巫女の憂鬱【SIDE:幼女シャーマン・コプティヌス】後編
大魔族ロックウェル卿に転送を頼まれて、幼女コプティヌスは魔術師の顔で魔術式を構築。
魔術理論をくみ上げて――。
技術的にも可能だと確認して、幼女はコホンと咳払い。
冥界に供物として忍び込むために、ふふんとモフ胸を膨らませるニワトリを見る。
「分かった。ハムの礼もあるでな――転送するのは構わぬのだ。うむ、手間でもないし……それはいいのじゃが……。まさか、おぬし……我が神を討伐したりなどは、せんじゃろうな? あの方の巫女としてさすがにそれは困るのじゃが」
言われて、くわっと首を横に倒し卿は言葉を返す。
『あの男に言いたいことは山ほどあるが、魔王陛下の兄君。滅ぼしたりはせんと約束するぞ? 余は紳士であるからな? それに冥界に居るあやつはそれなりに強い。余も本気を出さねば後れを取ってしまうからな、そういう面倒な戦いはしたくなどない』
「そういう事ならば、まあ……じゃが……その前に、ケトス様に確認させて貰ってもよいか?」
ロックウェル卿もあの大魔帝との連絡ならばと頷き。
コプティヌスは五重の魔法陣を展開。
メッセージを送り、返ってきた答えは。
――えー、べつにいいんじゃにゃいかな? 大丈夫だとは思うけど、もし喧嘩になったら、それはそれでおもしろそうだし。
とのこと。
一応、許可がでたのかなぁ……と幼女は苦笑しながらも、巫女の顔でキリリ。
「では転移の準備をしてまいる。しばし待たれよ。祈祷の準備が整うまで、どうか、暴れずにお待ちいただきたい。そこの菓子を食うていいので……と許可を出す前に、もう貪っているので問題ないな」
『そなたが許可をだす未来は見えていたからな。先にいただいておるぞ?』
と、ニワトリさんは紅き魔力をぐわんぐわんと漂わせ。
有閑マダムたちが供物として持参したスナック菓子を、ばーりばりばり♪
「それは、未来視の魔眼であるな。そこまで強力なモノは初めて目にするぞ」
『素晴らしかろう! 余は全てを見通す神鶏であるからな! 貴様が将来、そのままぺったんこな胸のままでコンプレックスを抱えたまま美女になる姿も見えておるぞ。クワーックワクワ!』
ロックウェル卿のからかいに。
幼女はなぜか少しだけ、大人びた表情で頬を緩める。
未来が見える魔鶏には、自らの魔力に食い破られるコプティヌスの近き死も、見えている筈なのだから。
「ありがとう……けれど、そういう世辞はもう良いのじゃ。妾は成長する前に朽ちてしまう。本当に未来が見えるそなたには……既に、分かっている筈じゃろうて」
死を受け入れる乙女は、寂しそうに笑っていた。
――が。
ロックウェル卿は、翼を横に広げ。
肩を竦める動作をしてみせると。
首を左右にわざとらしく振って見せる。
ニワトリ顔で、はぁ……と大きなため息を漏らし、告げた。
『やはりか――知らされてはおらぬのだな。おぬし。このまま未来が大きく変わらんのなら、百歳は超える美人老女になるはずであるぞ?』
「どういうことじゃ? 妾の寿命はあと僅か。せいぜいが二、三年で朽ちると何度も占いにでておる!」
幼女の顔と言葉に嘘はない。
だからだろう。
ロックウェル卿はふむ、と真剣な顔をしてコプティヌスの状態を探り。
魔眼を発動。
『少し顔を見せよ』
覗き込んだ先に、過去と未来を見たのだろう。
世界蛇の宝杖を取り出し、ロックウェル卿は自らの身体を闇の霧で覆い。
ザザ、ザァァァァァァ!
姿を、冷厳なる貴族風な人型に変えて、長き優雅なマフラーを靡かせながら静かに語る。
『なるほど。コプティヌスとやらよ。汝の事情は見えた。なれど案ずるな、汝の寿命はもはや人並み以上の命となっている。もっとも――その比類なき力にしては短命だが、人の器としてなら十分すぎる程の生命力を感じる。高齢まで生きる事が可能であると――治療の神の杖を操りし余が保証しよう』
「なぜじゃっ、おかしいぞ、だって、妾は!」
わけがわからなくて。
コプティヌスは叫んでいた。
その様子を静かに眺め、ゆったりとロイヤル貴族風な魔族は言う。
『コプティヌスよ。汝はあの禍々しくも狂気なるエンジンを積んでいた移動要塞にて、ケトスの魔力補給を受けたのではないか?』
「う……うむ、あの者が永遠なる死の皇子の魔導書を読み込む間……蟲人達との戦闘を頼まれてな」
『それが原因であろうな』
言って。
無数に並列配置した十重の魔法陣を展開し、ロックウェル卿は慈悲を授ける王者の顔で真剣に――この世界の法則とは異なる言語で魔術を詠唱。
大魔帝ケトスが調整した乙女の肉体を更に、安定させるように。
世界蛇の宝杖を翳しながら卿は言う。
『ケトスのやつめ、その時に既に見えていたのだろう。汝の寿命も、天命も。ドリームランドにレイヴァンと共に行けば必ずや余が対抗意識を燃やし、冥界に下るためにここを訪れる事も……、そして、こうして回復魔術を得意とする余が、幼子を見捨てられずに最終調整することも――全て。まったく、食えぬ猫よ』
大魔術を使用した名残の魔力を纏いながら。
ニワトリから変貌した真摯な貴族は、神の如き輝きを携え淡々と告げる。
『娘よ、よく聞け。ケトスはそなたに力を与えた。その肉体は既に、己が限界を超える魔力に耐えるスキルを取得している』
「すまぬ……言っている意味が、よく、わからぬ」
コプティヌスは考える。
どういうことであるか?
突然過ぎて、言葉は理解できても意味を理解するのに時間がかかっていた。
まさか。
いや。
そんな、おとぎ話のようなハッピーエンドなど――そんな都合の良い現実を信じる程、幼女は現実が甘いものではないと知っていた。
嫌という程に知っていた。
過ぎ去った思い出たちが、彼女の小さな胸をチクリと刺す。
お母さん、と。
届かぬ手を伸ばして起きる夢を、もう何度見た事だろう。
希望は甘き毒。
望まなければよかったと、なんど思った事だろう。
人並み以上の力持つゆえに見えてしまった人間達の闇。
魔力と因果を辿り。
本物の母の亡骸を探し当てたその時に、この世はとても美しいが残酷だと幼き心に刻んだのだ。
聡明な彼女は本当によく、知っていた。
諦めてしまえば、楽なのだと。
けれど。
けれどだ。
あの大魔帝ならば、話は別。
くはははははは! と、全てを解決してしまったあの大魔族ならば。
そこまで気付いて。
ハッとした。
よもや、本当に……?
心臓が、ドクンドクンと鳴った。
掴もうとしても掴めなかった未来が。
見てみぬフリをしていた明日への道が――突然目の前に降ってきた。
けれど、もしそれが幻の道であったのなら。
怖い。
だから。
彼女のぷっくらとした唇からはもう一度、年相応な、か細い声で。
「妾には……分からぬ……っ」
と、否定するような言葉が漏れていた。
信じる事が怖いのだ。
希望が、怖いのだ。
戸惑い迷う幼女。
その震えに目をやって、ロックウェル卿は首をがりがりがり。
仕方あるまい、と。
大人の優しさを見せながら静かに告げる。
『そなたはあの魔猫にもうひとつ、大きな借りができたということだ』
言われた幼女の背が揺れる。
長い黒髪が跳ねる。
心臓も跳ねていた。
『魔猫は、汝のその身体に、強き魔力をも耐えられる大魔帝の加護を与えた。人の器を保ったままに、魔力の源となる魂を変質させたのであろう。よくよく考えてもみよ。あの大魔帝たる魔猫の魔力を許容できる事自体、普通ではありえぬことではあるまいか?』
ああ、そうだ。
魔術師としてのコプティヌスが冷静に事実を受け止めていた。
移動要塞ゴエティアでの戦闘の最中、既に全てが変わっていたという事だ。
では。
では、やはり。
貌をバッと上げて、幼女は震える手を抑えて大魔帝の友に問う。
「ならば、妾は――ほんとうに……?」
『とうに、あの魔猫に滅びの運命など書き換えられていたのであろうな。大魔帝ケトスはきまぐれに他者の運命を書き換える。時には滅ぼし、時には生かし。確定していた未来さえも、ぶにゃっと押し退け踏みつぶし。変更してしまう。思うがままに、肉球で歩みモフ毛を靡かせるのだ。ああ、余も魔王陛下も、それが愛おしくて堪らない。変えられぬ未来さえも変えてみせる、その灯りを忘れられぬ。それが我が友、我が生涯の希望の光よ』
朗々と歌うように語るロックウェル卿。
その言葉を噛み締め。
幼女は思った。
ああ、あの者はどこまで妾を救えば気が済むのじゃ、と。
モフモフで柔らかく。
くはははははと笑って、人の膝の上で腹を出してぐでーんぐでーんと転がって。
頭を撫でよ!
と、キリリと偉そうに要求する黒き猫。
その温もりだけで、既に十分救われていたのに……。
全てを知って。
事実を受け止め。
遠くを見ながら、幼女は言葉を漏らした。
「そうか……そうであったのか。しかし、なぜ、なにゆえに……そうだと、おまえを救ってやったのだと自慢げに、教えてはくれなかったのじゃ。礼を言わせて貰う前に去ってしまうなど、狡いのじゃ。大魔帝は、狡いのじゃ……っ」
ぎゅっと握る幼き拳を眺めながら。
大魔帝の友は人ならざる美貌をすぅっと細め、濃い笑みを作り出す。
『知れた事。答えは単純だ――あやつは、素直ではないからな。運命に介入し命を救ったなどと、本人の前では照れくさくて言えなかったのであろう。ましてや、幼子に心よりの礼を言われるなど――眉間にしわを寄せて嫌がるであろうな。実に我が友らしいへそ曲がりよ』
言われて幼女は、あー……なるほどのぅ……と、明るい苦笑を見せた。
「たしかに、素直ではなさそうじゃったからな――」
冷静になって、これからの事を考える。
これから。
その言葉が、彼女の心臓をバクバクとさせた。
「ふふ、そうか。妾はまだ、生きていられるのか」
コプティヌスは自らの小さな手を見た。
妾は生きられる。
これからの人生?
将来?
恋、伴侶?
そんなもの、死に行くこの身には関係のない事。
諦めていた。
最初から届かぬものだと、知っていた。
だから、手を伸ばさなかった。
伸ばせなかった。
けれど。
猫の、声がした。
彼女の心に、確かに猫の笑い声が聞こえたのだ。
伸ばせなかった小さき手。
その手を闇から伸びてきた猫の肉球が、ぷに。
強引に握って。
ざざざざざ!
暗き底からそのまま引き上げ、くははははははは、と笑っていた。
光が、目の前を覆う。
この光景はおそらく、体内に残る大魔帝の魔力の残滓。
その強大過ぎる魔猫の見せる幻の風景。
移動要塞ゴエティアで補給された、気まぐれ猫の奇跡の加護だ。
本物のあの魔猫の声ではない。
けれど。
生きていて、いいのだと。
そう。
言われた気がした。
「あれ……?」
ぽつり。
幼女の小さくぷっくらとした手のひらで、雫が跳ねた。
「あれ? ……あれ? ……なんで、妾は……おかしいのう……っ」
涙だった。
一度零れてしまうと、止められなかった。
次から次へと。
拭っても、払っても……大粒の涙が頬を濡らすのだ。
別に長く生きられなくてもいいのだと。
そう思っていた。
短き人生の中で、誰かのために行動し、誰かの記憶の中に残れるのならそれでいいのだと言い聞かせていた。
けれど。
いざ――死への恐怖が、すっと抜けると。
泣かずにはいられなくなっていた。
理性から離れた、心と体が訴えて――身体を震わせ、雫を零させ。
嗚咽を出させようと、生意気にも身体を支配しようとしていた。
そこで、ようやく気が付いた。
幼女は、知ったのだ。
「ああ、そうか。妾は……生きたかったのじゃな」
と。
泣いているのに、声は冷静で。
それがなぜだか自分でもおかしくて、コプティヌスは号泣はせずに、ただ静かに――感謝するように神殿の天井に目をやった。
精神修行の賜物か。
既に幼女は濡れた頬を輝かせ、ぷっくりとした唇で静かに言葉を紡いでいた。
「命を――助けられた時は、なんといって礼を言えばいいのかのう。妾もそれなりに他者の命を救ってきたから知っておる。ありがとうございますと、そう言って、心から頭を下げるとな。だが、どんな顔をしたらいいのか、それが分からぬ」
彼女の脳裏には、さまざまな人々の顔が浮かんでいた。
寿命を削り、治療をした。
強力な魔物が沸いたから、魔力のバランスが崩れる事を厭わず退治をした。
感謝をされた。
助けた人々から頭を下げられた。
何度も何度も。
あの者達は、どんな顔をしていたのか――うまく思い出せなかった。
ああ、そなたたちは生きられて羨ましいと。
微かに妬む心が――その貌を、見ないようにしていたのだ。
きっと。
かわいくない子であったと、幼女は自らの過去を少しだけ笑ってしまう。
「まさか、ずっと……生きられるようになるとは。大人になれるとは……思っていなかったから、分からぬのじゃ。こんな事なら、妾が救った者達の事をもっとちゃんと見ておけばよかったのう」
今まで途絶えていた暗い道に、明かりが灯り始めていたと感じた。
彼女の頭の中。
黒く太々しい魔猫が、ぶにゃぁぁぁっと暗い道を照らし、こっちだこっちだと――途絶えていた道を切り開いていた。
ロックウェル卿は空気を変えるように、咳払い。
『さて、モノのついでだ。そなたに余からも加護を授けよう』
「ふふ、気を遣わなくてもよい。妾はもう、十分すぎる程の加護を受けた。ありがとう、ロックウェル卿。力強き神の一柱よ」
微笑む幼女に、ロックウェル卿は涼やかな貌で告げる。
『ケトスが加護を施したのだ。余もなにかせんと負けた気分になって、面白くないのだ』
ふん、と腕を組んで男は言う。
やはりあの魔猫の友は変わり者だと、涙を拭いながらコプティヌスは頷いた。
『では選ぶが良い――本来の未来よりもほんの少し胸が育つようになるまじないか、本来の未来よりもほんのすこし、背が伸びるようになるまじないか、どちらがよいか?』
言われて。
空気がすこしへんになる。
しばしの間のあと、幼女は眉を顰めてぷっくらお口を尖らせる。
「……ん? いやいやいやいや。妾、これから短命で終わらず、ちゃんと年と共に成長するわけじゃから……そーいうまじないは、必要ないじゃろう?」
『よく聞け、娘よ。運命とは残酷なモノ。望む通りになるとは限らぬ茨の道よ』
ロックウェル卿は紳士なる顔を悲壮に歪め。
首を左右に、小さく振る。
「わ、妾! もしかして、大人になってもチンチクリンなままなのか!」
『汝を慰めるわけではないが、そういう体型が好きだという人種もいるらしいぞ?』
「なななな、なんの慰めにもなっておらんではないか!」
ムキー! と、短い手足をバタバタさせる幼女を見て。
真顔で。
大魔族ロックウェル卿は紳士たる顔を、ニワトリのようにこてり。
『ふむ、参ったな。怒らせるつもりはなかったのだが。どうしてもというのなら、合成獣として胸も大きく胴、というか尻尾も長いラミアと組み合わせるという裏技もあるが……』
物騒なことを真顔のままで告げるニワトリ貴族に。
コプティヌスは悟った。
男の言葉が冗談でも戯れでもなく、親切心で語っていると理解していたのだ。
ああ、こやつ。
マジでやべえやつじゃな……と。
むろん。
善意とはいえキメラにされるのはごめんなので。
きちんと礼に頭を下げて、幼女はとっとと供物転送の準備を進める。
大魔族。
色んな意味でやべぇ奴らしか、おらんのう……と。
巫女は深く、重い――憂鬱なるため息を漏らし。
ニワトリモードに戻った神鶏を送る儀式に、意識を集中させた。
幕間4
~巫女の憂鬱~ ――おわり――