ギルドマスターからの依頼 ~もみもみクッションは止められない~後編
黄昏迫る夜の前。
蟲人ローカスターの襲撃を防ぎ切ったギルドの応接室。
ふかふかクッションを抱いて――。
本部は滅びたのか?
そう――大魔帝ケトスこと伝説の猫魔獣たる私に問われて、ガイランの街を守るギルドマスター。
大柄な女性ジャスミンが応じる。
「さあね。ただ――それを確かめに直接本部に向かったあたしの部下達は……まだ帰ってきていない。本部に届かないならと連中に魔術による通信を試みたが、応答はなし。まったく、何があったって言うんだろうね」
窓の奥に広がる黄昏の空に目をやるジャスミン。
その貌は、地平線に沈みゆく太陽をただ静かに……眺めていた。
その背は微かに揺れている。
「おや、困ったね。嫌だよ、年を取るとどうしても――身体だけじゃなく心まで脆くなっちまうのかねえ」
目尻を指で拭って――涙を止める魔術を詠唱する彼女はおそらく……既に部下たちの行く末を悟っているのだろう。
かつて仲間を多く失った経験のあるジャハル君が、揺れる彼女の背に指を伸ばしかける――が。
それを止めたのは猫の手。
私がスッと肉球を向けて制止したのだ。
『失礼、すこし姿を変えるよ』
猫のままだと、本能に流され配慮を欠いた言葉を漏らしてしまうかもしれない。
肉球を鳴らした私は闇を纏い、人の姿へとその身を変貌させる。
獣人でもなく、人としての私だ。
漏れ出る魔力が、室内を照らしていた魔術照明を奪っていく。
訪れる暗闇の中。
応接室の後方で――魔王様の兄レイヴァンの酒に付き合わされていた人間達が、ざわつく。コトリと杯を指から零し……変貌する私の姿に目を奪われ始めていたのだ。
「なんて……麗しい……」
「ぁぁ……あの方こそが、我が君に違いありませんわ……」
魅了耐性の低い者の心が蝕まれ始めるが、魔兄レイヴァンがそれを察しタバコの煙結界で人間達を覆い始める。
自分自身にも闇の結界を張りながら、レイヴァンが強面を尖らせ息をはく。
「こりゃ、すげえな……猫魔獣としての魅了能力が憎悪の魔力と呼応し、漏れ出ていやがる――全自動魅了スキル……か。ここまでアイツに似てやがると、あー、アレだ……少し怖えな」
『悪いけれど、人間達を頼んだよ』
キシシシと余裕を持った笑みで返し、彼は言う。
「俺はおまえさんの部下じゃないんだが、まあ――いいだろう。お前達、これからも真っ当な人生を歩みたいならこの結界から出るんじゃねえぞ。アイツの顔も絶対に見ちゃならねえ……耐性の低いモノがアレとまともに目線を合わせると、帰ってこれなくなるからな」
『人をメデューサや長しえの真祖と同じカテゴリーにしないで欲しいのだが、まあ仕方ないか――』
闇の煙の中からコツリ――足音が響く。
大魔帝ケトスの別の姿ともいえる、私が顕現したのだ。
『待たせたね、脆弱なる冒険者たちを束ねる長よ。私がケトス。大魔帝ケトスさ』
◇
黄昏に満ちた空を眺めるギルドマスター。
彼女が目にする、暮れかける窓に反射し映るのは……黒髪赤目の静かなる美丈夫。
人間としての私である。
表情を遮る前髪の隙間から、人ならざるモノの紅い瞳がギラリと妖しく照っていた。
人間達は魔力に中てられたのだろう。
私の魔性に囚われうっとりとこちらを見ているが――。
なぜかジャハル君も、口を薄らと開いたまま呆然とこちらを眺めていた。
あれ?
久々だったから驚いているのかな。
『どうかしたかい?』
「い、いえ――失礼いたしました。ケトス様……」
いきなり変身しないでくださいよ……と、顔を赤らめぐぬぬと唸り。
なにやら、ぶつぶつと呟いている。
ものすっごく。
からかってやりたいが――いかんいかん。
今はシリアスモードなのだ。
そのためにわざわざ人の姿になったのだから。
ビシ!
っと、ポーズを取る前に踏みとどまった私、えらいね?
よっし。
頑張れ、素敵ダンディな大魔帝!
ともあれ。
この姿は人間への恨みや憎悪がより強く出てしまうが、その分、余計な情を抱くことなく会話を進められる。
化けの皮が剥がれてしまう前に、交渉してしまおう。
戻らぬ部下を想い黄昏る彼女の背に向かい、私の唇は淡々と問いかける。
『悪いけれど、ビジネスライクにいかせて貰うよレディ・ジャスミン。君の部下が戻ってこなかった。それはいつ頃の話だい?』
ギルドマスターはしばらく考えてから、ゆったりと答えた。
「そうさね……もう一週間はとうに過ぎている――正確には九日か。ウチのギルドには決まりごとがあってね。三日間隔で必ず、何らかの手段で連絡を取るって約束があるんだが。見ての通り、無反応さ。そろそろ定時連絡の時間なんだが……まったく、本当に……悪い子達だよ」
現時点で、少なくとも連絡が取れる状況にはない。
ということか。
まあ、おそらくは……。
『過度な期待はしないで欲しいという前提で、そして無礼や不謹慎を承知で言わせて貰うが聞いておくれ。魂と肉体に魔術的な繋がりを残す、ある程度の原形を保ったままの遺骸さえ見つかれば、蘇生できる可能性はゼロじゃない』
仲間からの連絡を待つジャスミン――母のように大きな器持つ女性。
ギルドの長たるその背が揺れる。
「依頼料は――いくら必要なんだい。無理だった者は仕方がない――それを除いた可能な者、全員の蘇生さ」
振り向く彼女の顔は真剣だった。そして魔眼で覗ける心には――言い値を払うと書いてある。
しかし、私が欲しいのは金じゃあない。
『民間人であったのなら、魔王様の意志に従い……無償で力を貸してあげたんだけどね。悪いけれど、覚悟して冒険者になった者達だ。それなりの要求をさせて貰うよ』
「異論はない。ここは冒険者ギルドさ。金や何かで取引をして動いてもらうための場所――そっちの方が信用できるよ」
超美味しいグルメ!
と、喉まで出かかった猫としての言葉を、シリアスに蓋をして封印。
グールメ! グールメ!
と、にゃはにゃは騒ぎまわっている黒猫の私が、心の中のダンボールで遊んでいるうちに――。
漆黒の髪の隙間から紅き瞳を輝かせ――私は静かに告げる。
『私が欲しているのは情報、勇者に関する事。全てさ』
魔王様の兄、レイヴァンの表情が僅かに動く。
彼も、勇者に関しては何かを知っているのだろうか――。
「おかしなことをいうね、勇者はアンタが噛み殺したんじゃないのかい?」
『それは先代の勇者の話だろう。今、この世界には新たな勇者誕生の兆候が、少しだけ見え隠れしているのさ――』
マスター・ジャスミンの眉がピンと跳ねる。
「勇者の再臨!? そんな話も噂も聞いたことないが……あんたほどの存在が言うんじゃ、その可能性は確かにあるんだろうねえ」
これは、まだ誰にも伝える気はないが。
とある経緯で入手した――私の所持する勇者の剣は、いまだこの世に留まっている。
持ち主が存在しなければ、その刀身を保てないとされる剣が装備アイテムとして残り続けているのである。
それが意味するところは正直分からない。
けれど、この世界に新たな勇者が誕生した――そう考えると納得できてしまうのだ。
『まあ、ただの杞憂かもしれないし、できれば思い違いであって欲しいのだけれどね――もし、新たな勇者の存在の噂を耳にしたら連絡をして欲しい。むろん、これは成功報酬であり、もし私が彼らを連れ戻すことに失敗したのなら、従わなくて構わない。どうかな?』
「答える前に聞かせておくれ。もし、本当に勇者が再臨していて――それを発見した時。アンタはどうするつもりだい」
ウソをついても仕方がないだろう。
闇のドライアイスの煙の中。
魔王軍最高幹部としての冷笑を浮かべ、私の唇は蠢き語る。
『魔族と敵対しないのなら、魔王軍に迎え入れるつもりさ。最強の敵が仲間になってくれる、それほどに素晴らしい事はないだろうからね――反対に、魔王様に仇なす者なら滅ぼす。ただそれだけの話さ――もっとも、相手が子供だった場合はそうだね……きっと、その手を汚せず……封印という形でどこか遠くの異世界に飛ばしてしまうのかもしれないね』
それはおそらく甘さだが。
まあお菓子も甘い方が美味しいからね。魔王様の望む――おとなの余裕というやつである。
「分かったよ。そんなに正直に胸の裡を明かされたんじゃ、何も言えないじゃないか。大魔帝ケトス殿、ケントの依頼とは別件としてあんたに正式に依頼する。本部の状況を確認するついでで構わない。もし、ウチのギルドの連中を見つけたら――よろしく頼むよ」
『交渉成立だね。ああ、彼らの情報は伝えて貰わなくても大丈夫だよ。もう、君の心から見てしまったからね』
隠し事はできないね、とジャスミンは笑う。
私は気を緩めて、砕けた口調で言う。
『それで、本部の位置はどこにあるんだい? この街に顕現するより前に、直接乗り込んじゃってもいいかなぁ――って魔術による探索を行ったんだけど、なかなか見つからなくてね』
あ……なんか完全人型モードだった筈なのに。猫耳と尻尾が生えてきた気がする……。
猫としての私が、ムクムクと暴れ始めてきてるな。
私は膨らんだ尻尾をぶんぶんしながら、フンと息を漏らす。
もっと本格的に魔術探査をすれば見つかったのかもしれないが。
なかなかどーして、なまいきな本部である。
「ああ、そりゃあ魔族の方々にすら見つけられないようにって作った拠点だからね。魔術による探索には引っかからない作りになっているのさ。目視じゃないなら見つからない筈だよ」
言葉を受けるように、ジャスミンさんが取り出したのは一枚の魔導地図。
『これは? 見慣れない地図だね。なんか複雑な術が施されているみたいだけど』
「移動し続ける炎熱国家の本部、移動要塞ゴエティア。その場所を特定する唯一の手段さ」
むろん。
たぶん渡しちゃダメなヤツである。
「本来なら本部の位置は秘密。その拠点が動き続ける要塞だって事も口外しちゃいけないんだが、ね。非常事態だし、なによりあんたたちは信用できる……というか、もう頼る他に道はないと言った方が正確かね。残念だし、悔しいが――あたしたちにもうまともな戦力は残されていない。皆、疲弊しちまってるのさ」
唇を噛み締めた痕が浮かんでいるが――まあ、それを口にするのはデリカシーに欠けているか。
敢えて気付かないふりをして、私は言う。
『それで、これをどうしろっていうんだい。まさか、伝書鳩の代わりをしろって言うんじゃないんだろ』
「この魔導地図には移動する本部はもちろん――各支部のお偉いさんが隠れていそうな小さな拠点まで、詳しい座標が魔術刻印で記入されている。今回の件、本部のやつらなら何か情報を掴んでいるかもしれない。まあ――既にムシどもに滅ぼされたのなら、滅ぼされたなりに何か手がかりが残されているだろうさ。あの蟲人が湧きだしてから連絡が取れなくなったんだ、関係ないって事はまずないだろうさね」
ここでいったん区切り。
少し、言い淀んだニュアンスで依頼の言葉を追加していく。
「それと――もし……本部の連中が全滅しているのなら、おそらくこの世に留まったままとなっているだろうからね。あんたの浄化の魔術でその魂を導いてやって欲しいんだよ。これは、ローカスターの依頼とは別件で追加報酬を出そうじゃないか」
『そうすると全部で依頼は――』
魔導契約書を浮かべながら、私は言う。
『最初の一つが、ローカスターを駆逐するケントくんの依頼。次の依頼は連絡が取れなくなっているギルドの仲間を連れ戻す、または遺骸の回収と蘇生の試み、これが君の依頼。そして最後に、ギルドとしての依頼が通信の途絶えた本部の調査、全滅していた場合はその魂の浄化または蘇生――全部で三つという事になる。あっているかい?』
「数もだいたいの内容もあっているが――ただ、本部の連中の蘇生は……無理にしなくてもいいさ」
ん……。
なんだろう。可能な者の蘇生くらいはサービスでやってもいいのだが。
『おや? まあ、たぶん……魔力持つ戦闘員であるギルドのお仲間さん達と比べると、並の人間なんじゃ蘇生できる可能性は極めて低いけれど。どうしてだい?』
問われて彼女は、肩を落として疲れ切った声で言う。
「こう言っちゃなんだがウチのお偉いさん……というか、連盟を牛耳る本部の連中全体がもう腐りきっていたからね。だったらこのまま、全滅という形でもう少しまともな組織として編制し直す――なんて、邪悪な事を思わなくもないのさ――」
『あまり穏やかじゃない話だね』
耳をピョコピョコさせる私に、彼女は続ける。
「酷い事を言っている自覚はあるんだけどね。その腐敗の被害は民の暮らしにまで影響し始めている――ウチの連盟国も最初はまともだったらしいんだけどね、今はもう……その名残はない。平和を願う団体って名目はどこにやっちまったんだか……。ウチも、あいつらの無茶には苦労させられて参ってるんだよ」
こりゃ。
上の連中、そうとうなんかやらかしてるな。
『初めは立派な組織だったとしても、時の流れと共に腐敗していく。まあ、よくある話ではあるけれどね』
「そういや、あんたは長く生きているんだったね。なら、そうやって滅んでいった人間の国も何回かは見ているんだろう? 悲しいし情けないが――ウチの国も、もうおそらく……そう長くないのさ」
人徳の塊みたいなオバちゃんタイプのギルドマスター。そんな彼女にここまで言わせてしまうなんて、たぶん、かなりのレベルの腐敗なのだと思う。
まあ、人間。
全部が全部、私みたいな善良な魂の持ち主じゃないだろうしね。
『すまないが――直接国交のある国ならともかく、そうじゃない人間の国の事情にはあまり興味ないよ。干渉し過ぎると、魔王様に怒られる』
グルメがあるなら話は別なんだけどね!
あー、いかんいかん。
だんだんと、シリアスが維持できなくなってきている。
キリっと顔を引き締めていないと、ぶにゃーんとした顔になってしまいそうだ。
「まあ、蘇生するかどうかはあんたの判断に任せるよ――ただし、この地図を受け取ったからにはどうか、最後まであたしらに付き合って欲しい。頼めるかい?」
『ああ、偉大なる御方に仕える大魔帝ケトスとして引き受けよう』
二枚の魔導契約書を新たに浮かべて、契約を刻み。
私は慇懃に礼をしてみせる。
『これで契約完了だ――君達が私を裏切らない限り、私は君達を裏切らない。そう、約束しようじゃないか』
ここ、カッコウイイ大魔族ポイント高めである!
まあ、なんとなくそれっぽいセリフ。
というだけではなく、裏切らない限りは裏切らない――この一言は結構大事な契約内容だったりもする。
心の中を覗いたから悪人ではないと確信しているが。
魔族と人間とは価値観が違う。
彼女自身はともかく、この炎熱連盟エンドランド自体が、私に対する裏切りと思われる行為を選択する可能性もあるのだ。
まあ、そんなときは裏切り返しますよという確認なのである。
ともあれ。
契約完了と共に地図を受け取った私は、闇のドライアイスを収納し。
ポン!
小さな煙を出し――ズジャ!
ネコちゃんモードに戻って、ドヤァァァッァァアア!
ケトス様、再臨である!
ネコちゃん笑顔と共に――部屋の空気が変わりだす。
魔術照明が戻りだし、応接室は太陽のような明るさで満たされていったのだ。
『うにゃははははは! じゃあジャハルくん、後の細かい調整は君に任せるよ。ジャスミンさんもジャハル君を信用してくれても問題ないよ、なんてったって私の一番の側近だからね』
「あははは――たしかに、もうソファーに戻って、高速でクッションをもみもみしているネコちゃんより――女帝様の方が難しい話をしやすいかもしれないね」
ギルドマスターも明るさを意識する声で、苦笑しながら応じる。
『そんなわけで、ジャハル君。よろしく~!』
「はぁ……分かりました。じゃあ、後で移動しながらでも細かい内容は話しますんで。おとなしくしていてくださいっすよ」
ジャハル君が側近の顔で恭しく頭を下げる。
その頬は、なぜかいまだに赤く染まったままだった。
 




