巫女の憂鬱【SIDE:幼女シャーマン・コプティヌス】前編
【SIDE:コプティヌス】
火山に覆われた過酷な土地、炎熱国家エンドランド連盟。
つい先日まで、古き女神を崇拝する狂信者の暴走により滅びの未来を歩んでいた――人間達の小国家群。
その最も古き火山。
通称地獄の窯と呼ばれる山脈の更に奥地、火口に向かう途中の道には一つの黒き神殿が存在した。
冥界神――永遠なる死の皇子を讃える聖なる場所。
死者の宮殿と繋がっていると伝承されている、漆黒神殿である。
その神殿の最奥。
死の微笑を浮かべる神像が祀られた祭壇の前には、魔力を込めた祈祷を行う少女が一人。
褐色肌の黒髪幼女。
人間としては破格の強さを誇る巫女、祭司長コプティヌスである。
「我、永遠の死からの救済を求むるモノ。人族にして我等の感謝を代表して祈り捧げるモノなり。神よ――どうか、我等の供物を受け取りたまえ」
広がる黒の魔法陣。
展開される七重の魔法陣が、死者の宮殿と現世とを一時的に接続させる。
簡易的な生贄の儀。
敬虔な信徒である彼女は、日課である神への祈りを捧げていたのだ。
のだが。
生贄――すなわち供物として捧げられているのは、冥界神が口にすることのできる酒。
そして。
煙を食べるとされている、タバコ。
銘柄まで指定された、まあそれなりに高価な品で。
転移魔法陣となっていた祭壇が、ビビーンと輝き供物が死者の宮殿へと転送される。
そこに残されていたのは、タバコと酒以外の果物と魔術加工されたハムなどの肉。
残され、積まれた果実とハムはまるで山のようになっていて。
幼女のチンチクリンで、まるっこいキュートな瞳がジトォォォ。
それらを眺めて。
ついつい、言葉が漏れてしまう。
「はぁ……まさか、神直々からあんな供物を要求されようとはのう。あやつ、現世でこちらの酒とタバコの味を覚えおったのじゃな。それにしても好き嫌いをしおって、通常の供物が置いていかれたままではないか」
果物とハムには興味がなかったのだろう。
魔兄レイヴァンは死者。
そういった食物を口にする必要は本来ないのだろう。だから、少量しか食べないし、食べられない。食べるのなら自分が好きなモノだけを味わう事にしているようなのだ。
あの一連の騒動が終わり。
神殿に独り帰ってきたコプティヌスは思う。
――まさか我が神はあんなセクハラ大王だったとはのう……。
と。
ぷっくらとした口を、あの不精髭の髪を思い出し動かす。
「はぁ……、こう、なんというかのう……せめて見た目が、ケトス様のようなモフモフアニマルタイプであったのなら、セクハラではなく戯れで済んでいたのじゃが……。まあ、容姿や種族で差別をしてしまうのは良くないことなのであろうな。妾もまだまだ未熟だという事か」
幼女、渾身のため息である。
それもその筈。
彼女は最近、妙に増え始めた若い女性の参拝者達に辟易していたのである。
参拝者の目当てはもちろん、あの冥界神。
魔王の兄であり、冥界を治める伊達男――魔兄レイヴァン。
幼女の頭に、浮かぶのはもちろんあの飄々とした男。
最近ドヤ顔で人間世界にやってきては酒場に入り浸っている、自称寂しいお兄さんの貌である。
一見すると、人当たりの良い男だ。蟲人ローカスターからこの地の人間を救った英雄の一人であり、その知名度は抜群。
どうも口伝えにあの冥界神の容姿や、それなりに好色な事が伝わってしまったらしく。
神様に見初められるチャンス!
お礼を言うついでに、ちょっと顔を見せて玉の輿でも狙っちゃいましょうよ!
あら、奥様。あなた旦那さんはどうしたの?
色に明るい方だというお話ですわ、ちょっと一夜のロマンスとて、あり得るかもしれないでしょう?
やだぁ、もう。ふふふふ。あ、ほら、順番が来ましたわ。参拝しましょ♪
と、不埒な理由で参拝する者が増えていて。
巫女たるコプティヌスはその度に、応対しているのである。
結果。
げんなり。
護衛をつけなければ、こんな僻地にまでやってくる事は不可能。つまりここに参拝にくるご婦人方は全てそれなりの金持ちや高貴な淑女の皆さまで。
幼女は使いきれない金銀財宝に目をやって、そんなに興味のなさそうな貌で言う。
「んーむ……お布施が入るのはありがたい事なのじゃが、あやつらのギラギラとした闘争心は疲れるぞ……。あの男はそんなにいいモノなのかのぅ。妾にはまったく分からぬぞ」
だからついつい、こんな愚痴が零れてしまう。
短い手足をバタバタとさせ、むきぃぃぃ!
「あぁぁぁあああああああぁぁぁぁ! 妾も恋の一つでもしてみたかったのじゃ!」
ひとしきり騒いでも、反応はない。
今、この神殿には彼女の他に誰もいないのだ。
幼女はふと寂しくなった。
あの騒動の後始末はまだ解決していない。
自分がいたら人間達の話し合いの邪魔になるだろうと、舌なめずりをして大魔帝は去った。実は辺境地方の領主の息子だったという吟遊詩人ケントを、ズリズリと引きずって、辺境グルメにゃ! ご馳走ゲットにゃ! と、ウキウキしながら旅立ってしまった。
それは大魔帝の優しさでもあったのだろう。
あの黒猫魔族はまさにこの地を救った英雄。その発言の影響力は跳ね上がっている。
幼女は考える。
もし。
もしもだ。
あの男の性格を考えれば絶対にないと断言できるが。
彼がこのままこの地を、魔王軍の管轄とする提案をすれば――おそらくこの地の民は受け入れて、事実上の植民地とさえすることも可能だった筈だ。
――過ぎる英雄は危険。
――人間達の事は人間達が決めるべきだと、少し寂しそうに語ったあの猫口が……コプティヌスの頭には、今でも深く残っている。
辺境グルメだけが目当てで、さっさと退散してしまったわけではないと、賢い祭司長は察していた。
それでも。
とてとて歩いて去ってしまった猫の幻影。
あのモフ猫、モフしっぽの先を掴もうと――小さな幼女の手は伸びていた。
「妾も共に……」
だからついつい。
思わず漏れた言葉が本音だったのだろう。
幼きシャーマンは小さな体を伸ばし。
嵐が去った後のような神殿の中を見渡し、深く、重い息をはく。
「なんて、な。ふふ、妾もまだまだこどもじゃのう」
彼女はどこから見ても子どもの顔で、けれど、とても大人びた表情でそう言葉を漏らしていた。
それが叶わぬ夢だと知っていたから。
言葉にしてしまったことを、少し後悔したのだ。
この地から離れる。
それができないことは、彼女自身が一番深く知っていた。
地脈のエネルギーをその身に吸収し、死者の神に祈りを捧げ――なんとか身を保っているのだ。
人間を超える過ぎた力は、幼女の身を内から戒めていた。
だからこそ、定期的に死者との境が曖昧なこの漆黒神殿の祭壇で、祈りを捧げなければならない。
人並外れた魔力を制御するために必要な儀式。
彼女の日課でもあった。
けれど、それは一時のまやかし。
誤魔化しているだけに過ぎない。
いずれこの身は、自らの魔力で自壊し朽ちて――死んでしまう。
元より、この強すぎる力がなければ義母に拾われることもなく野垂れ死んでいたのだから、感謝しないといけないのだ。
過ぎ去った日々と思い出を辿るように、幼女はまだ優しかった頃の義母がくれた髪飾りをそっと撫で。
ふぅと、息をはく。
――妾の恋は叶わない。
そういった感情を覚える前に、死んでしまうとは理解していた。
大人には、なれないのだ。
そんなことよりも夕食前のオヤツじゃ!
と、彼女がいつもの前向きさで気分を入れ替えた。
その時だった。
ズゥゥゥゥゥン――ッ!
ふと、彼女はとてつもない魔力を感じ。
全身の毛を逆立て、警戒に声を張り上げた。
「何者じゃ――!」
誰何の声に反応はない。
ただ、闇の中で何者かがじっと祭壇を眺めている。
ぺったんこな褐色肌に、汗がジワリと滲む。
大魔帝ケトス……ではない。
しかし、達人の領域などという次元では推し量れぬ何かがそこにいるのは確かだった。
幼女は結界を張ろうとして――しかし、思いとどまった。
戦いとなれば負ける。
いや、戦いにすらならない。
塵芥を消すかの如く一瞬で、身は消失する。
それは。
幼き身であるコプティヌスが、人の身でありながらも限界を超えた力を有しているからこそ、出すことのできた結論だった。
中途半端な英雄レベルの人間であったのなら、おそらくソレに手を出し滅んでいた事だろう。
祭司長コプティヌスは、冷静な貌で。
女帝のような覇気すら纏って声を上げる。
「妾はこの神殿を預かりし者、祭司長コプティヌス。すまぬが、話がしたい。出てきてはくれぬだろうか?」
反応があった。
神聖な祭壇に捧げられた供物。魔兄レイヴァンが受け取り拒否した、果物とハムの山が、ゴソゴソと蠢き始めた。
そこから伸びるのは、白くモッコモコな羽毛。
『クワーックワクワクワ! しばし待つが良かろう! 余は! このハムさんとブドウさんを食すのに忙しいのでな!』
ガーサガサガサ!
ビシ、バサッ!
『ええーい、レイヴァンめ。魔王様の兄だからといってケトスとドリームランドに遊びに行ったとは。余ですら最近は遊びに行ってないというのに、まったく。後で死者の迷宮に下り、文句を言ってやらねば気が治まらん。それにしても……コケケ! 実に、良きハムである! 褒めてやろうではないか!』
言って。
闇の獣はハムをガーツガツガツ!
嘴で啄んで――、その包装紙を引き千切ろうと、白き翼が舞っている。
その声と魔力。
彼女には覚えがあった。
「そ、そなたは――もしや! ケトス様の友達の神鶏ロックウェル卿様!?」
大魔帝ケトスが言っていた。白銀の魔狼、ホワイトハウルは罪さえ起こさなければ通常会話も可能だから、安心していいと。
炎の大精霊、炎帝ジャハルは精霊族を守っていた君に感謝をしていたから問題なく会話もできるだろう。むしろ、きっと喜んで話をしてくれると。
ただ。
あの大魔帝ですら、ちょっと目線を逸らして――言ったのだ。
神鶏ロックウェル卿だけは、うん……気を付けた方がいいかもね。
と。
かつて魔王の腹心として世界を恐怖に陥れた魔帝ロック。
霊峰に隠れ住むとされる、全てを見通し、全てを石化させる伝説の大魔族。
それが、何故ここに?
身構えるコプティヌスに、ハムの群れがガサガサっと動き。
コケコケ!
『おお! その呼び名は実に素晴らしい! そう! 余こそが伝説の魔鶏。神のニワトリにして、大魔帝ケトスの最優の友! 神鶏ロックウェル卿とは、余の事である!』
ででーん!
背後に浮かぶ凄まじい魔力の十重の魔法陣は、おそらくただ輝きの演出をするためだけのモノ。
ハムと果物の山の中から、クワっと顔を出すのは魔力満ちた鶏冠。
ズジャジャジャジャジャ!
鱗の目立つ足で、かっちゃかっちゃかっちゃ♪
祭壇から現れしは、やはりニワトリさん。
けれど、コレはただのニワトリではない。
ビシ! っと、気取ったポーズを取って、幼女の目の前でモカモカ羽毛を輝かせるニワトリ。
ハムの包装紙を引き千切る翼をそのままに、偉そうに鳥顔をニヤリ。
『ククク、クワーックワクワ! 余、華麗に参上なのである――!』
やべえと評判なあの大魔帝にして、ヤベェ……と言わしめる、やべえニワトリ。
あのロックウェル卿が。
何故かこの地に降臨していたのだ。