紅き手紙 ~兄や弟を急に名乗る奴はたいてい詐欺~
主神討伐という一大イベントが行われたあの日々。
あの冒険。
異世界散歩から帰還して半年。
こちらでの事後処理も終わって――私は今日も平和に暮らしていた。
平和とはけっこう退屈なもので。
けれども――とても素晴らしいモノだと、基本的に寝るのが大好きで、書類仕事が大嫌いなニャンコ魔族である私は思う。
散歩の途中で出逢って喧嘩を売ってきた魔竜を、一撃でドラゴンステーキにしたり。
噴火しそうな海底火山の中に入り込んで、原因となっていた魔導隕石を回収したり。
その魔導隕石が――実はかつての私が、人間との戦争でぶっぱなした天体魔術だったと気が付いて、こっそりと隠蔽したり。
そんな日常茶飯事ばかりの平和を満喫していたのだ。
いや……。
実は他にも、ちょっとした事件は何件か発生してはいたのだが。
どれも主神討伐と比べれば軽い事件。
一日、二日で解決してしまうモノばかり。
まあ中には普通の人間なら、一生をかけて解決するような案件もあったのだが――私は最強の猫魔獣、大魔帝ケトスだからね。
全てが平和に解決していたのである。
つまり!
おおむね平和な日々を送っていた、といっても問題ない。
平和も平和、超平和。
魔王様がお目覚めになった時のお説教が怖くて、平和だったということにしたいとか、そういうんじゃなくて、本当に平和。
と、言い切れる状態だったのだ――。
そう。
この謎の手紙が届くまでは――。
◇
うーみゅと唸るネコちゃんと並ぶ魔族の前。
禍々しい気配が一つ。
うさんくさいバラの香りを放つのは、魔力の込められた紅い手紙。
この手紙のあった場所が問題なのだ。
それなりの大魔族ぐらいしか勝手に侵入できない、私の寝室。
食べ散らかしたお菓子の山の中、いつの間にか紛れ込んでいたコレは――明らかに強大な力を持つ者が転移させてきた魔道具である。
差出人は不明。
私の魔眼による鑑定も拒絶される。
どっからどう見ても怪しい手紙なのである。
どうして怪しいのかって?
そりゃあ単純な理由だ。
この私、魔王陛下の愛猫であり一番弟子。
魔王様が御眠りになられている現在の魔王軍を束ねる最高幹部。
大魔帝ケトスが鑑定をしても、込められた魔術によりキャンセルされてしまうなんて……どう考えても曰く付きの手紙なのである。
極めて危険な魔道具――まあ罠か挑戦状と考えるのが妥当か。
ああ、そうそう!
状況説明が遅れたが――にゃほん。
場所は当然。
我が家であり、魔王陛下のお眠りになられているラストダンジョン。
魔王城。
緊急会議という名の私のウニャニャニャ声で集まってきた幹部連中と一緒に、相談中。
会議室での出来事である。
時は正午を過ぎた頃。
ご飯も食べて、お腹もまんぷく。普段ならば、午後の昼寝でもしようかとポテトなチップスを買いこんでいる時間である。
ズラリと並ぶ大物魔族も、件の手紙を眺めて――。
ふーむと考え込んでいる。
魔帝と呼ばれる幹部クラスの魔族。
彼等は皆一騎当千の傑物ばかり。
単騎で人間の帝都ぐらいなら軽く滅ぼせる、そんな実力者達が集まる会議室で、私は皆に問いかけた。
『――と、言うわけなんだけど。誰か心当たりはないかい?』
古参幹部達が顔を見合わせて。
なぜか私をじぃぃぃぃいいいいっと見る。
「魔猫の君。ケトス様のお役に立ちたいとは思いますのよ? けれど、そう言われましても、困りましたわねぇ」
「われらには、唯一つ以外、なーんもこころあたりなどないですぞい」
「然り。こういう事件の出所のほとんどは、とある御方であります故……」
じぃぃぃぃいいいいいっとした視線が、なぜか再び私に突き刺さる。
明確な返答はない。
誰も、何も心当たりがないのだろう。
うん。
『魔王城の結界を破りこの手紙を空間転移させてきたんだ。それも、最奥にある私の部屋にね。最低でも神と戦えるぐらいの強者とは思うのだけれど……。誰か、最近。そういった存在を呼び起こす事件をやらかしたりしていないかい? 怒らないから、しょーじきに言って欲しいんだけど』
とりあえず。
誰かが何かを言わないといけない空気になっているのだ。
おーい、誰でもいいから、なんかいえー!
猫の眉間をうにゅにゅとし始めた私に気付いたのか、炎の大精霊であり魔王軍トップクラスの実力を持つ魔帝。
アラビアンな姿の似合う、男勝りな女帝ジャハルくんが手を挙げる。
進まぬ会議を見かねたのかな。
意見を出してくれるのだろう。
『お! ジャハルくん、なにか思い当たる事があったりするのかい!』
「いえ、直接はないというか……いつもの流れというか。どうせ、というか。まあぶっちゃけちまうと勘、なんすけど。ケトス様、最近まで異世界に散歩に行ってましたよね。そっちの線ってことはないんすか?」
他の幹部達も、うんうんと頷いて私をジト目で見ている。
たしかに。
私はいつも何かとトラブルを運んでくる気がしないでもない。
更にジャハルくんも、鋭い美女顔をジト目に変えて――追撃。
「それに、まさかアンタ――ここ最近の大騒動。忘れたわけじゃないですよね?」
『大騒動……ねえ。まあそれは見解の相違かな。あれは、ほら……わざわざ記録クリスタルに残す必要もないレベルの出来事。ねこちゃんにはよくあるはなし。日常茶飯事だろう?』
目線と尻尾をうにょーんと逸らして告げる私の言葉に、幹部達のジト目は増すばかり。
うにゃにゃにゃ。
これはちと、まずい。
実は……その。
ここ半年。最近も含めて、いろいろとあったのだ。
異世界から帰ってきた直後――どこか別の世界から主神と邪神の戦いを見ていた強大なる存在が、異界渡りをしてやってきて。
その力、我に寄越せ!
と、襲い掛かってきたり。
知るかボケェ! と異界の厄神をぶっ飛ばした、またその翌日。
別の世界からやってきたのは、今にも震えて泣き出しそうな女の子。
その御力で、遺跡に封印された皇子様の呪いを解いてください……っ。
と、異界ガマガエルの姫が縋りにやってきたのでアドバイス。
はいはい、そういう呪縛はお姫様のキスで解けるから、と。
解除の儀式を教えてやり。
そんなにおいしくない、イモリの黒焼を報酬で貰ったり。
やれ、異界の蛙を助けたと思ったら今度はまた別の異世界から……。
と。
毎日、毎日、まぁぁぁぁぁぁいにち!
異世界から私を訪ねて、色々とやってきていたのである。
まあ前回の散歩で?
他の世界との境界線が曖昧になっていた空間で?
聖戦をしちゃったからね。
それなりに力ある者には――異界には大魔帝ケトスっていうヤベェ奴がいる! と伝わっているらしく。
いままでやってこなかった連中が――。
殴り込みやら、助けを求めてきたりやらのエトセトラ。
朝飯前で片付けられるような事件が、何度も何度も起こっていたのである。
私は平和だと言い切って誤魔化しているのだが。
……。
まあ、今回もそういう案件を疑われるのも、無理ないか。
私はこほんと咳払い。
『そ、そりゃあ、まあ……私を訪ねて、最近いろんな奴らが来ていたけれど。ちゃんと消滅させたり、救ったりして帰って貰ってるんだからいいじゃないか』
その度に、たまーにクレーターを作ったりしたから。
もしかして、呆れられてる?
まずい、これでは素敵ダンディだったはずの私の威厳が――!
と、私が本気で動揺しかけていたからだろう。
空気の読める一国の女帝。
炎帝ジャハル君がフォローするように、焔の息を漏らしながら言う。
「いっそ異界との壁を厚くすることはできないんすか。なんとか対処できているからいいっすけど……たとえばケトス様とまでは言いませんが。オレら魔帝と同等レベルの魔が降臨してきたら、さすがに死者がでちゃいますよ」
『壁を厚く、か。それはもう試したんだけどね――』
言って、私は即座に十重の魔法陣を展開。
肉球の先から浮かべた魔術式を、輝く魔法陣の表面にペチペチ。
封鎖結界を構築するが。
バリバリバリィィッィイイイイイイイン――ッ!
「な……っ! ケトスさまの魔術が!」
ジャハルくんに続き、古参幹部連中が大袈裟に騒ぎ立てる。
「ふむ、これは奇怪……面妖。摩訶不思議である」
「ふぉー!? なんと! ぐーたらで怠惰でずぼらで杜撰であられるのに、魔術だけは精密で美しい――あのケトス様の力が、相殺されたじゃと!?」
「まあ……、あら、いやだ。実は歩く無差別破壊魔術みたいな存在なのに……――最近はその素の人の良さから、人間達から愉快なグルメ魔獣その一、かわいいニャンニャンね~って思われ始めていらっしゃる。あ、の、ケトスさまの結界魔術が、破られたですって?」
心底おどろいている――古参幹部たち。
通称。
剣聖と色狂いと、魔術爺さん。
こいつら。
私が温厚だからって褒めてるのか貶してるのか、言いたい放題だな。
まあ、人間達の世界にグルメ干渉する前と比べると、かなり距離が近づいている気もするけど。
ともあれ。
肉球とのびるお爪をクイクイしながら私は言う。
『分かってくれたかい? どうやら、異界との関わりを断とうとすると……こうして、何者かが邪魔をしてくるみたいなんだよね。それが気になっていたんだけど、そうしたらこの手紙だ。君達に心当たりがないのなら、まあたぶん、関係しているよね。ジャハル君――ちょっと頼めるかな?』
鑑定が得意なジャハル君に目線を送る。
炎帝としての顔で頷き――彼は炎の魔剣を取り出す。
「我、炎帝の名において命ずる――開示せよ……汝の生まれし、記憶。魔力そして因果の全てを」
大精霊の鑑定魔術。
その詠唱が光を放ち、会議室の壁を明るく照らした。
この手紙――相当に高度な魔術防壁が張られているのだろう。
紅き手紙の鑑定に集中するジャハル君がごくりと息を呑む。
幹部の男性陣もなぜかごくりと息をのんでいた。
ああ、なるほど……。
顎から伝った汗が、案外ふんわり豊満な……女帝の胸の隙間に伝っているのだ――。
普段はサラシを巻いているみたいだったけど、今回は緊急会議だったからね。
そこまでの身支度をする前に飛んできてくれたのだろう。
残念ながら他の男性陣とは違い、ネコちゃん的には、そう言った意味での興味はそんなになかったりもする。
だって、私。
ネコだしね。
まあ普段、ポカポカ湯たんぽ代わりに彼の膝の上で、びみょーん♪
燃え盛るその肌の温もりを堪能し、ぐっすりお昼寝タイムをしているせいかもしれないが。
ともあれ。
「……駄目っすね。オレの力でも打ち消されます」
ふむ、私以上に鑑定が得意な大精霊である彼が無理なら。
私も含め、ここにいる魔族では鑑定不可能なのだろう。
一人だけ、更に腕のいい人間の鑑定娘を知っているが、危険には巻き込みたくないし。
「開けてみるしか、ないっすよね」
『だね。開封は私がする――少し離れていてくれたまえ』
罠の危険も考え、魔力で浮かべた紅い手紙。
蝋で留められたその封をやはり魔力で開けた私は――猫の魔眼をギンギラギン。
内容を確認し、私は猫のモフ毛をぶにゃん……。
『我、休眠期に入りし黒き魔王と血脈を同じくする者。今宵、我が弟の愛弟子たる大魔帝ケトスを迎えに上がる者也。モフモフの毛を磨き、出立の準備をしてまつべし、魔王の兄――黒薔薇の貴公子レイヴァン=ルーン=クリストフより……か』
突然の手紙を読み上げて――。
偉大なる私はふかく、だるーい息を吐いていた。
『黒薔薇の……貴公子ねえ……』
なるほど、そうか――そういうことだったのか。
くだらない。
炎の魔法陣を生み出しながら、猫のジト目と呆れを鼻梁に刻んだ私は手紙をぽいーっ!
『こりゃ、詐欺だね――燃やしとこ』
「ぎゃぁぁぁあああああああ! 破棄がトリガーになる罠だったらどうするんすか!」
炎という特性をリンクさせて、私の炎魔術を吸い取りながらジャハル君が吠える。
『おー! 相性がいいとはいえ、私の炎を打ち消せるなんて凄いじゃないか』
「そ……! そりゃまあ! オレも? 毎日ちゃんと訓練をして……少しでもアンタの側近にふさわしい実力を……って、んなことはどーでもいいんすよ! オレ。魔王軍では新参だから詳しくないんすけど――魔王様にお兄さんなんていたんすか?」
私や古参幹部達に問いかけるジャハル君。
我らの反応は、みーーんな同じ。
肩を竦めて見せて、首を横に振る。
『少なくとも、私は知らないね――まあ、そういうのは全部詐欺だよ、詐欺。最近流行っているらしいからね。うっかり返事なんてしちゃったら、そこから魔力を逆探知されて何かされる可能性もある。無視が一番さ』
言って、私は肉球を鳴らし――ジャハルくんの手から離れた紅い手紙を闇で切断。
完全に消去して、事件は解決!
消えゆく紅い塵を横目にしながら、ジャハル君が心配そうにちらり。
なんだかんだで彼女は優しい。
私を心配しているのだろう。
「本当にいいんすか? 眠る魔王様にご確認したほうが……マジだったら、まずいっすよ」
『まあ……魔王様がお困りの時に、顔を出さなかった存在だ。もし万が一、いや億が一の可能性で本当に兄だったとしても、私は認める気はないよ』
涼しい顔をして、私は告げる。
それが本音でもあるのだ。
もし、本当に。
魔王様を大事に思っている存在なら……百年前のあの戦いに、何らかの形で顔を出していた筈だろう。
会議室に、魔の霧が広がり始める。
滾る瘴気と魔力を制御しつつも、ぎしりとネコの口を蠢かし私は言う。
『仮に、この者が本物だとして――わざわざ何百年ぶりに訪ねてきたのだとしても、私は魔王様に会わせるつもりはない。お目覚めになった魔王様が会いたいと仰るのなら、話は別だけれどね。けれど、今は駄目だ』
そして、ここからが会わせたくない本当の理由だ。
『兄弟だからと言って、味方であるとも限らないわけだしね。私は魔王様が魔王様になられる前の詳しい素性を知らない……身内ならば、我らすらも知らない魔王様の弱点をつき、そのまま……なんて可能性も大いにある。だから――私の眼が紅いうちは会わせたくないんだ。君達もそのつもりで行動して欲しい。もっともこれは強制力のある命令ではなく、ネコちゃんからのお願いだけれどね』
こういう時って。
強制するよりもお願いする方が効果があるのだ。
だって、ネコちゃんにお願いされて断れる存在などいないわけだし、うん。
珍しく頭を下げる私に深刻さを感じたのだろう。
ジャハル君が、顔を引き締め魔帝の顔で跪く。
ここ、魔王軍最高幹部と側近幹部のかっこういいやりとりである。
「承知いたしました――全てはケトス様の御心のままに。ただ……、念のため、今宵は警備を強化致しましょう。もし、あなたの身に何かあれば、その……」
そういや。
迎えに来るみたいな事が書いてあったしね。
『ああ、心配してくれているのかい』
「ケトス様なら実力の面ではまず心配ないっすけど、グルメで誘われたら……、どんな場所にでも、ほいほいついて行っちゃいますよね?」
『そりゃあ……まあ、ねえ?』
絶対に大丈夫と言い切れない自分が悲しい。
だって、事実なんだから仕方ないじゃないか。
「そこは否定して欲しかったんっすけど……。まあ、とりあえず……希望者を募り、何かあればすぐに動けるようにしときますんで――アンタも、なにかあったらすぐに教えてくださいっすよ」
『それは頼もしいね。じゃあお言葉に甘えようかな――頼んだよ』
まあ。
どう考えても、魔王様の偉大なる名を利用したお兄さん詐欺だから、気にする必要なんてないけどね。
古参幹部達も同意見みたいだ。
いやあ!
今回の冒険は、肉球を地につけることなく終わったのである。
あまりにも何事もなく終わったから、記念にバケツアイスでも食べちゃおうかな~♪
やっぱり、平和が一番だよね~♪
◇
と、全てを解決した気になっていた私だったが。
まあ、何事もなく終わる筈がなく……。
これが――今回の事件の始まりだったのである。




