あの日の盃をもう一度 ~だってねこだもの~
魔王様の昔話を聞き、モフ毛を膨らませたのも束の間。
問題は振り出しへと戻っていた。
大事なのは過去ではなく今と未来。
これから起こりうる大きな災害と問題の方だろう。
二百年前。
人間世界の一部を襲った大いなる禍、尋常ではない量の飛蝗による蝗害。
あの日の惨劇に関わっていると同義の発言をしたのは、魔王様の兄。
強面不精髭のアウトロー男、レイヴァンお兄さん。
さて、彼が滅ぼしたといったのは人間か、それとも蟲の方か。
それが問題なのである。
大魔帝ケトスこと、魔王軍を預かる猫魔獣の私は――静かな幹部声で問いかけた。
『私は無益な殺生が好きではない。特に、女子供と民間人の犠牲はね。どちらを滅したのか、言葉は慎重に選んでくれると助かるよ』
「怖え顔すんなよ。こいつらってのは人間の方じゃねえ、こいつらの事だよ」
言って、お兄さんが差し出したのは魔導血判状。
嘘がないと誓う魔道具の一種である。
血の刻印による魔術を発動させたお兄さんは背に生える翼をバサリ。
翼の裏から覗くのは――闇。
そこにあったのは、宇宙のような空間。
先の見えない冷たい深淵が広がっていた。
微かに空間歪曲魔術の反応がある。
私が紅蓮のマントの裏にお菓子を隠しているように、彼も翼の裏に亜空間を隠し持っているのだろう。
亜空間に隠れていたのは、無数の紅き瞳。
無限ともいえる数の魂が収容されているのだ。
「こいつらは俺が管理している。なあに、悪さはできねえよ――俺が俺の意志で解き放たない限りはな」
次元の狭間に飼われる飛蝗の大群が、縦横無尽に飛び回っている。
他にも、様々な魂が収容されているように感じる。
うーみゅ、きもちわるい。
虫が苦手なジャハル君が、うっぐ……と、目をぐるぐるさせているが、シリアスな空気を優先しなんとか耐えているようだ。
『なるほど――億単位の飛蝗を、全部、亜空間に喰らったんだね』
「ああ、それが能力でもあるんでな。いざとなったらこいつらは全部、俺様の眷属。つまりは――戦力ってわけだ」
フフンと胸を張って、レイヴァンお兄さんはドヤァァァァア!
自慢なのだろう。
『喰らったモノを眷属とする力か。なかなか強力そうだね――異界神話再現に必要な魔力情報量をどこで補っているのかと疑問だったんだが、眷族たちから力を借りていたんだね。うん、悪くない戦術だ』
「まあその分、条件やリスクもあるがな」
そのまま魔術式を盗み取ろうと肉球をうにゅうにゅしていたのだが、妨害されてしまう。
えぇ、見せてくれてもいいのにぃ……ケチだなあ。
『リスク?』
「まあ、色々とな――言っとくけど、それをバラすつもりはねえからな。これは俺様の切り札でもあるってわけだ。いつ飛びかかってくるか分からねえ猛獣に、無防備な腹は見せられねえよ」
その言葉に偽りはない。
まあ、二百年前。結果として人間を救ったのも確かなのだろう。
裏で読み取っている過去視の魔術を脳内で再生させると――言葉の通り、二百年前の世界。大地の底から地霊と共に這い出てきたレイヴァンお兄さんが、なにやら指を鳴らし魔術を発動。
黒い太陽ともいえる飛蝗の群れ。
それら全てを、翼の裏へと吸い込んでいる姿が見える。
つまり、いま目の前にいるこいつらがそうなのだろう。
闇の中で、紅き瞳をギギギギギギギギギ。
飛蝗たちがこちらを見て、嗤っている。
――そのモフ毛を食わせろ、尾を食わせろ。魔力を喰わせろ!
――デブ猫じゃあ! きっとうまいぞこいつは!
――これさえ喰えば。我等も我等を捕らえる世界を食い破り、独立できるのではないか!
と、渇望するように翅をキシシシシシシ!
『えー……なにこいつら、ムシ如きが随分とまあ、生意気じゃないか』
私は、てい! てい!
と、空を掻く肉球パンチで威嚇し返してやる。
狩猟本能がメキメキと刺激されたせいだろう。
私の影は自立し動き出し。
巨大な猫の姿を取り出して、くはははははは! と魔力持つ哄笑を放ち、嗤いだす。
『小生意気な飛蝗どもめ、我が本気となれば貴様らがいくら束になろうと敵う筈があるまい。どれ、その翅を毟って、猫じゃらしの代わりに遊んでくれようか!』
この私の影から生まれた魔力残像による、ちょっと本気の威嚇である。
当然。
まともに受けて平常心を保っていられる筈はなく、飛蝗はうぎゃあぁぁぁと飛び跳ねてカサカサカサ。
レイヴァンお兄さんの背中に隠れてワシャワシャワシャと騒いでいる。
もちろん、私はお目めをまん丸にしてルンルン♪
『ぶにゃははははは! 所詮はムシなのである、この大魔帝たる我の恐ろしさ。思い知ったか!』
「おまえさん、やっぱり猫だなぁ……」
ぷしゅーっと元に戻る私の影を見ながらお兄さんは言う。
しかし私のムフフは終わらない。
『ねえねえ! 神話再現魔術……アダムスヴェインで使っているネズミの群れも、亜空間に収納してあるんだろう? いや、ほら深い意味はないんだけどさ? 大きいのを一匹ぐらい欲しいなぁ……とか、思ってみたりしてるんだけど。どうかな!? どうかな!?』
涎をダラダラ。
ぺろりと舌なめずりをしながら言う私に、レイヴァンお兄さんは重いため息。
「あのなあ……こいつらは眷族だって言っただろ。部下をお前さんの夕食にするわけにはいかんだろうよ」
『えー、いいじゃん一匹ぐらい。どうせネズミも億単位でいるんだろう? じゃあさ、今から君の魔術を盗むから、全部私の非常食ってことで、どうかな!?』
自動召喚された私の眷属――猫のコックさんが私の影の中からヨイショ、ヨイショと這い上がってきて。
キィン! キィン!
肉切り包丁同士を打ち鳴らして、ぶにゃん!
調理準備をし始める。
「そんなにいねえよ……っ!? つか、無詠唱でコックさんみたいなモフモフ眷族を召喚するな! 目を輝かせるな、スリスリするな! 喉をゴロゴロ鳴らすな! 甘えても無駄だぞ! 俺の黄金ネズミを盗んだら、マジで許さねえからな!」
怒声に構わず私は、んにょーんと首を傾げて。
とてとてとて。
魔術式を読み取って……。
『よっと!』
亜空間にずっしりと上半身を潜り込ませて、きょろきょろ。
「え? ちょ……っ、はぁ!? てめえ! どうやって俺様の許可もなく結界に侵入できるんだよ!? 非常識にもほどがあるぞ!?」
『いやいやいや、まあ気にしないでいいよ。うん』
お構いなく、というやつだ。
じぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!
『とう!』
「あ、バカ! 完全に入り込むんじゃねえ!」
お兄さんの翼の裏の亜空間に無理やり侵入!
現実とは隔絶された世界に隠れている黄金のネズミを探し、偵察!
走り回って――暗黒空間を散歩。
瞳をギラギラにしてニャハニャハニャハ!
ヒャア! と悲鳴を上げて、一億以上の飛蝗と少量のネズミさんが飛び跳ね逃げ回る。
――ぎゃぁぁぁああああぁぁぁぁ! ヤベエ奴が来た!
――鼠を隠せ、守れ! 喰われるぞ!
――つか、どうやって入り込んでるんだよぉ!
んーむ、ガチで震えて隠れちゃってるな……。
いつのまにか飛蝗も完全に隠れちゃったし。
お、あっちには蛇とか羊もいるのか。
ジンギスカンもいいよなあ……。
御酢と醤油でさっぱりと焼き肉も……。
闇の中に声が響く。
「いや、あのぅ……なんかお前さんが亜空間に侵入すると、ありえねえ量の憎悪の魔力で空間を維持するのが大変になるっつーか。破裂しそうになるから、そろそろ出てきてくれねえか?」
『あーうん。そだねー』
生返事をしながら、私はてい! てい!
肉球で亜空間の弾力と寝心地を確認し、ドッシリとネコ座り。
あー、暗くて静かで。
けっこう落ち着くかも、ここ。
ヒンヤリしてるし、亜空間にバックドアでも作っといて。夏の納涼に勝手に利用しようかなあ。
「あた……っ、てててて、っぐ……すまん、なんつーか……。おまえさんの憎悪が強すぎて……マジで、腹、痛くなってきたから……出てこいって……」
お腹を押さえた困り貌で。
強面を尖らせているだろうレイヴァンお兄さんに、ヤキトリをくっちゃくっちゃしながらお酒を傾けるロックウェル卿は言う。
『とっとと追い出すなり、エサで釣るなりしてそこから退出させ――亜空間をしまった方が良いであろうな。そやつは本気だ。しばらくそこに住むつもりだぞ? まあ、中の不浄なる亡霊どもを喰うのは、お主が魔王様の兄だから必死で我慢をしているようではあるがな』
亡霊?
なるほど、ロックウェル卿にはこの翼亜空間にいる眷属達の姿が、そう見えているのか。
続いてワンコの呆れ声が響く。
『ネズミを見せたのは、まずかったのであろうなあ……。狩猟狂乱スキル――猫魔獣の種族特性みたいなもんが発動しかけているしのう……。悪いが、マジで発動したら我らにも止められんからな。早くせんと……その身ごと内から取り込まれ――喰われるぞ』
『失礼だねえ! その声はホワイトハウルだろ! わーたーしー! 狂乱系のスキルなんて、ぜんぜん発動しかけてないんですけどー!』
静かに魔王軍幹部声で答えた筈だったのだが。
あれ?
妙にハイテンションな声が出てしまっていた。
「その声! ちょ……っ、マジで、俺様の中から早く出てきやがれ!」
『大丈夫! 大丈夫! もうちょっと……もうちょっとだけ、遊んでから出るからぁ!』
言って、闇の中で瞳を閉じて隠れる黄金鼠をロックオン!
ウーズウズウズ。
うーにゃうにゃうにゃ♪
猫のように前かがみになって、腰を上げて左右に振り振り。
あと、少しで飛びかかってしまいそうなのである。
あれ?
これ、ほんとうに、狩猟狂乱系のスキル……発動しかけてる?
「だぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁあ! あたたたたった! いてえってマジで! 代わりにチーズやるから、それで我慢しろって、な!?」
あ、これ。
そろそろマジで怒り出すな。
仕方ない。その辺は私、空気の読める大魔帝としてのブランドがあるから、そういうイメージは大切に維持しないとね。
『んー、まあしょうがないね。おにいさんの眷属なら、食べちゃうわけにもいかないし……今は、うん……我慢する』
しぶしぶ言いながら。
亜空間から、にょきーっと出てきた私をジト目で睨むのは二獣とジャハル君。
そして。
脂汗を滴らせ腹を抱えて蹲っていたお兄さん。
「あのなあ……普通、他人の体内領域にある亜空間に勝手に入り込むか?」
『おや、私に普通を求めようだなんて君もまだまだ甘いね。魔王様から言われてなかったのかい?』
私なら亜空間のネズミを求めて侵入するだろうと、簡単に予想できると思うのだが。
「あー、そりゃ……無理だな」
なにやら思い出したのか。
頭を長い指でガジガジしながらレイヴァンお兄さんは、兄の顔で言う。
「恐ろしいほど先を見通せるアイツでも、見えないものがあったんだよ」
『へえ、魔王様にも見えないだなんて、図々しいモノがあったんだね』
反射的に答えて、失敗した。
これ……たぶん。
「そう――たぶんお前さんが想像している通りだ。誰かさんの未来は憎悪と魔力が強すぎて、先がうまく把握できねえんだとよ。アイツ、言ってたぜ? 未来視が外れる度に、そりゃ大喜び。ケトスが未来観測から外れて修行をサボっただの、観測から逃げて、盗み食いをしただの。いちいち、異世界に居る俺に魔術メッセージを送ってきたほどだ。まあ……俺様にとってはうざってぇ連絡だったわけだが――先の先の先まで見えていたアイツにとって……先がちゃんと視えないってのが、嬉しくて仕方なかったんだろうな」
『なるほどのぅ――それで魔王様はケトスを殊更に気に入っておったのか』
感心するホワイトハウルの声に続き。
ロックウェル卿の静かな声が届く。
『余も先が見える故、魔王様の御言葉もお気持ちも……よく分かる――。見たくもないのに先が見えているのは、風情がないし……不粋。出逢ったその日に相手の死期すら分かってしまう。別れの日が見えてしまうのは……つまらんものなのだよ』
おつまみ用の唐揚げの皮をクチバシで突きながら、卿は言う。
『しかし、魔帝ケトス。こやつが関わると全てが変わっていた。魔猫が戯れに肉球を歩ませる、それだけで未来は変わる。死ぬはずだった命が生き続け、死なぬはずだった命が消える。全てがひっくり返るのだ! あぁ……それが余にも嬉しくてな。魔王様とよく、酒を交わしたものだ』
召喚した盃を相手に、魔王様との二人の宴を再演するように。
ロックウェル卿は翼を広げ、悠々と語る。
『ああケトスは、またあの男の未来を書き替えた。今度はあちらの女性の運命を翻した――では、次に誰の運命を変えてしまうだろうか。これは止めるべきだろうか、止めない方が楽しいだろうか。ああ、どうしようか卿よ――楽しいな。本当に、楽しいな――と。余と魔王様は、それを賭けの対象にしたりもしていた。まあ、運命を変えられる相手には失礼な話であっただろうがな。そんな、懐かしき日々もあった。あったのだよ……』
一人劇場が終わったのだろう。
妙に寂しそうに唐揚げを両手に抱えて、しんみりと語るロックウェル卿の言葉。
その垂れる鶏冠を、私達もまた静かに眺めていた。
彼にもまた、魔王様との思い出がたくさんあるのだろう。
『全てが遠き彼方の思い出か。まあ、たまーに、運命を書き換える力がとんでもない事にもなるので一概に良い事ばかりでもないがな』
言って、卿は私をチラり。
えー、どれの事を言っているんだろう。
色々やってるしなあ……。
中にはガチで世界がやばくなった案件がチラホラあったのだとは思う。
というか、魔王軍時代のロックウェル卿が私と適度な距離を保っていたのは、そういった観測者的な側面もあったからなのだろうか。
今となっては、それを聞く必要もないだろうが。
『まあ、魔王様が喜んでいたならいいじゃないか! それが正義、それこそが正しき道さ!』
深刻さに気付かないふりをして――私はジャハル君に肉球を拭いてもらってドヤ顔!
お外に出た時は、こうやって拭いてもらっているのである!
綺麗になった肉球も素晴らしい!
お兄さんから受け取ったまん丸チーズをガジガジしながら、私はお兄さんの背にある亜空間をチラ!
チラ!
あーでも、黄金のネズミかぁ……。
おいしいのかなあ。
それともおいしくないのかなあ。
ペロリと舌が勝手に動いてしまうが、我慢我慢。
気配を察したのか――レイヴァンお兄さんが、お腹を押さえて震えている。
こうした戯れもまた――将来の思い出になるのだろう。
けれど。
そろそろ、話をすすめないとね。
懐かしき空気は楽しいが。
私は少し、後ろモフ毛を引かれながらも切り出した。
『さて――脱線してしまったが。二百年前の飛蝗が格納されていたのは、この私が直接確認した。その百年前の群れも。更に百年前の群れも。全てが収容されている。その群れ集う膨大な魔力が悪用された形跡もない――お兄さんの言葉が真実だという事は確認できたよ』
「って、ケトスさま。実は遊んでたんじゃなくて調査してたんすね」
感心したようにジャハル君が炎を揺らがせる。
『ああ、まさか魔王様のお兄さんを内から侵食して滅ぼすわけにもいかないだろうからね。事実確認をしていただけだよ』
ここ、静かなるドヤポイントである。
そう、けっしてあそんでいた訳ではないのだ。
……。
都合がいいから、いつものようにそういうことにしておこう。
ほぅ! さすがはケトス、我が友である――と、ホワイトハウルも騙されたようだが。
ロックウェル卿だけは、にんまりと笑って――けれど何も言わずに。
まるであの日の盃をもう一度楽しむように。
酒を傾け私を眺め――唐揚げを喰らっていた。