もう二度と…… ~新たなる魔性の兆候~
時刻は既に――黄昏時。
阿呆なオッサンの悪事をとっちめてから、数時間が過ぎていた。
あんな。
本当にどうしようもない人間とは、もう二度と会うことはないだろうと妙な安堵が浮かんでしまうが。
ともあれ。
暮れる夕焼け色に染まっていく紅葉の砦はとても風情があり、有事の状態でなかったのならゆっくりヤキイモと共に楽しむのだが。
ここはどこからともなく出現するらしい魔竜。
そして。
巨人を相手にするために建設された砦状の前線基地。
砦を占拠した私配下の猫魔獣たちは、そのまま砦を守る戦力となっていて。
闇に徘徊している真っ最中。
まあ……闇って言っても、毛布の中なんだけどね。
砦内部のそこかしこに作られた小さなおうちは、落ち葉を錬金術で変換させた猫魔獣ハウスである。
各々に自らの縄張りを決め、簡易ネコハウスを自分たちで勝手に築いてしまったのだ。
モフモフキャットな彼らは毛布やクッション。
お菓子を巣に持ち込んでピクニック気分。
いまごろ約束された夕ご飯を楽しみにして、寝床でとぐろを巻いて眠っている事だろう。
……あの子達、あれで最上級モンスターだからなあ。
ここを奇襲できる存在など、そう簡単にはでてこない筈だ。
『さて――じゃあ早速』
大魔帝ケトスこと私もまた、ちゃんと行動を開始していて。
現在、黄昏の、闇と光の狭間の中で大規模魔術を発動しているまっさいちゅう。紅葉の砦でぶにゃんと両の猫手を広げ――。
魔術を詠唱。
『我はケトス。大魔帝ケトス。世界を覗く魔眼の使途、猫目尖らす観測者なり』
使う魔術は周囲の状況を探る、索敵魔術。
……まあ、暇だし。
滅びた女神リールラケーのいた土地で起こった異常ならば、何か関係している可能性もある。
付き合ってやるか、と――魔竜と巨人の襲撃に怯える人間達に、協力してやることにしたのだ。
報酬は全てが終わった後に必ず、という話になっているが。
それ以外にも、とある報酬が約束されていた。
砦に所属する最高ランクの料理人によるグルメが、今晩から報酬として私を含む猫魔獣全員に提供される事となったのだ。
食材が不足していたので、その最高ランクのシェフも腕を揮えなかったらしいのだが――。
私、大魔帝ケトスだからね。
食材のストックを百年分ぐらいは亜空間に収納してある。
それを砦に提供する見返りでもあるわけなので、報酬というのはちょっと違うかもしれないが、まあその辺は私の心が広いという事で。
いやあ!
食材に困っていた砦の騎士も冒険者も本当に喜んでくれたし、私も最高のシェフによるグルメを楽しめると、ちょっとウキウキなのである。
そんなわけで!
敵襲の前にこの辺りの地図を作製するべく、追加詠唱。
『魔道具作成! クリエイトマッピング!』
紅葉を纏った魔風が、私の周囲に発生する魔法陣に沿ってズゴゴゴゴ。
カラフルな葉っぱの柱が、かわいいネコちゃんの周りをぐるぐる回っているというのは、なかなかイイ感じなのではなかろうか!
獲物を見る顔で猫ヒゲをびにょんと広げて、うにゅうにゅ。
感知範囲を拡大してみると――。
確かに。
遠くに異形な気配を感知できる。
人間でも魔王軍所属でもない、邪悪なる者の気配が漂っているのだ。
『あー、やっぱり森の奥の方になんかいるねえ。魔王軍に所属していない連中っぽいから……まあ私の責任じゃなくてよかったけど』
「よく感知できますね。ボクの目には何も……」
と、索敵魔術と並行し。
周囲の地図を生成する私に問うのは、貴族詩人のケントくん。
「ケトスさまは、その魔竜たちの神? ですか、魔竜神について何かご存じなのですか?」
『んー……魔竜神ねえ……』
魔導地図を大量生産する私は、肉球でぎゅぅっと魔力糸をしぼり。
生み出した魔術スクロールを巻いて、一枚一枚、丁寧に紐で結びながら応じる。
『残念ながらあまり詳しくは知らないんだ。魔王軍と魔竜は何故か相性が悪くてね――私の部下にもいわゆる魔竜に分類される種族はいないんだよ。そりゃあ龍神や、それに連なる魔族はいるけれど――っと、こんなもんかな。ちょっと持っててね、後で砦のみんなに配るから』
「はい、ありがとうございます」
シュババババババ!
っと、次々と生産される魔導地図のスクロールを眺めてケントくんがふと、呟いた。
「けれど――本当によろしいのですか。偉大なる貴方様に、ここまでご協力していただいて」
含みのある言い方が気になり、私は頬のモフ毛を膨らませる。
魔術を操作しながら横目でチラリ。
『おや、協力しない方が良かったのかい?』
「いえ、人間の一員としてはとてもありがたいです。そう、ありがたい筈なのですが……」
ケントくんは受け取った魔導地図のスクロールを袋に詰めながらも、言葉を一度区切り。
暮れて沈んでいく太陽を、静かに眺め。
夕焼け色の紅い光を反射させた、まるで私のような魔性の瞳で言う。
「なぜでしょうか。人間世界での事なのに、酷く他人事のように思えてしまうんです。ボクの心はあの日々の中、思い出の中に取り残されたままでいるような気がして……目を瞑ると、まだ、彼女の笑っている顔が浮かんでくるんですよ」
ポロロロン……♪
竪琴を構え、冥界神に捧ぐ戯曲を奏でながらケントくんは、ぞっとするほどの凍える微笑を浮かべて更に告げた。
「ああ、いっそボクも――デリーカ。君の下へ……そう、思ってしまう瞬間が、確かにあるのです」
物騒な言葉を漏らす彼の周囲に、紅い魔力が生まれ始める。
これは……。
んー……ちょっとまずいかもしれない。
奏でる悲壮な魔曲が一種の召喚魔術となって、世界の法則を捻じ曲げ始める。
すぅぅ。
すぅぅぅぅっぅうっと、集まってくるのは邪霊の類。
竪琴を奏でる彼の周囲を、死を誘う女の亡霊が取り囲み。舞い始めたのだ。
冥界神の竪琴の音に誘われて召喚された死者の魂たち。
彼女たちは救いを求め、悲恋の嘆きを奏でる男に甘い手を伸ばしている。
「偽りの恋でも、愛でも。たしかに、あの日の君の笑顔は本物であったと……ボクは、そう思わずにはいられないのです。もう二度と会えないからこそ、あの日々が……忘れられないのです」
死を嘆く女の亡霊が、男の肢体に絡みつく。
おそらく、ケントくんの魂には亡者の声が聞こえている筈だ。
まだ生きたい。
もう死んでいる。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
けれど。
どうしてあなたは死にたいの?
と。
細い腕を長い蔦のように伸ばし、死霊は悲恋に嘆く男へ死の誘いを投げかける。
けれど女の死霊は、男が望む相手ではない。
デリーカを名乗り微笑んでいた女神は消滅した。
故に事件は解決した。
しかし心はどうなのだろう?
女神による魅了は解けた。
それは間違いない。
それでも――いまだに彼の心は……愛という呪縛に囚われたまま。
その感情は高まり、嘆きの魔力を帯び始めている。
死霊に向かい、嘆きの吟遊詩人が語り掛けた。
「ああ、あなたもまた嘆いたのですね――辛かったでしょう、寂しかったでしょう。けれどボクはあなたの伴侶ではない。せめてもの手向けに、曲に耳を傾けてください。どうか、ボクの奏でる夢の中で……心穏やかに――安らかなる静寂を」
死霊の女は吟遊詩人ケントの頬に手を伸ばしながらも、つぅぅっと涙を流し。
嘆きの詩人の嘆きの戯曲に耳を傾け……そして。
そのまま地へと沈んで消えていく。
冥界に下ったのだろう。
奏でる曲に耳を傾け、鎮魂されたのだ。
レイヴァンお兄さんが冥界神の竪琴を渡した理由が今、理解できた。
これは護身具だったのだろう。
竪琴に惹かれる死霊は多く存在する。けれどその音を聞けば鎮魂の儀式の影響で大人しく冥界に戻るか、成仏する。
だったらそもそもだ。
この竪琴を手放せば死霊は寄ってこないだろうかというと、そうでもない。
私さえも惹きつけてしまう彼の持つ嘆きが、厄介なのである。
その甘い嘆きとマイナスの感情は美味……多くの魔を引き寄せ、自動的に甘い言葉を囁き続けてしまうと容易く想像がつく。
嘆く限り、彼は常に魔を虜にしてしまうのだ。
私は少し、懸念を抱いていた。
一人だけ、こうした嘆きの果てに魔性と化してしまった女性を知っているからだ。
彼女もまた、悲恋の果てに……感情を暴走させ、朽ちて死に。
嘆きの魔性へと転化してしまい、人間を捨ててしまった。
女神に愛されてしまった稀有な経験を持つケントくんもまた、そうなってしまう可能性があるのだ。
私が憎悪から魔性となったように。
かつての英雄、血染めのファリアルが――その絶望と憎悪から、魔性としての器をもってしまったように。
神に振りまわされた嘆きの吟遊詩人――ケント=フォン=マルドリッヒもまた魔性の器に育ってしまうのかもしれない。
まあ……その嘆きの魔性は今現在、元気にギルドマスターをして人間達を育成しているわけだが。
ともあれ。
ケントくんが魔性となってしまうかはまだ、分からないが。
私には、どうしたらいいのか正直わからなかった。
「ケトスさまに恩を返した後。約束を果たした後――ボクは、それからどうしたらいいのでしょうか。彼女のいない日々など、もはや想像していなかったから、分からないのです。本当に……分からないのです」
あえて優しい言葉を掛けずに、私は告げた。
『……君の人生だ。君の自由に生きればいい。ただ――残酷な現実を伝えておくと、彼女の魂はもはやどこにも存在しない。転生すら許さぬ滅びを、この私が下したからね。たとえ君が滅んだとしても、会えることは――ない』
そう。
ケントくんにしてみれば、魅了されていたとはいえ相手を想う気持ちはあったのだろう。彼にとっての私は、愛しい恋人を殺した、殺戮者なのである。
むろん。
その行為に正当性があったことも、私が下した裁きが間違っていなかったとも彼自身が強く感じているだろう。
だから会話も止まってしまう。
砦から、美味しい香りと煙が上がってくる。
約束通り。
最高ランクのシェフとやらが、夜の始まりと共においしい食事を提供してくれるのだろう。
ケントくんも香り豊かな煙を眺め、瞳を細めて微笑を浮かべる。
「そろそろ夕食になりましょう。行きましょうか、ケトスさま」
『ああ、そうだね』
まあ、ケントくんはいい人そうだし。もし嘆きの魔性となってしまっても、魔王軍と敵対することはないか。
私はケントくんの足元に、とてとてとて。
彼の顔を見上げて、じぃぃぃっぃぃい。
それだけで私の要求が分かったのだろう。
「抱っこして運んで差し上げましょうか?」
『うむ、よろしい! 汝に我を運ぶ権利を授けよう!』
返事と同時に私はうにょーんと身体を伸ばし。
ごーはん! ごーはん!
くはははははは!
下僕に運ばせるかのごとく、ケントくんに抱っこされて偉そうに砦内部へと戻ったのだった。
無駄に偉そうとは言うなかれ。
だって私は猫だし。
実際に偉いのだから、これくらいいいのである!
◇
この後は何事もなく、明日の作戦会議に備えて夜のグルメを楽しむだけだったのだが。
問題が一つ発生した。
もう、二度と。
会う筈がないだろうと思っていた、貴族風初老男が何故か私の目の前にいて。
ひっかき傷だらけの顔をニヤリとさせて、こちらを見ていたのである。
たぶん。
砦の猫魔獣を無理やり抱っこしようとして、反撃を受けたのだろうが。
「いやあ遅かったねえ、ケトスくん」
『なんで独房に突っ込んであるはずのリベル伯父さんが、ここにいるんだい?』
例のダメ男ではなくケントくんに私は問う。
「あれ、いいませんでしたっけ? 伯父さん、実はこう見えてマスターレベルの料理人。スキルとしても調理系全てを網羅している、天才コックなんですよ」
『いや、聞いてないし』
えぇ……、もしかして。報酬ってこの色々と駄目なオッサンの手料理なの?
料理に罪はないとはいえ。
えぇ……。
一口食べてみて、難癖をつけて独房に戻すか。
と。
私がマトンステーキを口にした、その時だった。
はむはむはむ、と猫口に注ぎ込んだお肉が溶けて、じゅわり。
……。
難癖をつけるために、もう一度ぱくぱくぱく。
……。
あ、これ……困ったな。
『えぇ……、どうしよう。超おいしいし』
「でしょうね。ボクがケトス様へのグルメ報酬のあてにしていたのも、リベル伯父さんでしたし。この人、まあ色々とアレがああして、ああ……なのですが。料理とセクシーな女性に関してだけは真剣で、だからこそ、みんな振り回されちゃうんですよね」
ケントくんの説明に乗じて、オッサンがこちらにずずずと歩み寄ってくる。
どうやら握手を求めているのか。
手が伸びてきているが……。
「というわけで、ケトスくん。これからしばらくよろしく頼むよ。ところでずっと気になっていたんだが、君、ものすごくモフモフだよね。抱き心地良さそうだよね? かわいいよね? 抱っこさせて貰ってもいいかな? というか、ワタシは初代皇帝になる男だからね、許可なく抱っこしてしまうんだけどね!」
『あ、こら! ちょっと待って!』
どうやらモフモフ猫好きらしい、駄目オッサンが私を無許可で抱っこしたので。
反射的に魔力が――カカカカ!
ずどーん!
とっさに弱めた低威力とはいえ、私の自動反撃。
直撃を受ければ、それこそ死ぬほど痛いのだろうが。
まあ、このオッサンなら、別にいっか。
砦がちょっと揺れたり。
魔力の直撃を受け、目をぐーるぐる回して気絶してしまったリベル伯父さんの魂が抜けかけたり。
ボス猫の合図か!
と、砦中の猫魔獣たちがダダダダダダダ――っ、と警戒の全力疾走モードで魔法陣を生み出したり。
簡易お風呂に入っていた女騎士エウリュケさんが、無防備な姿で、敵襲と勘違いしすっ飛んできたりもしたのだが。
フンと猫息を漏らした私は構わず、駄目オッサンを肉球でズズズと奥に遠ざけて。
食事を開始した。
それらは魔王城のコックやシェフですら届かない領域の料理で。
んーむと私はジト目を作ってしまう。
『なるほどねえ。人間、何か一つくらいは大きな取り柄があるんだね』
まあ、悔しいが。
この迷惑リベル伯父さんの料理だけは、本当においしかったという事をちゃんと記述しておこうと思う。