調査結果 ~炎帝の帰還と過去視の魔術~中編
魔王城の最奥に位置する私の自室。
現在――夕食前の時間を有効活用中。
大魔帝ケトスこと私とその側近、炎帝ジャハル君はこっそりと作戦会議を行っていた。
過去視の魔術によって、蝗害の映像を投影しているのだが。
流す映像に猫目をまんまる。
お髯をピクピク。
かわいい私の喉は唸りを上げてしまった。
『うっわ……なんだこれ、きもちわるいね……』
んーみゅと、猫口を曲げる私の眼に映っているのは――、二百年前の映像。
朝だというのに、深夜のように暗く淀んでいる空。
細かい説明は、ネコちゃんの危機センサーがブニャンブニャンと発令されてしまうので避けたいが――。
それはまるで、黒い太陽を核とし拡がる黒い渦。
空に浮かぶでっかい黒丸が、ふんわりふんわりと空を進む。
そこから伸びるのが竜巻にも似た黒い粒。
それが、ズドーンと地面を抉り……濁流のように周囲に拡散。
なんつーかね。
ちょっと分かりにくいとは思うのだが……。
細かい魔力の粒が、螺旋を描いて大暴れ。
全ての者を呑み込み覆いつくし――大陸を移動しているのだ。
黒い太陽が通りすぎた先にあるのは、平地と荒野。
ただただ抉れた地面だけが残されていた。
まるで全てをリセットするかのように、草木も命も、何一つ残されていないのである。
黒い太陽は魔力飛蝗の集合体。一粒一粒が蟲。
飛蝗さんの群れ。
それが――お空をね? 覆っちゃってるんだよね。
禍々しい魔力を放ちながら飛ぶ、魔力飛蝗の大群の姿がね――すんごい、きもちわるい……。
私、ネコだし。
ちょっとした蟲なら狩猟本能を刺激されて、ウズウズとしてしまうのだが。
さすがに、これは無理……かなぁ。
虫に耐性のある私ですらこれなのだから。
昆虫が苦手なジャハル君は――と、いうと。
顔だけをぐにゃーんと向けて、横をチラリ。
せっかくの女帝モードも台無しな貌。
全身を白く染め上げて、あわわわわわと頭を抱えたポーズで固まっている。
「ぎぎぎぎぎ」
『ジャ、ジャハルくん?』
声をかけた時にはもう遅かった。
「ぎぎぎぎゃぁあぁぁぁあああああああぁぁぁっぁぁぁぁぁ!」
炎の吐息をまき散らしながら、絶叫である。
精神耐性を強化する魔術を付与しながら、私はニーヤニーヤ。
猫口をにょほほーとして、だんだんと落ち着いてくるジャハル君を悪戯ネコの顔で見てしまう。
『どうだい、そろそろ落ち着いたかな?』
「す、すんません……」
『まあ君が絶叫してしまうのも無理はない。これは少し脅威だね――』
言って、私は猫の黒目を大きく広げて魔力解析。
あー……。
マジで個体、一つ一つが群れ全体効果の支援スキルを重ね掛けしてるし……。
過去の映像の中に動きがある。
どこかの王国の正規兵だろう。
結界を纏った人間達が黒い太陽――飛蝗の群れに突撃。
人間族の精鋭部隊がそれなりの規模の魔術で焼き払おうと――列をなし、杖を掲げ。
魔法陣を無数に展開。
『炎龍の御力よ――我らに猛き矛を与えよ!』
三重の魔法陣を重ね合わせ、膨大な数の五重の魔法陣を生み出し爆炎の魔術を放っているが、完全に無効化されている。
ちなみに五重というと、普通の人間が出すことのできる限界ぎりぎりの出力に該当する。
らしい。
最近は誰かの影響か人間の平均レベルも上がっているので、五重ぐらいなら扱える者も増えているのだが。
まあ、当時のトップクラスの力で完全無効化。
効かないってんだから、勇者とまではいわないが限界を超えた人間じゃないと足止めにすらなっていないのだろう。
それもその筈だ。
蟲の数は億単位。
その一体一体が、一定値までの損傷と攻撃を無効化する防御スキルを全体に使っているのだ。
つまり。
その防御スキルの効果がたとえ、極わずか……軽減ダメージ量を一と仮定。蟲の数を一億とした場合。
単純に蟲の数である一億のダメージ量まで無効化してしまうわけである。
まあそれは勝手にこっちがつけた数字なので、実際にはかなり違いがあるだろうが。
『ふーむ……えぇ……、これめっちゃ厄介じゃん。人間達、どうやってこんなん倒したんだろ』
「ままま、ましゃか、ケケケトシュさまでも、たおせないんすか?」
白目をむいたまま、ジャハル君は足腰をぶるぶる。
腰砕けになりながら、ヒクヒクと頬を痙攣させている。
本来の私の性格なら、弱みを見せたら最後――とことんまで弄り倒していたのだろうが。
さすがにこれは……。
つついたら可哀そうだよね。
『いや、倒す事自体はできると思うよ。結界や防御スキルを張っている空間ごと滅しちゃえばいいわけだし……ただ……』
「ただ?」
『蟲群の規模が大きすぎるのさ』
言って、私はシミュレートした予想魔術式を空に記入し、提示する。
『君も知っているだろう。長所でも短所でもあるが、私の破壊の力は強すぎる。上手くコントロールしたとしても、たぶん、世界の半分ぐらいは……壊しちゃうね』
自慢することではないのだが。
私……。
そういう微調整とか、力加減とか。
一度放った破壊のエネルギーのコントロールとかって、苦手、なんだよね。
手加減して撃ったら、億単位の防御スキルを貫通できないだろうし……。
「そうっすよね……分かりました。半分なら……仕方ないっすね」
『ああ、この先を見てみないと分からないけれど――解決策として私がドカーンっていうのは、あくまでも最終手段だ』
黒い太陽に潰されていく過去の人間達。
過去に起きた惨劇を複雑な気分で眺めながら、私は口を動かしていた。
人間世界に介入する前の私だったら。
きっと、この映像を見ても何も感じなかったのだろう。
けれど――今は少しだけ。
そう。
ほんの少しだけ義憤のような何かが心に浮かんでいるのだ。
今の私は、魔王様がお望みになっていた存在に近づいているのだろうか。
憎悪だけが目的で徘徊する魔獣となってしまうのは、悲しい事さ――と。
苦く笑いながら……あの方は私を抱きしめてくれた。
あの日。
あの時の温もりは――今でもモフ毛に染み込んで、私の記憶の奥から私を温めてくれている。
慰めるように。
諭すように囁いてくれたあの日々を、生涯、私は忘れないだろう。
それでも。
くどいようだが……私の本質は憎悪の魔性。
あの方の温もりと相反するように――冷たき憎悪も決して消えない。
人間への恨みは、いつまでも心の奥底で燻り続けている。
心の中。
猫と言う器に押し込められた私という魂は、けして忘れないのだ。あの憎悪を覚えているのは、私の中の猫なのか、私の中の魔族なのか、私の中の人間なのか。
分からない。
どれほど戯れの中をニャハニャハ遊んでいても、私の心は人間を滅ぼす夢を見続けている。
けれど、私は――悲鳴を上げ、消えていく人間の群れを見ながらこう思い始めていたのだ。
可哀そうだ、と。
私が憎むべき人間と、そうでない人間。
その区別がようやく、はっきりとし始めていたのだと確信していた。
私は変わったのだろう。
きっと、様々な出会いの中で大きく変えられたのだろう。
ヤキトリ、フィッシュアンドチップス。
イチゴパフェに、エビフライやハンバーグだってそうだ。
他にもたくさん、さまざまな人との出会いを私は経験していた。
にんにくお味の唐揚げをじゅるりと思いだし。
私は確かに光を見た。
美味しい肉の脂の輝きだ。
魔王様がお望みになられていたように――私は、僅かながらでも、光を探すことができているのだ。
それが、嬉しい。
悟りを開いた聖人の気分で、さわやかに私は言う。
『じゃあ、他の幹部達も呼んで――作戦会議をしようじゃないか。私が壊さずに済むようなやり方で、あの飛蝗軍団を滅ぼす作戦を考えよう』
まるで正義に目覚めた悪の幹部の顔で、そう爽やかに言ったのだが。
ジャハル君は、手をパタパタパタと振って。
「いやいやいやいや。何言ってるんすか?」
『ん……? なにがだい?』
「虫を滅するためっすから! 世界半分の犠牲を苦渋の決断とし、やっちゃうんですよね!?」
……ん?
なんか、いつもと違うぞ、ジャハル君。
「じゃあオレ、ケトスさまの魔力を倍増させるグルメを世界中から集めてきますから。それと作戦立案書……完全なる殲滅のために暴走ケトス様、大焦土作戦の計画書を作りますんで……忙しくなるっすねえ」
親指の先をガジガジしながら炎帝様は物凄いシリアスな貌で、ぶつぶつぶつ。
なにやら自分一人納得して、うんうんと頷いている。
『え……ちょ? まともな魔族代表格の君が、ど、どうしたんだい!?』
「どうしたって、なにがっすか?」
荒れ狂う炎龍を生み出し、暴走させまくりながら彼は答えていた。
さすがに。
これは……おかしいぞ?
『だって、君! さっき私の破壊の力は使わない的な流れの時に、同意してなかったっけ?』
言って、私はふと思い出してみる。
たしか彼はこう言っていた。
――そうっすよね……分かりました。半分なら……仕方ないっすね。
と。
これ、もしかして。
半分壊しちゃうなら仕方ないから使えない……じゃなく。半分の犠牲も仕方がないって意味だったのか。
もしやと思い、ジャハル君のステータス情報を鑑定してみると。
あ、恐慌とかパニックとか、混乱とか。
バッドステータスが発動しまくってる……。
『本当に、虫……駄目なんだね』
「な、なななな、なんのことっすか? 炎帝で炎の大精霊で、魔帝である妾が、む、ムシごときに怯えるはずがないであろう」
女帝モードの時のセリフを誤爆しながら、ジャハル君は目を泳がせ訴えていた。
私の方角ではなく、壁の方に向かって……。
一時的とはいえ――。
私の専用ブレーキ役だった、ジャハル君が恐怖のあまり……壊れちゃった。
ど、どーしよ。
私、自分が暴走しがちなのは知っていたし、世間の常識と少しズレがあるとも自覚しはじめていたので気を付けてはいるのだが……。
それにも限度がある。
どのあたりが常識とか、普通とか、そういうラインが曖昧でよく分からないのである。
その辺を全部、ジャハル君の基準に任せて。
彼が炎を噴いて怒り始めたらアウトとか。
唸りながら指をとんとんしている間はセーフだとか、そういうケトス様の「こっそり観察、炎帝基準♪」に頼っていたりもしていて。
そんな彼が、私以上に暴走して虫殺戮マシーン化しているのは、ひっじょぉぉぉぉぉに不味い!
『えー……! 困るよ! 暴走するのは私の特権だろう!? いつもは私の暴走を止める側の君がそんなこと言ったら、止める人がいなくなっちゃうじゃん!』
歯をガチガチガチと打ち鳴らし。
目を血走らせてジャハル君は言う。
「虫っすから! 虫を、殲滅するためなら、ほら! 世界の半分ぐらい……吹き飛んでも仕方のない犠牲っすよ! 人命だけは天界とかに転移させて、一時的に退避させればいいんですし!」
あ、ちゃんと人命を考えてる。
パニック状態でも、そういうお人好しの所は変わってないでやんの。
ちょっと安心である。
けれど。
『駄目だよ! 今の人間世界は私のグルメを支える、大事な光で輝きなんだ。あいつらの田畑や家畜が跡形もなく食われちゃったら、私のご飯はどうなっちゃうんだい!』
「だってえええええっぇぇぇえ! 仕方ないじゃないっすか! いつも爆散暴走、大爆発! なんだってしちゃうのに、今回だけ冷静にならないでくださいよ!」
そんな言い合いをしている私の自室に、ブォォンと魔法陣の揺らぎが生じる。
これは――!
『ストップ! ジャハル君、なにかがくる』
「なにかって……ケトスさまの結界の中に入ってくるバカなんて、いるはず……――……ッ!」
途中で、ジャハル君も気配に気づいたのだろう。
スゥっと冷徹な女帝の貌を尖らせ、私を守るように前に長い脚を出す。
『私が許可を出すまで、手を出さないように。いいね?』
「承知いたしました」
涼しげに答える炎帝の手には、魔炎シミターが握られている。
命に代えても、大魔帝を守る。
そんな気迫がメラメラと伝わってくる。
ったく。
虫に怯えていたくせに、こういう所はちゃんと格好いいんだから。
『この大魔帝の寝室を侵食しようとは――どういう了見だい。覚悟はできているんだろうね』
その確認を合図にしたのだろうか。
何者かが私の結界を侵食し――。
渋く昏い声が、響く。
「アダムスヴェイン――太陽王宮からの脱出」
私の結界魔術を掌握した?
これは――なるほど。
現在に伝わっている魔術の大半は魔王様が開発、発展させたモノ。
私が普段使っている魔術系統もそうだ。
魔術の基礎をお創りになられたのはあの方。ならば――あの方と親しい者ならば、その抜け道を知っていても不思議ではない。
魔導技術で敵わないのなら、裏技を使えばいい。
単純な答えだ。
まあこんなことができるのは……。
結界の隙間からズズズズズ。
片隅の闇から這い出てきたのは、黒き翼。
「てめぇら、ニャンニャンきぃきぃ……なにをそんなに言い争っていやがるんだ! 飲み過ぎて頭が痛ぇんだよ、勘弁しろよぉ……!」
二百年前の蝗害上映会をしているニャンコ自室に。
妙に気怠いセクシーダンディな声が響く。
むろん、貌を赤くしたレイヴァンお兄さんである。
その後ろには、ワンコと鶏がどんちゃん騒ぎをしながら酒を傾けている。
『ぐはははははは! 愉快、愉快である!』
『クワーックワクワクワ! おぉ! ケトスよ、っひく。せっかくだから我らの客室と、おまえの部屋を繋げてやったぞ! さあ、余と共に、飲むのである!』
……。
ていうか、おそらく主犯はこっちか。
お兄さんは巻き込まれたのだろう……。
この獣めぇ……、お兄さんと一緒に楽しく酒盛りして。
監視の役割、忘れちゃったんだね……。