鎮魂 ―死者たちの望み・前編―
隠し通路の先の古戦場。植物だけの街と化した廃墟の墓場を更に抜けた先。
ここには闇が待っていた。
暗闇でも見通せる私の視界に映るのは。
捕虜収容所、か。
……。
これは――少し、いやだいぶ刺激が強すぎる。
確実に魂を穢してしまう。
モフモフな耳毛が邪気にあてられてぶわっと膨らむ。
魔猫としての私が、ここの瘴気を歓喜しているのだ。
それほどに、危険な場所だという事である。
無惨に転がる溶けた遺骸。古槍が刺さったままに蠢くグール。
焼け爛れた石壁には、爪で掻かれた古傷が無数に浮かんでいる。
捕虜となった者を繋いでいたのだろうか、今もなお、鋼鉄の鎖の輪だけが朽ちた地面に転がっていた。
骨さえ崩れるほどの時、か。
魔女のもつ過去視の献花灰が再び映像を映し出した。
少年が、呆然と立ち尽くしたまま。
薄らと、無表情のままに涙を一筋零していた。
その手にあったのは、魔術的な祝福が施された治療薬。
しかし。
呆然としたまま泣いているということは……。
間に合わなかったと考えるのが、妥当か。
こんな悲しい過去の景色なのに。
魔族としての私の体内は憎悪のエネルギーで充実していた。
私はやはりもはや人間ではなく、魔族なのだろうと思う。
瞳を伏して。
私はいつもの空気の読めない猫に戻ることにした。
ぶわっほぶわっほと膨らむ尻尾と一緒にくるりと振り返り、私は言った。
『魔女の娘よ、君はいいが。そちらの受付娘、君は戻った方が良いかもしれないね』
「なんであたしは駄目なんですか」
どうしてわたしは平気なのよ、というジト目が別方向から睨んでいるが、まあ気にしない。
『魔女や歴戦の冒険者ならばこういうモノに慣れているだろうが、あまり見過ぎると心を病む』
「大丈夫ですう、もう気に掛けてくれるのは嬉しいですけどお。これでももう十六歳なんですよお? お嫁にだっていける年なんですよ、もう! 猫ちゃんは心配性なんだからあ!」
おーい、せっかく私がシリアスやってるんだから、空気よめえ。
ヒゲをちょっとぴくぴくさせて、私はシリアスを継続する。
『人間の心もね、チーズと同じなのさ。嫌なものに中り続けると鮮度が落ちる、気付かないうちに……ゆっくりとね』
「もう、格好つけてそれっぽい事言ったって駄目ですよお。あたしだって、店長のために少しでも頑張らないといけないんですからあ。いきますったら、いきますぅ!」
もうもうもうの嵐。こんなんだから心配なのだが。どうしたものか、私が力を使うとやりすぎる傾向にあるし。
しっぽがビタンビタンと地を叩く。
私はちらりと魔女マチルダに目をやった。
目配せを察した彼女はこっそりとステッキを振り。
「力よ。大魔帝ケトスの御名の下、顕現せよ。我、汝を一時の惰眠に誘う者也――怠惰な眠りを貪りなさい」
受付娘をグースカピースカ、眠り状態に陥らせることに成功した。
私の力を媒介とした睡眠魔術のようだ。
たった少しの同行で私の力を魔術として引き出せるところをみると、彼女は人間としては天才の部類に入るのではないだろうか。
『君はずいぶんと気が利くね。私の意図するところがよく分かったじゃないか』
「それはまあ、わたしも同じことを考えていましたし。これはちょっとトラウマになる人もでるでしょうしね」
魔女の目線にあるのは吊られたままになっているナニか。
拷問の痕を残す白骨遺体だろうか。
空洞となった髑髏の眼球が、恨めしそうにこちらを眺めている。
憎悪の声が聞こえた。
これは過去視の献花灰ではなく、現実に今、聞こえている声だ。
――おねがいだ、ころしてくれ、こんなこと、したやつらを、ぜんぶ、ころしてくれ。
骨の腕が助けを求めるように、もがいていた。
しかし。
私の取り巻く憎悪と怨嗟の力を目にしたからだろう。
朽ちた腕が止まり。
空洞の瞳から、魔力を伴った雫が零れた。
――ああ、あなたは……!
躯が、私を眺めて穏やかになっていく。
――魔帝ケトス。荒れ狂う殺戮の魔猫……あなたこそがこのせかいでもっとも邪悪な、魔……ああ。やっと……きて、くれた……。
やっと。
やっとと歓喜を噛み締めるように繰り返し。
――われらの呪いを……どうか……どうか。
突如。
がくり、と。
骨が動かなくなった。
カランカラン……。
遺骨が、地に転がり……その役目を終えたのだ。
これも、私をこの地に引き寄せた憎悪の一部だろう。
もはやアンデッド化はしていない。本人は今、私の姿を確認し満足して成仏したようだ。
この惨劇を齎した人間を私に滅ぼして欲しかったのだろうか。
それが、この地に眠る彼らの目的。
私は肉球を鳴らし、その戒められた遺骨と鎖を塵へと帰した。
魔女マチルダが、静かに瞳を伏す。
その事には触れず、私は魔女に口と髯を曲げて言った。
『それにしても私の力を使った魔術なのに、怠惰とか惰眠とか貪るとか、術の構成がエレガントじゃないね。もっとこうさ、輝かし美貌の、とか、久遠に靡くとか、そういうゴージャス詠唱な術にしてくれればいいのにさあ』
「ケトス様、あの……あなたご自分がどういう目で見られているとかお考えになった事あります?」
『まあ可愛いのは確かだね!』
「それはまあ、否定しませんけど……ケトス様、たぶん冒険譚に登場してもネタ枠ですよ」
さて、話題を変えよう。
実際。
ここは少しシリアスをしないといけない場面なのだから。
私は今のメンバーに目をやった。魔女マチルダに眠る受付娘、それと少数のギルド冒険者達。
暗黒三兄弟はわりと元気に周囲の偵察を行っている。
あ、そこそこ強い中級死霊を一撃で倒してるし……。
手のひらに乗せた魔導書を魔力でパラパラーって開きながら、なんかいい感じの魔術発動してるし。守護敵として配置されていた自動石人形の魔術構成をいじくって仲間と認識させるように書き換えてるし。
……このギルドって変人なほど強い奴が揃っているのか。
まあ。
待機組の分が減っているとはいえ、全員を守るのはちと面倒だ。
『精神汚染に耐性をもつ者以外は後退を、受付娘をギルマスのところに連れて行き、待機がいいかな』
「汚染耐性はどれくらいを要求されそうなのかしら」
『そうだね……』
試しに私が不意打ちで、憎悪と怨嗟の幻影をほんの少し周囲にバラ撒くと。
あ、魔女と暗黒三兄弟以外全員倒れた。
何人かは倒れながらも膝をついて耐えているが。
人間。百年の間にこういう耐性低くなってるよなあ。まあ平和が続いているという事なのだろうが。
その中で平常心を保っているのはやはり、それなりの修羅場をくぐってきたという事なのだろう。
「どうやら、わたしと数人以外は駄目なようね。もう最近の子はだらしないんだから」
『魔女という職業のおかげか、それとも年の功……か』
「言っておきますけど。大魔帝ケトス様といえど歳の事をネタにしたらわたし、本気で怒りますからね」
実に女性らしい言葉である。
『冗談だ。じゃあ先を急ごうか、ボサボサしているうちに何も知らないロックウェル卿が攻め込んで来たら街は壊滅してしまう』
待機するギルドメンバー達に受付娘を任せ、私と魔女と暗黒三兄弟は昏く狭い道を進んだ。
最初に比べるとメンバーは大きく減っている。
けれど。
その方が良いのだろうと私は思う。
何も知らない者は見るべきではないし。
私の絶望の波動に耐えられない程度の精神力のモノが見たらきっと、心を壊してしまう。
それに。
ここで恨み持ち死んだ彼らも、自らの遺骸を人間に見られたくなどないのだろうから。
これは、おそらく。
今、この地に住む人間の先祖が起こした凶行なのだ。
私たちは更に奥。
捕虜収容所と思われる施設に足を踏み入れた。
◇
魔力照明を付与したカンテラを片手に、一同は昏く寒い道を歩いた。
土の壁ではあるが、ここが彷彿とさせるのはまるで精神病棟。
外からしか鍵はなく。
狭い個室が無数に並んでいる。
牢獄か?
封印が施されている。
魔女が文字を読み解いた。
「我が同胞の祈りを妨げる者に、報いを――結界ね。それもかなり強力な。きっとあの子供が張ったものだわ、魔力がそっくりだもの」
かわいそうだけど壊すしかないか、と。
彼女はステッキをぎゅっと握るが。
それより先に私が肉球を鳴らす。
申し訳ないが、こんな結界、魔に属する私にはスライスハムの薄さよりなんちゃらだ。
封印にしかけられた自動迎撃石人形が壁から飛び出してくるが。
それもまた。
私が爪の先に宿した業火の焔で塵へと返す。
後ろに続く暗黒三兄弟達が自らの武器を眺め、複雑な表情で頬を掻く。
魔女マチルダが冷静な口調で呟いた。
「ここの先住人種はどうやら随分と酷い扱いを受けたようね。いまだに漂う負の感情だけで爵位クラスの悪魔召喚だってできそうだわ」
魔女のカンテラが黒く染まった壁を照らす。
壁に刻まれた無数の生爪の掻き傷に、同行している呪術師がうっと顔を背けた。
『そのようだね。ここは、異常だ』
「酷いことするわね、次元をずらして隠れ住んでいたから何をしても世間からは気付かれない――それが仇になったみたいね」
魔女が恐慌状態に陥りかけた仲間に精神防御の術を施しながら言う。
私が使えばバーサーカー状態になってしまうが、たしかに彼女が使えばちょうどいいか。
んーむ、これくらい便利な部下が魔族にもいてくれればいいのに。
私が言うのもなんだが。
あいつら基本、脳筋だからなあ……。
『ここは我々魔に生きる者にとって住みよい環境が整いすぎている。作為を感じる程にね。あまり長居はしない方が良いだろう』
周囲を見渡し。魔を引き寄せる魔術的装置を探すが、見つからない。
この辺にあるのは確かなのだが。
あちらは……。
「医術師がつかう、カルテ……かしら」
『魔術薬の実験場かな』
被検体A。被検体B。被検体。被検体。被検体……。
それぞれに投薬の痕跡を残す異形に歪んだグールがのたうっている。憎悪のままに死霊化した不死者が、今も尚、何かを願い徘徊しているのだ。
召喚の儀式か。
私を引き寄せた、なにか。
それが、怨嗟によってこの地に縛り付けられた死霊たちによる召喚儀式だとしたら、つじつまは合う。
ここは鉱山なんかじゃない。
採掘できなくなったから廃坑となったのではない。
ここにいた先住種族を使った人体実験場。その跡地だ。
戦争で捕虜として掴まえた敵を、黒い目的で何かに使ったのだろう。
人間は、隠したのだ。
ここを。
人間の負の一面である残酷な宴が行われた恐ろしく醜悪な場所を、隠匿したかったのだろう。
これが魔を引き寄せていたのだろうか。
もし人間であった私が目にしたら、転生したばかりの私が見ていたのなら、おそらく卒倒していたはずだ。
けれど。
今はもう。心は冷静にそれを見ていた。
やはり私はもう、人としての何かが欠けているのだと思う。
それが残念なのかどうかは、私にも分からなかった。
とりあえず、儀式を繰り返している彼らに話をしてみるしかないか。
私は亡者の列に向かい声をかけた。
『やあ君たち、私を呼んだのは君たちだね?』
――あぁ……ぁ、ぁ……。
返事はない。
円の中を這いずり、ただひたすらに。
呪いの言葉による召喚の儀式を延々と繰り返している。
無視されるのが嫌いな猫様な私としては、ちょっぴりプライドと心が痛むが。
そんな事を気にしている場面ではないか。
ふむ。
『魔術で消し去るのではなく穏やかに眠らせてやりたい。この中で浄化の奇跡を使えるものはいるかい?』
「と、言われてもねえ。魔女のわたしには無理だし、あとは……あぁ……みんなこっちよりの職業じゃない」
こちらもまた返事はない。
残っているメンバーは魔女と狂戦士と暗黒騎士、そして呪術師……。いわゆるカオスサイドのクラスばかりである。まあ、精神汚染に耐性をもっている職業で浄化の奇跡を使えるものなど、そうそういないか。
神に祈るのなんてまっぴらごめんだが。
『仕方がない、私がやろう』
「え……!?」
『なんだい、その貌は』
「だって……ケトス様が浄化の術って、イメージとかけ離れていますし」
神の祝福はヤキトリ姫が使っていたから、なんとなく魔力の流れも術の構成も把握できる。
これもまた自慢だが、私ほどの魔力と憎悪があれば「なんとなく」で術の効果は発動させることができるだろう。
手をかざし。
私は恨み持つ彼らの仲間として、語りかけた。
『我はケトス。汝らの憎悪に惹かれ訪れた大魔帝なり』
印を結び、八重の魔法陣を無数とも呼べる数にまで増幅させていく。
『亡者よ、我が言葉に耳を傾けよ――主よ、我は迷える魂に救いを与える者也。この世を恨み、憎悪せし哀れな魂よ。我の導きに従い眠りたまえ』
死霊魔術で亡者とのコンタクトを図り、神の祝福に耳を傾けさせる。
これもヤキトリ姫が行っていた聖と魔による多重魔術の応用だ。
私は――。
心の底から、彼らの眠りを願った。
もう、疲れただろう。
と。
亡者が一斉に、こちらを向いた。




