扇動者 ~煽り蔑みし者の名は~後編
かつて人との愛に溺れて堕天した古き神。
神としての永遠を捨て、愛する人の子らと共に生き、歩み――天寿を全うした神達グリゴリ。その子孫たちが迫害されずに生きられるよう、旧友を想う冥界神が作り出したのが、この地。
火山地帯エンドランド大陸だった。
今はもう、その事実は忘れ去られ――ただ、冥界神信仰として面影を残すのみ。
それでも、子孫らは今でも冥界神を祀っていた。
悠久ともいえる時の中で感謝を忘れても、途絶えることのない信仰だけは残り続けたのである。
そんな、歴史の裏があったとは知らずにニャンコは詩人と共に旅をして。
ただグルメ報酬を受け取りに来たはずなのに、そのまま紛争に巻き込まれた今回の事件。マルドリッヒ領を取り巻く戦いも今! 佳境を迎えようとしていた!
「どうして何も起こらない……ッ!」
喉が裂けるほどの竜の叫びが、空気を揺らす。
不死者ファラオの王国に変わりつつあるフィールドを、男の声が劈いていたのだ。
「なぜだ! なぜ発動しないのです――! ワタクシの術も、儀式も、魔力波動も全てが合っている筈です。なのに、なぜこない! 魔剣グラムスティンガー!」
魔竜神を呼び出すための魔道具を顕現させようと――魔力と共に手を翳す男の名は、竜人イヴァン。
かつて勇者と共に魔王様と戦った、勇者の関係者の一人。
今回の事件の黒幕である。
無味無臭、色素の薄い銀髪の男は手を翳したまま、ブツブツブツ。
「なにかがおかしい。魔竜神さまの召喚に失敗したとしても魔剣は必ずや顕現する筈。そのように作り、そのように伝承を残し、そのように動くよう全てを扇動していたはずなのですから。なのになのになのに、どうしてなにもおこらない!」
なにやら様々な方向から、術の発動を試しているのだが。
必死に腕をワキワキさせる男の前で、肉球に汗をタラタラ。
目線を逸らし。
鳴らない口笛を鳴らすのはこの私、大魔帝ケトス。
実は、なぜ魔剣グラムスティンガーが顕現しないのか――心当たりがあるのである。
それも結構、人様には聞かせられない心当たりが……。
民間人たちの魂の保護が終われば、すぐにでも抹殺してしまうのだが――まだ終わらないでやんの……。まあこの街、けっこう広いから仕方ないのだが。
そんな。
複雑なニャンコ心を察したのだろう。竜人イヴァンは、モフ耳を後ろに倒しとぼける私を見て――ずっと保っていた笑顔を崩し。
「新しき勇者様? なんですか、そのものすごく申し訳なさそうな顔は……うっかり魔導書で爪とぎをしてしまうも我関せず、誤魔化すような猫の顔は一体……。ワタクシ、なにやら嫌な予感がするのですが」
さすがに扇動者の上位職にある者。
ちゃんと気付いたでやんの。
誤魔化しても仕方ない、時間稼ぎにもなるだろうしと私は男の目をじっと見て。
『い、いやあ。にゃははははは! ごめんねー! 君がなんか企んでいた魔剣だけどさあ。グラム、スティンガー? たぶん、それ……もう既にカツオブシに変換して、私が食べちゃった……かも?』
言葉を受けて、竜人イヴァンは意味が理解できなかったのだろう。
目を点にして。
ぽかーん。
「――え、ぅ……? え………???」
まさに言葉が出ないのだろう。
何か竜の言葉で呟いて、黙り込んでしまった。
狼狽する黒幕の揺れる肩と間抜けな顔。
更にどん底へと追い込むように、偉そうにヒゲをピンピンさせた私はネコちゃんの丸い口をふふん!
『いや、だからね? 食べちゃったから、召喚、できないんじゃないかな? 君、もしかして魔剣を人間達に託す前に、不壊属性や、抹消不可の付属効果はつけておきながら――食事不可の付属効果をつけ忘れたんじゃない?』
「いえ、だって。いえ? いえいえいえいえいえ? 魔剣に食事不可の属性なんて、つけないでしょう! 普通! 大魔帝ケトス様? あなた、何を言っているのですか?」
銀の男の後ろ、魔竜の影がハテナマークを浮かべて翼をバサバサ。
さらに混乱したようである。
なんか普通じゃないとか言われたような気がしてムカっ!
猫の眉間にうにゅにゅと皺を刻んだ私は、キシャアー! キシャアー!
『だって、食べちゃったんだから仕方ないだろう!』
どどどど、どーん!
魔力のこもったネコちゃんの大声は、エンドランド大陸全体を揺らしたのだろう。
しばし、沈黙が広がる。
これらの会話は全て、大いなる光の力であの会議テントにいた全員に伝わっている筈だ。
聞いた何人かは、思い出しただろう。
初めの頃――紅葉砦で起こった私と人間との戦いを。いや、まあ戦いにもなっていなかったのだが、ともあれ、小競り合いを思い出したと思う。
「す、すみません……いえ、なぜワタクシが謝っているのでしょう。えーと、冗談ですよね? 扇動者のスキルで、ワタクシを騙そうとしているのですよね? ウソで、ございますよね?」
ウゴゴゴゴと、魔竜の影が頭を抱えて狼狽する中。
本体であるイヴァンくんの人間部分が、震える手を伸ばし縋るように問いかけてきたのだが。
私はニヒィ!
モフっと膨らんだ頬と瞳をキラキラさせながら、猫口をウニャンニャ。
『ふふ、ごめんねえ! 本当は敵にこんな情報を教えるのは、アレかもしれないけど。あんまりに困ってるから、一応教えておくね。そのぅ……私、砦の皆から装備を窃盗の風魔術で盗んで、カツオブシにしたり、マグロ丼にしたりしておいしく、たべちゃったんだよね……? その中に、うん……魔剣があった気がするんだよ。その名前がたしか……魔剣グラムスティンガーとかいう家宝の剣だった……みたいな?』
当時の映像を過去視の魔術で投影してやり。
ガーツガツガツとカツオブシ化した魔剣を喰らう場面をわざわざ見せてやる。
むろん、精神攻撃である。
『ようするに。もう私の中で消化されて、剣ないんだよねー!』
ドヤアァァァァアアアアァァァアァ!
全く偶然だったけど。
ドヤァァァァァァアァッァァアア!
作戦行動中の魔帝豚神オーキストが、おぉ、その時から既に計画を察して妨害を――と感動し。
その後ろ。
民間人の回収を迅速に行う女騎士エウリュケくんが、そんなんじゃないと思いますけどね、と苦笑い。
魔剣グラムスティンガーの持ち主だった元人間魔猫が、ニャーの魔剣グラムスティンニャー……と思い出して、複雑そうな顔で尻尾をプルプルさせている。
皆も、ものすごい困惑した空気を放つ中。
計画を台無しにされた魔竜で人間の竜人イヴァンは、さすがに動揺した様子で。
「本当に、た、食べたのですか! 魔剣を!?」
『おー! やっと現実を受け入れる気になったんだね! いやあ、値段に応じて高級なカツオブシになる錬金術だったんだけど、どーりで美味しかった訳だねえ。二百年前から配置されていた魔道具だもんねえ。ご、ごめん。もう駄目だ。笑いが止まらない、ブニャハハハハハハハハハ! ぷぷぷー! そりゃ、美味しいカツオブシになっちゃうよねえ!』
嗤い転げた私は床を叩いて馬鹿笑い。
本気の笑いだったので周囲を破壊するエネルギーが発生していたのだが、そこはそれ、私には信じられる仲間がいる。どこかの実はツンデレお人好しな冥界神が、闇の翼を広げ周囲の破壊を防いでくれたようである。
しょーがない、後でお礼を言っとくか。
さすさすとお腹を撫でて、じゅるりと舌なめずり。
『ねえねえ! もう一本ぐらい持ってないの? 私、けっこうあの味気に入ってるんだけど? ねえねえ! あるなら貰ってあげてもいいんだけど? ねえねえ! いま、どんな気分なんだい! ネコちゃんの気まぐれで、ぜーんぶ台無しになった気分を教えておくれよ!』
ネコちゃん必殺!
周囲を神速で走って、ネコ笑い!
ねえねえ! ねえねえ! 攻撃である!
むろん、これも高尚なる精神攻撃である。
ただ揶揄いたいだけとか、そんなんではないのだ!
ぶぶぶ、ぶにゃーははははははは!
神速で走り回る私の影。
武芸の達人ですら捉える事の出来ない神速のねえねえ! を細い目で追って、男は牙を剥き出しに唸りを上げる。
「なにをどうすると、魔剣を食べるだなんていう発想になるのですか! 非常識にもほどがありましょう!」
『くくく、くはははははは! 我が胃袋に、不可能はなしなのである!』
そういえば食べてましたね、と吟遊詩人のケントくんが苦笑い。
げぷりと、カツオブシを思い出して息を漏らし。
再度私は言ってやる。
『ま、そんなわけで君の計画は一番大事な所で、とん挫したみたいだね、ご愁傷様』
「まだ、まだです! まだワタクシにはこの地に漂う無数の魂が……ッ」
苦し紛れな強がりを嘲笑するように、私の影はだんだんと濃く黒いモノになっていく。
コミカルな空気。
男の計画は阿呆みたいな結末を迎えたが、もし私が介入していなければ――それはおそらく、シリアスな悲劇となっていたのだろう。
それに、既に。
この男は民間人を巻き込んでいた――だから。
それは、とてもイケないことだ。
魔王様の理想に反する行いだ。
くはははははは!
私の嗤いはコミカルだが、時折に冷淡な魔力となり周囲の空気を凍てつかせ始めていた。
くははははははは!
救助活動を続けるレイヴァンお兄さん。そして白鳩に身を窶している大いなる光。
並の存在とは文字通り格の違う主神クラスの二柱が、空気を引き締める。
彼等には分かっているのだろう。
私の魔力と静かなる怒りが、世界を揺さぶり始めていることを。
ぐるりぐるりと猫は回る。
魔王様の猫は、満月の下。
殺戮前の哄笑を上げ続ける。
『やっぱり、悪い事ってできないものなのかもしれないね。ネコも見ているし、神様だって見ているのかもしれない。成功したって世界を壊せる程度の報酬しかないんだろう? 無駄さ、無駄。そんなことより、君はサツマイモへの呪いではなく味の研究をするべきだった……ね――っと、本物の神様から連絡だ。おー、そうかい。え? いや、大丈夫だって。壊さないって。うん、オッケー! じゃ、遠慮なく――やっちゃうね』
瞬間。
ザアァァァアアアアアアアアァァァァッァア!
世界を揺蕩っていた、憎悪が弾けた。
瞬時に影へと消えた私が、男の腹にネコちゃんキック。
ぐるぐると回転を加えたモフモフスイートな飛び蹴りをお見舞いしながら、顕現したのである。
世界、壊さないでよね! と、ピーチクパーチク怒っていた大いなる光から、民間人たちの保護と治療完了の連絡を受けたので、制裁を実行!
魔術封じの状態異常増し増しネコキックを喰らわせてやった、というわけだ。
「ぐがっ……ッ――……っ!」
ずずず、ずざぁぁぁぁぁぁっぁあ!
人の形を保っていた肉塊が崩れ、砂漠のアンデッド王国となった地を擦りながらズザズザズズゥゥゥ!
摩擦音と共に燃えていく。
普通の敵ならこれで終わりなのだが。
影が、翼を広げ泣き叫ぶように――空気を揺らす。
「この程度、この程度、この程度! たかが肉体が損壊しただけ! 我が憎悪と嫉妬、怨嗟の前には効きません。効きませんよ、大魔帝ケトォォォォッス!」
『あちゃー、君、本当に不死なんだね』
銀の男の肉塊は摩擦による火傷の匂いを放ちながらも、動いていた。直撃を受けても生きているのだ。
魔竜の影が蠢き――反応した肉塊もすぐに集合し、人の形を取り戻す。
私も同じ能力者だから分かるのだが、どれほど殺されても――本当に死なないのである。
言い方を変えれば――どれほどの苦痛。絶望の責め苦を受けても無駄。
死ねないのだ。
元の形に戻った竜人イヴァンは、がくりと膝をつき、ぐぬぬぬぬと歯を剥き出しに地面を睨んでいた。
自らの流した黒い血の池の上で、唾さえ飛ばし。
頭を抱えて銀の髪を掻きむしりながら、怨嗟の声を上げる。
「なぜなぜなぜ、なぜ! 食べる? 魔剣を? はは……っ、いったいどうやってそこまで予知しろというのですか。魔剣が食べられるだなんて想定、できるはずがないじゃないですか!」
そりゃあそうだよねえ――と、ファラオと王の軍勢を完全に顕現させ待機させるリベル伯父さん。
その一瞬。
こっそり魔王様の力を宿した魔導書を見る伯父さんの目が、食事不可属性が付与されているか確認していたのだが――私の猫目はそれを見逃さなかった。
伯父さんにとっても食害によるロストは想定外だったのか。
なぜかネクロマンサーな男は私をジト目で見て、まあさすがにケトス君でもこれは食べないだろうが、なぜこの書にも既に食事不可属性が……と困惑気味。
あれ? なんか食事不可属性ってあんまりメジャーじゃないっぽい?
魔王城だけのルール?
いや――でも、なあ。
魔王様もホワイトハウルもロックウェル卿も、ジャハル君だって最近は人の顔をジト目で見ながら付与しているのに。実際、リベル伯父さんの魔導書にも食事不可属性が付与されていたみたいだし。
別に地方ルールってわけじゃないよね?
モフモフ耳をぴょこぴょこさせて悩む私の目の前。
まるで自分自身の影と会話をするように、男は怨嗟を零し続ける。
「ええ、そうです。ええ……ワタクシは常に間違っていなかった筈。ワタクシを追放した魔竜どもを逆に従わせ、言葉巧みに前線へと配置し大魔帝の手勢に殺させた。これで目的は一つ果たしました」
影の魔竜が親指の爪を齧りながら唸る中。
数えるように男は指を一つ、曲げる。
「女神リールラケーの正体を看破し、結託、共に利害が一致していたのが幸いでした。ワタクシを迫害した人間どもを蟲人ローカスターへと進化させることもできました。人という器の尊さも知らずに、進化などという虚言に騙され化け物と化した奴らを嗤い、貶めることもできたのです。これで目的は二つ果たしました」
かつての恋人だった女性の名に――ケントくんの目が、揺らぐ。
その瞳は紅く揺れているが……まだ魔性化はしていない。
それにしても。
このイヴァンとかいう勇者の関係者……なかなかどうして、相当の悪党でやんの。
前回の事件の疑問。魔術を伴わない話術による洗脳。
なぜ人間の心が分からぬ女神リールラケーが、蟲人ロ-カスターへの進化などという妄言を人間達に信じさせることができたのか、疑問だったのだが。
扇動者の職にあるこの男が、一枚も二枚も噛んでいたのか。
「古き神々の忘れ子である巨人族を扇動することができました。世間知らずな東洋魔龍たちを戦場に引きずり出すこともできました。この地、エンドランド大陸には、いま。戦いで滅んだ魔竜の魂。そして、蟲人と化した人間ローカスターの魂が無数に存在している。五行を司る東洋魔竜も、古き神々の子である巨人族もいるのです。いま、この瞬間! ワタクシが魔剣グラムスティンガーを顕現させ、巨人族と魔龍の魂、そして愚かな魔竜と人間の魂を生贄にすれさえすれば! 魔竜神さまは蘇る筈だった! ワタクシを否定する、醜いこの世界全てを破壊できる筈だった! 三つ目の目的、最終目標が果たされる筈だった! ねえ、そうでしょう! 大魔帝ケトス! ワタクシと同じく、世界を呪う転生者!」
本当に、世界を呪っているのだろう。
その叫びは私の魂を揺らしていた。
私とて――。
魔王様に出逢っていなければ、どうなっていたか。
魔王様が御眠りになられたのではなく、滅ぼされていたのなら――。
この男のように、醜く憎いこの世界を呪い破壊しようと叫んでいたのだろうか。
分からなかった。
分からなかったが――これだけは断言できる。
無辜なる民間人を巻き込んだ。人間も巨人も魔龍も、そして魔竜も――まあ魔竜は自業自得っぽい気がするけど……。
ともあれ、私の基準で言えば――この男は悪だ。
あくまでも、魔王様の教えに従う私にとっての悪。この男にとっては、正義なのかもしれない。
ただそれだけ。
そう、それだけの話だ。
扇動者が動揺しては終わりである。
こりゃ、勝負がついたかな。




