エピローグ
かつてダークエルフが住んでいた街。
今は人間たちが平和に暮らすその街の門にいたのは、猫とニワトリ、そしてそれを見送るのは人間たちと一人のダークエルフ。
見送りというヤツだろう。
もう少し街に滞在してもいいのではと、ギルマスに提案されたが。
私は首を横に振った。
ロックウェル卿を連れ、魔王様の下に一度帰ることにしたのだ。
ニワトリの君は魔王軍に戻るつもりはなくても、眠る魔王様の顔を見るぐらいはしたいらしい。私と彼の感じる魔王様への恩義は、量こそ違えど同じなのだろうと思う。
まあまたすぐにどこかに行ってしまうのだろうが。
それまでは、魔王軍も少しは寂しくないだろう。
……。
なんというか。
今回も勝手に出てきたから、たぶんめっちゃ騒ぎになってるんだよね。今ならロックウェル卿を探していたって言い訳できるし。
うん。
だから、本当にこのまま出立なのだ。
街のギルド関係者たちが私達に礼をしている。
暗黒三兄弟も妙に私に懐いているようで、やっぱり笑えるが。
ともあれ。
私は肉球を差し出した。
「世話になったね、人間の諸君とダークエルフの同胞よ」
「こちらこそ、大変お世話になりました」
代表して、憑き物が落ちたかのようにさわやかになったダークエルフのギルマスが、土産のフィッシュアンドチップス入り包みを手渡しながら。
深く、礼をした。
「もし、寂しくなったら俺の所を訪ねてきてください。歓迎しますよ。今の俺は長命ですから。あなたの話し相手ぐらいにはなれる」
「それは、ありがたいね」
「それとロックウェル卿、今回は失礼を働き申し訳ありませんでした」
ロックウェル卿は鶏の仕草で首を傾け、クワワと笑う。
「なーに、余は元より滅びの歌を聞き残飯を漁りに来ただけだったのだからな。このような土産まで貰ったのだ、遺恨はないぞ。むしろまた滅びそうになったら呼んでおくれ、余はお前たちを気に入った。冥途の土産に最後の宴を開いてやる。なんなら石化させて余の巣に飾ってやってもいいのだからな!」
たしかに、宴会ではここの街の連中とだいぶ仲良くしていたが。なかなかどうして強烈なギャグである。
街の皆がロックウェル卿の冗談で笑っている。のだが。
実はこれ、結構洒落にならないんだよね。
このロックウェル卿。思考はニワトリだ。怖いことに、本当に心の底から気に入ったモノは石化させて持ち帰る悪癖があるのだ。
実際。
彼の住処にはお気に入りの石化彫像が山ほどあるし。
この街の彼らとは、ほどよく親しくなっただけで良かった。
……。
私が言うのもなんだが、やっぱり魔族と人間は深く関わるべきじゃないよなあ。
と思う。
そんな感傷をよそに。
再度、深くギルマスは感謝の意を示すように頭を下げた。
そして頭を下げたまま、私の方をモジモジとしながら、ちらり。
「あの、その、なんだ。失礼で申し訳ないお願いなのだが、抱っこさせてもらってもいいだろうか」
「君が私をかい?」
「ああ、駄目、だろうか」
しょんぼりした声である。
「にゃふふふふ、とうとう君も私の可愛さを理解できたようだね。ほれ、とく撫でよ」
「ありがとうございます。ああ、モフモフだ」
もっふもっふ。
もっふもっふ。
なでなで。
さわさわさわさわ。
貌をお腹に押し付けて、スリスリスリスリ。
「ちょっと、ギルマス?」
さすがに心配したのか魔女マチルダが止めに入るが。
「もう少し、あとちょっとだけだから」
モフモフ。
肉球をぷーにぷに。
おでことおでこを合わせて、スリスリスリ。
「こやつ、こんなに猫好きだったのか?」
まるでチャームでも受けたかのように熱中するダークエルフごしに、魔女に問う。
「さあ、まあ何か今回の事件でいろいろと吹っ切ったみたいではあったけれど……ちょっと、本当にいつまでやってるのよ、あんた」
「は……っ、俺は一体なにを……っく、おそるべし誘惑。これが大魔帝の力という訳か」
いや。
こんなところで大魔帝の名を出されても。
まあ、本当に。
彼の中で何かが変わったのだろう。無理やりこの世界に転生させられてから、百年以上も復讐の道具として生きてきたのだ。
その呪縛から解放された今からが、彼の新しい人生の始まりなのだろう。
それはまあ、それとして。
私はちらりと、彼が首から掛けたままにしているお守りに目をやった。
なんか。
やっぱり。
どう見ても「世界を救いし守り」っていう上位アイテムに進化してるっぽいんだよね。
そりゃまあ、実際、世界を救ったわけだが。
……。
もちろん、私が持っているあの「お守り」もそういう進化を遂げていた。
特殊な役割を果たした装備が高位存在としてランクアップする現象はたまに確認されているが。まさかこんなマッチポンプみたいな方法で手に入れてしまうとは。
まあ、言わなきゃこれもバレないだろうし、別にいいか。
そんな私の目線に気付いて、ダークエルフの彼が笑う。
「あの、そのケトス様。本当に……ありがとうございました。その、またこの街に、いつでも寄ってください。全力で歓迎します」
「じゃあねケトス様。今度わたしの故郷にも遊びにきてくださいな。ちょっと離れた島国ですけど、いい場所なので」
私を崇拝している魔女の住む国、か。
そこも、ちやほやしてくれそうで悪くないな。
……。
にゃは。
にゃふふふふふふ!
神として崇められて、一日食っちゃ寝、食っちゃ寝できるのか。そういうの、いいよねえ。
そんな楽園生活を想像する私の前。
いまだにエアモフモフで宙を撫でるギルマスに、魔女マチルダが頭を抱えて惰眠魔術を唱えようとしている。
まあ、この地を覆っていた憎悪は消えたのだ。
私が引き寄せられることはもう、ないだろう。
二度と会わないかもしれない。
そう思うと、少しだけ侘しさが浮かんだ。
初めて会った、同じ場所からの転生者か。
私は。
迷っていた。
魔王様の目覚めを待つ今、ずっとここに留まることはできない。
けれど。
彼が私についてくる分には、問題はないはずだ。
私は、寂しいのだろうか。
分からなかったが。
どうせ断られるだろうし。
提案だけでもしてみようか。
そんな思考が頭をよぎった、その時。
間の抜けた声が届いた。
「あぁーーーーーー、まってくださいぃ! あたし、見送りなのに寝坊しちゃって!」
あの天然受付娘である。
私とギルマスの間にぐぐぐと、割り込んで。
「はい、ケトスさま。あたしが焼いた手作りクッキーですよ。帰り道で食べてくださいねえ。そちらのニワトリ卿さまにはトウモロコシを用意しましたのでえ、えへへ」
「もしかして君、いま急いで飛んできたのかい?」
この受付娘。
もしかしたら、なかなかどうして計算高いのかもしれない。
まあただ幸運値が高いだけで、全ては偶然という可能性もなくはないが。
タイミングとしては、私の心を察して妨害してきたとしか思えない。しかし、ギルマスを連れていかれないようにしたという事ならば。この娘は――。
「娘よ、君……もしかしてあのギルマスくんが異世界からの転生しゃぁ――」
ガバっと私を抱き上げた受付娘は、その場を少し離れて。
「しぃぃぃぃいいいいい、店長、私には隠してるつもりなんですから、黙っててくださいぃ」
「なるほど、やはり知っているのか」
「あたりまえじゃないですかぁ、あたしスキル鑑定できるんですよ? なんの効果もない名前だけのスキル……最近では称号って言うんでしたっけ。その組み合わせで個人情報ぐらい簡単に入手できちゃいますしぃ。なんなら人生の大半は予測出来ちゃいますよ」
なんか、この娘。戦闘能力自体はそんなになさそうだが、けっこうヤバイな。
娘は一度強く、瞳を閉じて。
私の猫目を真摯な瞳で見つめて、微笑んだ。
「あの人の憎悪を喰らっていただき、ありがとうございました」
この娘は、どこまで知っていたのだろうか。
ん? となると。
「君、もしかして私の事も知っているのかい」
「ええ、そりゃあまあ。転生者なんですよね? 猫ちゃんには店長と同じスキルを検知できましたし。ええーと、どこにメモしてあったかな。えーと、これじゃない、これでもない……もう、なんで探し物ってすぐみつからないのぉ」
服のポケットからぐちゃぐちゃに丸まったメモを広げて、見て、ポイ。広げて、見て、ポイを繰り返している。
この娘、妙に鋭いところはあるけど、基本、ほんと駄目だなあ……。
なんか横で、ロックウェル卿が投げ捨てたメモを石化させて遊んでるし。
「あー、あったあった。叶わぬ青き星への望郷と、異界より召喚されし転生者。これですよこれ! こんな稀少なスキルを二人とも持っていたら、いくらバカなあたしでもさすがに気付きますって」
叶わぬ青き星への望郷なんてセンチメンタルなスキルが私にあるのは、少し意外だったが。
ん?
「召喚されし転生者? ただの異界よりの転生者ではなくてかい?」
「ええ、あたしのスキル鑑定だとそうなっていましたけれど?」
彼女はきょとんとした顔をしている。
嘘ではなさそうだ。
つまり、私は偶発的に転生したのではなく。
あのギルマスくんのように、何者かに召喚され転生させられた。
ということだろうか。
……。
もし私利私欲で私を転生させたのなら、あとでなんかしてやろう。もっとも五百年も前に召喚されたわけだから、既にいなくなっている可能性も高いが。
まあ、今はとりあえず関係ないから、あくまでも今後の目標だ。
私はにゃふふ、と肉球で口元を抑えたニャフフ笑いをしながら。
「そうか、ありがとう。君のおかげで人生の目的が増えたよ」
「え、なになに。あたし! またなにかやっちゃいました?」
「ああ、お手柄さ」
にゃーっはっは!
絶対に見つけ出してやるからな!
と、言っても実際にはそんなに大して燃えているわけではない。
ようするに。
暇なのだ。
「そっかぁ、よかった。店長の心の闇を払ってくれた猫ちゃんに、どうしてもお礼したかったから、あたし……そっか、役に立てたんだ」
彼女は。
嬉しそうに笑っていた。
「おや、嬉しそうだね」
「そりゃまあ、いつもバカバカ言われてますし」
「彼、自分もバカみたいに鈍感なくせにねぇ」
ハーレム主人公タイプなのだろうと他人事ながら笑ってしまう。
「でも、好きなんです。とても……だから、お願いです。あの人を連れて行かないで」
「にゃはははは、どうせ断られていたよ」
「ケトスさま、それ、本気でいってるんですか?」
「本気もなにも、魔族である私についてくるはずないだろう」
前に一度、断られてるし。
娘は少女の苦笑を浮かべて、仕方ないなあと眉を下げる。
「あたしは――ケトス様とあの人の細部の事情までは知りません。たぶん怖い事だろうから、知りたくもありません。でも、ずっと悩み続けて、苦しみ続けていた状況を解決してくれたケトス様に頼まれたら、たぶん、あの人、二つ返事で頷きますよ。これから先もずっと、たぶん、恋人よりももっと上に、あなたの存在が居続けるでしょうね」
そう、なのだろうか。
「スキル鑑定で見たあの人の憎悪も、ケトス様と同じくらい大きかったですから。それが今はもう、空っぽ。なんだか、ずっと心配してたのがバカになっちゃうくらい、空っぽ。ちょっと悔しいなあ、あたし」
少女は澄んだ青空に目をやった。
「だから、もしどうしてもあの人を連れていくなら。あたしも誘ってくださいね。魔王軍に入っても頑張りますし、魔族に転生してでも店長とあなたについていきますから」
これでも鑑定スキルってレアなんですよ、と。
言って手を上にあげて身体を伸ばす。
「簡単に魔族に転生っていうけど、君。人間なのにそんなこと軽々しく口にしていいのかい?」
「変な事いいますね」
そんな変な事でもないと思うのだが。
まあ、わりと抜けてるからなあ……この娘。
魔族に転生することすらも軽く考えているのだろう。
ちょっと説教でもしてやろうかとした私に。
少女は太陽を仰いで、日差しを浴びながら――。
微笑んだ。
「だってケトスさまだって人間、じゃないですか」
太陽の下。
日差しが眩しい草原で。
少女はあっさりとそれを口にした。
そよかぜが猫のヒゲを擽る。
風に靡いた草原の葉が猫のしっぽを柔く撫でる。
太陽は美しく少女の笑顔を照らしている。
私は、しばらく呆然としていたのだと思う。
「自分だって人間から転生した猫から転生した魔族なのに、あたしばっかり説教したって駄目ですよ!」
「にゃふふふ、こんな邪悪な私が人間なわけ、ないだろう」
「何言ってるんですかぁ! 人間ってすっごい邪悪なんですから、この世で一番邪悪な魔であるケトスさまこそ人間中の人間! ザ、人間なんですよ!」
ああ、どうしてこの娘はこんなにも愚かなのだろう。
こんな私が人間なはずがないのに。
どうして。
私の瞳は揺らいでいるのだろう。
泣きたいのに、泣けぬ私を人間と呼ぶ愚かな娘は。
どうしてこんなにも眩しいのだろう。
「だから、もし本当にあたしが必要ならいつでも魔族になりますから。呼んでくださいね! あ、もちろんビップ待遇でお願いしますよ」
冗談めかしてそう言って。
少女は微笑んだ。
太陽よりも眩しい笑顔で、私の心を焼いたのだ。
人間の心は強い。
そして何よりも美しい。
キラキラと輝いて、私の心の底に沈んでいる何かを、切なくさせる。
少しだけ。
欲しいと思ってしまった。
だが。
やはりこれも、摘んでしまったらおそらく枯れてしまうのだろう。
届かない場所にあるからこそ、この光は輝いているのだから。
……。
うん。なんか青臭いね。
存外、自分は詩人なのだと。
私の中の人の心が、小さく笑った。
もっとも。猫としての私は、早くこのお土産品を広げてバクバクムシャムシャしたい所なのだが。
パリパリの油の良い香りが猫鼻をくすぐる。
じゅるりと思わず舌なめずりしてしまった。
やはり人と接触するのはあまりよくない。
さて。
「じゃあ、そろそろ私は行くよ」
「はい、お気をつけて。もし鑑定の力が必要でしたら迷わずあたしをお呼びください、この御恩を返すために、どこまでも、どこへでも参りますから」
少女は間の抜けた演技を忘れていたが。
まあ、そこはつっこまないのが優しさか。
「それじゃあね。ちゃんと彼を繋ぎとめておかないと、いつか私が迎えに来ちゃうかもしれないから、気を付けてくれたまえ」
にゃはははは!
と高笑いをし。
肉球を鳴らした私は、ロックウェル卿と共に宙に浮かぶ。
姿を亜空間へと滑り込ませながら、肉球と尻尾を振った。
まあ二度と来ることはないと思っていたが。
もし、今度。
気が向いたら、フィッシュアンドチップスでも食べにきてやってもいいか。
と。
お土産にもらった食料を片手にそう思うのであった。
第三章
追放冒険者ギルド ~復讐の牙~ ―終―




