平穏なるグルメ帝国 ~アンネおばちゃんのハンバーグ~前編
時刻はランチタイムも過ぎた昼下がり。
賢帝ピサロのお膝下。
グルメ帝国となりつつある西帝国バランの首都――古今東西、様々な食事を楽しめるグルメ街での出来事だった。
世界各地からの旅人で賑わうこの街は、唸る程のグルメを求める強者たちの集う都市となっていて。
その客層はまさに種族のるつぼ。
エリートギルドの称号持ちや、お忍びでやってきた姫や従者騎士。
天界から舞い降りた犬天使や、魔王城からやってきた聖騎士猫。
果世界の境界が薄くなっているせいだろう、果ては異世界の住人……いわゆる異邦人の姿までも、ちらほらと見るようになっている。
皆、グルメという共通目的があるから大人しくしているが、いざ戦闘となってみれば一騎当千の実力者たちばかり。
美味しいご飯は平和の証だと誰が言ったかは知らないが、まさにこの帝国は、ほどよい平和で満たされていた。
かくいう私も、グルメ目当ての異邦人。
世界でも上から数えた方が早いほどの強者の一人。
魔王軍最高幹部である恐怖の存在。
大魔帝こと私――猫魔獣ケトスが、この地でひそかに進めているのは闇の作戦。
重要な軍事活動の一つ。
キリっと猫の瞳を鋭く尖らせ――グルメ魔獣で名を馳せている、その獣毛を昂らせ、肉汁で輝く肉球を上げてクワっ!
牙を剥き出しに唸りを上げる。
『おばちゃーん! こっちのテーブルに粗挽きチーズハンバーグ定食五人前追加ねー!』
「あーら、グルメニャンコちゃんまたおかわりなのね~。いいわ、おばちゃん、サービスにパインジュースとリンゴのタルトもつけてあげちゃう♪」
恰幅の良い料理人兼、店主のアンネおばちゃんが、ケラケラと笑いながら私の頭をなーでなで。
『にゃはははは! いつも悪いね~!』
「いいのよお、ケトスちゃんが来るとお店の評判も上がるってみーんな羨ましがるのよ、ふふふ。おばちゃん、今日、ディナータイムのお客さんにうんと自慢しちゃうんだから♪」
オーダーが届くまでの間のサービスよ。
――と、出されたミニクッキーをバリバリバリ。
そう、仕方のない事。
これはあくまで、作戦なのだから!
猫鼻をるんるん、スンスン♪
ゴーロゴーロと喉を鳴らし、まだかなまだかな~! と、追加オーダーを待つ私を見て。
目の前の男は、呆れた様子の半目でこちらをじぃぃぃぃぃぃっ。
瞳を細めて息を吐く。
「おまえさん、本当によく食うなあ……これでもう三軒目だぞ?」
『今日は君に人間のグルメを紹介するって約束したじゃないか。ほら、君もちゃんと食べたまえ。遠慮せずとも今回は経費で落とすから、ぜーんぶ奢ってしまうのである!』
ジト目の主もまた、私と同じく大魔族。
まだいまいち信用しきれない、なんらかの魔性こと、魔王様の身内レイヴァンお兄さん。
黒衣のコートと黒い翼。そして怖い貌が特徴的な。
犬歯と紅い目をクワッ!
と、剥いて威嚇しがちなアウトロー男である。
この世界にはたまにしか来ないという彼を引き連れて歩く理由は、様々だが。その理由の一つは、今の世界情勢を見せる事。
このお兄さん、私が世界を破壊するんじゃないかって疑ってるんだよね。
だからこその平和アピール。
大魔帝たる私が、一枚も二枚も噛んでいるグルメ帝国。
この発展した人間達のグルメ街を見せ、自慢してやろうと、幹部である私自らが肉球を運んでいたのである。
そして理由はもう一つ。
これほどの男が動く理由がいまいち把握できていない。
だからこその警戒。
蝗や飛蝗。
悪食や蝗害の魔性に関する資料を、今、必死で掻き集めて貰っているのである。
さすがに本人が御城の中にいる状態で、調査魔術や資料召喚魔術を使ってしまったら疑っているとバレてしまうしね。
つまり。
このグルメ巡りはとても重要な作戦なのである!
「それで――ケトスっちよ。お前さんはいつもこんな風に人間の街に繰り出しては、くっちゃくっちゃしてるわけか?」
と、食前酒をゆったりと傾けレイヴァンお兄さん。
『いつもじゃないけど、まあ週に五回ぐらいはね』
「はぁ……四百年前、大暴れしていたおまえさんがまさかこんな駄猫になってるとはなぁ……当時、俺様がみた未来とだいぶ違うじゃねえか」
この男。
お酒やおつまみは口にするんだけど、どうも、あまり食が進んでいないみたいなんだよね。
その辺りは魔性としての性質に影響しているのか、単に食が細いのかは分からないが。
『まあ、未来予知も所詮は魔術の一つ。観測地点から見た先の魔力変動を把握、そこから予測を生み出し映像化したモノ。言ってしまえば未来を予測した蜃気楼、または精密に計算された鋭い勘の一種だろうからね。未来視で見たモノが百パーセント再現されるわけじゃないだろう』
未来視、未来予知――啓示に、予言に宣託にご神託。
名前や呼び方は様々にあるが、どれも魔術やスキルとして説明できる現象なのである。
『それに――未来や運命の流れを変える事の出来る禁術や、未来の流れを変えてしまう程に強力な存在が行動する度に、ズレと変化が生じてしまう。予知は極めて不安定な魔術なのさ――四百年も前の未来予知じゃ、そりゃ色々と変わっていても不思議ではないだろう』
「そりゃそうなんだが、変わり過ぎだっての」
魔性に属する三獣――私やロックウェル卿やホワイトハウル。
主神クラスになる――魔王様や大いなる光、勇者や勇者の関係者の一部。
我らが把握していないだけで、それ以外にも強者は存在している筈だ。
様々な者が禁術に指定されている魔術を行使し、未来は大きく変わっている。
特に、大事件が起こりまくっていた最近は顕著だろう。
もし、変化が生じていなかった場合は――私や、私以外の誰かが世界を滅ぼしかけていたのかもしれないが。
はてさて、彼にはどんな未来が見えていたのだか。
『お兄さんが知っていた今は、どうなっていたんだい。ちょっと興味があるんだけど』
「まあ、どうせもう変わってしまった話だかんな、あんまり詳しく語る意味も、つもりもねえんだが……」
ぷふーっとタバコの煙を窓の外に流しながら、お兄さんは考え込む。
店の外を歩いていた淑女の皆さまが、渋くタバコを嗜むレイヴァンお兄さんの憂い貌にうっとり。
魅了されているようであるが――私の人型バージョンの方がイケてるよね?
私の方が落ち着いた渋いダンディだし。
うん。
……。
後で、人型になって横を通り過ぎてやろう。
『どうせ追加オーダーが届くまでは暇なんだ、聞かせてくれてもいいじゃないか。減るもんじゃないし』
きーかーせろ! きーかーせろ!
モフ耳をぴょこぴょこ、猫手でぺちぺちテーブルで音頭を取りながら私は言う。
ネコちゃんの頼みを断る者などいない。
当然、この男もそうなのだろう――うにゃんと訴える私に、しぶしぶ口を開き始めた。
「魔王の眠る世界、俺様の見た未来は荒廃していた――ここまでお前さんは人間に気を許してはいなかったし。人間達も人間達で大分様子が違っている。奴らは同じ種族同士でもっといがみ合い、醜く罵り合って国は細分化されて分裂。世界戦争が起こっていた筈なんだが……この平和だろ? いくらなんでも変わり過ぎだ、なにか心当たりはねえのか?」
『まあ、ないこともないけど――』
少し言葉を濁し、私はチョコクッキーをバリンチョバリンチョ。
「これはあくまでも俺様の鋭い勘なんだが、おまえさんが一枚噛んでやがるのか」
『たぶんね――全部が全部とは言わないけれど……きっかけは与えたんだと思っているのさ。実際、人間達の国家に何度か介入し、騒動を治めていたからね』
思い当たる事と言えば私による人間世界への介入――。
つまり、東王国へのヤキトリ目当ての脱走……。
アレがきっかけとなり、全ての未来に変化を与えてしまった。
大戦争の道を歩むはずだった人間達の未来を、大きく変化させた――という可能性もある。
もちろん。
あくまでもきっかけを与えただけだが。
自信過剰気味だと自負している私ではあるが。
さすがに全部が全部、私のおかげだと言い切る程の自惚れはない。
「ま、お前さんほどの力ある魔獣が動けば未来は大きく変わる。それに、あのチキン野郎や、ワンちゃんも一緒に動いてたりもしてたんだろ? それが人間同士の大戦争を避けるきっかけとなったのなら、少しぐらいは誇ってもいいだろうよ。偉いじゃねえか、よくやったな」
まただ。
またちょっと魔王様に似た優しい顔をしてみせる。
『そういえば、なんでロックウェル卿に苦手意識があるんだい? 前からの知り合いだったりするの?』
「いや、そういうんじゃねえんだが――なーんかあのニワトリとは相性が悪くてな。未来予知だったり、蛇使いだったり――能力的な意味で似た部分もあってやりづれえんだよ」
同族嫌悪みたいなもんなのだろうか。
まあ能力が能力だからね。
無差別石化に回復魔術まで得意だし――ロックウェル卿は単純な魔力だけならホワイトハウルに若干敵わないだろうが、実際に戦ったら勝つのは恐らく……。
まあ、あの二人が本気で戦いあったら、とんでもないことになるだろうけど。
もしそんな事態になったら私が止めに入らないと収まらないだろうから、できたら止めて欲しいのだが。
思い出すのは昔の事。
魔王様がまだお目覚めになっていた時に一度だけ、あの二匹の間で、大きな戦争になりかけたことがあったのだ。
なんかキノコとか、タケノコがうんたらかんたら。
珍しく、野菜で言い争っていたみたいだったけど。
なんだったんだろうね、あれ。
こっちの世界だとキノコはともかく、タケノコ料理ってあんまりメジャーじゃないんだけど。
途中からだんだん本気の討論になったらしく。
互いに球の唾を吐き散らしての唸り合い。
魔性としての魔力と魔力が本気でぶつかり合い、天変地異が発生。
まあ、あの時はたしか――魔王様がマジギレする前に私が慌てて止めに入ったんだよね。
両方をぶっ飛ばしたともいうけど。
ああ、懐かしい。
そんな、思い出の一頁にモフ毛を膨らませる私に、食前酒を傾け魔王様の兄は言う。
「そっちの質問に答えたんだ。こっちの質問にも答えて貰うぞ」
『答えられる範囲でなら、構わないよ』
「なぜ、この世界の存在は弟の名を口にしない。いや、俺様も含め、口にしようとすると何故かアイツとか、弟、とか魔王とか代わりの言葉が出てきちまう。ふと違和感があっただけなんだが、今も実際、アイツの名を口にしようとすると何故か別の言葉がでてきちまう。おまえ、なにかやったのか?」
『おや、気付いたんだ。凄いね』
言って、私は悪びれることなく猫の瞳を紅く灯らせる。
『魔王様の御名は、私だけが口にできる。その名を口にしようとすると、魔術が発動し――別の言葉に置き換えられる。あの方の名は私だけのモノ、そう――世界に儀式魔術を使っているのさ』
「そのようだな。そこまでは把握できたんだが――目的が、まったくわからねえ。そこにいったいどんなメリットがある。どんな意図がある。何を企んでいるのか――聞かせろ」
ごくりと息をのみ。
シリアスモードなレイヴァンお兄さんは紅き瞳を尖らせる。
――が。
対する私はぶにゃーんとモキュモキュ貌。
『あれ? そこまで分かっているなら、もう答えはでているじゃないか』
「いやいやいや、わかんねえって」
まあ、この男はあくまでも魔王様のお兄さん。
私と違って、魔王様を尊敬とか慕っているとか――そういう黒蜜のような重ーい感情とは違い、身内の情程度の軽めな感情しかないのだろう。
だから私は告げた。
『魔王様の名前を、私一人が独占したいからに決まっているじゃないか!』
ドヤァァァァァアアっと胸を張って。
言い切ってやったのである!