移動要塞ゴエティア編 ~猫は滅びの夢を見る・後編~
敵と味方。
共に紅き瞳が輝く闇夜。
移動要塞ゴエティアを強制ダンジョン化させ、内部構造を把握しようと魔力を操るのは――この私。
大魔帝ケトスこと素敵ニャンコな猫魔獣。
荒ぶる魔力の波動が大地を抉り。
周囲を揺らす魔風が砂塵を巻き起こす。
魔術の発動だけで、天変地異に近い現象が起こり始めている理由は単純。
ちょっと、イラっとしているのだ。
現在、愚かにも我に敵対する種族。
蟲人ローカスターが、人質を取るだなんてクソ生意気な事をしてくれちゃったので、まあプンプン。
膨らむモフ尻尾がぶんぶんぶん。
ブスっと三角に尖る猫目には、わりとマジで本気の殺意が浮かんでいる。
ぶっ潰してやるにゃ!
と、滾る感情を爆発させる前に――私は優雅に魔術を発動!
『照らせ、汝らの証を――』
肉球で空を薙ぎ――魔竜の鱗を媒介に儀式魔術を発動。
魔法陣を展開する。
チップ状になった魔竜の鱗が、青い輝きを放出しながら飛んでいく。
蒼き輝きの終焉。
青く輝いた鱗が消失した、次の瞬間――。
空一面に広がったのは、冒険者証にも似たプレートの壁。
そこには、要塞内に捕らえられている人間のデータが刻まれていて――。
一目でとんでもない規模の情報魔術だと分かったのだろう。
魔王様の兄。
なんだかんだで人間を助ける手伝いをしてくれるツンデレ魔族、レイヴァンお兄さんが銜えていたタバコを零し、声を漏らす。
「移動要塞をダンジョン領域に強制変換して支配権を乗っ取ったのか……っ! それにこれは――中の人間どものデータだな……顔や名前、詳細なステータス情報まで表示するって、どんな魔術を使ってやがるんだ」
『私はダンジョン猫。迷宮魔術に関しては誰にも負けるつもりはないよ』
いつもならもっと。
もぉぉおぉぉぉぉっとドヤ顔で告げていたのだろうが。
私の瞳は冷えたまま、ただ静かに人質の鎖を掴む蟲人の瞳を睨み続けている。
蟲人と目が合ったので。
くわっ!
と、牙を剥き出しに威嚇してやる。
「ギギギ、ギルリュリュー……」
猫睨みにビビって、存在を消滅させてやんの。
ぷぷぷー!
ムシ、雑魚過ぎるんですけどー!
あ、せっかく一人、人質を解放したのにすぐに別のローカスターに捕まっちゃった。
イーライライライラ!
「おいおい、そのままぶっ飛ばすなよ……。で、先に人質を全員魔術で転移させちまうか? おまえさんのレベルならそれくらいはできるんだろ」
『そりゃできるけど――蟲人の数も人質の数も多すぎて、オススメできないね』
「あー、たしかに移す広い場所がねえわな」
唸るお兄さんに、ネコ肩を竦めて見せて私は言う。
『それもあるけど。問題はもっと別さ。これだけの人数だ、それも鎖に繋がれ敵と密着している――転移した時に、その、なんというか……情報が混ざっちゃう可能性があるんだよね』
いまいち理解ができないといった貌のお兄さんに、魔術映像で例を出しながら続ける。
『こう、なんといったらいいかな~。人間の背中からローカスターの翅が生えちゃったりとか……顔だけが蟲さんになっちゃうとか。ワープさせた瞬間に魂の一部が融合しちゃうんだ。遺伝子……って、言っても分からないか。魔力因子レベルでごちゃごちゃになっちゃうと、分離させるのに時間がかかるんだよ。だからなるべく避けたいんだよね……』
「なるほどな。で? なんでおまえさんはそれを知っている。さてはおまえ、昔、やらかしたな?」
鋭い指摘を受け流して、ふむと私は肉球を顎にあてる。
『しかし、ちょっと人手が足りないね。私が本格的にブチ切れて大暴れする前に、援護といざとなった時に私を止められる誰かを呼ぼうと思うんだけど……』
言った、その瞬間。
ギシリ――、メキメキ――っ、メギギギギギギギ!
と、空が歪に割れて。
モキュモキュモキュとくぐもった声が響き渡る。
先ほど口にした我等が魂の復讐という――私の言葉に釣られて、待機していたのだろう。
『モーキュモッキュキュ! モッキュ、モキュキュッキュキュー!』
黒マナティ――無貌の人魚。
勇者として呼ばれた者のなれのはて、ブレイヴソウル達が次元を割って顕現したのだ。
その数は数百。
蟲人に対して数は少ないが、まあこの子達。
単体でも、魔王軍幹部の魔帝レベルに強いから戦力としては十分か。
満月に照らされた世界を、黒き死霊の渦が覆い隠し始める。
『やあ君達。いい所に来てくれたね。少し、手伝っておくれ』
告げる私に応え、完全戦闘モードで空を舞う黒マナティ。
そこにはいつもの戯れはない。
たぶん、興醒めな人質戦法に、わりとマジでイラっとしている私の感情を察しているのだろう。
――これ。
――とっととなんとかしないと、ケトスさまの怒りで世界、やばくね?
――まだ遊び足りないし、壊されたら困るよね?
みたいな空気を醸しだして……黒マナティ達がひそひそひそと相談している。
世界を憎悪する死霊たち。
彼等に本気で心配される私って、けっこうすごいんじゃなかろうか!
いや、マジで実際すごいんだけどニャ!
黒マナティを従える私を見て、レイヴァンお兄さんはちょっと興奮気味に声を上げる。
「はは、マジかよ。本当に言う事を聞いていやがる、弟ですら浄化できなかったあのブレイヴソウルまで眷族とするとは、洒落になんねえレベルの魔獣だよ。お前さんは――」
『誉め言葉として受け取っておくよ――さて、まずは強化をしよう。戦闘開始の前に支援をしまくるのは基本だよね』
言って、私は周囲に満ちる魔力を制御し支配を広げていく。
垂れ流れる憎悪の魔力。
抑えきれない魔力波動の影響で赤く染まっていくのは、魔力に満ちた月の光。
幸運を左右する天体。
すなわち――月の魔力を支配したのだ。
『月光よ――我等の行く末を照らせ。運命操作魔術・悪戯ネコの幸運輪』
発動された魔術は特大なカードとなって具現化し、紅き月に照らされた大地を回り始める。
カードに刻まれた絵は――運命の輪を操作する黒猫。
幸運判定のスキルや魔術はもちろん。
起こす行動全てに幸運補正が働くようになる、超広範囲の支援大魔術だ。
それらの対象は、人質となった人間達。
「今のは……なんだぁ? おまじない魔術か」
『ま、そんな感じだね。しないよりはしといた方がいいだろう』
「おまえさんにしては、地味な魔術だな」
レイヴァンお兄さんは、さほど幸運強化魔術に重きを置いていないのだろう。
その関心は薄い。
まあ、これが普通の反応なのだ。
幸運値を操作する魔術が軽視されがちなのは、その効果が体感できない程に小さいため。
誤差と言っていい程度の影響しかない。
腕力強化や魔力強化など、目に見えて効果のある支援魔術に比べると地味過ぎるのだ。
それが一般的な評価なのだが。
私――大魔帝で、幸運を司る猫だからね。
ふつうとかいう、じみーなカテゴリーとは真逆にいる素晴らしき猫様なのだ。
今の私の魔術を掛けられた人々は、様々な幸運に導かれる。
宝くじを買ったら、全員が全員。買うたびに、毎回三等以上を引き当ててしまう程の運を一時的に手に入れた。
と、思って貰えばなんとなくその効果の高さを理解して貰えるだろう。
『さて――じゃあ警告だ』
警告が済んだら――私は蹂躙を開始する。
◇
紅き空に浮かぶ、冷たい瞳の黒猫。
その横に集うは――無貌の亡霊たち。
共に、強大な魔と分かる邪悪なる存在だ。
ザァァッァアアアアアアアアアアァァァァアァァッァ!
圧倒的な魔力によるプレッシャーが、支配した紅き月から放たれる。
「ギギギギ?」
「ギギ」
「ギギギギギギィィィィィィ!」
人間達を人質に取っていた蟲人ローカスターが、邪悪なる死霊の顕現に警戒音を発し始める。
が――。
私はただ紅き月を背に抱いたまま。
堂々と胸を張る。
『戯れはなしだ――それじゃあ、開始するよ』
静かに、王者の貫禄をもって下劣な蟲を見下ろす。
『聞こえるかな脆弱なるローカスターの諸君。そして、彼らに進化を与え――大魔帝に逆らった愚かなる存在よ。私はケトス、大魔帝ケトス。麗しき御方、この世で最も尊き御方――魔王様に付き従いし猫魔獣――自己紹介は、それほど必要ないよね? そう、忌々しき勇者を噛み殺した伝説の大魔獣さ』
ローカスターではなく、人間側の方が動揺している。
『さて、ではこちらの要求を提示しよう――愚かなる新種。ローカスター達よ、最初で最後の警告だ。種としての絶滅を迎えたくなければ、我に従え。惨たらしい死を望まぬのなら、人質には手を出さないことだ――私は温厚だが善人じゃない。腹立たしいと思ったら、それなりに八つ当たりをする。面倒な展開になったら、全てを一瞬で終わらせるつもりだ』
言って、私は肉球を鳴らす。
ぷにぷに獣の足先から波紋が広がり――周囲の魂を内側から揺さぶった。
ザザ、ザザザザ……ッ。
精神世界に無理やりに入り込んでいくのは、猫の思念。
それは破壊と消滅の夢。
この大陸ごと移動要塞をロストさせる景色を、この場にいる全員の脳裏に無理やり投影させたのだ。
一人でも人質を殺したら――全員を滅する。
そう、警告したのだ。
『速やかに投降したまえ、私が本格的に荒ぶる前に、本格的に飽きてしまう前に――どうかこの世界のために、私をあまり怒らせないで欲しい』
人質は生きているからこそ意味がある。
もし、いま目の前にいる人質を殺してしまっては意味がないのだ。
それがローカスター達にも分かっているのだろう。
彼らは動揺したまま、人間の鎖を強く握る。
『それで――人質を取ったからには要求があるのだろう? 話せる者はいないのかい? 一応、殺戮の前に交渉と言う形を取ってやってもいいんだが、どうだろうか』
黒幕っぽいヤツがでてきてくれるといいのだが。
まあ。
そうそう出てこないよね。
実際、反応はなかったのだが――。
移動用鳥籠の中。
ケントくんの連れの女性魔術師デリーカくんが、まともに顔を引き攣らせて擦れた声を出す。
「さっきのは、運命介入の禁術!? それに、まさか――こいつらは、ブレイヴソウル……!? っ……、なんで、こんなところに――!」
揺れる鳥籠で、人間が語りだす。
「これが何なのか、知っているのかい、デリーカ?」
「え、ええ……祖国の言い伝えにあったから……」
魔兄レイヴァンが再び、冷めた瞳でそれを眺めていた。
私もそちらに目をやって。
『ケントくん。どうやら事態は最悪なようだ。多少手荒になるだろうが、もしこの戦闘で人質が死しても――その魂さえ残っていれば蘇生は可能だ。むろん、既に魂の在り処は我が肉球の上。蘇生も容易だろう、その点だけは安心して欲しい。もっとも――死ぬ際の苦痛や憎悪がなくなるわけじゃない……あくまでも最終手段として蘇生ができるというだけだ』
「え、ええ……」
そう言われてもどう答えたらいいか分からない、といった様子だ。
まあ、実際いきなりこんなこと言われたのだから仕方がない。
『それで――見て欲しいのは蒼き輝きのプレートに刻まれた冒険者の情報だ。君達のギルドが探している仲間は、この中にいそうかい? この中に居ないのなら、要塞にはいない。他の場所を探さないといけないのだけれど』
ケントくんが空に浮かぶ冒険者プレートもどきを確認し。
こくりと頷く。
やはり囚われている、ということか。
「この中に……います、あの、この灰色になりかけている横棒は……」
『灰色なのは……ちょっとピンチということさ、その横棒は数値化させた残りの生命力。なるほど、急いだほうが良さそうかな、死なせてしまうのは、忍びない』
探す手間が省けたと喜ぶべきかどうかは、微妙な所である。
しかし。
やっぱり移動要塞ごととりあえず全消去して殲滅。後で蘇生って手はできそうにないね……あくまでも倫理的に、という意味でだが。
『なるべく人質を殺させないように対応はしよう。だから、君達も報酬のグルメをちゃんと忘れないで欲しいんだ。たぶん、ここまで面倒な仕事だとやっぱりグルメがありませんでした! なんてなったら、私自身、どうなるか分からない』
「物凄い嫌な予感がするのですが――あの……もし、グルメを提供できなかったら」
ごくりと息を呑み込む音に、膨らむ私のモコモコ耳がぴょこんと揺れる。
『その時は世界が滅びる。それだけだよ』
そう。
グルメなくして、この世界はなし。
こんな面倒な仕事、グルメがなければやってられないのにゃ!
「えーと、ちゃんとご用意はさせてもらいますが……じょうだん、ですよね?」
『残念ながら、本当の事さ。もし君が私を満足させるグルメを提供できなければ――この世界そのものが滅ぶ! なにもかもが無とにゃるのだ!』
クワっと猫の眼を見開いて。
よだれをじゅるり。
これから超がんばるのだ、夢は膨らむばかりである!
『まあ、もし本当に困ってしまうのなら――グルメで有名な西帝国の皇帝さんに全てを正直に話し、相談してみるといい。たぶん、全身を青褪めさせて協力してくれるからね』
「は、はぁ……でも、辺境貴族の放浪息子の話を、聞いてくれますかねえ」
『大丈夫、彼は賢王だ。本当に世界の危機だと直感ですぐに悟るさ』
ものすっごい真剣な表情で言ったから、それらの話が事実だと伝わったのだろう。
ケントくんは、ひっ……と言葉を詰まらせるが――レイヴァンお兄さんはそうではなかったらしく。
「ぶわはははははは! こいつ、マジで言ってやがるし。なあケントよ、こいつおまえさん達がちゃんとしたグルメを提供できなかったら、本当にやらかすぞ、これ!」
レイヴァンお兄さんが、腹を抱えて笑い出したが。
割とマジで、洒落になっていないんだよね。
だって、今回。
何度も繰り返してしまい、申し訳ないのだが。
ちょっと本当に、人質戦法にイラっとしているのだ。
『さて――戯れはこれくらいにして。じゃあちょっと派手にやるから。驚かないでおくれよ』
その言葉を合図に――黒マナティ達が手を揃えて空に呪印を刻み始める。
私もまた、詠唱を開始――。
さあ、準備も万全。警告も完了!
何をするかは、もう決まっているだろう。
我は魔王様の部下。
あの方の志を受け継ぎ預かり、守り抜く魔猫。
あの方が民間人の平穏を望むというのなら――私はそれに従おう。
たとえ、それが――あの方を裏切り、私を殺し続けた憎き人間だとしても。
今だけは守り、その魂を救済しよう。
……。
冷厳な貌で獲物を見下ろし、私は言った。
『魔力――解放。アダムスヴェイン。さあ、殺戮の時間だ――』
天が揺れ、地が裂け。
空が割れ始める。
静かなる殺戮の宴の始まりを告げ。
そして。
ブチ。
ネコちゃんのまなこをギラギラに尖がらせて。
私はクワッ!
『徹底的にボッコボコにしてやるのニャアァァァァアアアアァァァ!』
毛を逆立てて、手足をブンブン!
ぷんすかぷんすか、四肢を振る。
威嚇の魔力が雷鳴となって天を衝く。
世界が揺れて、泣き叫ぶ。
「え、ちょ……! おまえ、それはさすがに魔力を出し過ぎじゃ――ッ!」
レイヴァンお兄さんが慌てて結界を張る横で、私は要塞に向かい突撃!
ここまで穏便に済ませてやったが、もう我慢の限界だ!
だれが進化をさせたのかは知らないが、もう知らん!
種の根絶じゃあああああ!
『触覚の先すら残さず、滅却してくれるのニャ!』
肉球の先から、憎悪の魔力を解放した。




