死にゆく女神の断末魔 ~【SIDE:原初の神リールラケー】中編~
【SIDE:原初の神リールラケー】
女神に忠誠を誓った狂信者たち。
堕ちた殉教者たちの肉塊が無数に埋まる――生贄の祭壇。
飛蝗と人間との合成儀式が執り行われる忌まわしきリールラケーの神殿。
蟲人ローカスターが生まれしその地には、今。
異神の力が溢れだそうとしている。
消耗品として砕け散った祭具に込められていた魔力は――アダムスヴェイン。
異界の神話を魔術として行使する、幻の秘術。
あの神像のレプリカには、とある主神の力が封入されていて――だからこそ、女は勝利を確信したのだ。
「ふふ、ふふふふうふふふふふっふっふっふふふ!」
狂った笑みを眺める魔猫は大魔帝。
対する女神はリールラケー。彼女は自らの手に収束していく魔力を感じ、ふふふ、と甘ったるい息を漏らしていた。
女は思う。
これが天命であったのだと。
――最後の最後で、ほら! あたしは奇跡を引き当てた……!
肩が揺れる。
歓喜で涙が出そうだった。
けれど。
喜ぶよりも前に、敵を嬲らなければ気が済まない。
乾燥した唇を舌でぺろり。
女はようやく余裕を取り戻して、スポットライトをあてられた舞台女優のように朗々と宣言する。
「勝てる、勝てるわ――! 大魔帝ケトス! その油断が、命とりだって言ったでしょう!」
『いいよ、やってごらんよ。退屈しのぎぐらいにはなってくれると――私も助かる』
――逃げない?
――なぜ!?
這いずり逃げ回る筈の相手は、なぜか余裕の顔だ。
リールラケーの内に収束されていく魔力を眺めて、瞳を細め感嘆とした息を漏らすばかり。
女はふと不安になった。
あまりにも、この魔猫は落ち着き過ぎている。
――魔力は確実に集まっている、見えない筈がない! なのに……こいつの、この余裕はなに……っ!?
『ほら、待っててあげるから最大まで魔道具の力を引き出してごらん』
「なんですって……っ!」
紅い瞳がギラギラと女神を眺めている。
ただ、それだけ。
逃げる気配は――皆無。
「あなた、この魔力が見えていないの!?」
『見えているからこそ、興味があるんじゃないか。君の手に浮かぶ魔力球からは雷鳴神の力を感じる。異神の力を引き出すアダムスヴェインと類似する魔術だね。まあ、十重の魔法陣に届く程度の質量はあるんだろう? それとも、ただのハッタリかい?』
魔猫の余裕が、女神のプライドをぐぎぎぎぎと軋ませる。
――こんな筈じゃない。
――こちらが強者で相手が弱者。
――それが、絶対の掟だった筈よ……っ。
女はグヌヌと歪ませた顔を尖らせ、唾を吐き散らす勢いで叫んでいた。
「あーそう……あーそう、あーそう、あーそうなの……っ! 調子に乗ってるんじゃないわよ! 魔猫風情がぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁ!」
『おー、吠える吠える。めーがーみーが、ほーえた! てーのーなーる方へー! ぶにゃはははは! まあ……正直、一方的な嬲り殺しじゃあ、自慢にもならないからね。踊ってごらんよ、お嬢ちゃん』
余裕だ。
強者の見下しだ。
女の口が、わなわなと震える。
ズタズタに踏みにじられ、穢されたプライドを取り戻す。
そのために。
リールラケーは口が引き裂けんばかりに、魔猫の余裕を呪いながら叫んでいた。
「すぐにあのガキもあんたの死体の上で穢してやるわ――っ!」
嬲られ殺されるなんて、自分には似合わない。
追い詰められた果てに掴んだ奇跡。
リールラケーは禍々しい魔猫、大魔帝ケトスに向かい、バッ――!
手を翳し――。
詠唱を開始。
周囲に散る祭具崩壊による魔力を収束させ――。
即座に儀式魔術を発動させた。
「祭具解放、アダムスヴェイン! 異なる世界の支配者よ! 我は汝のレプリカを所持せし女神――今、この瞬間、汝らと我の力は二つで一つ。リールラケーの名の下、我等の怨敵を焼き払い給え!」
砕けた神像が――世界の法則を搔き乱す。
ググググ、ズズズズズ――……ッ。
封入された力の発動が、世界に悲鳴を上げさせる。
破壊のエネルギーが力の概念そのものとなって現れようと、荒れ狂う。破壊を再現しようと、魔力法則も物理法則も破壊しようとしているのだろう。
それは。
十重の魔法陣を何重にも並列させた形で顕現。
――発動した!
女神リールラケーは、まだ十分にツキが残っていることを確信し、口角をつり上げる。
ギヒヒヒと下卑た微笑を浮かべて、
――ほら、やっぱり。どう転んでも、勝者はあたし。いままでのはそう、この勝利の美酒を味わうための演出に過ぎなかったのよ。
運命を味方にできたと確信し――。
女は失った蛇神の代わりに雷鳴を抱いて――。
「異神ユーピテルよ! 異なる世界を支配せし主なる神よ! 全てを無とする神雷の矢を――!」
『へえ! いいねえ、悪あがきにしては面白いものをみせてくれるじゃないか。これは……異界の一つの神話大系。主神の力を借りた、天地雷鳴の魔術か――!』
ヒゲをぴんぴんさせて魔術を鑑定する魔猫は、この状況にあっても余裕の貌。
大魔帝ケトスに向かい、指を伸ばし。
矢を射るように――神雷を溜める!
「滅びの夢を抱いたまま、眠りなさい! 小生意気なオスネコがぁぁぁぁああああぁぁ!」
大嵐たる一条の神雷矢!
放たれる雷鳴の矢。
神の雷。
神雷纏う魔術の矢は――閃光となって魔猫に向かい螺旋を描き飛んでいく。
周囲の魔力すらも力として呑み込み。
螺旋の渦、一つ一つに十重の魔法陣を内包して。
魔術は全てを破壊し突き進む。
この世界で放つことが出来る最大出力に近い、魔力の矢。最上位に位置する魔弾の射手だ。
全身に青筋を浮かべる女神リールラケー。
美貌を保っていた筈の女。
いま、その貌は魔力の余韻を受けて歪んでいる。
女は思った。
きっと魔術の反動で、永遠の美は失われる。寿命ができて、一時的に老婆になってしまうだろう。
けれど。
それでも構わない。
コレを消去できるのなら、美貌が犠牲になったところで勲章だ。
後でゆっくりと、回復すればいいだけの事。
生き残りさえすれば。
それで――全てが終わるのだから。
ふふっと、勝利の笑みを浮かべるリールラケー。
対する大魔帝はつまらなそうに、それを眺めるのみ。
そして――。
魔術は直撃した。
グググ、ギギギイイイィィィッィィィイイィィ――ッ!
震えるその手から顕現した雷の魔力は、大魔族ですら即死するレベルの出力だった。
並以上の相手でも、それで片付くはずだった。
けれど。
相手は天秤に測る事すら不可能な大魔族。
それは。
この世にあっていい存在ではなかったのかもしれない。
破壊されていく神殿の中で、黒いモフ毛がくわぁぁぁっぁああぁぁっと大あくび。
魔猫は、悠然と佇んでいた。
てちてちてちと自らの手の甲を舐めて。
しぺしぺしぺと、顔を洗っている。
『残念だったね。私ネコだし。静電気はつきもので――こういう雷系の攻撃も、効かないんだよね』
言って、魔猫は正面から矢を受け止めたまま。
ドヤ顔すらもせずに。
『はい、無効化』
「――な……っ!」
直撃した、世界を滅ぼすほどの神雷が獣毛の中に吸収され――魔力を盗まれただけだった。
傷一つ、ついていない。
全ての美を犠牲にして穿った。
必殺必中の矢。
異神の力を借りた――避ける事も、防ぐこともできない神をも屠る一撃だったはず。
なのに。
なのに。なのに。
「どう、して」
がくり……。
女は膝から崩れ落ちていた。
◇
世界を滅ぼしかねない程の矢を放った代償に、欠けていき老いていく魔力と若さを感じながら――女は呆然と呟いた。
「うそ、でしょ」
心のどこかで思っていた。
もしかしたら倒せないかもしれないと。けれど足止めぐらいはできると思っていた。
逃げる隙は確実に作れるはずだった。
リールラケーの瞳に、猫の姿が映り込む。
――これは、なに?
黒く蠢く紅き憎悪の塊。
世界を呪い嘆く、混沌の魔猫。
――なのに、なんで、なんでこんなに飄々としているの。
女は、次元の差を感じ。
ただ茫然と猫の毛繕いを眺めていた。
『で? それで終わりかい?』
「ひぃ……っ!」
瞳があった。
その瞳は、つまらないゴミを見る目で――丸みを帯びた猫口は、はぁ……とわざとらしいため息を漏らしている。
ただ静かに。
女の反応をくだらないとばかりに眺める黒猫は、言った。
『もうなさそうだね。じゃあ、飽きちゃったし。殺しちゃっていいよね?』
「っ――……うそよ……、だって、いまのは……!」
彼女にとっては、最後の切り札だった。
最後に掴んだ、神からの救いの手だった筈だ。
そう。
これで、助かる筈だったのだ。
けれど、今。
こうして現実は死に向かって進んでいる。
何とか生き延びる術を引き寄せようと、女は頭を働かせる。
そして、思い至ったのは――この魔猫が魔術師だということだ。
リールラケーは震える唇を毅然と動かし、言葉を発した。
「待って! 今の魔道具がなにか、魔術師ならば知りたいはずよ! あたしを殺してしまったら、それも、一生、分からなくなるわよ!」
深淵の中。
もはや能力を失ってしまった異神ユーピテルの神像を眺め、猫の口がグギギギギ。
歪んだ言葉を告げる。
『全知全能の神。天空神。ユーピテル。ジュピターの名を冠する天体の名ともなっている、大神。その逸話を魔道具化させた祭具だろう? まあ彼の者の逸話は有名だ。分かりやすくはゼウスと呼ばれていたね。アダムスヴェインの題材としては、扱いやすい部類だろうさ』
失われた異界神話を語る黒猫。
自分すらも知らない事柄を、猫の口は朗々と語る。
その言葉に迷いはない。
おそらく、本当に知っているのだ。
やはり、彼こそが探し求めていたモノなのだと女神は確信した。
そして、思った。
ああ。
魔王と呼ばれたあの男を倒すための黒き鍵は、既にあの男自身が確保していたのだ。
最強のコマとして。
異界神話を知る者は、魔王を慕い――頭を垂れて傅き、哭く。
眠りながらも、あの男は眷族を使い我等を陥れているのだ。
楽園を滅ぼすだけで飽き足らず、今度はこうして追い詰める。
――ひどいじゃない?
そう、心の中で自分たちの滑稽さを嘲り嗤い――女は言う。
「転生者とて……異界神話に詳しいとは、かぎらない」
大魔術の代償で老いていく手を見て、女はぽつり。
誰にともなく呟き続ける。
「何人も捕え、洗脳し……時には拷問して。その秘密を吐かせるの。けれど、みんな自分の国の逸話や神話を知っていても、表面上しか知らないわ。あなたのように……詳しい転生者は、一人もいなかった」
ヒステリックな叫びが喉を伝う。
「あなたは、何者なの。なにから転生をしたというの? 名のある神学者? 大賢者? 大教皇? それとも皇帝? そんな様々な異界神話を知っているなんて、普通じゃ……あり得ない。あり得ない! あり得ないのよ! あんたは一体、何者なのよおおぉぉぉおおおぉ――っ!」
はぁはぁ……と、肩を揺らし問う女。
ただじっと眺める黒猫。
『私もね、自分が昔、何者だったのか知らないんだ』
声は、どこか物悲しい響きを放っていた。
『けれど――異界神話を把握するこの知識の大元は知っている。きっと嫌いじゃなかったんだろうね――ゲームとか漫画とか、小説とか……そういうのが――』
「ゲーム。マンガ……っ、やはりそれが――賢者の知識の源だというの」
追い詰められた場所で。
リールラケーは息を呑みながら、考える。
いったい、ゲームとは。マンガとは。
なんなのか。
わからない、けれど、その単語は耳にしたことがある。
かつて楽園に居た賢者も、それを口にしていたのだ。
それは無限の可能性を紡いだ、秘術。
様々な伝承。様々な神話。
世界創造魔術の一種なのではないかと、噂されたこともあったが――真相は誰も知らない。
転生者たちは、あまりそれを語りたがらないのだ。
なぜか複雑そうに顔を顰めて。
『え、えぇ……? なんつーか。漫画やゲームって、そーいう賢者とか、教皇とか……大仰なモノじゃないんだけど。まあ確かに、神話とか伝承には無駄に詳しくはなるけど……んー……どうなんだろうね? まあ力が発動するってことは、その源となる存在がどこかの世界には存在しているのかもしれないけど……。いや、そもそも……そんな風な言い方をされると、ものっすっごく、恥ずかしくなるというか……んーみゅ……』
心を盗み見たのだろう。
肉球でモフ頬をぽりぽり。
魔猫は困った様に、ぶつぶつぶつ。
そう。
ゲームとマンガを知る賢者たちはこうやって。
どこか、困ったように誤魔化し否定するのだ。
何故か、取り繕うように魔猫は不意に言葉を漏らす。
『さりとて――今は全てが遠き記憶の彼方、塵芥のように霞んで沈んだ記憶の残滓。もはや肉球で掴むことすらできなくなったほど過去の、幻影さ』
言っている意味が分からない。
おそらく、匂わせるような何の意味もない言葉を羅列して、誤魔化そうとしているのだ。
その証拠に、肉球の表面には薄らとした汗が滲んでいた。
ゲーム。マンガ。
おそらく、それは――転生者たちがいた地でも限られた者しか閲覧することのできない、世界の秘密。神々の物語を模倣する神秘の書。禁じられた知識……他人に語ることを禁じられたアイテム。
秘匿されし特殊な魔導書なのだろう。
『ま――まあ、どうだっていいじゃないか? それより今は、君自身の身を心配したらどうだい? もう、反動で限界なんだろう?』
その通りだ。
けれど、やっと。
やっと全てを知る魔猫を発見したのに……っ、これで楽園を取り戻せるはずなのに――と、リールラケーはそう叫んで、自慢の髪を掻きむしりたくなっていた。
『私は君を滅ぼす。その前に、何か言いたいことはないかい? 最後の情けだ、死ぬ前に残しておきたい言葉ぐらいは聞いてあげるよ』
追い詰められる女からの返答はでない。
ただ茫然と、地を見つめている。
彼女には分からなかったのだ。
何を言ったらいいか分からない。
どうすれば助かるのか、道が見つからない。
地を這う女は考える。
ああ、殺されるのだ。
消されるのだ。
滅ぼされるのだ。
楽園の住人は死ねば、あの冥府の王に魂を封印される。蘇生魔術も通用しなくなる。
だから、何百年と時間をかけて、あの冥府と奈落の王を滅ぼす筈だったのに。
あと一歩で、全ての魂を解放できたはずなのに。
どこで間違えた。
どこで失敗した。
無限の可能性を覗く未来視にはこんな未来、一度たりとも映らなかった。
思い浮かぶのは――黒い魔猫の微笑。
今、目の前で悠然と佇む憎悪の魔性。
大魔帝ケトス。
気まぐれな猫の悪戯。
――全てを都合よく書き換える程の幸運。この魔猫が、あたしの運命まで書き換えた……っ!?
女神の瞳には見えていた。
運命を操る程の幸運。
幸福を招くネコとしての種族特性――魔力を伴った強運。
運命改変能力。
それこそが、この化け物のもっとも恐ろしい能力だ。
それは単純だが、とても強力な力だ。
類まれなる幸運値を縦横無尽に行使し――他人の幸運さえ都合よく塗り替え、時には救い、時には殺し。
魔猫は自由気ままに生き続ける。
おそらく。
どんな手段を用いても。どんな奇跡が起こったとしても――魔猫の幸運に運命を塗り替えられてしまうだろう。
全てが無駄なのだ。
――だから。
――あたしはどう足掻いても、助からない。
ああ、滅びるのだと女は悟った。
無自覚に未来を操り。
全てを自分に都合よく導く、運命改変能力者に勝てるはずがない――と。




