狼? 鶏? これは省こう。リポップ前の不完全な状態で検索魔術を使ったせいで起こったイレギュラー。単に失敗しただけだろう」
ヒトガタは考える。
最強とは何なのか。
それは力なのか、魔力なのか、知恵なのか。
どれほど強い種族となっても、結局は負けてしまいやり直し。
またリポップを待つ退屈な時間となる。
もう何度目のリポップだろうか。
もう何度殺されたのだろうか。
分からない。
殺されるたびに憎悪が溜まっていく。
何故リポップし。
何故北へ向かい。
何故蘇るのか、理由すらももはや忘れてしまったサイクルの中でヒトガタは考える。
単純な力では駄目だ。
あの学園に阻まれる。
単純な魔力も駄目だ。
あの学園に阻まれる。
単純な知恵など考えるだけ無駄だ。
聖女と学園。
あれさえなくなればいい。
聖女と学園。
両方共に無力化させる手段はないだろうか。
百年、二百年。
何度殺されリポップすればいい?
もう死にたくない。
殺されたくない。
けれどリポップをすればまた、北へ向かって動き出す。
ああ、闇の中に光が差す。
またリポップして北へ向かえというのだろう。
もう嫌だ。
痛いのは嫌だ。死ぬのは嫌だ。
「ああ、誰か教えてくれ。どうすればワタシは終われるのだろうか? 誰か滅ぼしてくれ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう疲れたんだ。痛いのは嫌だ――」
だから。
だからだからだから!
だから今度こそ最強の魔物になる必要がある。
もう殺されたくないのだから。
強制されるリポップの中。
ヒトガタは考える。
――この世で一番邪悪な者とはなんだろうか。
様々な死の中でイメージは決まっていた。
最強の魔物の姿が見えていた。
――この世で一番、恐ろしいものとは何だろうか。
ふと、思いついた。
思い至ってしまった。
答えを見つけてしまった。
――ああ、最初からこうしていればよかったのだ。
ヒトガタはほくそ笑む。
次にリポップする姿を、種族を決めたのだ。
闇の中で、彼は見た。
希望を見た。
おそらく今度のリポップこそが――最後のリポップだと確信して。
◇
魔導学園の一室で、一人の紳士が革張りの椅子に腰かけていた。
この騒動を冷静に眺める紳士の周囲、学長室の外には優秀な護衛が複数ついている。
襲われる学び舎に回す手を割いてでも、ここを死守する必要がある。
彼こそが、この学園を支える重要な人物だからである。
「同志諸君、か――」
呟く淡々とした言葉に反応するのは、彼の秘書。
「以上が戦況報告となります――あの、学長? 大丈夫でしょうか?」
「ああ、すまない報告をありがとう。何者かの干渉か――そうですか……敵なのでしょうか、味方なのでしょうか」
腕を伸ばす――。
魔物ではなく人間の腕だ。
もう三十年はこの腕を見た。
彼には分からなくなっていた――今はどちらの思考で考えているのだろうか。
ただ一つ、分かっていることがある。
本能は残されている。
まっすぐ、北へ北へ。
北へ北へ北へ。
北へ北へ北へ北へ。
北へ北へ北へ北へ北へ。
そう。
ヒトガタがリポップに選んだ対象は――人間。
脆弱なる存在でありながら、しぶとく生き続ける憎き種族。
既に人間社会に紛れ込み、出世し。
防衛の要となっている学園の長にまで上り詰めたと知っている者は――誰もいない。
北へ向かう道を邪魔する砦は今日崩れる。
もう誰にも止められない。
多少のイレギュラーが発生しようと問題ない。
がじり。
親指の爪を齧る。
人間の身体になってから癖になってしまった。
母という人間の腕の中で覚えてしまった悪癖だ。
あと少し。
あと少し。
北へ行けば何がある。
我らの進む道の先には何がある。
賽は投げられた。
もう止まらない。
止められない。
人類の要のボスが、リポップした魔物なのだと知る者はいない。
――ああ、これで全てが報われる。
――人間として生きて三十年と少し。これまで気付かれなかったのだ、今日という日まで人間を演じて生きてきたのだ。
全てがうまくいく。
全てがうまくいく。
全てがうまくいく。
――滅びさえも見る、未来視の能力者でも現れない限りは。
けれど、そう都合よく出現するわけがない。
世界は不条理だと知っていた。
そんな奇跡、起こる筈がない。
学長として生きた彼は知っていた。命は簡単に死ぬ。
人を真似る過程で彼は善人であり続けた。
そして知った。
本気で救おうとしても無駄なのだ――彼らの命は消えていく。
腕の中から消えていく。
指の隙間から零れていく。
どれほどに強く逃がすまいと掴もうとしても、ごめんなさいと微笑み死んでいくのだ。
奇跡など所詮は幻。
神を失い絶望する人間が抱いた妄想だと、知っていた。
だから人型は嗤う。
だから。
ギシリと終わる世界に嘲笑した。
これで終われる。
ようやく――リポップの輪廻から解放される。
休むことができる。
――ふふふ、ふははははははははははははははは!
ああ、これが初めて感じる喜び。
勝利の美酒。
長い道のりの果てで、彼はようやく希望を手に入れた。
そう。
思っていた筈なのに。
『おや――楽しそうに嗤っているね』
耳元が――揺れた。
背筋がぞっと震えていた。
幻聴か?
勝利の興奮で人間としての身体が狂ったか?
いや。
違う。
やはり――声がした。
『教えておくれ――何がそんなに楽しいんだい?』
耳元で囁く低く黒い、重い声。
振り返ると。
闇。
闇がそこにあった。
今まで見たこともないほどの、形容しがたきドス黒い闇が――ギラギラギラギラと浮かんでいた。
ヒトガタは考える。
あれは、なんだ。
あんなもの、知らない。
何度も何度も何度もリポップした悠久の時の中。
彼は全てを目にしてきた。
もはや知らないものは何もない。そのはずだった。
それでもこんな悍ましいモノは――知らない。
けれどもだ。
闇の下。
まるで世界全てを呪い殺すほどの憎悪。ドス黒い混沌とした魔力の下で悠然と佇む黒き生物。アレならヒトガタも、知っている。
小さき弱き獣。
猫魔獣。
そう。
嗤う男を――。
ネコが見ていたのだ。




