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【SIDE:教師サンディ】蠢く世界 ~歯車を動かすニャンコの手~ その2



【SIDE:教師サンディ】


 守りの要である聖女マイルのいない学園。

 守護者がいないたった一日。

 まるで隙を狙うかのように学び舎を襲ってきたのは――魔物の群れ。


 今現在、この世界を蹂躙している人類の敵たちだ。

 避難の進む学び舎の長い廊下に、一人の淑女の影が揺らめいている。


 彼女を表現するなら貴婦人マダム


 名はサンディ。

 後ろに結い上げた赤毛を整える――妙齢な女性教師である。生徒からは親しみを込めてマダムと呼ばれるサンディ女史は、心を落ち着かせるべく深呼吸をしていた。


 ――ワタクシがしっかりしなくては……生徒たちが不安を覚えてしまうわね。


 逃げ遅れた生徒の回収と、侵入した魔物の掃討を行っているのである。

 女性である彼女が一人で行動する理由はただ一つ。

 強いのだ。


 胸のブローチを触れるのは緊張した時の癖で――、普段理知的な彼女の意外なルーティンを知っている仲間はもう……誰一人この世にはいない。


 王都へ向かい続ける魔物。

 人類存続をかけた戦争の中で、皆が彼女を置いて行ってしまった。

 初めは彼女もただの少女だった。

 けれど、いつしか年長者となっていた。


 長い戦いの中で失ってしまった思い出を噛み締めて、マダムサンディは焔の魔法陣を展開する。


「我が名はサンディ。マダムサンディ――紅蓮の魔女と呼ばれし我が魂をもって命じます。地よ聖霊よ、我が魔術に叡智と導きを与えたまえ――」


 師の形見でもある紅蓮宝珠スカーレットルビー小杖ステッキを翳し、紅の引かれた唇を上下させ。

 魔術を発動。


「術式解放――索敵魔術モアライト」


 紅い宝玉から展開されるのは、学内の様子を地図として映すマッパーの術。


 戦えない生徒は既に結界棟へと移動を開始している。

 聖女はいないが悪い事ばかりではない。

 入学の式典があったおかげで、普段はいない戦力が学園には揃っている。本来なら祝辞を述べるだけの筈だった遠方からの客人――高位魔術師や大司祭が来てくれていたのだ。


 おそらく、手練れである彼らが生徒を誘導してくれていると分かる。

 けれどだ。

 マダムサンディの顔は険しく歪んでいた。


 魔導による地図に見慣れない反応が無数に存在しているのだ。

 魔獣登録をされていない魔物。

 もはや何者かが侵入しているのは明白だった。


 逃げ遅れた生徒の反応も多数ある。

 おそらく、賢い彼らはどこかで籠城している筈。


 だからこうして。

 彼女は転移魔法陣を展開させ飛んでいるのだ。


 ◇


 マダムサンディが次に転移したのは、怪我人が多数存在していた救護室。

 怪我人を逃がそうとして逃げ遅れた上級生たちが、籠城していると踏んだのだ。


 やはり予想は当たっていた。

 救護室の床に、キィンキンキン――焔の魔法陣が浮かび上がり――。


 貴婦人が一人、現れた。

 いつもは少しだけ口煩いその貌が、立てこもっていた生徒たちにとってどれほど頼もしく見えただろうか。


「先生……っ!」

「どうやら間に合ったようですね――あなた方は下がっていなさい。生徒が勝てるレベルの相手ではないようですので」


 言って、紅蓮の魔女を自称するマダム教師は杖を一振り。

 浮かぶ癒しの波動。

 負傷していた生徒たちの傷を、動ける程度までに一瞬で回復させたのだ。


 けれど視線は前を向いている。

 籠城していた扉、崩れた結界の奥。

 なにかが蠢いている。


 マダムサンディはその間にも魔物の様子を確認、浮かべた魔導書で鑑定を開始していた。


「顔のない天使ノーフェイス・エンジェル……。上級天使モンスターですか――これはまた、随分と厄介な侵入者が入り込んでいるものですね」


 サンディの鑑定に、貌を青褪めさせた生徒が声を震わせる。


「ひっ……! こ、これが――あの伝説のノーフェイス・エンジェル!?」

「せ、先生!」


 動揺を合図に天使モンスターが侵入を開始した。

 ズズズズズゥ……。

 結界の隙間を、まるでネズミが狭い壁と壁の隙間を抉じ開け進むように――その身をねじ込んでいたのだ。


 そして、それは救護室に現れた。

 一対の翼をもつ、神々しい天使達。


 天使たちは一見すると、美術の魔導書に載っていそうな美しい肢体を持つ男女だ。

 しなやかな筋肉の隆起。

 黄金比ともいえる、無駄のない美が気高くその場に顕現している。


 けれど、明らかに異形だった。


 魔物だと分かるのは――その貌だろう。

 そこには本来ある筈の顔はなく、ただただ無表情の人間の顔が鎮座している。

 それは天使の顔ではない。

 魔物の顔でもない。

 人から切り離した首――犠牲者の貌が、美しく神秘的な天使の顔とげ代わっているのだ。


 伝説が正しいのならば――彼らは人間を狩り、その首を自分の頭として使うのだ。

 自らの顔を持たない天使。

 故にノーフェイス・エンジェル。


 混乱が起きる中、貴婦人は毅然と告げる。


「静粛に――口が動く者はワタクシの結界構築の補助を頼みます。あなた方は優秀な生徒たちです、なにしろ優秀なこのワタクシが指導しているのですからね。出来ますね?」


 あくまでも冷静に。

 優雅に。

 普段と変わらぬマダムサンディ。その悠然として凛とした様子に生徒たちは安堵し――士気が高まっていく。


 それぞれが持つ武器で結界を張り巡らせながら、生徒の一人がマダムに言う。


「マダムサンディ……。かつて女神さまと勇者様によって倒された強力な古きモンスター達が、時間の流れと共にリポップしはじめているという噂は……やはり、本当なのでしょうか」


 しばし考え、教師として彼女は応じる。


「そうなのかもしれません。けれど、もし本当なのだとしたら――この天使モンスター達がそうなのでしょうね。魔導書にしか記載のない魔物を相手によく持ちこたえてくれました。上級生としての役目を果たしてくれたようで――この騒動が終わった後に褒めて差し上げなくてはいけませんね」


 火炎による結界を張り巡らせるマダムサンディの貌が、戦士の顔へと切り替わる。

 敵が侵入しているのはここだけではない。

 守るばかりではなく、この場を鎮圧しなくてはならないのだ。


「さて――ワタクシが良いと言うまでは結界から出てはいけませんよ。少し大きな魔術を使います」


 告げる言葉が自らの鼓舞となり――五重の魔法陣が足元から展開していく。

 焔の魔力の渦が貴婦人の身を優雅に着飾って、唸りを上げ始める。

 術は優雅に、けれど大胆に。


「異界の大精霊、焔の王たる炎帝よ――気丈なる汝の力を我にお貸しくださいませ――爆炎魔術ヘルズフレア!」


 呪は力となって顕現し。

 翳すステッキの先端から放たれた五重の魔法陣が、世界の法則を書き換える。


 グォオオオオゥゥゥッゥゥゥゥオオオオ――ッゥゥ!


 絨毯を舐めるように顕現した炎の渦龍が、突進!

 魔物の群れへと直撃する。

 天使の声なき断末魔が響き渡る。


 まるで地獄の業火に焼かれる罪人の様だった。

 周囲に焦げた熱の香りが伝わる。

 生徒たちは――無事だ。


 卓越した腕を持つ貴婦人の前には、伝説のモンスターとて敵わなかったのだろう。

 マダムサンディは安堵するが――まだ、警戒を怠ってはいけない。

 経験則が彼女に危機を知らせていた。


 サンディ女史は神経を尖らせ、考える。


 ――嫌な予感がします。まだ……潜んでいる?


 かつて油断から仲間を失った事のある彼女の瞳は、まだ周囲の闇を探っている。

 この時。

 一声、生徒に声をかけていたら――きっと何かが変わっていたのだろう。


 ズズズ、ズズズズズ。

 蠢く音と、勝利を確信した生徒が結界から出てしまった。

 その瞬間は重なっていた。


「やった! 先生の魔術が決まったわ!」

「これならいくら伝説の魔物だって、一撃だろう!」


 マダムサンディを慕う女生徒が、駆け寄ろうとしたその瞬間。

 死の気配が、マダムの瞳を揺らす。

 はっと気が付き、振り向いた彼女は――。


 見た。


「お待ちなさい! 結界から出てはなりません!」


 遅かった。

 燃える仲間の遺骸を隠れ蓑に潜んでいたのは、無数の魔物。


「え……?」


 顔のない天使たちは自らの首を欲し――。

 まだあどけなさの残る女生徒の首を――刎ねる。


 シュィィィン――!

 鮮血が、貴婦人の白い肌を紅く染める。

 もう嫌と言うほど知っている血の生暖かい感触と香りが、サンディの脳裏を襲う。


 誰かが死んだ。

 叫びたくなる彼女はそれでも冷静さを保とうと、歯を食いしばる。

 けれど、生徒たちは彼女程に精神が強くない。


「い、いやぁあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 級友を失った生徒の恐怖と絶叫が、救護室に響き渡る。


 人が死んだ。

 生徒が死んだ。

 仲間が死んだ。


 その現実が、周囲に混乱を伝染させていく。


 マダムサンディの心臓もバクバクと鳴っている。

 生徒を死なせてしまった。

 その事実が、自責の念となってきつく心に刺さっているのだ。


「早く結界の中に――っ!」


 心の乱れは魔術の乱れとなる。

 本当に。

 一瞬だった。


 マダムサンディは術の集中を失ってしまった。

 並の相手ならば気づかない程の――刹那の時。

 その僅かな隙間を衝くように、顔のない天使が死んだ生徒の顔を我が物とし、微笑んだ。


「紅蓮の、魔女。まだむ、サンディ。おまえ、危険。この場で消し去る」


 今朝まで自分を慕い微笑んでいた生徒の顔が、語っている。

 敵に奪われた顔が、ギシシと嗤っている。


 パリン……。


 結界が割れる。

 焔の魔法陣が崩れる。

 一瞬だけ心が、割れたのだ。


 それは全滅を意味していた。

 経験則が語っていた。もはやだれ一人生き残らないと。


 ――おわってしまう……っ! ワタクシのミスで、油断で、全てが――! ああ、神よ。導きの神よ。どうか――どうか我等をお救いください!


 届かぬ願いと知っていながらも、マダムは天へと祈っていた。

 彼女は知っていたのだ、もはやこの世界に神はいない。


 縋るべき神は、主神は――戦いに負け消滅してしまったのだと知っていた。

 復活の兆しもないと知っていた。

 誰にも語ってはいけないと、禁じられていた。

 絶望しかないと知っていながらも、彼女はそれでも生きる希望を信じて戦い続けていた。

 人間は、神がいなくても生きていけると信じていた。


 この地は神が魔との戦いに負けた世界。

 そう。

 世界を支える柱は――既に滅んでいたのだ。


「だれか、お願い……っ、ワタクシはどうなってもいい、生徒達だけは――まだ大人にすらなれていない彼らの命だけは――どうか」


 届かぬ祈りが虚しく鳴り響く中。

 声が聞こえた。

 殺戮の空間に、猫の声が響き渡っているのだ。


『ふむ。まあいいだろう――我が家臣ジャハルの力を借りし魔女よ。大いなる導きが既に滅んでいた、その情報を与えてくれた君への餞別だ』


 ドス黒い闇の声が、世界を軋ませていた。

 その黒さに、天使達の動きも止まる。

 動揺しているのだろう。


『なんか、こっちの天使達も悪趣味だしね。語り掛けても無視されるし――味方になってやる義理もなさそうだし。さて――では、始めようか』


 声が途切れた、その数秒後。

 グギギギギギギギギィィィィィィ!

 次元が割れ――黒き獣の手が何もない空間からギシリと顕現していた。


 獣の手が肉球を揺らし、世界を揺らす。


『戻れ歯車――我が干渉せしは一瞬の逆巻き。我の名で命じる――時空魔術、遡る砂時計』


 酷く甘ったるい、けれど情欲を煽る声が響いていた。

 詠唱が身も心も震わせていた。


 まるで生きとし生ける者を全て、その低く甘い声で誑かせてしまう程の声が――響き渡り続けているのだ。

 何者かが大規模な魔術を行使しているのだと、マダムサンディには分かった。


『輪廻の狭間。我は否定する。承認せず――我が裁定に反する事例は時の輪から外れよ。この日、この時。全ての事象は我の手の中にあり――宿業改変魔術、時女神ウルドの悪戯』


 まるで猫の目を彷彿とさせる禍々しい魔杖が、ギラギラギラと輝いていた。

 魔杖が嗤うように、空に魔術文字を刻む。


《――賞味期限が切れる前に、戻れ!――》


 異界の文字。

 それは碑文に刻まれた――解読術師ですらまだ解読できていない、言語。

 膨大な力の奔流が、室内を覆う。

 まるで時を遡るように、全てが逆さに戻っていく。


 おそらく、神話級の内容を示す術名なのだろうと貴婦人は感じた。


 ――いったい、誰がこんな魔術を!


 時空が、歪む。

 空間が軋む。

 十重の魔法陣が周囲を包み――そして、世界が蠢き始める。


 ぎゅぅぅっぅぅぅうううぅっぅううううううううぅっぅぅぅ……。


 気が付くとマダムサンディは別の空間に居た。

 いや。

 正確にいうのなら、場所は同じだ――けれど何かが違う。


「これは――」


 理解したのは時間にして五秒ほど。

 これは何者かによる魔力の影響で発生した奇跡――爆炎魔術ヘルズフレアを使う前の時空に戻っているのだとマダムは知った。


 脳内に先ほどの大魔術を行使した何者かの声がする。


『今度は失敗しないでおくれよ――今のはたった一度のサービスだ。二度目の改変は私にもできないからね、それじゃあ健闘を祈っているよレディ』


 声が途切れたその直後。

 マダムは生徒たちの顔を見た。

 首を刎ねられたはずの生徒の首が、ちゃんと残っている。


 ――時間操作魔術……!? そんな……バカな事があるというのですか。いえ……今は冷静に。優雅に、大胆にですわね――。


 奇跡の魔術を目の当たりにして、マダムサンディは心を静かに整える。

 彼女は思考した。

 声の主は分からない。

 けれど、おそらく厳しい条件があるのだろうが――本当に時間を戻してしまう程の存在だということは間違いない。


 今の声の主は――敵ではないが、味方とも限らない。

 助けられたのは気まぐれに過ぎないのだと、彼女は悟っていた。

 おそらく次はない。

 失敗したら、生徒がまた同じ運命を辿って――死ぬ。


 けれど――気まぐれに救われた命が今、目の前にいる。

 生きた状態で、目の前にいる。

 それだけで足りていた。

 教師である彼女の頭脳をフル稼働させるには十分だった。


 貴婦人は動き出す。


「いいですか皆さん。今からワタクシはノーフェイスエンジェルに攻撃を仕掛けますが、おそらく相手は一度の攻撃では消滅しないでしょう。何度かに分けて撃退します。もう一度言いますが、良いというまでは絶対に結界からでないことです。いいですね? これは聖女様に下った神託を代理で読み上げているのです」

「マイル先生が――?」


 嘘も方便。

 真実を語ったところで混乱させるだけだろう。


「ええ、あなたたちを案じているのでしょう。大丈夫、ワタクシたちには聖女様がいるのです。結界から出ずに、ワタクシのサポートに集中してください」


 悠然と、毅然と――。

 マダム教師は聖母のような微笑みを浮かべる。


 生徒に気付かれぬように、その頬に薄らと汗を浮かべて。


 敵か味方かは分からない。

 けれど。

 時にさえ干渉する神に等しき存在が、この学び舎に入り込んでいるのは事実。


「さあ――行きますよ。集中なさい!」


 願わくは、敵でありませんようにと。

 彼女は紅く輝くルビーステッキを振るった。


 ◇


 マダムサンディが無事、犠牲者を出さず伝説の魔物ノーフェイス・エンジェルを撃滅した。

 士気を高めるための魔術メッセージが流れる。

 戦場と化している校内全域に朗報が伝わったのは、あの奇跡の魔術が発生してから十数分後の出来事だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 意外な事実発覚! [一言] なるほど…。 主神は消滅してしまってたんですね…。 大いなる光さんはここの主神、やさしい人だって言ってましたもんね…。だとしたら無事ならこうはなってませんよ…
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