魔導契約 ~死の淵を掴むモノ~後編
西日が温かい午後の受付室。
美味しい食べ物に、可愛い猫。
ちょっと草臥れたお姉さんもいて、なかなか絵になる風景なのだが――。
大魔帝ケトスこと、猫魔獣である私は少々頭を悩ませていた。
介入する必要もないこの異世界。
助ける義務もないこの土地で――私は一人の女性の死を予知してしまったのである。
彼女の名は――鑑定士ハザマ。
聖女に命を助けられたという、元戦闘員の臨時職員お姉さん。
いつか出逢ったお姫様。
ヤキトリ姫の死期を悟ってしまったように、猫としての私が察してしまったのだ。
それは――死を嗅ぎ分ける嗅覚。
彼女の魂に纏わりつく死の匂いを、感じ取ってしまっているのである。
それがまあ、気になってしまい残ってしまったわけだが。
ふーむ、と私は考える。
おそらく、彼女を助けようと行動すると――この世界の未来は変動する。
前にも言ったかもしれないが、私は定められた運命や未来を肉球で踏み荒らす傾向にある。
ようするに。
禁術や行動を楔とし、ある程度決まっている流れをぶち壊す能力が備わっているっぽいのだ。
死する筈の人間を救ってしまえば、少なからず影響を与える事だろう。
まあ、影響を与えると言っても微々たるものだろうが。
……。
私はふと、遠見の魔術でこの世界を眺めていた。
先ほど、魔力を奪うためにざっと意識を巡らせたのだが……。
おそらく……。
様子がおかしい私に、この部屋の主は、ん? と不思議そうに顔を傾ける。
「どうしたんだい、難しい顔をして。あたしの顔になにかついているっていうのかい?」
ハザマさんは斜めに走る顔の古傷を撫で。
自嘲するように、微笑んで見せる。
自らの命を捨ててでも聖女を守ろうとした、この人間。
脆弱なる魂。
庭で蠢く蟻と等しき、他愛もない一つの命。
無関係な命の輝き。
なのに。
死の運命に魅入られたこの女が――どうしても気になってしまう。
猫のヒゲがピクピクとして、耳がピンと立ってしまう。
この女はあの聖女マイルくんに助けられたことがあるのだろう。
その恩に報いるため。
彼女を強大な魔である私から逃がしたい、その一心で、あんな自爆魔術を発動させようとまでしたのだ。
それは、きっと――私が魔王様を守ろうとした感情と少し似ていた。
素直になれないその表情と草臥れた様子が、私の思い出の中にいる焦げたパン色の手の君に似ていた。
だから。
肉球を翳してやりたくなった。
呑気で気まぐれなネコとしてではなく、大魔帝としての声で。
私は言った。
『単刀直入に言うよ。君は近いうちに死ぬ』
一瞬、時が止まった。
おそらく。
未来が少し変わったのだろう。
告げられた彼女は目をまん丸に見開いて、けれどすぐに瞳を細め――動かぬ手を魔力で動かし頬を掻く。
「未来視ってやつかい?」
『ああ、魔王様や私の友人ほどではないが――私にも先は見えるからね』
ハザマさんは私の強さを知っている。
闇を知っている。
それができるほどの存在なのだと鑑定し、認識している。
なのに。
キシシシと困ったように笑いながら、彼女は酒の注がれたグラスを大きく傾ける。
「ふふ、ああ……いやだねえ、先が見えちまうってのはあんまり面白いもんじゃないだろうに。あんたには見えてるのかい。可哀そうに……って、あたしに同情されるのはもっと可哀そうか」
ごくんごくんと女の喉が揺れる。
けれど、心はあまり揺れていない。
ダンと、飲み切ったグラスを机に置いて――、死の運命を告げられた女は一度だけ、大きく息を吐いた。
「ったく、マジかぁぁぁぁあああぁぁ! まあ、あんたみたいな戯れ好きそうな魔族が真面目な顔でそういうんじゃ、事実なんだろうけどさ? はぁ……結局あたしは恋もできないままに終わるってわけじゃないか、女として情けないねえ」
冗談めいた愚痴をこぼす彼女は、机に飾られていたドライフラワーに目をやり。
苦笑する。
おそらく、弔いの魔術が込められたドライフラワーは彼女が作り出したモノなのだろう。
グラスを掴んでいた女の熱で氷が溶けたのか。
それとも嫌味なくらいに眩しい昼灯りに中てられ溶けたのか。
中に残っていた氷片が、カラリと回る。
グラスの表面に浮かぶ雫が、まるで涙のようにスゥっと垂れていた。
雫に目をやり、私は静かに言った。
『意外に冷静なんだね――』
「ま、あたしはこの傷を作った時に死んでいる筈だったんだ――それを聖女様の回復の力で助けられたから生き延びた……本来なら死んでいたんだから、まあ……ちょっと順番がズレただけだって事さ」
死を受け入れる女の顔は穏やかだった。
「自分一人が生き残るってのはね――けっこう、疲れるんだよ。周囲の目も、同情も、罵倒も――全部が嫌になっちまってたから。あたしもようやく休めるってわけさ。この世界は愚かだねえ、こんなイイ女の命を奪っちまうっていうんだから」
まるで死んでいった仲間達に手を伸ばすように、彼女は動かぬ手に魔力を込めて――腕を伸ばす。
彼女の瞳には誰が映っているのだろうか?
それは私には分からない。
けれど。
疲れ切っていた。
それが彼女の心なのだろうか。
達観しているのは分かるが。
だからこそお節介を焼きたくなるのが天邪鬼なネコの性質なのである。
私はニヒィっと口角をつり上げる。
だったら、一石を投じてみたくなった。
猫としての本能が、私の気まぐれを刺激していた。
悪戯魔族としての私の影が、世界を闇で包んでいく。
侵食されていく闇の中。
『ねえ、君。どうせだったら、この世界を救いたくはないかい?』
人間を誘う紳士の声で――。
そう――私は告げた。
「世界を救う? あはははははは! 何を言っているんだい、もう自爆ぐらいしか役に立たないあたしが世界を救うって?」
男にも気軽に接する気の強い女傭兵。
そんな雰囲気のまま、笑いながら彼女は言う。
「それに、いくら魔物に襲われどんどんと追い詰められているとはいえ、まだ人間は負けちゃいない。あたしたちが死んだあと、後の世代がもう少し頑張って盛り返してくれる。あたしはそう、信じているよ――」
ここはそのための学び舎さ、と教師としての前向きな顔で彼女は言う。
明るい女性だと思った。
前向きな女性だと思った。
その心は美しいと、私には思えていた。
だからこそ、その笑いには同調せず。
私は言った。
『さっき未来視について触れていたね? 私には見えているんだよ』
「見えているって、なにをだい」
あえて大魔帝としての闇と魔力を滾らせたまま。
俗世と隔絶された超常的な存在としての顔を前面に出し。
私は死を告げる無慈悲な神の顔で。
淡々と宣告したのだ。
『このままだと――この世界は滅びるよ』
さすがに、それは想定外だったのだろう。
鑑定士のハザマは顔面に走る古傷を魔力で紅く染めて――銜えタバコをぽろりと零した。
「滅びるって……どういう意味だい」
『言葉通りの意味さ。人間も魔物も……あの聖女も。敵も味方も、朝も昼も夜も関係なく全てが無とへと帰す。滅びて消えてしまう未来が、私には見えているのさ』
それは、魔力を奪う魔術で世界を知覚した時に見えてしまった未来。
偶然覗いてしまった、この世界の行き着く先だ。
世界が滅びる。
荒唐無稽な話だと私自身も自覚していたが――。
なんつーか。
マジだったりするんだよねえ……これが。
ちなみに。
名誉のために言っておくが――今回は私が暴れて壊す未来を感知したとか、そういうマッチポンプじゃないからね?
「マジでいってるのかい?」
『冗談でこんなつまらない事を言う程、私も暇じゃない』
まあ、暇だからこっちに滞在しているのだが。
それはそれである。
そんなニャンコな内心を知らず――彼女は背もたれから汗で濡れた白衣を離し――前かがみになって唸るように言葉を震わせる。
「すまない、ちょっと――意味が……分からないよ」
『簡単な事さ。君に世界を救う気があるのかないのか、私はそれを尋ねているんだよ。喜びたまえ、人間の娘よ。私は君に、いやこの世界にチャンスを与えようと思うんだ』
言って、この身を猫から人の姿へと変貌させていく。
おそらく彼女の瞳には――闇の中から現れた一人の美壮年が映っている事だろう。
むろん、何の意味もないただの演出である。
ただ、まあ。
人ならざる猫が、凍り付くほどの美貌を放つ人型の魔族に変貌するというのは、それなりの演出効果が生まれる筈。
人間とは視覚的演出に弱い生き物なのだと私は知っていた。
実際。
彼女の目線と意識は、私の貌に奪われている。
だから私は紳士の微笑を浮かべて、悠然と女に語り掛ける。
『私自身はこの世界に干渉する義務も義理も無い。けれど――まあ、知り合った君がそのまま死んでいくのも、少しだけ寂しいと思ったからね。私は……前に一度、君に少し似た大事な仲間を失っている。あの時に救えなかった思い出を慰めるために、ちょっと気まぐれを起こしてしまったのさ。だから、手を差し伸べている、それだけの話だよレディ』
視線の端に映るおまんじゅうを食べたくなっているが。
ぐっと我慢している人型の私、偉いね?
「世界が滅びるって言うのは。冗談じゃ、ないんだね」
『何もしなければね』
教師でもある彼女に分かりやすく説明するように、私は図説を魔術文字で浮かべて言う。
『未来視とはその時、その瞬間での観測時間軸から先をみた未来の魔力変動――つまり将来的に変動する魔力の揺れや波動を観測する魔導技術。このまま未来に干渉するほどの、禁術のような何かが発生しない限りは、全てが滅んで無に帰すだろうと私は考えている』
無数に浮かぶ魔術式。
魔導理論。
教師である彼女にはその無数の魔術式が読めるのだろうか。
いや。
読めないにしても、それが論理付けられた魔術式だとは理解したのか。
彼女は表情をきつく尖らせ、告げた。
「何を報酬にしたらいい。あたしにはもう出せるモノがほとんどない。まさかこの身体って、いうわけにもいかないだろうしね。あんた、人型をしていても本質は猫そのものなんだろう?」
確かに。
彼女の身を貰うつもりなど毛頭ない。
人の形をした肉を食べる趣味は、私にはないからね。
『言っただろう。私が望むモノは唯一つ。グルメさ。君自身が私に新たなグルメを提供してくれてもいいし、それができないのならできる人を探してくれてもいい。まあ難しく考えてくれなくていいよ、手を貸したところで世界を救えるという保証もないからね』
「なんだい、随分とまあ頼りない話だねえ……」
『助ける義務がない相手に手を差し伸べる――それだけで魔族である私にとっては、最大限の譲歩だと理解していただきたいね』
紳士な笑みで口角をつり上げて、人ならざる紅い瞳を細めて私は問う。
『で? どうするのかな? 私はどちらでも構わないよ。君が死した後、すぐに世界が滅びるわけじゃないだろうし――君は君の人生を全うする権利ももちろんある。望むなら……まあサービスだ。先ほどまでの話。君の死の運命、そして世界の終わりの記憶を消去することもできる。すべて忘れてしまえば終わりを知らずに、安らかなる日々を送る事もまた――可能だろうさ』
おそらくそれが、彼女にとっては一番の幸せな筈だ。
知らないことは、悪い事ばかりでもない。
知ってしまうことが、良い事ばかりでもない。
世の中とは、きっと安易に正否を決められない程に複雑なのだろうと――私はそう感じていた。
けれど。
彼女は私をまっすぐにみていた。
きっと、答えなど最初から決まっていたのだろう。
「あたしは――聖女様を助けたいと願っている。あんたの言葉に甘えさせてもらうよ。どうか、力を貸しておくれ、この通りだ」
言って、彼女は深々と頭を下げた。
やはり、私が魔王様のためになんだってできてしまうように、この女は聖女マイルのためならば――なんだってできてしまうのだろう。
ちゃんと礼儀を弁えている人間を、無下にできるほど私は人でなしではない。
……。
まあ人じゃないけど。
ともあれ。
これで賽は投げられた。
運命の歯車を直接目にすることができるのなら、きっと今頃、音を鳴らして動き出している事だろう。
私は微笑み。
『交渉成立だね。んじゃ、魔導契約書を交わそうじゃないか♪』
言って。
周囲のモヤモヤな闇を回収して――紳士はくるりんぱ!
元の黒猫の姿に戻って玉座に着地!
『くはははははは! グルメ依頼、ゲットだにゃ!』
「今の男の姿はなんなんだい? そのぅ、なんだい……物凄いイイ男だったけど」
妙に頬を赤らめて彼女がぼそりと呟く。
魔導契約書を交わしながら、私はブニャハハハハハと猫笑い。
『にゃふふふふふ、大魔帝ともあろう私であるからして、表に出す顔も姿も複数存在するのである! いやあ! 最近、あんまり人型になってなかったから、忘れないように、たまにはなっておこうかなぁって思っただけだよ』
ハザマ女史もまた契約書にサインをしつつ、ジト目で私のモフ毛をちらり。
「するってーと、さっきの変身に意味は……」
『うん、ただの演出でなーんも意味なんてないよ?』
こてりと首を横に倒すネコちゃんな私を見て。
ハザマさんは、このネコちゃんに任せてほんとうに大丈夫かねえ……――と。
額に走る古傷に指を当てていた。
◇
契約は完了した。
世界と未来が――音を立て、別の道へと動き始めた。




