滅びし楽園の女神 ~原初の神々・前編~
ガイランの街と魔王様の兄レイヴァンお兄さんの無事を確認した私。
大魔帝ケトスは意識を現実へと戻し――スゥっと冷めた瞳で黒幕を見た。
人間の女性魔術師に化けている、古き神々の一人。
古き神々とは、かつて魔王様も住んでいた世界――楽園と呼ばれる地に住んでいた神々のこと。
そして。
人間に魔術を授けた魔王様を追放した、とても愚かな連中だ。
私やモフモフ仲間のおかげで、ギャグみたいになっていたが。
もし、私とその関係者ではなかったら。
血塗られた惨劇と最期を迎えていた筈だ。
外道はそのまま計画を果たしていたのだろう。
それはとてもイケないことだ。
面白くないことだ。
だから私は――狩りをしよう。
あの方に与えられた爪と、牙で――その喉笛を引き千切り、罪に見合う罰を与えよう。
魔力が、膨れ上がっていく。
憎悪が、世界を揺らし始める。
古き神々だろうと、関係ない。
たとえ私より前に顕現した、由緒ある神であろうと許しはしない。
私が刈り取り、掃除をしよう。
私と、私の魔王様の平穏を脅かすものに――存在する価値など、ないのだから。
ここ。
キリっとした私の超カッコウイイ――ドヤ猫ポイントである。
◇
魔術照明で照らされた紫色の実験室。
女に騙され、人の道を外れた者たちの末路が浮かぶ暗き部屋の中。
自動相槌モードを解除した私は、ぎしりと女を睨む。
ぶわっと空気を裂くように魔力を纏い。
魔性の証たる紅き瞳をゆったりと――絞ったのだ。
『さて――戯言はそろそろいいだろう? 本題に入ろうじゃないか』
「あら、このあたしとやろうっていうのかしら? あの男の子飼いに過ぎない猫魔獣風情が――随分と生意気じゃない」
メシリ、メシリとその身を変貌させながら女は言う。
「いいわよ、いらっしゃい? この格好も疲れちゃったんですもの。もう、頃合いですものね――旧身脱皮。おいでなさい、果実銜えし蛇神よ」
その言葉自体が古代魔術となっていたのだろう。
淡い光と共に、魔術が発動しはじめる。
女の造形が、崩れ落ちていく最中。
実験室の床に血文字で刻まれた魔法陣の周りには、多数の大蛇が顕現――複雑な魔術文字を刻み始める。
見た事のない魔術文字である。
それを目にして眉を跳ねさせたのは、私の連れの幼女シャーマン・コプティヌスくん。
「蛇の眷属、召喚魔術じゃと?」
『眷族召喚と連動し発生している魔術式が見えるだろう? 蛇神による魔術補助さ。ようするに。足りない力を眷族の力を利用することで補っているんだよ』
解説する私の方をぎしりと瞳に捉え、女が自分に酔った様な声を上げる。
「さあ、宴の始まりよ――始原顕現。魂魄転身! ふふ、あたしの虜となりなさい」
なんか意味の分からん言葉と共に、彼女の頭上から光の輪が下ってくる。
それは蛇が紡ぐ、蛇の力によって繋がれた異質な変則魔法陣だったのだろう。蛇の魔術輪を潜った女の皮膚が更に変貌していく。
私の猫の瞳は驚愕に見開いていた。
その理由は単純。
うっわ……これ、魔法少女の変身的な……アレか。
正直、二十歳を越えているだろう成人女性の見た目の神が、こんな変身するのって。
きつい……ビジュアルがどれだけ美貌を放っていても、きつい……。
えぇ……コレと戦うの?
やだなぁ……。
と、ドンびいていたからである。
ネコちゃんの、うわぁ……な視線を知らずに。
脱皮するように、デリーカだった者の肌の下から現れたのは――。
ルネサンス期の絵画を彷彿とさせる神秘的な女神だった。
溶ける衣服に肌は露出していき、無駄に良いスタイルをこれ見よがしに見せつけて――女は微笑する。
銜えていた蛇のパイプタバコも大蛇となって顕現。
ずしりと太い胴体で女の肉体に絡み付き……。
まるで妖艶な肉体をより際立たせるような肉のドレスとなって、ずずず……ずずず……と、這いまわり始めた。
おそらく。
このパイプタバコだった蛇こそが、眷族蛇を従えるボスなのだろう。
蛇を眺めていた私の視線を勘違いしたのか。
女はふふんと私の瞳に割り込んでくる。
「あら、うふふふ。あなたもオスなのね――見惚れて声も出せないようじゃない。子猫ちゃん」
ちがうって。
シリアスな場面じゃなかったら、その頬にネコキックの肉球がめり込んでいた事だろう。
ともあれ――古き女神は降臨した。
輝く豊満な胸。
美の黄金比ともいえる女神の肉体。
裸体に近い薄布しか纏わぬ白い肌を卑猥に這うのは――知恵ある狡猾そうな蛇神。
この蛇もおそらく……名のある眷族なのだろうが――。
じぃぃぃっぃいいいいぃぃぃい。
オバちゃんの魔法少女的な変身に使われて……かわいそう……。
そんな。
心からの同情に気が付いたのだろう……蛇神は、裂けた口をぷるぷるとさせて、ほっといてくれと目線を逸らしている。
あ、やっぱり恥ずかしいんだ。
裏で行われていた、ニャンコと蛇さんの動物的なやりとりを知らず。
シャープな印象のある冷たい美貌を、ふふんとつり上げて――女は勿体ぶったように嗤っていた。
とりあえず。
オバちゃんのショータイムには興味がないので、話題も逸らしたいしと私は口を開く。
『なるほど、それが君の真の姿というわけか』
「この姿になるのは久しぶりね。こんな姿でごめんなさいね――あたし、服って嫌いなの。でもこの蛇と髪で隠れているから問題ないでしょう?」
瞳と唇を濡らしながら言って。
蛇にずっしりと肉体を預け……気怠く、しな垂れかかっている女。
豊満な肉体が、ぬらりとした蛇の鱗の上で肉感的な魅力を放っている。
まあ、人間のオスやレイヴァンお兄さんだったら、騙されていたかもね。
濡れた赤い舌を覗かせて、その唇が動きだした。
「さあ、頭を垂れなさい。そして自らの幸福を祝いなさい。いいわよ、少しの間なら待ってあげる――ほら、傅きなさいな。だってあなたたちは、このあたしの本当の姿を見る事ができたのだから。ねえ、とても幸せでしょう?」
たしかに。
まあ見る人によってはある種の欲求を刺激され、それだけで平伏してしまうのだろうが……。
幼女と黒猫の前で、そんな美を司る女神アピールをされても。
ねえ?
案の定、ちびっこシャーマンは私の後ろにズズズと隠れて……うわ、きっつ……と、本気でドン引いている。
そして――本音をぼそり。
「うわぁ……なんじゃこれは……、無駄にでかい乳房を晒しおって。スイカであるか? メロンであるか? ほとんどスッポンポンではないか、恥ずかしくないのかのぅ……」
『いや……まあ古の神ってけっこう、こういう人、多いよ?』
一応、シリアスな空気を優先してフォローする私。偉いね?
しかし、幼女にそういう感覚はないのか。
「分かったぞ――! こやつ、痴女か? 痴女じゃな! 痴女の神であるのじゃな!?」
無垢なる幼女の包み隠さぬ本音が聞こえたのだろう。
妖艶に纏う蛇さんが、ビシっと固まり――変貌する女神のこめかみにもビシっと青筋が浮かんでいる。
「なーっはっはっは! 妾は正体を看破したのじゃ! さすがはコプティヌス! 永遠なる死の皇子に仕えし巫女じゃ!」
言っちゃったよ、空気を止まずに、突っ込んじゃったよ。
まあ――私も思わず、砂をかける仕草をしちゃったしなあ。
あ……痴女おばさん。
聞こえなかったことにするようだ。
「我が名はリールラケー。頭が高いわよ? 平伏しなさい、あなた達は今――かつて楽園で始まりの男と呼ばれた者と番であった者。全ての淫魔の母にして、全ての魅了と扇動を操りし種の始祖。リリスを司りし原初の神の前に居るのですから」
いかにも、上から人を見下す女神ボイスである。
その言葉は尊大で冷徹。
漂う魔力の波動も相まって、それなりに栄えていた。
おー、なんとか偉大っぽい空気を取り戻すことに成功したようだ。
敵ながら、やるなあ。
幼女シャーマン・コプティヌスくんが、眉をひん曲げて。
分からぬ単語の群れに怪訝そうな顔をしてみせる。
「始祖、リリス? オリジン? それに……なんじゃ、この禍々しくも悍ましき魔力は……っ、こやつ、強さという基準では測れぬ妖しき力を感じる! 注意せよ、ただの痴女ではないぞ! スーパーな痴女じゃ!」
完全にシリアスに戻った!
の、かなぁ……?
それでも私はシリアスを維持しようと、猫ヒゲをくねらせ――ぶにゃんと咳払い。
『ふむ……リリスの力にオリジン。なるほどね――その単語には覚えがある。遠き異界の創成神話か。君の正体が少しは理解できたよ』
焦る幼女とは対照的に、私はクールキャットのまま。
底が見えてきた相手を見据え、冷徹な猫微笑を送ってやる。
双方のにらみ合いが始まるかと思いきや!
幼女がくいくいと私の尻尾を掴んで言う。
「のうのう、オリジンとはなんじゃ? リリスとはなんじゃ? おぬしはこの破廉恥なオバちゃんを知っておるのか?」
「オバ……っ!?」
幼女、渾身の無垢なる追撃である。
ま、まあ……裸婦が掛かれた芸術作品って、子どもの頃に見るとなぜか笑いの種にされがちだし仕方ないか。
乗った方が面白そうなので、私はニヒィと内心で猫笑い。
『ああ、古き神々の正体はともかく――このオバちゃんの正体。力の源なら、もうだいたい掴めたよ』
「まさか――あなたごときが原初を知る筈も無いわ。知ったかぶりはおやめなさい、後で恥を掻くわよ」
女は新たに顕現させた蛇のパイプを銜えて、べろり。
煙を妖しく吐き出し、酩酊した淫売婦のように……ただゆったりと、消えていく煙を蛇の瞳で追う。
『――夢魔や淫魔。リリムやサキュバス。そして他者を瞳や吸血行為で魅了する不死者、ヴァンパイアレディ。彼女達の元となった神――それがリリスさ』
鋭く指摘する私に――女の空気が明らかに変わった。
吹いていた煙を追う目を尖らせて。
魔力を高めながら、告げる。
「あなた……何者? どうして我等ですら断片的にしか知らぬ異神を知っているの」
それには敢えて答えず。
私はコプティヌスくんに言う。
『夢魔や淫魔。吸血鬼。眷族化能力を有する彼らに伝わる、長しえの真祖。オリジン・ヴァンパイアと呼ばれるスキルがある事は知っているかい?』
ふふーんと、無い胸を張って幼女は言う。
「馬鹿にするでない! むろん――知っておるぞ! 魅了能力の頂点に存在するスキルであろう? なんでも、肉体的接触や体液の接触すら必要なく、目が合っただけで……相手を眷族化できるスキル――じゃったかな? 魅了現象を生み出した元となる神の力を借りた、強力無比な邪術じゃと聞いたことがある」
ふと、口元にぷっくらとした手を当てて彼女は続ける。
「じゃが……、所詮は机上の空論とよばれる未発動スキル。存在はするが誰も使えぬ。行使できる者の逸話は少なくとも魔導書には残されておらぬ、名前だけが残された幻の技術と聞いておる。実際、この世界やダンジョンの最奥に住まう上位の夢魔とてその領域には届かんのじゃろ?」
さすがは強大な魔術師の一人。
幼女なのに、魔導や魔物に限っては博識である。
『そうだね。ではなぜその領域に届かないのか――その理由が大事なのさ』
うにゅっと猫の身体を伸ばして、肉球で空間歪曲。
ホワイトボードっぽい魔道具を顕現させ、キュキュっと魔導マジックペンでカキカキカキ。
『領域に届かない理由は単純さ。世代が離れすぎているからなんだよ――』
ネズミ算式の図説みたいなモノを描いて、説明を続ける。
『彼等、吸血鬼や淫魔たちは他者を自らの血や魔力で汚染し眷属化――同種の力を持つ配下数を増やしている。彼らにとっての、まあ子作りのようなモノだね。ここまではいいかい?』
「まあのう」
同族化と眷族化は、まあ一般的な知識として人々には伝わっている。
親ネズミの下に、線を引いて――子ネズミをカキカキカキ。
さらに子ネズミの下に線を引いて、孫ネズミをカキカキカキ。
『汚染されて眷族と化した被害者が今度は親となり、次の犠牲者を襲う。眷族による更なる眷属化――。子が子を作り出す事を世代が進むと認識しておくれ。彼らは、世代が先に進めば進むほど、一番強力であったとされる始祖の存在から離れて行ってしまう。血が薄れていくようなモノと思えばいい』
モフ耳をぴょこぴょこさせながら、ネズミを描く私だが。
ネズミにしたのは失敗だったか。
ぶにゃーんと、ネズミさんを見る瞳がギンギラギンになりかけてしまう。
おっと、いかんいかん。
んー、他人に説明するのって意外に難しいなあ。
「読めてきたぞ! つまり世代が進むほど元となった力が薄れていくわけじゃな」
『その通り! いやあ、心配だったけどさすがだねえ。故に世代を経る事に力も弱くなっていき、長しえの真祖の魔術を発動できなくなっていく』
私はネズミ算式の図説。
その頂上の親ネズミに赤マルをつけるべく、うにょーっと猫の後ろ足を伸ばして。
てい! てい!
……届かないので、魔術でカキカキカキ。
『原初の力を求めた子供たち。夢魔リリムやヴァンパイアレディ達が自分たちの始まりの力を求めて、魔導や技術で補おうとした結果――生まれたスキルや能力が、吸血や姦淫による眷族化。人間が扱いやすい火炎弾といった初級魔術を生み出したように、彼等も吸血や肉体による魅了を生み出した。ようは長しえの真祖の劣化コピーなわけさ。始原の世代――つまり他者を魅了する邪神の始まりとなった者の強大な力を直接操ることが出来ないから、簡易儀式として自らの血を辿り眷族化の能力を小出しに引き出す。そうやって長しえの真祖の魅了能力を僅かながらに維持しているわけだね』
今でも真祖の力を使える者は何人かいる。たまに血が上手く適合した、先祖帰りみたいな個体も生まれることがあるのだ。
まあ、この辺は幼女に語っても仕方がないので割愛して。
「しかし、それは分かったが。言いたいことがよくわからんのう。それが今回の件と何の関係があるというのじゃ」
まあ、普通はそうなるよね。
クイクイっと架空の眼鏡を動かして、私はネコちゃん先生モードで言う。
『では眷族化のスキルは誰を模倣し、誰を元にし力を引き出しているのか。答えが見えてきただろう。同意を伴わない強制眷族化能力、長しえの真祖――。他者を巧みに操る魅了現象の元となった権能を持つ者こそが原初の存在。つまり、大元となった一番上の親ネズミだね――あくまでもこの世界やここと隣接する異世界限定での話だが、眷族化の起源がいま目の前にいる――コレなのさ』
と、私は目の前の蛇さんと女神さんをちらり。
コプティヌスくんは汚物を見る顔で、じぃぃぃっとオバちゃんを見て。
くわっとまんまるおめめを見開いた。
「なんと!? では、この痴女神。めちゃくちゃ大物なのではないか!?」
『まあ、一応ね』
この世界で使われる魔術の大元が……魔王様であったように。
楽園には様々な始まりの者がいたのだと思う。
物事には必ず始まりがあるのだから。
ともあれ。
ようやく解説を終えた私は蛇を巻き付ける女神をちらり。
時間は僅か。
間に合ったか。
幼女がシリアスな空気をぶち壊す前に。
キリリと女を睨んだのだ。
『さて――そんなわけで。リールラケーくんだっけ? 私は君の力の源を知っている。人類最初の男であったとされるアノ男の最初の妻となった大淫婦、堕ちた聖母リリスの流れと神性を取り込んだんだね。きっと、異神の力を取り入れようと、君はその逸話を模倣した。伝承によるリリスの逸話――楽園を追放されたその身は多数の強者と交わり、乱れ――夢魔となる無数の子を産んだ。現在、悪魔や不死者の種族の一つとなっている夢魔や淫魔、吸血鬼達をね。魅了による眷属化の元となった母神、それが君だ』
一度、言葉を切り。
ちょっと格好よく、私は言う。
『楽園に住まう古き神々。力を求め異神を模倣する者達、すなわち――原初の神。どうだい? 私の推察は当たっているだろうか』
眉を跳ねさせ女は感嘆とした息をはく。
「へえ、すごいじゃない。少し違うけれど、大筋では合っている……失われた神話大系も、あたしの情報も知っているのね。見くびっていたけれど、凄いわ」
蛇の瞳をギロリと蠢かせ。
鑑定の魔術で私の表面上のデータを盗み見て、彼女は唇を舌で濡らす。
「おそらくその類まれなる幸運値が味方をして、推察の精度を高めているのでしょうけれど。どれほどに運が良くても、何も知らない状況では正解を手繰り寄せることはできない。つまり――うふ、うふふふふ。悪いわね、あたしも大魔帝ケトスの正体が読めたわ」
女は存外に淡々と告げた。
「あなた――転生者ね」
『さあ、どうだろうか』
その答えで、正解だと確信したのだろう。
「そう。あなただったのね……我等はずっと探し求めていたわ――あなたこそが、失われし異神を知りたる獣だったなんて。驚いたわ」
まあ確かに。
異界の神の逸話が力となるのなら。異神に詳しい私は――彼らにとっての、力の鍵。
重要な存在に位置付けられているのだろう。
「消してしまおうかと思っていたけれど、気が変わったわ。思わぬ拾いモノね――遠き世界の逸話を知る魔猫。我等も知らぬ伝承を有する大魔族。それは必ずや我等、古き神の力となるでしょう。いいわ、あなた――あたしのモノになりなさいな」
本当に感心したように、女は静かに甘い吐息を漏らし。
紫色の魔力を滾らせ、地に這う魔法陣から髑髏の宝玉を浮かべて見せる。
「始原――解放。さあ、あなたはもう、あたしの所有物よ」
大蛇を纏わせるその身をくねらせ、淫らな仕草で骸骨を撫でて――。
女は魔術を発動させようとした。