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真相 ~滅びのフィッシュアンドチップス 後編~


 魔力を帯び霊体化した私の腕が、彼の魂を掴んでいた。

 ダークエルフの器に眠る、人間の魂に沈んでいく。

 徐々に。

 徐々に。

 浸食する。


「いったい……これは……っ」

「しぃぃぃ――平気さ、死にはしない」


 魔族としての魔性を孕んだ声で、囁いた。


「……っく、うあ……ッ」

「大丈夫、すぐに慣れる。ただ――素直になって貰っただけだからね」


 本音しか吐き出せない様に魂を細工したのだ。アンフェアだとは思うが、魔族である私をここまで引き寄せた責任はこの男にもある。


 彼は人を殺さぬためにロックウェル卿を呼び寄せたが、実際の未来はどうなっていたか、それは誰にも分からない。もっと酷い結末を迎えていた可能性も十分にある。

 魔を招くということの意味をこの男自身も身をもって知るべきだ。

 強制的に使命を背負わされたとはいえ、罪は罪。

 私が介入していなければ。

 無関係な子供が死んでいた可能性もあるのだ。

 それはとてもいけないことだ。

 どうしても、ゆるしてはいけないことだ。


「逃げても無駄さ。この私を招いたんだ、その責任を果たす義務は君にある。さあ君の心を暴かせておくれ」

「やめ……うぐぁ……っ!」

「君は、殺したかったのかい。殺したくなかったのかい」


 さあ、ひとのこころを私に教えておくれと。

 囁き。

 その本音を指で掴むように魂を握る。

 彼は長い指で口元を覆うが、唇は勝手に動き出す。


「心の奥では……あの里を滅ぼした人間を、全て殺してやりたいと思った時もある」


 声はかすれていた。


「いや、今だってそうだ。心の底から湧き上がってくるんだ。殺せ。殺せ。殺せって。そうやって父さんと母さんが毎晩、毎晩、俺に言うんだ。憎いよ、父さんと母さんを殺したあいつらが」


 狼狽する瞳は揺れていた。

 けれど涙は零れていない。


「憎いんだ……だからこそ俺の負の感情に引き寄せられて、あなたとロックウェル卿もやってきたんだろ。憎いよ。憎い。憎くて堪らない……んだ、けれど、俺は……どうしてもできなかったんだ。滅ぼす決意が、どうしても――できなかったんだよ」


 虚ろな瞳が過去を振り返るように揺らぐ。

 静かに、たどたどしく、唇が蠢いた。


「なのに、あいつら。街の人間が俺に笑いかけるんだ。仲間みたいな顔をして笑っているんだ。俺の気持ちなんて知らずに、ずっと。仲間面をして。父さんと母さんを切り刻んで弄んだ種族のくせに。平和な顔して、全部忘れて、笑いやがるんだ。俺は……だれも、殺したくないよ。でも、ふとした瞬間にどうしようもない殺意が、俺の中で叫ぶんだ。父さんと母さんが、俺に言うんだよ。殺せ。殺せって。疲れた……もう、疲れたんだよ……母さん」


 母を求めた男の腕が天を掻いた。

 何度も、何度も。


「もう……、いいだろう。父さん……、母……さん。もう、疲れたよ……疲れたよ」


 これが父母から掛けられた愛情という名の呪い、か。

 愛が重ければ重いほど。

 真実の愛情ならばこそ、この鎖は残酷な戒めとなって子を苦しめる。

 百年以上生きてもなお。

 彼は疲れ、苦しめられているのだ。

 それは酷く悲しい愛情だと思った。

 魔族としての私の口が、神父を彷彿とさせるほどに優しい声を漏らしていた。


「君の父さんと母さんは、天に帰ったよ」

「え……」

「私が浄化した。もう君を縛る鎖はないのさ」

「だって、俺がなんど浄化しても……」

「私はこれでも歴史に名を残す魔族だ。魔王様のしもべたる大魔帝が、それぐらいの事ができなくてどうする」


「じゃあ、本当に……?」

「ああ、そうだよ」


 彼の瞳が揺らいだ。

 私を視界に捉え、ただ震えていた。


「好きなだけ、君は泣いていいんだ」

「泣いて、いい?」

「そうだよ。ずっと、誰にも言えずに耐えていたんだろう?」

「ああ、そうだ」

「苦しんでいたんだろう?」

「ああ、辛いんだ」

「可哀そうに。君は、もう我慢しなくていい。だから、君は自由に生きていいんだ。もう――恨むのは疲れただろう」

「泣きたいけど……泣けないんだ。もう……泣き方を、思い出せない」


 魔族としての私には手に取るように分かっていた。

 彼の望む言葉が、欲している言葉が理解できてしまうのだ。

 私は亡者と化したあの夫婦の魂を模して、抱きしめた。


 ごめんねさいね、と。

 最後に消える前に彼の母が残した言葉を、魂に伝えた。


「ずっと、独りで頑張ってきたんだろ――お疲れ様」

「母さん……父さん……」


 やはり、あの子と言われていた少年が、この男なのだろう。

 やはり人間は醜く恐ろしい生き物だ。

 いや、ダークエルフもそうだ。こうなることが分かっていて、転生者を呼び寄せ、自らの子に呪いを蒔いたのだから。

 私の中の闇が広がっていく。


「君が殺せないのなら、私が代わりに君を楽にしてあげよう。君を疲れさせた世界に復讐したくはないかい? まだこの街を滅ぼす気はあるのかい?」

「ほろぼ……す?」

「ああ、そうだ。だって私は君が引き寄せた憎悪を司る魔族だからね」


 人間としての私が相対していた筈なのに、憎悪の感情が表を支配し始める。

 魔族としての私が動いている。

 もう、抑えられそうにない。

 滅ぼしたい。

 滅ぼしたい。

 憎悪を生み出し続けるこの醜い世界が、憎い。

 私の瞳が赤く、獣の色に染まっていく。

 闇が、ザアアアアアアアアっと周囲を満たしていく。

 それはおそらく、この男の魔を引き寄せる性質の影響だろう。


「憎悪は消えない、たとえどれほどの月日が過ぎても憎悪は消えない。私もね、たまに人類すべてを滅ぼしてやりたくなる瞬間があるんだ。どれほど笑っていても、どれほど和んでいても……一度刻まれた傷は魂を蝕み続ける」


 私を殺した人間たち。

 私の愛したものを奪った人間たち。

 私を救ってくれた恩人を眠らせた人間たち。

 憎い。憎い。憎い。

 ああ。

 私の愛したモノをすべて奪った人間が、憎い。


 その心を、彼の心にも見せてやる。

 おそらく、同じ憎悪の心だ。


 私は君の理解者なのだと、一方的な接触を図ったのだ。

 しかし。

 彼の心は私の憎悪に共感し、穏やかな安堵を示し始めていた。

 私の憎悪に触れ。

 ほほ笑んでいた。


「あなたも……俺とおなじなのか」

「ああ、そうだよ。魂の故郷を同じくする同胞として。憎悪が刻まれた者同士として。それになにより――共に人間を憎悪せし闇として、私は君に提案しよう」


 闇が更に広がる。

 大魔帝として暴れていた過去、百年前の全盛期の姿に身体が変貌する。

 かつてダークエルフが棲んでいた地。

 呪われし憎悪の地に、世界を覆うほどの魔が顕現する。


 ザアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 闇の中で獣の咢が蠢いた。


『我はケトス。もはや人であった頃の名すらも忘れた憎悪の獣。人間を恨み、憎しみを糧とする怨嗟の魔性。大魔帝ケトスなり』


 底知れぬ闇の中。

 魔性と化した私の赤い瞳がギラギラと浮かび上がる。


 人として人間を恨み、猫として人間を恨み、魔族として人間を恨んだ。その全ての心が合わさって生まれたのが大魔帝ケトス。

 この歪で悍ましい私なのだ。


『選ぶがいい、人の子に故郷を奪われた哀れな種よ。憎悪の道具として異界より魂を囚われた哀れな同胞よ。

 我は汝の憎悪に共感した、気に入った。

 これは滅び逝った汝の同胞へ向けたせめてもの餞でもある。

 汝の憎悪は消えはしない、滅ぼされた彼らの憎悪も消えはしない。復讐を果たすまでは燻り続ける、苛まれ続ける、泣くこともできぬまま永遠にその魂を呪い続けるだろう』


 憎悪の化け物として生きる私は言った。


『このまま恨みを抱いたまま生き続けるか。それとも――同胞の恨みを果たし解放されるか。

 選ぶがいい。

 汝が望むならば我は滅びの剣となろう、この地に住まう生きとし生けるもの全てを喰らい尽くし、汝の憎悪のままに殺戮の宴を披露してみせよう。それでも足らぬなら、この世界そのものを滅してみせよう。

 底知れぬ絶望と憎悪で我を引き寄せしお前には、その資格がある。狂おしく美味な憎悪を代価に大魔帝を私怨で使役する権利がある。

 さあ、選べ。汝の答えを我に示せ。

 我は大魔帝ケトス。

 憎悪に惹かれし魔性。

 全てを喰らいし――復讐の牙』


 私は彼の瞳に過去を宿らせた。

 父母を奪われた絶望。


 道具としての宿命を与えられた恨み。

 この恨みは生涯消えない。恨みを晴らさない限り、消えない。

 それら全てを断ち切るための儀式として、代わりに全てを破壊してやると。

 そう言ったのだ。


 私を呼び寄せるだけの憎悪。

 それは並大抵なモノではない。

 泣くこともできずに憎悪を抑え続けていた彼を見るのは、私も辛い。


 男は魔をみつめたまま、言った。


「世界を……滅ぼす?」

『この世界は醜く残酷で見るに耐えん』


 彼は泣けぬ眼を見開いた。

 そして。

 縋るように言った。


「その時は、俺も一緒に滅ぼして、くれるか?」

『汝がそう望むのであれば、我は汝ごと憎悪を喰らい全てを滅ぼそう。我も、この世界が憎い。全てが憎い。共に滅びの道を歩もうではないか』


 私という憎悪の魔性を目の前にして。

 憎悪を共鳴させて。


 ようやく。


「ありがとう……」


 彼の頬に涙が伝った。


 それは。

 何年ぶりの涙だったのだろう。

 崩れた泣き貌に浮かんでいたのは、安らぎ。

 ようやく。

 彼は長年の重責から解放され、泣いたのだ。


 憎悪の道具として生きた男は両の腕を大きく広げ、闇である私に近づいてきた。

 終わらせてほしい。

 憎悪が消えないのならば、自らの手で復讐も果たせないのならば。せめて一緒に。この地と共に、世界と共に罪を背負って消えたい。

 そういう意味だろう。


「おわらせてくれ……もう、疲れたんだ。疲れたんだよ」


 少年は、微笑んだ。


「もういいよな、父さん母さん。みんな――」


 瞬きすらもできぬほどに憔悴した彼が、縋るように手を伸ばした。

 本当に、疲れ切っていたのだろう。

 魂が擦り切れているのだろう。

 人の魂でありながら、百八十年も生きたのだ。

 憎悪をずっと抱いたまま。

 それは、私には想像もできない苦痛だったのだろう。

 哀れなこの魂が愛おしくて堪らない。


『その願い、聞き入れた』


 救世主を見る眼差しで、男は微笑んだ。

 滅びることのできない私には選ぶことのできない選択。

 それもまた、彼の答えで間違ってなどいない。

 今の彼は本音しか言えないのだから。


 咢を開いた私は彼の魂を殺し喰らうべく息を吸い込む。

 もう十分苦しんだのだ。せめて痛みはないように即死させるために力をためる。

 これはあの時、滅びの占いで見た景色と同じ。

 ああ、そうか。あれは――この哀れな男を滅ぼすことが予知されていたのか。

 私はかつての同胞に滅びという安らぎを与えるために、呼び寄せられたのだろう。

 私はこのままこの世界を滅ぼす。

 聖も魔も人も、全てを等しく無に返そう。

 魔力が風となって通り過ぎる。

 私と彼を揺らす。


 その時。


 何かが死を受け入れた彼の頬を叩いた。

 それは。

 あの受付娘が作り、魔女が加護を吹き込んだお守りのネックレス。


「あ……」


 彼の中に、迷いが生まれた。

 私はもう既に準備ができていた。

 けれど。

 予知を知り作られたお守りが。

 少しの猶予を、彼と私に与えた。


 時属性の魔術を扱う受付娘、時を見通す魔女であるマチルダ。

 これは偶然だったのだろうか。

 その僅かな時間が乙女達の作り出した奇跡だったかどうかは、私には分からない。


 だが。

 しばらくして。


「すまない……」


 男はぼそりと呟いた。


「いまのはなしは、すこし……待ってくれないだろうか」


 男は目を瞑る。

 彼の中の憎悪はまだ残っている、燻っている、裂けるほどに唸りを上げて燃え盛り続けている。

 彼の心の声が私の心を通り過ぎ、揺らした。

 憎い。憎い。全てが憎い!

 それが本音なのだろう。


 けれど。


 お守りのネックレス。

 ドングリと安物鉱石の輝きに目を寄せて――。

 男はゆったりと瞳を伏した。


 魔力の風が闇を纏って荒れ狂う。

 滅びの嵐を蒔く許可を待ち、天を割いている。


「憎い……憎いよ。憎いんだ――それ……でも」


 明日滅びる夜空。

 陰っていく月の下。

 復讐者となり果てたダークエルフの男は静かに目を開いた。

 そして。

 男は言った。


「それでも俺は――」


 憎悪の魔性である私の瞳に目をやって。

 詫びるように。

 けれどまっすぐに、言ったのだ。


「どうやら。この街の人間全てを、嫌いにはなれないらしいんです」


 風が私の頬を通り過ぎた。

 彼の涙を拭い去った。

 私の心を貫いた。


 言葉は憎悪の魔力を引き裂き、覆っていた魔力の渦を振り払う。

 男はまだ泣いていた。

 けれど、憎悪の色は薄れていた。


 その涙。視線の先にいたのは、あの受付嬢。

 高台の宴会場から調理道具を片手に、手をぶんぶん振っている。


「ちょおぉぉぉぉっと、店長! ネコちゃん! そんなところで遊んでないで、はやくこっちきてくださあーい! もうすぐポテト揚がりますよお」

「ちょっとあんた! 落ちるわよ! って、なにその強大な結界は! ちょっとギルマス! 大丈夫なんでしょうね!」


 落ちそうになる受付娘を支えながらも、魔女が大慌てで結界を張り始める。

 ずいぶんと。

 賑やかそうだ。

 私は、息を吐いた。安堵、だったのだろうか。私自身にも分からなかった。

 けれども。

 美しいと、そう思った。


 尊いのだと、そう感じた。


『そうか、それもまたよかろう』


 全てを消し去る筈の業火の吐息が、私の中に消えていく。

 彼の憎悪が薄れたからだろう。

 憎悪を増幅する彼の力も弱まり、世界を滅ぼすほどに膨れ上がった私の憎悪と魔力も弱まっていく。

 これで、良かったのだろうと私も思う。

 が。

 ふと、私は思わず全盛期の姿のままジト目をしてしまう。


『しかしあの受付娘。この姿をみても全く動じないのは……いろいろと大丈夫なのか……?』

「だから、心配なんですよ」


 にゃふふふふ、と猫としての息が漏れた。


『で、どちらの娘と番になるのか。もう心は決めているのか?』

「ツガイ? なにを言っているんです」


 あー、こいつ。

 自分があの二人から好意をもたれているって自覚のないアレなのか。


『くく、くははははは。まあそれもよかろう。だが。人間の時は短い。あまり待たせてやるなよ』

「は、はあ……よく分からんが。覚えておくことにします」


 まだ彼の魂は弄ったままだ。

 本音しか言えない状況でこの言葉なのである。

 魔女よ。

 たぶんこの三人の中で一番まともな君がもうちょっと頑張らないと、たぶん、これ、当分決着つかんぞ。

 まあ魔女は魔女で職業柄、価値観と常識がすこしずれているが。


 ポンと猫の姿に戻り。

 私は喉を鳴らして、くわぁあぁぁっと欠伸をしながら身体をびにょーんと伸ばし。

 ニヤリ!


「さーて、食事の続きでもするかにゃ」


 ドヤ顔で、泣き痕を誤魔化す彼に言う。


「まだ召し上がるんですか……?」

「当たり前だろう。ほら、なにをしているんだい、私のためにもっとどんどん、ふぃぃぃぃぃっしゅ、あぁぁぁぁんど、ちぃぃぃっぃいぃっぷす! を揚げてきておくれ」


 他人事なので、


「宴の再開じゃあああああ!」


 私はにゃふふふと猫としてのスマイルを浮かべるのであった。


 しかしだ。

 よくよく考えたら今回の事件。


 憎悪をエネルギーにする私と憎悪を増幅する転生者の彼とのコラボレーションで、洒落にならないレベルで世界滅亡の危機だったのだが。

 ……。

 まあ、私、ネコだし。

 実際には滅ぼさなかったんだから、別にいいよね?

 だれも気付かなかっただろうし。

 言わなきゃバレないだろうし……。

 にゃは!

 うんうん、問題なんてなにもないね!

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[一言] ゾクっとしました。 今話、めちゃくちゃ面白かった…!! 最近完結済みの作品からたまたま見つけ、ただいま読み進めている最中なのですが、こんな面白い作品がひっそりと存在していたとは…… しかも…
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