ギルドマスターからの依頼 ~もみもみクッションは止められない~前編
傾く日差し。夕焼け色の黄昏が、修繕された応接室を昏く照らしていた。
もっとも。
それでは少々暗いからと発動されているのは、風情の足りない魔術照明。
部屋の内部は、魔力による灯りで煌々と照らされているのだが――。
まあ……。
情緒不足はこの際仕方がないだろう。
なにしろこのギルドは、先ほどあんな被害に遭っていたのだからね。
昏いままでは襲撃に気付きにくい。
蟲人ローカスターが次、いつ襲ってくるかも分からない。
できるかぎり周囲を明るくして、視界を確保したいというのが人間の感覚なのだろう。
夜目が効くネコの私だとあんまり気にならないんだけどね。
それこそが、私が人ならざる異形と化した証なのだと思う。
そう、私は既に人間ではないのだ。
その証拠に――。
通された応接室のソファーの上。
ネコちゃんが座るのに最適なふわふわクッションを眺め、私はくわっ!
ギンギラギンに目を見開いていた。
ソファーに向かい、猛ダッシュ!
生地を踏みしめる私は――ぷにぷに肉球でクッションを、ちょんちょん♪
我に献上されたお客様用クッション。
ふわふわなその身を眺め、じぃぃぃぃぃぃ。
そっと手を乗っけて……。
モミ――もみもみもみもみもみもみもみもみ!
すばらしき魔猫が乗るに値する感触なのかどうか、我、自らが確かめているのである。
クッション、それは魔性の誘惑。
クッション。クッション。クッションなのである!
ひとしきり、その感触を確認して。
私は周囲をちらり。
『ふむ――まあ悪くないね。あっちのは……どーかな、確認は必要だし。うん』
魔術で他のソファーからもクッションを引き寄せて。
じぃぃぃっぃぃっと観察。
そーっと手を伸ばし。
チョンチョン……♪
……!
モフモフな私の猫毛がビビビ!
電気が伝わったかのようにぶわっと膨らむ。
『うむ――♪ 確認だからね、仕方ないね♪』
クハハハハと踏みつけて――。
ニヒィ!
パン生地をこねるように――ッ。
モーミモミモミ♪
モーミモミモミ……モミミミミミミミミ♪
うむ――!
悪くない! 悪くないクッションである!
『くはははははははは! よかろう、そなたを我が座るクッションに任命する! その名誉を抱え震え、我の下でその大義、果たすといいのニャ!』
感触を確認したクッションの上にドデーン!
乗って。
猫独特の四角い箱っぽい香箱座りをするのは、私こと大魔帝ケトス。
ちまたを騒がせ轟き歩く、百年ぶりに人間界の表舞台に顕現している大魔族ニャンコである。
その横で。
精霊国の王で魔王軍幹部の炎帝ジャハル君が頭を抱えて、はぁ……と炎の吐息を漏らす。
対するのは、一連の蟲人ローカスター事件で協力することとなったギルドの人間達。
互いに顔合わせと、今回の事件についての話し合いをするため――ギルドの一室を借りている最中である。
まあようするに、蟲人ローカスター退治をギルドからの正式な依頼として引き受けようとなっていたのだ。
こう見えても私、冒険者の証持ってるからね。
しかも、最上級ランクの。
謎の黒き稲妻――槍使いの明るい少女を引き連れた、優雅な美丈夫。そう言えば、噂ぐらいは耳にしたことがあるだろうと思う。
まあ、たまーに魔王城を抜け出し――。
暇な時やストレス解消に、かつての散歩でであった大食い……ではなく健啖家な暴走娘と遊んでいる、ともいう。
ギルドとの依頼契約さえ成立すれば、このガイランの街にいるとされるお偉いさんたちとも連絡がつくだろうし。
これでようやく、当初の予定であったアポを取ることが出来るのである。
んーむ。
人間世界のシステムって……めんどうくさいよね。
ともあれ。
そのアポを取るためのパイプ役。
大柄女性のギルドマスターが武骨な顔立ちを、引き締め。
深々と頭を下げる。
「まずはお礼を言わせておくれ。ありがとう、ケトス様。そして魔王軍の方々よ。あんたたちがいなかったら、あたしたちは全滅していた。それとジャハルさん、初めあんたを魔族だからと言って信用しなかったことを詫びさせておくれ――申し訳ない、詫びは言葉だけじゃなく報酬に上乗せさせて貰う。どうだろうか?」
まっすぐに言われたジャハル君が、尊大な態度を取る筈もなく。
女帝モードで微笑し。
「良い――妾も約束を取り付けず突然来訪したのじゃ。そなた達が動揺してしまうのも無理からぬこと。それに――かような謎の蟲人が発生していたのなら、信用までに時間を要するのは必然。かのローカスターを、我等が放った魔の手と疑う者もいたのであろう? そなたはギルドの長としての責務を全うしたまでじゃ――案ずるな、妾たちは気にしてはおらぬ」
悠然と語る姿は美しく聡明な女帝なのだが。
普段とのギャップが、その……あー、だめだ……っ!
ぷぷー!
妾だって!
ちょーうけるんですけどー!
「あー、こほん。ちょっと失礼――ケトス閣下? 何か問題でも?」
『うにゃはははははは! べーつにー! なーんでもないよ!』
応接室のクッキーをがーじがじ、粉くずを落としながら私は猫笑い。
「ならば、いましばらくそのクッキーを頂いて。どうか、茶化さず、おとなしく悪させずに、お待ちいただけますね?」
『あっれー? なんか怒ってる?』
あ、ジャハル君の焔の瞳にギロっと睨まれちゃった。
「お待ち、いただけますね? 閣下」
真面目な時に茶化すと怒るからな~……。
しぺしぺしぺとついつい、貌を濡らした猫手で拭いてしまうのである。
でも。
さっきの、ケトス閣下っていうのはちょっといい響きかも。
にゃふふふと、またしても魔術で奥の戸棚からお客様用高級クッキーを勝手に取り寄せ、器ごと腕に抱き――私はニヤリ。
香箱座りを止めて――だらーんと身体を投げ出し、ムシャムシャムシャ。
ばーりばりばり。
むしゃむしゃ。
ぽろぽろぽろ……あ、零れるクッキーの粉が砂山みたいになり始めているけど……まあ、いっか。
「ケートースさーま……っ! アンタっ、魔王軍の代表で来てるって事、覚えています!?」
ぐぬぬぬぬ、と唸るジャハルくんに私は肉球をふりふり。
『おー、そーだった。そーだった。でもさあ、今ここにいるのは治療を手伝ってもらって、もう気心が知れているマスターのお姉さんと――私の依頼人でどっかの辺境伯の息子のケ……ケント? くん。それとそのお付きの女性魔術師くんだけなんだ。もー、そんなに畏まらないでもいいんじゃないかなあ?』
言って、ぶにゃはははははと笑う私に。
頬をヒクつかせる女帝ジャハル君。
そんな、既にくつろぎモードな私達をちらっと見て、豪快に笑うのはギルドマスター。
「あははははは――どうやら精霊国の女帝様も、御猫様には弱いようだね!」
ギルドマスターはソバカスの目立つ頬をにんまりとさせ――。
冒険者証を提示。
再度――丁寧に頭を下げる。
「改めて自己紹介をさせて貰おう。あたしはジャスミン。このガイランの街を警護する、冒険者ギルドのマスターをさせてもらっているしがない女戦士だよ。重ねての礼となってしまうが、本当に助かったよ。ありがとうね、偉大なる御猫様」
ちょっとぎこちないウインクを受け止めて、私はクッションをモミモミしながら答える。
『まあ感謝してくれるのは嬉しいけれどね――過度な謝辞は好きじゃないからほどほどにね。それに……私もここでしか手に入れられないグルメを多数獲得できたからね。ギブアンドテイク、ビジネスライクな関係でいこうじゃないか』
ちなみに。
レイヴァンお兄さんは後ろの方で魅了した女性冒険者を侍らせて、お酒を傾けグイグイやっている。
貴族詩人ケントくんもそちらに付き合わされている。
レイヴァンお兄さんに酒をグイグイ勧められているようであるが……。
大丈夫かな?
まあ、レイヴァンお兄さんは魔王軍所属じゃないし……いざとなったら動いてくれるだろうから、別にいいんだけどね。
いいなー、私も飲んだり食べたりしたいのにー。
そんな内心を表には出さず、私はマスター・ジャスミンと目を合わせる。
猫の魔眼を用い、その心の裏を探っているのだが。
……。
どうやら。洗脳されていたり、悪意を持ってここにいるわけではないようだ。
最近、人間が異界の大魔族とすり替わっていた――なんて事件があったから、念のための警戒である。
「おや、魔族猫様にとって、あたしの顔ってそんなに珍しいかい?」
『いや、ちょっと調べさせて貰っていただけさ。君は信用に足る人間だと確信した。話を進めようじゃないか』
シリアスな空気を醸し出す私は、ふかふかクッションをモーミモミする手をなんとか止めたいのだが。
んーむ。
どうも、魔王様の膝の上でクカークカー、イビキを掻いて眠っていた懐かしい記憶を思い出してしまい、お手々が寂しくなってしまっているのである。
私のクッションモミモミには構わず。
ジャスミンさんが炎帝ジャハル君に向かって言う。
「それで、確認させていただきたいんだけど。こちらの黒猫ケトス様が、あの大魔帝ケトスさまだっていうのは本当なのかい? 殺戮の魔猫といったら……あたしらの間では実在するかどうかも分からない、おとぎ話の登場人物……伝説の存在なんだけど――そりゃあ、最近、なぜか人里に現れて世界情勢に干渉してるって噂は耳にするけどねえ」
炎の吐息を静かに漏らしながら、ジャハル君が目を細めて応じる。
「そうじゃのう……信じられぬのも仕方なき事。なれど――そなたも我が君主の力の一端を見たであろう? この方こそが妾らの上司にして大魔帝。伝説の大魔獣ケトスさま本人なのじゃ……って、なんすか、その貌は……いま、真面目な話なんすから」
『ねえねえ、その口調はもういいんじゃない?』
ジャハル君はじぃぃぃぃっと人の顔を見て。
私のモフ耳に唇を寄せ、耳打ち。
「駄目っすよ! オレ、これでも本当に一国の王なんすから! 外交問題とかになるんすよ!」
『大丈夫だってー。そもそもジャスミンさんは国のお偉いさんとは関係ないんだし……この場にいる貴族って言ったら、あっちでレイヴァンお兄さんに絡まれているケントくんぐらいなんだし――問題になりそうだったら、そっと消しちゃえばいいんじゃない?』
レイヴァンお兄さんに肩を抱かれて、酒をグイグイされているケントくんの背が跳ねる。
ま、この大魔帝と契約を交わしてしまったのだ。
それなりの度胸を見せて貰わないと困るのである!
「ったく、ケント坊やは情けないねえ。お客様の酒にもそれだけしか付き合えないのかい? だいたい、あたしに貴族だって黙っていただなんて、背信モノだよ、まったく。ともあれ――ケトスさま、ウチの若い子を揶揄うのもほどほどにしてくださいよ、あの子、イザとならないと肝が小さいんですよ」
『へえ、あの場で即座に私と契約を結んだ威勢は凄かったのに――ねえ』
まあ、いざとならないと度胸を出せないタイプなのかな。
仲間やギルドを守るため。
貴族としての矜持や勇気を振り絞った――といったところか。
「それで、そろそろ真面目な話をしたいところではあるんだが――炎熱国家連盟エンドランドのお偉いさんと話をつけたい、って件も理解してはいるんですけどね? その前にお伝えしないといけないというか……んー、なんて言ったらいいんだろうねえ……ちと、困ったことがあるんだよ」
はて。なんだろう。
『やっぱり魔族に場所は言えないっていう話なら、まあ分からないでもないし。なんなら魔王軍に所属する人間――それなりに人間界でも有名な錬金術師を代わりに送ってもいいんだけど』
「そういう問題も、まあないわけじゃないんだがね。問題はもっと深刻なのさ――あんまり大きい声じゃ言えないんだが」
と、前置きをし、ジャスミンさんは重いため息を吐く。
「あの蟲人どもが湧き始めて数週間。こりゃなんかの異常だっていうんで、炎熱連盟の本部に連絡を入れたんだがね――そこが問題なのさ。魔術による伝言。伝書鳩による伝達。直接の訪問――全てがなしのつぶて、いまだに返事が戻ってきていないのさ」
私とジャハル君は顔を見合わせて。
『君達の組織図にあまり詳しくないんだが、どういうことだい? 単純に返事が遅れているってことは――』
「ないだろうね。返事の遅延は一度だってないんだよ……ましてやこんな重要な案件への返答がない、なんてまずありえない事さね――何かあったと考えるのが、まあ妥当なんだろうさ」
つまり。
『炎熱連盟の本部はもう、滅びている――ということかな』
と――淡々と問う私の言葉。
その直球の質問を受け――ギルドマスター・ジャスミンは分からないと言った表情で眉を顰めていた。
どうやら。
蟲人ローカスターによる被害は、徐々に広がりをみせつつあるようだ。